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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第4章 宿命の王女と身代わりの託宣

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第5話 王妃の夜会

【前回のあらすじ】

 自身の誕生日を祝う夜会の当日、王妃としての役割に思いを()せるイジドーラ。前王妃セレスティーヌとディートリヒ王への恩義に報いることを改めて胸に誓います。

 その夜会を目前にして姿をくらましたミヒャエルは、自分の命が長くないことを悟りイジドーラを道連れにしようと企みます。

 イジドーラへの執着は果てしなく、歪んだ愛のまま突き進むミヒャエル。草陰に潜みながら、その命を狙う瞬間を待つのでした。

 女官のルイーズを先頭に、王妃の離宮から夜会の会場へと向かう。


 王城へと通じるこの渡り廊下は、イジドーラが公爵令嬢だったころから何度も行き来している場所だ。いずれ王妃の座をアンネマリーに譲れば、ここを通ることもなくなるのだろう。

 今日が見納めでもいいようにと、イジドーラは何気なく庭へと視線を向けた。


 庭木がさざめいた。そう思ったのも(つか)の間、来た廊下から何やら異音がした。後ろに続いていたふたりの女性騎士が、警戒するように振り返る。


「確認してまいります。王妃殿下はこちらでしばしお待ちを」


 騎士のひとりが音のした奥へと歩を進めた。残った騎士はイジドーラのそばに立ち、万一に備え(すき)のない視線を周囲へと向ける。

 その時、見に行った騎士から悲鳴が上がった。見やると廊下の奥から黒い異形が膨れ上がるように迫ってくる。


「異形の者が! 王妃殿下は先に王城へお向かいください! ルイーズ殿も早く!」


 イジドーラは力ある者ではないため、異形の姿を目視できない。王による厚い加護に守られ異形の影響も受けはしないが、異常事態に変わりはなかった。

 騎士が異形の前進を()き止めた。飲まれそうになりながらも、王妃を必死に逃がそうとする。


「王妃様、参りましょう」


 イジドーラの手を引き、ルイーズが廊下を足早に進む。この先でディートリヒ王が待っている。そこまでいけば屈強な騎士も控えているはずだ。


「イジドーラ王妃ぃ!」


 庭影から飛び出してきた何者かに、ルイーズが突き飛ばされた。やせ細ったその男は目だけが異様にぎょろりと輝き、まるで幽鬼のようにイジドーラの目には映った。


 男が腕を振り上げた。手にした短剣が鈍い光を放つ。その切っ先が自分の胸に突き立てられようとする様子を、イジドーラは背筋を伸ばしたまま目で追った。


「させるかよっ!」


 疾風(しっぷう)が生まれ、男の手首が横から乱暴に掴まれた。間に割って入ったカイは、短剣が手落とされると同時に、()ってそれを廊下の向こうへ遠ざける。


「イジドーラ様、お怪我は!?」

「問題ないわ」


 挨拶のように平然と返された言葉に、カイは安堵の表情を見せた。そのまま掴んだ腕をねじり上げ、男の背中にのしかかるようにして(ひざ)をつかせる。


「離せ! 離さぬか!」

「お前……ミヒャエル司祭(しさい)枢機卿(すうきけい)か?」


 変わり果てた姿に息をのむ。目の前に立つイジドーラに近づこうと、ミヒャエルは身をよじらせた。思いのほか強い抵抗に、カイはさらに重く膝を食い込ませる。

 その拍子にミヒャエルの(ふところ)から一本の横笛が転がり落ちた。それは半円の(いびつ)な軌道を(えが)き、イジドーラが立つ床の手前で動きを止めた。


 女性騎士ふたりがミヒャエルの横に立ち、両横からクロスするように細剣を喉元(のどもと)に突き付ける。冷たい刃に(おのの)いて、ミヒャエルは(あご)を上げ上体を必死に反らした。


「王妃殿下の命を狙うなど、死を覚悟してのことか?」


 カイが低い声で問う。この場でイジドーラを殺したところで、ミヒャエル自身もただで済むはずもない。


「王妃のせいでわたしはこの手を血に染めた。その(むく)いを受けさせたとして、それをお前は(あく)と言うのか」


 イジドーラの存在こそが、この身を奈落の底へと落とさせた。精霊たちに愛され清廉潔白だったあの頃に、もう戻ることなどできはしない。


「道連れにするも我が道理だ」


 (うめ)くように言って、ミヒャエルはイジドーラを睨み上げた。その視線をイジドーラは表情なく受け止める。(おび)えるでもなく、(さげす)むでもない。ましてや(あわれ)れみの欠片(かけら)さえも、その瞳には見いだせなかった。


 この女には何も届いていない。焼け付く思いも、失ってしまったものも、重ねてきた罪も何もかも。すべてお前のために、血肉を削り犠牲を払ってきたというのに――


 瞬間、ミヒャエルの内から憎悪が膨れ上がった。制御の効かない熱が右腕を支配して、(けが)れた(あか)がさらに奥へと毒を巡らせる。その邪悪な波動は抑え込む手にも伝わって、カイに苦悶(くもん)の色がにじみ出た。


「何事だ」


 低く重い声が響く。ゆっくりとした足取りで現れたディートリヒ王に、騒ぎに集まっていた者たちが一斉に膝をついた。ミヒャエルを取り押さえるカイとふたりの女性騎士だけが、王に顔を真っすぐ向ける。


「この者が王妃殿下のお命を狙うため、庭に潜んでおりました。王、どうぞ断罪を」


 カイが(よど)みなく迫る。王妃に刃を向けるなど、今すぐ切り捨てられてもおかしくはない由々しき事態だ。


 誰もが押し黙り、王の言葉を静かに待った。そんな中、この場にそぐわしくないほどのゆったりとした所作で、イジドーラは王の前で臣下の礼を取る。


「今宵はわたくしのための(うたげ)(もよお)される日。そのようなめでたき日を、血で(けが)すこと無きようお願い申し上げます」


 王から返答が得られないまま、イジドーラは両膝を地につけた。豪奢(ごうしゃ)なドレスが汚れるのも(いと)わずに、両手をそろえ王の立つ足元で平伏する。


「わたくしはこの者の吹く笛の()に、かつて心を救われたことがございます。王、どうかわたくしに免じて、この者に慈悲を――」


 イジドーラは(ひたい)を擦り付けんばかりに頭を下げた。その細い背を、ミヒャエルは真後ろでただ見つめていた。


 目の前でイジドーラが乞うている。この命を守るため、気高き身を伏してまで。


「あの笛が……わたしのものだと、貴女(あなた)は知っておられたのか……」


 抵抗を見せていた体から力が抜けた。その頬を熱き涙が静かに伝う。抜け殻になったように、ミヒャエルは呆然と王妃の背中を見続けた。


「すべてそなたの(のぞ)むままに」


 静かな声音で王は王妃の手を取った。優雅に立ち上がり、引かれるままその腕に身を預ける。


「その者の処遇は追って申し渡す。今宵は牢にて見張るがよい」


 次いで、人道的配慮と医師の手配を申し付けると、ディートリヒ王は王妃を連れて静かに歩き出した。



 一度も振り返ることなく遠ざかり、イジドーラの姿はやがて小さく見えなくなった。


     ◇

 王妃の生誕を祝う夜会には、多くの貴族が集まっていた。リーゼロッテはジークヴァルトとともに遅めに会場入りした。異形を騒がせて迷惑をかけないようにと、挨拶が済んだら長居はしない予定だ。


 だが主役である王妃はまだ姿を現していないようだ。ダンスフロアも開放されていない。今夜ジークヴァルトと踊れることを楽しみにしていたリーゼロッテは、そわそわしながら王妃の登場を待った。


「あ、エラ……」


 エデラー男爵といたエラが目に入る。ジークヴァルトは何も言わずに、そちらへとリーゼロッテをエスコートしていった。こんな気遣いがとてもうれしくて仕方がない。言葉は少ないが、ジークヴァルトはいつでもちゃんと自分を見てくれている。


「これは公爵様。先日はお引き立ていただきありがとうございました」

「ああ」

「リーゼロッテ様にも満足していただけたようで、わたしもうれしく思っております」

「わたくしこそ素敵なものをたくさんそろえていただいて、エデラー男爵様には感謝しかありませんわ」

「そう言っていただけるとやりがいがありますね。ご入用(いりよう)の際にはまたぜひに」


 エデラー男爵はやはり商人気質なのだろう。そのままジークヴァルトへの売り込みが始まってしまった。殿方同士の会話は実につまらない。貴族の社交としては必要なことなので、横でおとなしく待つしかなかった。


 同じように思っていそうなエラと目を合わせた。今日のエラは男爵令嬢としてとても美しい装いだ。いつもそうしていればいいのにと言っても、侍女の自分には過分だと、普段エラは質素な格好をしている。


「リーゼロッテ様、今日もお美しいです」

「ありがとう、エラもとても綺麗よ」


 周囲の若い貴族の男たちが、エラにちらちらと視線を送っている。ダンスに誘いたいのかもしれない。早く王妃が来ないかとリーゼロッテは王族の登場する扉を見やった。


「お支度に時間がかかっていらっしゃるのかしら……?」

「よくあることでございますから、気長に待ちましょう」

「ええ、そうね」


 会場を見回すと、白系の清楚なドレスを着る令嬢が幾人も目に入った。


「本当、エラが言っていたように白いドレスの方が多いみたいね」

「若いご令嬢の間ではシンプルなドレスが流行っているようですね。あと、あちらのようなハンドチェーンが」


 エラの視線の先に、指なしの手袋のような飾りをつけた夫人がいた。手の甲を覆うチェーンにはいくつも輝石が飾られ、動くたびにシャンデリアの光を美しく反射する。


「まあ、素敵な装飾ね!」

「あちらはクリスティーナ王女殿下がよくつけていらっしゃるそうで、今年の春くらいから流行り出したようです」


 クリスティーナはこの国の第一王女だ。体が弱くて、滅多に姿を現さないことで知られている。


「わたくし、クリスティーナ王女殿下のお姿は一度もお見かけしたことがないわ」

「今年はたびたび公務に参加されていたそうですよ。お会いした方たちの噂話をよく耳にします」

「そうなのね。王太子殿下のお姉様だし、きっとお美しい方なのでしょうね」


 そんな会話をしているうちに、王妃登場の知らせが届いた。再びジークヴァルトと並び立つ。今日のリーゼロッテの装いは、十六歳という年齢にふさわしい可憐で可愛らしいドレスだ。


 昨日アンネマリーに用意されたシックなドレスは、自分にはまだまだ似合そうにない。昨日のジークヴァルトの反応を見てもそれは明らかだ。はっきりと口には出されたわけではないが、そこはそれジークヴァルトのやさしさだろう。

 だが馬子(まご)にも衣裳(いしょう)にすらならなかったのかと思うと、リーゼロッテはなんだか悲しくなってしまった。


(それでも胸は大分育ってきたもの)


 最近では胸を盛る詰め物の量も減らしてもらっている。過剰に盛りすぎるのは諸刃(もろは)(つるぎ)だ。初夜を迎えいざ出陣となった時に、「あれ? なんか思ってたのと違う」などとジークヴァルトに言われでもしたら、一体どうすればいいというのだ。


 結局リーゼロッテがいきついた答えは、バストアップに励みつつも、ジークヴァルトには小胸(こむね)に日々見慣(みな)れてもらおうというものだった。


(盛りすぎは厳禁ね。見栄(みえ)を張っても(むな)しいだけだし……)


 隣にいるジークヴァルトの顔を見上げ、バストアップだけはサボらないようにしようとリーゼロッテはひとり頷いた。


     ◇

 王と王妃のファーストダンスを、リーゼロッテは瞳を輝かせながら目で追っている。今日の彼女はとても可愛らしいドレス姿だ。

 いや、いつでも可愛いと思ってはいるが、夕べの装いはジークヴァルトにとって目に毒だった。


 あらわになった華奢(きゃしゃ)な肩。細い首にかかるおくれ毛。広くあけられた(えり)ぐりからのぞくのは、ささやかな胸の谷間だ。あの奥には自分の半身の(あかし)である龍のあざがある。ジークヴァルトの持つあざと鏡映しにした形のものだ。


 くすぐるように触れると、彼女は恥ずかしそうにこちらを見てくれる。普段は隠れて見えないあの白い背に、この指を這わせたらリーゼロッテはどんな表情をするのだろうか。


 そんな想像が頭からずっと離れなくて、ジークヴァルトはリーゼロッテから視線をそらした。

 心づもりをした上でなら、近づいても理性を保つことはできる。だがふいに向けられる無防備な笑顔は、なけなしのそれを一瞬で消し去ってしまう。


 (よこしま)な思いを払うための自傷行為は、マテアスに止められてしまった。かといってリーゼロッテをひとり置きざりにして、王城を全力疾走するなどできるはずもない。

 そうなればリーゼロッテを極力見ないようにするしかなかった。彼女に見惚れる不埒(ふらち)(やから)を余すことなく睨みつけられるので、結果オーライとしているジークヴァルトだ。


 とにかく王城で公爵家の呪いを発動させないようにしなくては。リーゼロッテは夜会に出ることをとても楽しみにしている。自分が異形を騒がせては、出禁を食らって悲しい思いをさせてしまうだろう。


 ファーストダンスが終わり、ダンスフロアが開放された。それを見てリーゼロッテが紅潮させた顔を向けてくる。


「ジークヴァルト様」

「ああ、行こう」


 小さな手を取り、フロアへと向かう。興味のなかった舞踏会も、呼ばれるのが苦ではなくなった。無駄な時間としか思えなかったダンスの練習も、きちんとやっておいてよかったと思う。


 軽快なワルツが流れ、細い腰に手を添える。リーゼロッテは自分のものだと、多くの者に知らしめたい。

 周囲に気を払いながら、邪魔な異形を(はら)っていく。楽しそうに踊るリーゼロッテを見つめ、ジークヴァルトの口元も自然とほころんだ。


(今だけは――)


 リーゼロッテが自分ひとりのものになった気がして、ジークヴァルトは手を離さないまま、思わず三曲続けて踊ってしまった。


     ◇

 ようやく座ることができて、リーゼロッテは大きく息をついた。手渡された果実水をひと口含む。


「疲れたか?」

「いえ、ジークヴァルト様とたくさん踊れてうれしかったですわ」


 はにかむ笑顔を向けると、ジークヴァルトは「そうか」と言って乱れた前髪を、そっと指で整えてきた。三曲連続で踊るのは息が上がったが、それ以上にしあわせすぎて、この時間がずっと続けばいいのにと思ったくらいだ。


 ジークヴァルトの手が小さな焼き菓子に伸ばされかけた。はっとなって思わずその(そで)を掴む。


「夜会であーんは駄目ですわよ」


 一瞬だけ動きを止めたジークヴァルトは、取り皿にいくつか菓子をのせると、それを手渡してきた。どれもリーゼロッテが食べてみたいと思ったものだ。テーブルをチラ見しただけだったが、一瞬で的確に判断したのだと思うと、ジークヴァルトの動体視力、恐るべしだ。


「美味しいですわ」

「そうか」


 遠慮なく菓子を口に運ぶと、ジークヴァルトの目がわずかに細められた。そのままじっと見つめられ、急に恥ずかしくなってくる。


「食べているところを、そんなふうに見ないでくださいませ」

「別に減るものではないだろう」

「減らずとも、なんだか恥ずかしいですわ」

「いや、オレはまったく恥ずかしくない」


 ふっと笑って前髪に指をくぐらせてくる。そんなジークヴァルトにリーゼロッテは真っ赤になった。


「相変わらずお熱いですこと」

「こら、ヤスミン。公爵に失礼だぞ」

「ヤスミン様!? キュプカー侯爵様も……」


 そこにいたのはキュプカー侯爵父娘(おやこ)だった。キュプカーは王城騎士の花形、近衛第一隊の隊長だ。ジークヴァルトの上官でもある。


「ご無沙汰しておりますわ、フーゲンベルク公爵様。ほんの少しの間だけ、わたくしにリーゼロッテ様をお貸しくださいませんか?」

「やめんか、ヤスミン」

「あらお父様、いいではありませんか。ここでおしゃべりするだけですわ。今のうちにおふたりはご挨拶を済ませてきてくださいませ」


 キュプカーとジークヴァルトを無理やり追い出すと、ヤスミンはリーゼロッテの横に腰かけた。


「お邪魔してごめんなさいね。お父様の挨拶回りに付き合うのに疲れてしまって」

「ふふ、そのお気持ちよく分かりますわ」


 リーゼロッテがほほ笑むと、ヤスミンは(はしばみ)色の瞳をきらりと光らせた。


「リーゼロッテ様は公爵様とのご婚約は長いのでしょう? そろそろ婚姻のお話も出ているのではないかしら?」

「いえ、それはまだ……。ジークヴァルト様との婚姻の時期は、改めて龍から託宣が降りると聞いておりますので」

「あら、そうでしたの。(つい)の託宣を受けた方にしては遅いですわね」


 残念そうにしながらも、ヤスミンはいたずらな視線を向けてくる。


「では、公爵様はまだまだ我慢を強いられるというわけね」

「え? ジークヴァルト様は何か我慢をなさっているのですか?」


 驚いたように聞き返すと、ヤスミンは目を見開いた後、すぐにくすくすと笑いだした。


「それでこそリーゼロッテ様ですわ。どうかずっとそのままでいてくださいませね?」


 いつだか誰かに同じようなことを言われた気がする。リーゼロッテは困惑しながらも曖昧に頷いた。


「ヤスミン様はご婚約者はいらっしゃるのですか?」


 言われっぱなしなのもなんだかおもしろくない。同年代の友人とガールズトークをすべく、リーゼロッテは前のめりに尋ねた。


「正式には決まっていないのですけれど、このままいけば従弟(いとこ)を婿養子に迎えることになりそうですわ」

「婿養子ですか?」

「ええ。兄弟はおりませんので、必然的にわたくしの伴侶となる方が次期キュプカー侯爵ということに」


 そう言いながらヤスミンは、小さなグラスに入れられた果実酒をくいと飲み干した。


「リーゼロッテ様もお飲みになる? 口当たりがよくて美味しいですわよ」

「いえ、わたくし、家でお酒は禁じられていて……」

「あら、そうなのね。残念」


 もう一杯グラスを手に取ると、再び一気にあおる。


「正直言って従弟はわたくしの趣味ではなくって……。家のために仕方ないと諦めてはいるのですけど」


 ヤスミンは小さくため息をついた。貴族令嬢同士のガールズトークは、どうにも世知(せち)(がら)いものがある。


「従弟はお母様と気が合うみたいで、領地のお仕事なんかも手伝っていますの。キュプカー家に迎え入れるにふさわしい方ですわ。でも、ひょろっとした体つきがやっぱり好きになれなくて……」

「ヤスミン様はキュプカー侯爵様のように、力強い方がお好きなのですか?」

「別にお父様が理想というわけではないけれど、もっとがっちりした方に憧れますわ。ふふ、わたくし子供のころからよく騎士団の訓練を見にいっておりましたから、その影響かもしれませんわね」

「騎士団の見学に? なんだか楽しそう……」

「ほかのご令嬢もよく見に来られてますわよ? リーゼロッテ様も一度行かれるといいですわ。公爵様目当ての方もいらっしゃるから、少しは目を光らせておかないと」


 寝耳に水な情報にリーゼロッテは驚き顔を向けた。ジークヴァルトが浮気をするなどとは考えられないが、その立場から近づいてくる女性も多いのだろう。


 そうこうしているうちにジークヴァルトが戻ってきた。

「王妃殿下に挨拶に行くぞ」

 頷いて差し伸べられた手を取る。


「ではヤスミン様、今日はこれで失礼いたします」

「ええ、またお話ししましょうね」


 相変わらずのいたずらっぽい笑みのヤスミンに見送られて、ふたりは王妃の元へと向かった。

 挨拶の列はまだ続いているが、公爵であるジークヴァルトは優先的に通される。便乗してごめんなさいと心で謝りつつ、リーゼロッテは当然の顔つきで王と王妃の前に立った。久々に近くで見る王妃は、今日も超絶美人だ。


「夕べはたのしめたかしら?」


 祝いの言葉を述べた後、逆に王妃に聞き返される。昨日はハインリヒ王子の晩餐(ばんさん)に呼ばれて、アンネマリーとおしゃべりを存分にたのしんだ。気兼ねなく話ができたのは、本当に久しぶりのことだ。


「はい、王太子妃殿下ととても素敵な時間を過ごさせていただきました」

「あら、それだけなの?」


 なんだかつまらなそうな王妃の言葉にはっとする。そうだ、夕べ着せてもらったドレスは、王妃ブランドのオートクチュールだ。


「あ、あのっ素敵なお召し物をご用意していただけて、わたくし……」


 慌てて取り(つくろ)うとするも、王妃の残念そうな視線はジークヴァルトに向けられていた。


「公爵からも感想があるべきではなくて?」


 閉じた扇を口元に当て、妖艶な笑みを向けてくる。同時にジークヴァルトの眉根がぎゅっと寄せられた。


「あのような格好は彼女にはまだ早いかと」

「とんだ狭量(きょうりょう)な言葉だこと」


 おかしくてたまらないといったふうに、王妃の口角が吊り上がる。反比例するようにジークヴァルトの眉間のしわが深まった。


 涙目になりながらリーゼロッテは唇をかみしめた。やはり口に出されると傷つくものだ。だが事実だけに、ひどいと腹を立てることもできはしない。


「この公爵を手玉に取るなど、ダーミッシュ伯爵令嬢もなかなかね」

「え……?」


 意味が分からずリーゼロッテはうまく言葉を返せなかった。ふと視線を感じると、ディートリヒ王と目が合った。遠くを見つめるような慈愛に満ちた金の瞳に、思わず顔が赤らんでしまう。


 いきなりジークヴァルトに腰を引き寄せられた。王前で絶対にすべきではない行為に、リーゼロッテは身を強張(こわば)らせる。


「ほんと、狭量だこと」


 おもしろいものを前にしたかのように、王妃は口から息を漏らした。こらえきれずに出てしまったようなその笑いに、リーゼロッテはただ困惑顔を返した。


 (とが)められることもないまま、王と王妃の前を辞する。会話が届かないような位置まで移動してから、リーゼロッテはジークヴァルトに唇を尖らせた。


「ヴァルト様、王の前であのような行為はいけませんわ」


 (たしな)めるように言うと、ジークヴァルトは無言ですいと顔をそらした。


「そろそろ帰るぞ」

「王太子殿下にご挨拶はよろしいのですか?」

「ああ、昨日、仕事を増やすなと言われた」


 王妃の列とは別に、王子の前にも大行列ができている。その横でにこやかに対応しているアンネマリーの姿が目に入った。


(ゆうべたくさん話せたものね)


 王子もアンネマリーも、浮ついた気分で参加している自分とは違うのだ。王族として責務を果たしているふたりを(わずら)わせるのは確かに悪い気がしてきた。


「行くぞ」

「はい、ヴァルト様」


 見つめ合ってから歩き出す。自分の歩調に合わせてエスコートしてくるジークヴァルトに、なんだかくすぐったい気持ちになった。

 ジークヴァルトが好きだ。好きで好きでたまらない。

 日増しに強くなっていく思いに、リーゼロッテはしあわせを噛みしめていた。


 進むたびに周囲の貴族がこちらに注意を向ける。時に令嬢がジークヴァルトに向けて熱い視線を送ってきた。

 今、横に歩いているのこの格好いい(ひと)は、自分の婚約者なのだ。それもただ龍に決められたというだけではない、思いが通じ合った正真正銘の恋人だ。


 これが優越感というやつなのだろう。誰からも羨望のまなざしを受けているように思えて、リーゼロッテは胸に手を当て息切れしたように浅い呼吸を繰り返した。


(どうしよう! しあわせすぎて逆に不安になってくるっ)


 思わず隣を見上げると、ジークヴァルトも視線を落としてきた。


「どうした? 疲れたのか?」

「いえ……ジークヴァルト様が……」


 そこまで言ってはっとなる。しばし無言でジークヴァルトと見つめ合った。

(今、何を言おうとしたの?)


 ジークヴァルトが格好良すぎて? それとも好きすぎて?


(そんなこと言えるわけない!!)

 ぼぼんと真っ赤になって、緑の力が飛び出した。そのままよろけそうになり、慌てたジークヴァルトが抱きとめてくる。


「だ、大丈夫ですわ……」 

 はふはふと息を吐きながら、リーゼロッテはなんとか呼吸を整えた。それこそ全集中だ。


「いや、まったく大丈夫ではないだろう」

 屈みこみながら手を伸ばしてきた。しかしここで抱き上げられるのはさすがに恥ずかしすぎる。


「いいえ、本当に落ち着きましたからっ」

 強く言うと不服そうにしながらも、ジークヴァルトはエスコートの体制に戻った。


(力の制御ももうちょっと頑張らないと)


 バストアップにばかり力も入れていられない。いつ龍から婚姻の託宣が降りるかは分からないが、まずは力を使いこなす方が優先だろう。

 決意も新たに会場を出る。そのまま廊下を進み、馬車が待つ王城の正面玄関を目指した。


 その場所までもう少しという所に、数人の神官がいた。行く手を(はば)むように廊下に立っている。その真ん中にいる人物が、ウルリーケの葬儀で会った神官長だとわかり、ジークヴァルトと共にその手前で歩みを止めた。


「お待ちしておりました。リーゼロッテ・ダーミッシュ様」


 公爵であるジークヴァルトにではなく、神官長はリーゼロッテに向けて声をかけた。そのことまず面食らう。


「何かご用でしょうか、神官長様」


 神官長を待たせる理由など、とんと思いつかない。戸惑いながら問うと、ジークヴァルトが警戒したようにリーゼロッテを抱き寄せた。


「シネヴァの森の巫女のもとに、新たな神託が降りました。どうぞ今宵はこのまま王城にて過ごしください。リーゼロッテ・ダーミッシュ様には明日にでも東宮へと(きょ)を移していただきます」

「居を移す……?」


 それは東宮に住めと言うことだ。何を言われているのかが分からず、リーゼロッテはジークヴァルトに無意識に(すが)りついた。



「――これは龍の意思。何があろうと、従って頂きます」


 有無を言わさない神官長の声音に、リーゼロッテはただジークヴァルトの顔を見上げた。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。新たに降りた神託に、いきなり東宮へと連れていかれたわたし。ジークヴァルト様とも引き離され、不安ばかりが(つの)ります! そこで待っていたのはクリスティーナ王女殿下。龍の真意は一体どこに?

 次回、4章第6話「巫女の神託」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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