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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第4章 宿命の王女と身代わりの託宣

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第3話 弔いの鐘

【前回のあらすじ】

 次の夜会の準備にいそしむリーゼロッテ。平穏に過ぎていく日々の中、エーミールの存在にエラはいまだ心を乱されます。

 マテアスから話し合いを勧められるも、リーゼロッテの侍女として生きていくことを決意したエラは、ただエーミールを避けることしかできなくて。

 そんな時にグレーデン家からウルリーケの訃報が届けられるのでした。

 秋の訪れを知らせる雨の中、葬儀はしめやかに行われた。

 亡くなった貴族の御霊(みたま)は、最寄りの神殿で見送られることになる。グレーデン領は王都に近いこともあり、ビエルサール神殿が選ばれた。


 通称「本神殿」と呼ばれるここは、本来、王家のための神殿だ。王城の敷地内にあり、ウルリーケが元王族であることを考えると、この場での葬儀はその立場に相応(ふさわ)しいものだといえた。

 しかし立派な祭壇とは裏腹に、参列する者の数は多くない。悪天候という名分も相まって、その半数以上が親族で占められていた。


 そんな中、アデライーデはバルバナスと共に葬儀に(おもむ)いていた。ウルリーケとバルバナスは昔から犬猿の仲だった。だがバルバナスは王族代表の立場として今この場に立っている。文句を言うこともなく、淡々とした表情で参加していた。

 神殿の広間はこの時期にしては肌寒く、黒のヴェールがいっそう視界をくすませる。


(ひど)い葬儀だわ)


 親族はおろか、息子も孫も、誰ひとりとして涙を流す者がいない。そこここから今後のグレーデン家の行く末を嘆く声が聞こえてくる。己の保身に走り、葬儀などそっちのけだ。

 グレーデンの女帝と恐れられ、長きに渡り侯爵家を力をもって支配してきた。その代償がこの(じつ)のない葬儀というのならば、それもウルリーケの自業自得なのだろう。


(わたしだってそう……)


 子供時代に甘やかしてもらった記憶はある。しかし彼女のやせ細った遺体を前にしても、何の感情も生まれてこなかった。


 ウルリーケは初めから最期(さいご)まで、自分のためだけに生きる人間だった。(おのれ)のみがかわいく、己のみが可哀そうな。そんな寂しい人間だった。


 ふとざわめきが途切れ、遅れてやってきたふたり連れに注目が集まった。異様なほど静まり返ったこの斎場に、すすり泣く声が小さく響く。

 その主はジークヴァルトに連れられたリーゼロッテだった。(こら)え切れないように、大きな瞳から大粒の涙が次から次へと溢れ出る。


 喪服に包まれ小刻みに口元を震わせる様子は、見る者にどうしようもない居たたまれなさを感じさせた。幾人かの人間が、つられるように涙ぐんだ。それでも今ここにいる中で、心からウルリーケの死を(いた)む者は、リーゼロッテひとりだけなのだろう。


 そんなことを思いながら、アデライーデはぼんやりと葬儀の流れを見守った。

 ウルリーケの魂が無事に青龍の御元へ還れるよう、神官が朗々と祈りを捧げていく。


 王族だったウルリーケのために、(とむら)いの(かね)が三度だけ鳴らされた。


     ◇

 葬儀を終え、ジークヴァルトとともに神殿の廊下を進む。泣きはらした目には、いまだ涙がにじんでいた。また会いに行く。ウルリーケとしたその約束は、結局、果たすことができなかった。


(最後にいただいた手紙ではまだまだお元気そうだったのに……)


 弱々しい筆跡ではあったが、書かれた内容は今までと変わらないものだった。ここのところの浮かれ気分で送った手紙の返事が届く前に、ウルリーケの訃報がやってきた。


 亡骸(なきがら)は目を背けたくなるほどにやせ細っていた。安らかに逝けたのだろうか。死化粧(しにけしょう)を施されてなお、ウルリーケの顔には苦悩の影が色濃く残されていた。


(ウルリーケ様……)


 死を迎える瞬間など、今のリーゼロッテには想像することすらできはしない。


 半ばジークヴァルトに支えられて歩く。さすがに時と場所を考えてか、おぼつかない足取りでも無理に抱き上げることはしてこなかった。

 ふいにふたり連れの神官とでくわした。ひとりは先ほどウルリーケの魂を天へと送った老齢の神官だ。


「これはフーゲンベルク公爵」


 戸惑ったようなリーゼロッテの耳元で、ジークヴァルトが「神官長だ」と小声で教えてくれた。


「こちらはご婚約者でいらっしゃるかな?」

「リーゼロッテ・ダーミッシュと申します、神官長様」


 リーゼロッテが礼を取ると、しわの刻み込まれた目元を神官長はやさしげに細めた。


「ウルリーケ様の御霊(みたま)も、あなたの涙で安らかに天に還ったことでしょう」

「そう……あってほしいです」


 伏し目がちに答えてから、リーゼロッテははっと顔を上げた。神官長の後ろに若い神官がいる。長い銀髪の青年だ。

 その整った顔をした神官は、瞳を閉じた状態だった。それなのに刺すような、そんな冷たい視線を強く感じた。


「こちらはレミュリオと申します。まだ若いですが、いずれわたしの後継にと考えております」

「レミュリオでございます。以後、お見知りおきのほどを。ですがわたしは瞳の光を失って久しい身。神官長のご期待にそえるかどうか」


 そう言ってレミュリオは、リーゼロッテに向けて薄く笑みを()いた。

 ぞくりと背筋に悪寒が走る。女性と見間違えるような美貌の青年だ。それなのに蛇のごとくに絡みつく(いわ)れのない恐怖を感じて、リーゼロッテはその身を(すく)ませた。


「大丈夫か?」


 ジークヴァルトに抱き寄せられ、はっと我に返る。青の瞳に見つめられ、安堵で力が抜けそうになった。


「お疲れのところお引止めして失礼しました。ここは王城よりお寒いでしょう。どうぞご自愛ください。おふたりに青龍の加護があらんことを」

「ではこれで失礼する」


 ジークヴァルトに連れられて、神殿を後にする。しばらくの間、背中にあの視線を感じて、リーゼロッテは逃げるように歩を進めた。


     ◇

 かちゃかちゃと鳴る知恵の輪は、一向に外れる様子はない。ぼんやりと手を動かしながら、リーゼロッテは小さく息をついた。

 ウルリーケの葬儀から数日、ずっと気持ちが沈んだままだ。命あるものはいずれ必ず死を迎える。不確かなこの世の中で、それは絶対と言える唯一のことだ。


(考えてみれば、わたしも一度死んだということよね……)


 自分には前世とも言える日本での記憶がある。生まれ変わりというものが、少なくともこの世界では存在しているということだろう。だが死んだ瞬間の記憶は何も残っていない。ただ日本で生きていたことが、知識として頭に残っているだけだ。


(日本での出来事が昔より曖昧(あいまい)になっているような気がするわ)


 どこの誰ともつかない日本人だった自分。それがどんどん「リーゼロッテ」に成り代わってきている。


(それもおかしな話かしら……?)


 この世界に生まれて、初めから自分はリーゼロッテだったはずだ。日本での記憶とこの世界での経験の境界が、薄れていっているだけかもしれない。


「お嬢様……明日は王城へ行く日ですので、そろそろお休みになられた方が」

「そうね。これが外せなくて、つい夢中になってしまって」


 動かせど知恵の輪は絡まったままだ。手渡すと、エラは何とはなしにそれを滑らせた。


「「あっ!」」


 知恵の輪はその手の中であっけなくふたつに分かれた。慌てたエラが再び重ね合わせる。元通りに絡み合った輪を見つめ、エラはばつが悪そうな顔をした。


「ぐ、偶然です」

「偶然でもすごいわ! わたくしあんなにやっても外せなかったのに」


 悔しがるでもなく、リーゼロッテはただ瞳を輝かせた。結局その夜眠りにつくまで、リーゼロッテは知恵の輪をいじり続けたのだった。


     ◇

 朝餉(あさげ)の盆を手に、マルコはミヒャエルの私室の扉を遠慮がちにたたいた。


「ミヒャエル様、朝食をお持ちしました」


 マルコは神殿に来て、まだ間もない十五の少年だ。貴族では成人とみなされる年ではあるが、神官としてはまだまだ半人前だ。見習いとして、マルコは慣れない日々を送っている。


 今任されているのは司祭(しさい)枢機卿(すうきけい)の世話係だった。神殿では地位の高い人物なので、来て早々の抜擢(ばってき)に面食らったのは言うまでもない。


「お加減はいかがですか……? お食事は食べられそうですか?」


 初めて会った時からミヒャエルは体調が悪いようだった。一向に返事が返ってこない部屋の中は、物音ひとつ聞こえてこない。不安が膨れ上がり、マルコは許可なく扉を開けた。


「ミヒャエル様……!」


 すぐそこのソファに座り、ミヒャエルはぐったりとその背を預けていた。以前のふくよかな体は見る影もなく、醜くやせ衰えている。指先から腕半ばまで包帯が巻かれ、その右腕を押さえながら苦悶の表情を浮かべていた。


 慌てて駆け寄り、盆を近くのテーブルに乗せた。脂汗の浮く額に手を当て、その熱さに青ざめる。


「今すぐ医師を呼んでまいります!」

「余計なことはするな」


 駆けだそうとして手首を掴まれる。その節くれだった手も燃えるように熱くて、マルコは思わず首を振った。


「ですがこんなに高熱が。医師が駄目なら神官長様を」

「いいから余計なことはしなくていい!」


 強く言われ、マルコはびくっと身を竦ませる。掴んだ手を離すと、ミヒャエルは再び気だるそうに身を沈めた。


「朝食もいらぬ。下げて今すぐいなくなれ」


 今度は弱々しく言われ、マルコは仕方なく盆を手に取った。


「またあとで氷をもってまいります」

 返事がないまま、マルコはミヒャエルの部屋を後にした。


 ひとり残されたミヒャエルは、苦痛を紛らわすように長く息をつく。


「イジドーラ王妃……」


 彼女を救うため、自分はこの身をやつしてきた。それなのに今ある状況は、到底許されるべきものではない。


 ――この体ではそう長くはもつまい


 (むしば)まれた右腕を切り落とすという手立てはある。今ならまだ間にあうのかもしれない。だがそんな安穏(あんのん)な道を、この()に及んで選ぶことなどできはしなかった。


「必ずや(むく)いてもらう」


 その時にこそ、真にイジドーラを手に入れるのだ。



 焼けつく痛みの果てにあるその至福だけが、今、ミヒャエルを支えていた。


      ◇

「ミヒャエル司祭枢機卿が失踪した?」

「世話をしていた者の話では今朝までは私室にいたそうですが、どこを探してもいないと神殿で騒ぎになっています。それにずっと体調が悪かったというのはどうやら本当のようですね」


 カイの報告にハインリヒは眉をひそめた。

 新年を祝う夜会での異形の騒ぎ。フーゲンベルク家でジークヴァルトが襲われた事件。これらを引き起こした首謀者であるとの疑いが、ミヒャエルにはかけられている。証拠がそろわず泳がせていたが、体調が悪いと神殿に籠って、最近ではずっと姿を現すこともなかったのだ。


(ここに来ての失踪か……)


 明日はイジドーラ王妃の誕生日を祝う夜会が開かれる。そのことにハインリヒは胸騒ぎを覚えた。

 今までの言動を顧みると、必要以上にミヒャエルは王妃に固執していた。それが分かっていながら、ディートリヒ王はミヒャエルを野放しにしたままだ。


「カイ……明日は義母上を頼む」

「もちろんです、オレにお任せください」


 叔母であるイジドーラをカイは常に最優先にしている。そのカイがそばにいれば安心だろう。そう思うものの胸に残る一抹の不安を、ハインリヒは拭い去ることができなかった。


      ◇

 ここへ来るのは久しぶりだ。王妃の夜会が開かれるのは明日だが、前乗りで今日王城へとやってきた。見知った廊下を歩きながら、リーゼロッテはジークヴァルトの顔を見上げた。


「今日はこちらに泊まるのですか?」

「ああ。それに今夜は王太子殿下の晩餐(ばんさん)に招かれている」

「晩餐に……?」

「公式なものではなくあくまで個人的な招待だそうだ。王太子妃殿下も同席される。緊張しなくてもいい」


 その言葉にリーゼロッテは瞳を輝かせた。


(アンネマリーにも会えるのね!)


 前回会った新緑の夜会では、言葉を交わすことすらできなかった。アンネマリーはいずれ王妃となる立場だ。これからはますます気軽に話すことなどできなくなるのだろう。


 ふと廊下の柱の陰の黒い吹き溜まりが目に入る。暗い感情が渦巻いて、そこからぶつぶつとひとり呟く声が聞こえてきた。

 異形の者はどこにでもいる。人の出入りが激しい場所では、その数も特に多かった。すべての者の話を聞いて回って、ひとりひとり天に還すことなどできるはずもない。


(分かってはいるけれど……)


 異形は未練を残して死んだ者の成れの果てだ。人間だった時の記憶も失くし、ただ負の感情に囚われたまま、もがき苦しみ続けている。死してなお安らぎを得られない彼らは、なぜ絶えることがないのだろう。


 去年、リーゼロッテは守護者の力によって、王城中の異形の者をすべて天に還した。だが異形たちがいなくなったのはほんの僅かな期間だけだ。数日後には彼らはそこかしこに、当たり前のように存在していた。


 そのことを思い出しながら、何もできないまま異形たちの横を通り過ぎる。ほどなくしてリーゼロッテは、以前滞在していた客間へとたどり着いた。



「ダーミッシュ伯爵令嬢様、まずはお召し替えをしていただきます」

「え? 今から着替えるの?」


 待っていた女官たちの言葉に、リーゼロッテは目を丸くした。今日はフーゲンベルク家できちんと盛装をしてきた。王城に上がるにふさわしい装いだ。


「アンネマリー王太子妃殿下が伯爵令嬢様にとドレスをご用意されました。それをお召しになって晩餐に参加するよう仰せつかっております」


 アンネマリーが気をきかせてくれたのかもしれない。そういうことならとリーゼロッテは素直に女官の指示に従うことにした。


 髪を結い直してから晩餐用のドレスに着替えさせられる。鏡に映った自分の姿に、リーゼロッテは目を泳がせた。


「これはちょっと肌が出すぎなのではないかしら……」

「とてもお似合いでございます」


 いわゆるイブニングドレスというやつなのだろう。女官たちに力強く言われたものの、むき出しになった肩と胸元が心もとなくて、リーゼロッテは隠すように思わず自分の体を抱きしめた。


 今まで着たことがないマーメードラインのシックなドレスだ。背中も大きく開いていて、なんだかすごくすーすーする。最近は胸が育ってきたせいか、詰め物も相まって、できた谷間がやけに強調されていた。


「そちらは一点もののドレスでございますが、王妃殿下が手掛ける中でも、若いご夫人に人気のブランドとなっております」


 未婚の令嬢というより、既婚者向けブランドということか。しかし自分のために作らせたオートクチュールとあっては、リーゼロッテは着替えたいとは言い出せなかった。

 せめて上に羽織るものをとお願いしたが、あっさりと笑顔で却下された。そうこうしているうちに、心づもりができないまま、女官がジークヴァルトを部屋に招き入れてしまった。


 入ってくるなりジークヴァルトはその目を大きくかっぴらいた。それからひと言も発さずに、じっとこちらを見続けている。


「あの……その、お待たせいたしました」


 居たたまれなくなって、やっとの思いでそう口にする。はっと我に返った様子で、ジークヴァルトはすいと顔を逸らした。


(やっぱり似合ってないんだわっ)


 自分でも子供が背伸びをしたような格好だと分かっている。涙目になってリーゼロッテは唇を小さく噛みしめた。


 差し伸べられた手を取って部屋を出る。それ以降ジークヴァルトは、ちらりともこちらを見てこない。心の中でアンネマリーを恨みながら、リーゼロッテは通された晩餐の席へと着いたのだった。


     ◇

 ずれ込んだ公務のせいで、予定より遅れてしまった。とは言え、待たされたところでジークヴァルトはリーゼロッテと一緒にいるのだ。ふたりきりの時間が持てて、感謝こそすれ文句を言い出すはずもないだろう。


 早く顔が見たくて、急ぎ足でアンネマリーの元へと向かう。人の目を気にせず彼女と過ごせる時間がくるのだ。ハインリヒ自身、心待ちにしないでどうするといったところだった。


「アンネマリー、待たせたね」

「ハインリヒ」


 会うなり強く抱きしめる。清楚なイブニングドレスを身にまとった姿に、今すぐ部屋に連れ帰りたい衝動を必死に抑えた。

 ほかの男にこんなアンネマリーを見せたくなどないが、警護の騎士を追い出すわけにもいかない。仕方なくハインリヒは、周囲の男どもを睨みつけるだけにとどめおいた。


 晩餐の部屋に行くと、先に待っていたジークヴァルトとリーゼロッテが同時に席を立った。


「ふたりともよく来てくれた」

「王太子殿下、本日はお招きいただきありがとうございます」

「今日は非公式な招きだ。そうかたくならなくていい」


 リーゼロッテに笑みを向けると、すかさずジークヴァルトが眼光鋭く睨みつけてくる。その殺気立った視線に、ハインリヒの口元に苦笑が漏れた。確かに今日のリーゼロッテの装いは美しくは思えるが、アンネマリーの前では霞んでしまって心が動かされることもない。


 しかしジークヴァルトの気持ちはよく分かる。不躾(ぶしつけ)にアンネマリーを見られたら、ハインリヒとて同じ反応をするのだから。


「リーゼロッテ、久しぶりね」

「アンネマリー様」

「敬称はいらないわ。今日はいつも通り呼び捨てにしてちょうだい」

「アンネマリー、その、今日はこんな素敵なドレスをありがとう……」

「リーゼには一度シックなドレスを着せたいって思っていたの。本当によく似合っているわ」


 頬を染めながら言うリーゼロッテに、アンネマリーはいたずらな笑みを返した。けん制するようにジークヴァルトが周囲に控える男たちを睨みつけている。今日のリーゼロッテの大人びた装いに、彼も相当動揺しているに違いない。


 和やかな雰囲気で晩餐の時間は進んでいった。しかし料理を運ぶ者がアンネマリーとリーゼロッテに目を奪われるたびに、ハインリヒとジークヴァルトの鋭い視線が走る。


(こんな時、自分の守護者が恨めしくなるな)


 ハインリヒはいまだアンネマリー以外の女性に触れることは叶わない。それは別段どうでもいいことなのだが、その件さえなければ給仕はすべて女性にさせることができるのに。しかし万が一自分が女性に触れてしまったら、その者に大怪我を負わせてしまう。


 そんなわけで平和な時間を過ごしているのは、アンネマリーとリーゼロッテだけだ。ジークヴァルトも心中穏やかではないようで、いつも以上にしかめ面をして殺気立っている。


 ふとジークヴァルトと目が合って、ハインリヒの口元に小さく苦笑が漏れた。


(お互い随分変わったものだ)


 対の託宣を受けた男がこうなってしまうのは、もはや必然なのだと聞かされていた。だがずっとどこかで疑っていたのだ。しかしいざ自分がそうなってみると、だからなんだという気持ちしか湧いてこない。アンネマリーしか目に入らない。ただそれだけのシンプルな話だ。


 晩餐を終え、ソファに移動しみなでくつろいだ。アンネマリーたちはおしゃべりが尽きないようだ。こちらを向いてほしい欲が湧いてくる。だが彼女が笑顔ならば、たまにこんな時間も悪くない。


「そういえば、先日リーゼロッテ嬢の父親に会ったな」

 ふと思い出してハインリヒは何気なく話題に乗せた。


「義父に? 王城に上がったという話は聞いておりませんが……」

「いや、ダーミッシュ伯爵ではなく、君の実の父親の方だ」


 その言葉に、リーゼロッテは驚きで目を見開いた。


「イグナーツ父様……父は、生きているのですか……?」

「え? 彼はラウエンシュタイン公爵代理として今も健在だ」

「そう……なのですね」


 思いもよらなかったという顔のリーゼロッテに、ハインリヒも思いもよらなくて、どうしたものかとアンネマリーの顔を見た。そのアンネマリーも困惑気味の視線を返してくる。次いでジークヴァルトの顔を見やるも、ぎりと睨みつけられただけだった。


「そうか……リーゼロッテ嬢は何も知らされていなかったのだな」

「父に、会うことはできるのでしょうか……?」

「あ、いや、彼は今どこか山奥にいるらしい」

「山奥に……?」

「ああ、そこら辺はカイの方が詳しいはずだ」


 お茶を濁すように言う。ハインリヒ自身、リーゼロッテの生家であるラウエンシュタインの内情は詳しく伝えられていない。彼女の母親マルグリットが生きているのかさえ分からない状況だ。


「カイ様が?」

「カイは公爵代理と昔からの知り合いだ。次に会ったら聞いてみるといい」


 自分で振っておいて何なのだが、これ以上はさらに墓穴を掘るような気がしてきた。丸投げしてカイに文句を言われそうだと思いつつ、ハインリヒは無理やりこの話を終わらせた。

 雰囲気を察したのか、アンネマリーがさりげなく別のことを話題に乗せた。リーゼロッテの気を引いてくれて、ほっとする自分がいる。


(アンネマリーは本当に掛け替えのない女性だ)


 そのことを再認識する。早くふたりきりの夜を過ごしたくなって、ハインリヒは明日の公務を理由に、早々にこの場を切り上げることにした。


      ◇

「では、クリスティーナ王女。時間が来ましたらまたお迎えに上がります」


 神官たちが去った石壁の部屋でひとり、中央に湧き出ている泉へとクリスティーナは素足を(ひた)した。

 身に着けているのは、顔を覆うヴェールとハイウエストのゆったりした簡素な白いドレスだけだ。(すそ)が濡れることも(いと)わずに、そのまま泉の中へと歩を進めていく。


 泉の(ふち)は階段となっており、進むほどに水底が深くなっていく。階段を下りきるころには、王女の体は腰まで泉の中に(つか)かっていた。


 静かにさざ波を立てながら、いつものように泉の中央へと進んでいく。そこで歩を止めると、胸の前で祈るように両手を組み、菫色(すみれいろ)の瞳を閉じた。その瞬間、泉から白い光の(うず)が放たれる。


 ヴェールがはためき、腰まで伸びた王女のプラチナブロンドが、風もないまま高く巻き上げられる。


(シネヴァの森に神託(しんたく)が降ろされる――)


 遠く、国の最果てにいる巫女が、呼応するように脳裏に呼び掛けてくる。同じ血を受け継いだクリスティーナには、それが過不足なく伝わった。


 ――間もなく、時が満ちる


 とうとうこの歯車が動き出すのだ。たった今降りた神託に、クリスティーナはそのことを知る。逃げ出すことなどできはしない。この国の王女として、己には託宣(それ)を果たす義務がある。


 静まった泉に瞳を開く。名残(なごり)(とど)めたさざ波が、そこにある事実をただ伝えてきた。

 そう遠くない未来に自分は命を落とす。ほかでもない、彼女のために。



「リーゼロッテ・メア・ラウエンシュタイン……わたくしの宿命」


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。イジドーラ王妃殿下の誕生日を祝う夜会の当日を迎え、みながその準備に大忙し。そんな中、失踪したミヒャエル司祭枢機卿の魔の手が忍び寄り、王妃様に危機が迫って……!?

 次回、4章第4話「遠き笛の音」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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