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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第4章 宿命の王女と身代わりの託宣

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第10話 龍の思惑

【前回のあらすじ】

 白の夜会当日、神官長の指導のもと瞑想を行うハインリヒ。王位を継ぐ準備は少しずつ進められていきます。

 一方リーゼロッテはジークヴァルトと共に白の夜会へ。初々しいデビュタントたちを見て、一年前の自身のデビューを懐かしく振り返りつつ、束の間の時間をたのしんで。

 そんな中、控室でジークヴァルトを待つ間、令嬢に扮したカイがいきなり飛び込んでくるのでした。

 リーゼロッテが公爵と踊る姿を見届けて、エラはそっとその場を離れた。

 白の夜会には男爵令嬢として参加した。貴族の立場で大きな夜会に出るのは、恐らくこれが最後だろう。


 いつまでもリーゼロッテの姿を目に焼きつけていたかったが、今夜の目的は別にある。王城で(もよお)される夜会では、裏方として働く女官も数多い。その姿を求めて、エラは会場の外に用意された休憩室へとひとり向かった。


(顔見知りの女官がいるといいのだけれど……)


 準女官試験について、何かしら情報を得たかった。だが仕事中の彼女たちの邪魔をするのも、心証が悪くなるかもしれない。ならばその仕事ぶりだけでも観察しようと思っていたエラだった。


 爵位の高い者には専用の控え室が用意されるが、それ以外は空いた部屋を使っていいことになっている。扉が閉まっている場合は誰かしらがいるはずなので、不躾(ぶしつけ)に入るのはマナー違反だ。

 休憩室が並ぶ廊下を歩いてみるが、女官らしい姿は見つからない。その辺りを往復するようにうろうろしていると、いきなり二の腕を掴まれた。


「お前、エデラー男爵家の娘だな?」

「あの、あなたは……?」


 赤ら顔の中年貴族がそこにいた。この男は確か侯爵家かどこかの人間のはずだ。酒臭い息に顔をしかめながらも、不敬を働かないようエラは男の名を記憶の中から探ろうとした。


「もうお前でいい。こっちに来い」

「えっ!? あのっ」


 無理やりに空いている休憩室へと引っ張りこまれる。エラは青ざめて、男の腕を振り払おうとした。ふたりで部屋に入るなど、男女の関係にあると思われても仕方のない状況だ。誰かに見られでもしたら、あらぬ噂の的になる。


「おやめください!」

「逆らうな! おとなしく言うことをきけ!」


 こういった夜会では一夜の関係を楽しむ者もいる。しかしそれも合意あってのことだ。いくら身分が上の貴族相手と言えど、酔っぱらいの戯言(たわごと)に従えるはずもない。

 部屋の半ばまで連れていかれ、ようやく男の手から逃れた。だが閉めた扉の前に立ちふさがれて、エラは逃げ場を失ってしまった。


「男爵家のお前ごときをわたしの愛人にしてやるんだ。ありがたく思うんだな」

「えっ!?」


 不穏(ふおん)な台詞に、エラは驚きの声を上げた。この男はただの火遊びを望んでいるわけではないようだ。こんな人間に捕まったら、後々厄介になるのは目に見えている。自分の名誉だけでなく、実家やリーゼロッテにまで迷惑がかかるだろう。


(相当酔っているようだから、多少の不敬は仕方ないわよね)


 マテアス直伝の護身術を用いれば、酔っぱらい相手に負ける気などしない。再び手を伸ばしてきた男に、エラは隙なく身構えた。


「わたしも運がいい……女帝が死んだ今、いい金ずるを見つけたものだ」


 男の言葉にはっとなる。

(そうだわ、この男……確かグレーデン侯爵の従弟(いとこ)だったはず……)


 グレーデン家はウルリーケの死後、利権をめぐったいざこざが絶えないでいる。今までおいしい思いをしてきた者が資金源を失い、新たに取り入る人間を求めているらしい。社交界ではそんな噂が絶えず囁かれていた。


 エデラー家は低爵位であるものの、事業が波に乗り資産だけは潤沢(じゅんたく)だ。この男はよさげな相手を物色中に、たまたまエラに目を留めたのだろう。しかしウルリーケに近しい者はその死を(いた)み、夜会など華やかな席はみな()けているはずだった。


「あなたはグレーデン侯爵家の縁故の方ですね。ウルリーケ様の喪に服されているはずのお方が、なぜこの場にいらっしゃるのでしょう?」

「う、うるさい! つべこべ言わずにわたしの物になれ!」


 早朝の鍛錬を欠かさなかったおかげで、エラは冷静でいられた。手首を乱暴に掴まれたが、逆に男の腕をねじり上げる。酔った人間相手では、今のエラにとっては造作もないことだ。


「小娘が! 不敬罪で身を滅ぼしたいのかっ!」


 (つば)を飛ばしながら大暴れする男を前に、エラは動揺して手を(ゆる)めた。どこまで本気でやってしまっていいのか躊躇(ちゅうちょ)する。その一瞬の迷いが形勢を逆転させた。喉元(のどもと)を掴まれ、エラは壁に叩きつけられた。


「ぐっ……!」


 息ができなくて、エラは男の手首を掴んではずそうとした。苦し気なエラを前に、男は血走らせた目に狂気の色を宿らせる。


「おとなしく従っていればやさしくしてやったものを……」

「離し……て……」


 酸欠で意識が飛びそうになったその時、締め付けられていた首が開放された。咳込んで、あえぐように空気を求める。壁に背を預けたまま、エラはその場にしゃがみこんだ。


 鈍い音がして、目の前にいた男がよろめいた。涙の浮かぶ瞳で見上げると、細身の青年がさらに一発、男の腹に拳をめり込ませる姿が目に映る。

 いつの間にいたのか、その青年は非力そうな体でひょいと男を(かつ)ぎ上げた。そのまま床に転がすように、部屋の奥へと投げ捨てる。


「はい、有罪(ギルティ)


 心なしかうれしそうに言ってから、青年はいまだ座り込んでいるエラを振り返った。


(仮面……?)


 青年は目だけを覆う仮面をかぶっている。仮面舞踏会ならまだしも、今日はデビュタントのための白の夜会だ。傷を持つ者が仮面をつけることはあるにはあるが、そんな人物は社交界でも話題のひととなる。記憶にない青年を前にして、エラは咄嗟に立ち上がった。

 警戒するように距離を開けようとするが、ふらついてエラはたたらを踏んだ。仮面の青年が、そこをすかさず支えてくる。


「大丈夫ですか? お嬢さん」


 耳元で囁かれ、エラは驚きにその胸を押した。肩と腰に回されていた手は、拍子抜けするほどあっさりと離れていく。その動きの流れのまま、仮面の青年は優雅に礼を取った。


「これは失礼を。レディに断りもなく触れるなど不躾(ぶしつけ)な行いをいたしました。ですが今回ばかりはお許しを」

「……あなたは?」

「エル、とでもお呼びください、勇敢なお嬢さん。この招かれざるブ男は、近衛の騎士にでも引き渡しておきましょう」


 気を失ったまま床に転がる男を、エルと名乗った青年は冷たい視線で見下ろした。怪しげな人物だが、物腰からするにこの青年も貴族のひとりに違いない。そう結論づけてエラは背筋を正した。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございました」


 警戒は解かないまま頭を下げる。そんなエラに仮面の青年は笑みを漏らした。


「このままここにいて、よくない噂が立つのもお困りでしょう? あとのことはどうぞわたしにお任せを」


 頷いて足早に部屋を出る。エラは周囲に誰もいないことを確かめて、急いで夜会の会場に戻っていった。


「さて、どうしたものか」

 その背中を見送って、仮面の青年、エルは小さくつぶやいた。


「どうしたもこうしたも、招かれざる客なのはあなたもでしょう? エルヴィン・グレーデン」


 女性にしてはハスキーな声に、部屋の飾りのカーテンに目を向ける。そこには背の高い令嬢が妖艶な笑みを浮かべて立っていた。


「これは、美しいお嬢さん。わたしの正体をあっさり見破るとはただ者ではありませんね。それともカイ・デルプフェルトと、本名でお呼びすべきでしょうか?」

「食えない方ね。この姿の時は、カロリーネと呼んでくださらないかしら?」


 令嬢口調のままカイは返した。口元に笑みを浮かべつつも、しかしその目はまるで笑っていない。わずかな(すき)も見せないように、互いの視線が絡み合う。


「我が一族の不始末は、グレーデン家が責任をもって対処しましょう。今日のところはお見逃しいただけませんか?」

「あら、残念ね。わたくしもやんごとなきお方の(めい)により動いておりますの。いかに侯爵家の次期当主と言えど、目こぼしは致しかねますわ」

「それはなんとも手厳しい」


 笑顔を保ったまま会話の応酬が続く。が次の瞬間、ふたりは同時に動き出した。


 (ふところ)に飛び込んできたカイを、エルヴィンは身を(ひるがえ)して(かわ)していく。かさばるドレスに思うように動けないカイは、どこかたのしげなエルヴィンに向けて小さく舌打ちした。


 スカートをたくし上げ、姿勢を低くして片足を伸ばす。カイはそのまま伸ばした足を素早くスライドさせた。思惑通り足を取られたエルヴィンが、バランスを崩し倒れ込んでいく。

 転んだ拍子に掴まれたテーブルクロスが、カイの顔に降ってくる。茶器や軽食が床にぶちまけられて、耳を刺す音が大きく響いた。


「その姿でやられると、男だと分かっていてもつい目がいってしまうものですね」


 真上から声が聞こえ、カイはテーブルクロスを頭からはぎ取った。天井板をはずしたエルヴィンが、そこに手をかけてぶら下がっている。腕の力だけでひょいと天井裏に潜り込むと、エルヴィンはいたずらな笑顔を向けてきた。


「今宵はこれにて失礼させていただきます。いずれ良いご報告ができるかと。王にはそうお伝えいただけますか?」


 カイが口を開きかけると、部屋の外の廊下に近衛の騎士が集まってくる気配がした。


「このままではあなたも面倒なことになるでしょう? ご健闘を祈ります」

 ぱたんと天井板がはめられると、エルヴィンの気配は遠のいた。


「っち。病弱ってのは演技(ガセ)かよ」


 エルヴィン・グレーデンは侯爵家の跡取りであるものの、幼いころから体が弱く、社交界に姿を見せる機会は今まで一度もなかった。現侯爵のエメリヒも、母親(ウルリーケ)の言いなりの傀儡(かいらい)侯爵として有名だ。そんな頼りないグレーデン家を見限る人間が、続出している現状だった。


(女帝の支配が無くなって、あちらさんも敵味方を整理してるってところか)


 捜査を進めるにあたって、別の組織が同じようなことを探っている痕跡を感じていた。それはすべてグレーデン侯爵の手によるものに違いない。


 気を取り直して荒れた部屋の中、赤ら顔のまま昏倒している男を見やる。この状況で近衛騎士に来られると、確かに厄介なことになりそうだ。こうなればエルヴィンはわざと倒れて大きな音を立てたのだろう。そう思うと余計に腹立たしくなってきた。


 この男に襲われたと騎士に泣きついてもよかったが、カイは密命で肩書もあやふやな謎の令嬢を演じている最中だ。どこの家の者かと問い詰められれば、ボロが出る可能性もある。


(こんなことでイジドーラ様の手を(わずら)わせるのもなぁ……)


 そっと扉に寄り、廊下の気配を確かめる。三人の騎士が近くまで来ているものの、まだ扉の前にはいなそうだ。

 迷いなく扉を開けて、異音を確かめに来た近衛騎士に向かって足早に進んでいく。スカートをつまみ上げ、顔を背けながらその横を通り過ぎた。


 駆け抜けた令嬢を驚き顔で目で追うものの、騎士は部屋を確かめることを優先したようだ。カイは逃げるように歩を進めるが、気配でそのうちのひとりが自分を追いかけてくるのが感じられた。


(いいからこっち来んなって)


 悪態をつきつつも逃げ場を探す。かさばる夜会のドレスは動きづらくて、こんなときは面倒だ。追っ手をまくために廊下をいくつか曲がり、目に留まった扉の前でカイはようやく足を止めた。ここはジークヴァルト専用の控室だ。


 ノブを回すも鍵がかけられている。仕方なく片膝をついて、結い上げられたかつらからピンを一本引き抜いた。鍵穴に差し込み慎重に中を探る。


(ったく、こんなことならベッティを呼び戻すんだった)


 ウルリーケの死を機に、グレーデン家の不正を一気に(あば)く。その密命のためにカイは動いていた。ご夫人たちの噂話は馬鹿にはできない。情報収集で白の夜会に潜り込んだが、侍女として入り込めるベッティがいないため、カイ自らが令嬢姿で暗躍していた。

 普段なら遊び慣れた夫人を誘惑して、(ねや)の快楽と共に情報を引き出しているカイだったが、グレーデン家にやたらと嫌われている身としては、今回ばかりはその手も使えない。


 かちゃりと鍵が回った感触に、カイは素早く部屋へと入り込んだ。中にいたリーゼロッテと目が合って、出そうな悲鳴に口をふさぐ。


「しっ、黙って!」


 すぐさま扉の鍵を掛ける。廊下の気配を伺うと、騎士が近づいてくるのが分かった。ひとつひとつの部屋をノックして回っている。やがてこの部屋の扉も叩かれた。


「フーゲンベルク公爵様、おくつろぎのところ失礼いたします」


 リーゼロッテに視線を落とすと、大丈夫だと言うふうに頷いてきた。居留守を使うより問題ないことを伝えてもらった方が、カイとしても面倒事を回避できる。押さえていた手を離すとリーゼロッテが扉に向けて声をかけた。


「今、ジークヴァルト様は席を外されております。何か御用でしょうか?」

「わたしは近衛騎士で、ただ今警護の巡回をしております。不躾に申し訳ないのですが、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「わたくしはリーゼロッテ・ダーミッシュです」

「公爵様のご婚約者様でいらっしゃいましたか。これは大変失礼いたしました。それで念のために確認なのですが、何か異常はなかったでしょうか? 例えば誰かが訪ねてきたりだとか……」

「いえ、特にどなたもいらしてませんわ」


 リーゼロッテはそつなく受け答えしていく。令嬢姿のカイが潜入捜査をしていることを、きちんと理解したのだろう。


(リーゼロッテ嬢って本当におもしろいよな)

 暢気(のんき)にそんなことを考えながらも、気配を消すことは忘れない。


「よろしければ部屋の中を確認させていただきたいのですが」

「申し訳ございませんが、ジークヴァルト様に誰が来ても扉を開けないよう言われております」

「そうですか……では、廊下で物音がしたり、何か気づかれたことはありませんか?」

「……そうですわね。言われてみると、先ほどどなたかの足音が聞こえましたわ。奥の廊下へと急いで行かれたようです」


 本当に今思い出したというふうに、リーゼロッテは小首をかしげた。扉の向こうの騎士には見えないだろうに、なかなかの演技派だ。礼を言った騎士の気配が遠ざかるのを待ち、カイはリーゼロッテに妖艶な笑みを向けた。


「ありがとうございます、リーゼロッテ様。本当に助かりましたわ」

「カ……ロリーネ様はどうしてここに?」


 戸惑いつつも、リーゼロッテは律儀にカイに合わせてくる。


「はは、カイでいいよ。ちょっとヘマやらかしちゃって、ほんと助かった」


 ついでに少し休ませて。そう言ってカイは、ソファへと腰を下ろした。そのままスカートをたくし上げ、片足の(すね)を確かめる。擦り傷で血が滲み、その周囲には盛大な青あざができていた。エルヴィンとやり合ったときのものだ。次に会ったときは絶対に逃がさない。不穏な表情でカイは目を細めた。


「カイ様、そのお怪我は……」

「ああ、ごめん、変なもの見せて。今隠すから」


 令嬢によっては失神ものだ。取り出したハンカチを、カイは傷口に巻きつけようとした。


「あ! 少しお待ちくださいませ」


 言うなりリーゼロッテがどこからか香水の小瓶を取り出した。カイの前に膝をつき、むき出しの傷に向けてひと吹きすると、しゅっと清廉な空気が広がった。と同時に、ずくずくと(うず)いていた痛みが引いていく。


「リーゼロッテ嬢……これは?」

「こちらはわたくしの涙を薄めたものですわ。異形を鎮めたり傷の治りを早めたり、なんだかそんな効果があるようなのです」

「何、その便利仕様」


 擦り傷は消え、青あざも随分と薄くなっている。乾ききっていない血の跡が、名残で(すね)についているだけだ。


「……この力、誰にも知られないようにしないと絶対に駄目だよ?」


 相変わらず規格外でふざけた力だ。こんな能力が知れ渡ったら、よからぬ奴らに狙われるのは目に見えている。半ばあきれつつも真剣な声音で言うと、リーゼロッテは神妙に頷いた。

 龍はなぜこのちっぽけな令嬢に、こんなにもイレギュラーな力を与えているのか。カイはそれが不思議でならなかった。


(星読みの末裔(まつえい)か……)


 ラウエンシュタインの謎は、長年託宣の調査を続けてきたカイをもってしても、いまだ何もつかめずにいる。龍の思惑など、自分ごときが()(はか)れるものではない。それはカイが生まれ落ちたその瞬間(とき)から、分かり切っていることだ。


 血で濡れた(すね)を拭こうと、カイは座ったまま前かがみになった。かさばるドレスが邪魔で、ドレープを()けるように勢いよく膝上までまくり上げる。あらわになった太ももの内側に、龍のあざが垣間見えた。


「カイ様も託宣をお持ちでしたのね……!」

「あれ、言ってなかったっけ」


 驚いたように見上げたリーゼロッテに、カイはしれっと言葉を返した。少し困った顔をして、リーゼロッテはそれ以上何も聞いてこない。もしカイがリーゼロッテだったなら、根掘り葉掘り聞き出しているところだ。


(まあ、聞かれても話す気はないけどね。龍が目隠ししたとでもいえば、リーゼロッテ嬢ならあっさり納得しそうだし)


 考え込んだ顔でカイの龍のあざを見つめるリーゼロッテに、少々いたずら心が湧いてくる。


「ねえ、リーゼロッテ嬢」

 いつもの調子で声をかけると、リーゼロッテははっとカイの顔を見た。


「リーゼロッテ嬢の龍のあざってどこにあるの?」


 ふいになされた質問に、胸元を隠すかのようにリーゼロッテの手が動く。


「ふうん、そこなんだ」

 馬鹿正直にもほどがある。意地悪そうにカイは笑った。


「ねえ、オレのあざに触れてみてよ」


 言うなりリーゼロッテの手をつかみ、カイは自分の内ももへと導いた。小さな手のひらは、冷やりとしたカイの肌に触れ、慌てたようにすぐ引っ込められた。


「カイ様……!」


 リーゼロッテが抗議の声を上げると、あまり悪いとは思っていない様子で「ごめんごめん」とカイは残念そうな口調で言った。


「龍のあざを、ジークヴァルト様に触れられたことはある?」


 囁くように耳元で聞くと、リーゼロッテの頬が赤く染まった。何かを思い出したかのように、落ち着きなく目が泳ぐ。


「あはは。リーゼロッテ嬢ってホントに嘘がつけないよね」

「今日のカイ様、なんだか意地悪ですわ」


 困惑気味に顔をそむけるリーゼロッテに、さらにいたずら心が湧いてくる。


「触れられた時ってどんな感じなの? 後学(こうがく)のために教えてよ」

「……とても体が熱くなりますわ」


 少しためらった後、リーゼロッテは聞き取れないような小さな声で答えた。その顔は先ほど以上に赤くなっている。


「ふうん? そうなんだ」

 カイはそう言うと、寄せていた顔を離した。


「これ以上いじめると、ジークヴァルト様に八つ裂きにされそうだ」


 体を起こしウィンクする。リーゼロッテは戸惑いつつも不思議そうな顔をした。

「ジークヴァルト様はそのようなひどいことはなさいませんわ」


(あれ? これはまだ手を出してないっぽい?)


 甲斐性なしのジークヴァルトの事だ。いまだ泣かせるのが怖くて、いたずらに手をこまねいているのかもしれない。

(それはそれでおもしろいから、まあいいか)


 カイは再び意地悪そうな笑みを浮かべて、きょとんと見上げるリーゼロッテを見やっていた。


「カイ様は、イグナーツ父様をご存じなのですよね? わたくし王子殿下にそうお伺いして……」


 話題を変えるようにリーゼロッテが聞いてくる。ダーミッシュ家に養子に出されたリーゼロッテだ。いつか聞かれるかもしれないと思ってはいたが、突然のことにカイも少し面食らった。


「イグナーツ様? ああ、うん、子供の頃に少しだけ」


 カイは曖昧(あいまい)な答えを返した。本当は半年ほどイグナーツのそばで過ごした。あの日々は、カイにとって今もかけがえのない時間だ。


「父様はどんな方なのですか?」


 そう問われ、カイはリーゼロッテのキラキラと期待に満ちた瞳をじっと見つめた。


 イグナーツの為人(ひととなり)をひと言で言いあらわすならば、それはずばり女ったらしだ。手が早く、見境がなく、我慢がきかない。女好きのだらしがない駄目な男の典型だった。

 なまじ見目もよく、モテまくるから始末に悪い。美女はみなのものだというよくわからない持論を振りまき、他人のものでも平気で手を出していた。

 しかも、手を出していい女とそうでない女を、それは見事に見分けていた。子供心にカイはその手腕に感心していたものだ。実のところ悪い遊びのほとんどは、イグナーツから教わったと言っても過言ではない。


 そんなイグナーツの娘であるリーゼロッテに、選んでみても選ぶべき言葉がみつからない。それでもカイはなんとか言いようを探して、懸命にオブラートに包んでみた。


「……イグナーツ様は博愛主義で、自分の理想を追い求める、諦めない心をお持ちの方だよ?」


 なぜかカイは疑問形で締めくくった。自分で言っていて、これは誰だ? とおかしくなってしまったからだ。まあ、要は来るものは拒まず、狙った獲物は必ず手に入れる男、そういうことだ。


 リーゼロッテはどのように解釈したかは知らないが、「そうなのですね」と頬をほころばせた。(けが)れを知らないその笑顔に、(がら)にもなくちょっぴり罪悪感を憶えてしまったカイだった。


「で、リーゼロッテ嬢はここで何をやってたの?」


 せっかくの夜会でリーゼロッテをほったらかしにするなど、実にジークヴァルトらしくない。何か不測の事態があったとしか思えなかった。


「ジークヴァルト様がキュプカー侯爵様に呼ばれて……わたくしは留守番をしておりました」

「そっか。それじゃオレも早めに退散しようかな」


 大したことはなさそうだと結論づけた。このままここにいたら、本当に八つ裂きにされかねない。密室で託宣の相手が誰かと(こも)っているなど、龍付きの男にとっては許し難いことだ。


「ん? これは知恵の輪?」

「はい、()いた時間に暇をつぶそうと……」


 テーブルの上の知恵の輪を拾い上げ、カイはまったく無駄のない動きでそれをあっさりふたつに分けた。


「でもこれって暇つぶしにもならないね」

「そんな……カイ様まで……」


 涙目になったリーゼロッテの前で、再びするっと重ね合わせる。つながった輪をぷらぷらさせながら、カイはそれをリーゼロッテに手渡した。


「これフーゲンブルクの鉄製だね。よくできてる」

「フーゲンベルクの? そういえば鉄鉱石が採れるとか……」

「うん、ほら、ココよく見るとロゴが彫ってあるでしょ?」


 ()の部分を指さすと、リーゼロッテは大きな瞳を(またた)かせた。そこにはフーゲンベルクの文字が小さく刻印されている。知恵の輪が目線にまで持ち上げられると、後を追うように緑の力が尾を引いた。


「本当ですわ。わたくしちっとも気づきませんでした」

「リーゼロッテ嬢、もしかしてそれ、随分と長い間持ち歩いたりしてる?」

「えっ、どうしてお分かりになったのですか?」

「その知恵の輪、リーゼロッテ嬢の波動をすごく感じるし」

「わたくしの波動……?」


 取り上げて目の前でゆすってみせる。絡み合った知恵の輪が振り子のように揺れるたびに、あざやかな緑の粉が広がっていく。


「これ、気軽に他人に渡さない方がいいよ。リーゼロッテ嬢の力は異形の者を引きつけるから」


 知恵の輪を手にしたまま扉を開ける。誰もいないことを確かめて、カイは廊下に向けて輪をちゃりちゃりと鳴らした。


「きゃ……っ!」

「はは、やっぱり」


 途端にそこら中にいた異形が集まってきた。穢れた手を懸命に伸ばして、カイから知恵の輪を奪おうとする。

 琥珀(こはく)の力を(はじ)かせて、カイはそれらを遠くに追いやった。知恵の輪をリーゼロッテに手渡すと、そのまま廊下へと出る。


「そろそろ行くね。ジークヴァルト様に見つかったら、オレ本当にただじゃ済まなくなるから」

「ヴァルト様はそんなひどいことはなさいませんわ」

「はは、こんな無邪気でいられたんじゃ、ジークヴァルト様も手を出しづらいか」


 不服そうに首をかしげるリーゼロッテを、面白そうに見やる。流れで令嬢仕様の妖艶な笑みを作った。


「それではリーゼロッテ様、今宵は本当に助かりましたわ。ご縁がありましたら、またぜひお話しいたしましょう?」


 優雅に淑女の礼を取り、扉を閉める。鍵の音を確認してから、カイは足早に潜入捜査に戻っていった。


     ◇

「先ほど部屋に誰か入れただろう?」


 帰りの馬車の中、膝に乗せるなりジークヴァルトが口を開いた。唇がいつも以上にへの字に曲がっている。これはちょっと怒っているのかもしれない。


 しばし目を泳がせてから、リーゼロッテは観念したようにその胸に身を預けた。嘘をついても仕方がない。


「カイ様が……」

「カイが?」

「捜査中にお困りのようでしたので、少しの間だけ部屋で(かくま)いました」

「ふたりきりだったのか?」

「はい……ですが、カイ様は令嬢姿をしていらしたので」


 何も問題ないと思って小首をかしげると、ジークヴァルトの眉間のしわが深まった。


「そういう問題ではないだろう」

「でも見咎(みとが)められることはございませんでしょう?」


 男女で籠っていたのなら問題ありだが、見た目は女同士だ。万が一誰かに見られたとしても、醜聞(しゅうぶん)になるわけでもない。それでもジークヴァルトの瞳は、いまだ不満を訴えてくる。


「申し訳ございません……ですがわたくし、自分では扉の鍵は開けませんでしたわ」

 扉を開けたのも閉めたのもカイだった。リーゼロッテはただ最後に鍵を掛けただけだ。


「いや、いい。詳しいことはカイに聞く。お前が無事ならそれでいい」


 髪を撫でられはっと見上げる。


「あの、カイ様をお責めにならないでくださいませね。お怪我もなさっておいででしたし……」

「ああ、分かっている。もうカイの名は口にするな」


 めずらしく不機嫌な様子に、リーゼロッテはジークヴァルトの顔をじっと見上げた。以前の自分ならまたいらぬ迷惑をかけてしまったと、ただ落ち込むだけだったかもしれない。


(もしかして、カイ様に嫉妬してる……とか?)


「ふ、ふふふ……」

「なんだ?」

「いえ、わたくし、今とてもしあわせで」


 ぎゅっと抱き着くと、ジークヴァルトの身が強張(こわば)った。次の瞬間、馬車の窓がバンバンと叩かれる。増えていく血のりの手形に、分かっていても(おのの)いた。スプラッタホラーは勘弁だ。


「こ、公爵家の呪い……!?」

「大丈夫だ、問題ない」


 ジークヴァルトが窓を手のひらで叩くと、異形がぼろぼろと()がれ落ちていく。次いで小窓のカーテンを閉めきった。


「疲れただろう? 眠っていい」

「ですがわたくし、もっとヴァルト様とお話していたいですわ」


 そう言いつつもリーゼロッテはいつ間にか眠りに落ちてしまった。ジークヴァルトの手つきは本当に心地よくて、気分はもう飼い主に撫でられる子猫のようだ。



 たのしい時間はあっという間に過ぎ去って、夜会から二日後、王女のいる東宮へとリーゼロッテは再び連れていかれたのだった。


     ◇

 白の夜会が終わり、年末まではしばらく大きな公務もない予定だ。その分ハインリヒは、たまった書類仕事を精力的に片づけていた。

 長い冬はもっぱらこの作業が続く。雪にうずもれるこの国では、視察や式典は暖かい時期にのみ行われるのが常だった。


(それにしても年々寒さが増してきているようだな……)


 冬の備蓄は秋の収穫によって賄われるが、収穫量はその年の天候に大きく左右される。天災などがおきても備蓄が尽きないように、常に国民が冬を(しの)げる程度の食料・物資を蓄えることを、王家は昔から行っている。それが近年、雪解け前に切り崩されることが多くなった。


「建国当初は冬は短かったと聞く……」

「何の話だ?」


 漏れた独り言にジークヴァルトが怪訝(けげん)そうに返してきた。リーゼロッテが再び東宮へと行ってしまい、このところはずっと不機嫌顔だ。


「いや、近年の冬の寒さが気になってな」

「そうか」


 ブラオエルシュタイン国は建国して八百年以上経つ。昔は今よりももっと暖かい気候だったらしい。


「王太子殿下、神殿の者が迎えに来ております」

「ああ……もうそんな時間か」


 近衛騎士の声掛けに、切り替えるように息を吐く。これから神官長と祈りの間で、瞑想を行う予定だ。


「ジークヴァルト、後は任せる」

「仰せのままに、王太子殿下」


 人目があるときにのみ、ジークヴァルトは臣下の礼を取る。この使い分けは子供のころから変わらない。


 王太子用の執務室を後にして、ハインリヒは祈りの間へと急ぎ向かった。


     ◇

 祈りの間から戻り、ハインリヒは自室で湯を浴びていた。

 深い瞑想に入るたびに、この国の核心を垣間視る。瞑想中に包まれる光の(うず)は心地よく、時にそれが恐ろしく感じることもあった。


(龍とは、一体何なのだ……)


 光の中、断片的に何か映像(ビジョン)がちらついた。幾度も瞑想を繰り返すたびに、それはつなぎ合わせると、国の歴史を示していることが(おぼろ)げながらも分かってきた。


 ――そこには知ってはいけない何かがあるようで

 ハインリヒは瞑想中、意識的にそこから目を(そむ)けてしまう。それを知ることが怖かった。


(神官長が言うには、今は()らしの段階であるらしいが)


 王になった(あかつき)に、自分はすべてを受け継ぐことになる。その時の衝撃を和らげるための措置が、今行っている瞑想とのことだった。


(こんな弱気で、わたしは本当に王になどなれるのか)


 浴室を出て寝室へと向かう。遅い時間のため、アンネマリーはすでに深い眠りについていた。お互い激務をこなす身だ。無理に起きて待たないようにと、ふたりで決めたルールだった。


「アンネマリー……」


 小声で呼びかけて、寝顔にそっと口づける。この存在がなかったら、以前のようにただ焦りばかりが先立っていたかもしれない。


 起こさないよう静かに横に潜り込む。柔らかく温かい肢体を抱き寄せて、ハインリヒは小さく息をついた。


「ああ……落ちつくな」


 明日も早朝に目覚めなくてはならない。しばらくは寝顔しか見られない日々が続きそうだ。アンネマリーの安らかな寝息に誘われて、ハインリヒもまどろみに落ちていく。



 龍歴八百二十九年、ハインリヒの王位継承は、すぐそこにまで迫っていた――


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。東宮へと連れていかれたわたしは、再びマンボウに起こされる日々が始まります。エラと共に遅れてやって来た侍女を前に、クリスティーナ王女を夢見の力が包み込んで。それぞれが抱える宿命の先に、王女が視たものは……?

 次回4章第11話「君がため」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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