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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第4章 宿命の王女と身代わりの託宣

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第2話 あなたの笑顔

【前回のあらすじ】

 公爵家で迎えたリーゼロッテの誕生日に、公爵家はお祝いムード。ジークヴァルトと心を通わせたリーゼロッテは、そのしあわせを嚙みしめます。

 一方公爵家の呪いを頻発させてしまうジークヴァルトは、痛みで我に返るという苦肉の策をマテアスに封じられ、公爵家を全力疾走することに。

 あーんをされたり膝抱っこされたり、あれ? これって以前と何も変わってなくない? という事実に気づいていないのは、しあわせ真っただ中の当人たちだけなのでした。

 次に出る夜会のドレスを選びながら、リーゼロッテはエラと他愛のないおしゃべりを続けていた。


「では王妃様の夜会には、こちらのドレスで参加いたしましょうか」

「でもこれって去年、白の夜会用に用意したものよね? 白いドレスって、他の夜会なら誰が着ても大丈夫なのかしら?」


 白の夜会は年に一度開かれるデビュタントが主役の舞踏会だ。その年に社交界デビューする令息・令嬢たちが、白を基調とした衣装を(まと)うのが慣習である。その夜会で白を身に着けるのは、デビュタントのみというのが暗黙の了解だった。


 去年デビューを果たしたリーゼロッテは、はじめに作ったものとは別のドレスで参加した。今日言っているのは、あの日、日の目を見ることがなかったドレスの方だ。


「マダム・クノスペが今年風にアレンジしてくれますし、最近は若いご令嬢の間では白がメインのドレスが流行っているそうですよ。昨年の白の夜会でアンネマリー様が真っ白なドレスで参加されましたから、それがきっかけのようですね」

「まぁ、そうなのね。わたくし白の夜会では、アンネマリーには会えずじまいだったから……」


 去年の白の夜会では異形の者が騒ぐのもあり、ジークヴァルトと途中で帰ってしまった。社交界デビューからもう一年近く経つのかと思うと、月日が巡るのは早いなどと感じてしまう。


「アンネマリー様は遅れて来られましたからね。純白のドレスに見事な紫の意匠が映えて、とてもお美しかったです」


 あの日のいたたまれない雰囲気を、エラは()えてリーゼロッテに伝えなかった。白の夜会でアンネマリーが身に着けていた王太子の瞳の色のネックレスは、今では「表立って婚約を発表できなかったハインリヒ王子が、男を寄せ付けないためにアンネマリーに密かに贈ったものだ」との噂が、社交界ではまことしやかに流れている。


 真偽のほどは確かめようもないが、現在の王子とアンネマリーの仲睦まじげな様子を見ると、それがすべてなのだとエラは思っていた。


「ではマダムにはそのように連絡をいたします。お嬢様のドレスが決まらないことには、公爵様のご衣裳もお作りできませんからね」


 にっこりと言われ、リーゼロッテの頬が染まる。ジークヴァルトの夜会服はいつでもリーゼロッテとおそろいだ。今までは対外的な仲良しアピールだと思っていた。だがこれからは紛れもなく恋人同士のペアルックなのだと思うと、気恥ずかしさだけが倍増する。


(両思いになって、はじめてヴァルト様とダンスが躍れるんだ)


 デルプフェルト家の夜会では、事務的に踊るだけだった。あんな悲しいダンスはもう二度と踊りたくない。

 いつか王子とアンネマリーが見つめ合って踊っていたように、次の夜会では自分たちも信頼し合って手を取り合える。


(想像するだけで胸がいっぱいだわ)


 そわそわと落ち着かないリーゼロッテを、エラはいつまでも微笑ましそうに見つめていた。


     ◇

「おう、エデラー嬢。今日も美人だな」

「レルナー様、ご無沙汰しております」


 廊下の途中でユリウスに呼び止められて、エラは丁寧に礼を取った。ユリウスはレルナー公爵の弟だ。ツェツィーリアの叔父であるが、なぜかフーゲンベルク家で護衛騎士を務めている。


「この度はツェツィーリア様のご婚約、おめでとうございます」

「ああ、あのがめつい兄上をうまく丸め込むとは、ダーミッシュ伯爵はなかなかやり手だな」

「旦那様は誠意を尽くされただけかと……。では、わたしはこれで失礼いたします」


 ユリウスは遊び人で有名だ。もういい年だがいまだに独り身のまま、だれ彼かまわず女性を口説いて回っている。エラも幾度か食事に誘われたことがあり、いつも断る理由を探すのに苦労していた。

 そそくさとこの場を去ろうとしたエラの手を、ユリウスは素早い動きで握ってくる。


「相変わらずガードが固いな。心配しなくてもいきなり取って食ったりはしないんだが」


 にかっと笑って近くに引き寄せる。そのままエラは壁際に追い詰められてしまった。

 向かい合わせで、ユリウスが壁に手をついてくる。逃がさないようにと囲われて、エラはちょっと面倒くさそうな顔をした。


「そうあからさまに嫌がられると、逆に本気で落としたくなるな」

「公爵様のお召しで、これから行かなければならないのです。どうぞお戯れはここまでに」


 そう言ってエラは、壁に背を預けたまましゃがみこんだ。ユリウスの腕を下からくぐり、壁ドンをあっさり抜け出していく。


「それは引き留めて悪かった。また今度な」


 悪びれもせず、にかっと笑顔を返され、エラは仕方ないというように再び礼を取った。


「では、御前失礼いたします」

「エラ……」


 背後から小さくかけられた声に、エラの体が強張(こわば)った。声の主を振り返りながら、視線を合わす前に礼を取る。


「グレーデン様、御用でしょうか」

「いや……わたしは……」


 無意識に延ばされたエーミールの手が、行き場なくさまよう。そんな様子のふたりを、ユリウスは興味深げに見やった。


「なんだ? ヨハンに続けてエーミールまでフラれたのか?」

「わたしとグレーデン様は初めからそのような仲ではございません」


 エラにしては強い語調で返された。


「わたしは急ぎますので、これで失礼いたします」


 ふたりに礼を取ると、エラは逃げるように去っていく。ユリウスはおもしろそうに自身の(あご)を指でさすりながら、その背を目で追った。


「エーミール、お前なにやらかしたんだ? よければ話を聞くぞ」

「叔父上……わたしは……」


 暗い顔でそのまま黙りこくってしまったエーミールの肩を、ユリウスは軽く拳でたたいた。


「なんて顔してるんだ、お前らしくもない。今度の王妃の夜会にはエデラー嬢も出るんだろう? ダンスに誘って離さないでいれば、すぐに機嫌も直るってもんだ。お前に特別扱いされれば、落ちない女なんていないだろう?」

「今回わたしは欠席の返事をしてあります」

「……ああ、女帝の容態はそんなに思わしくないのか」


 エーミールの祖母であるウルリーケは、今年に入ってずっと病の(とこ)に伏している。王妃の誕生日の祝う夜会をドタキャンするわけにもいかないので、身内の不幸がありそうな家は初めから欠席するのが常だった。


「叔父上、わたしもこれで失礼を」

 生気のない顔でエーミールはふらふらと行ってしまう。


「エーミールをもってしても難攻不落とは。エデラー嬢は本当にガードが固い」


 やれやれと言ったふうにユリウスは肩を(すく)めた。


     ◇

「リーゼロッテ様、今回は以前より上質な守り石をご用意させていただきました」

「まあ! こんなにたくさん」

「力を籠めるのも、随分とお上手になられましたからね。今のリーゼロッテ様なら、石を割らずに練習できることでしょう」


 公爵家の呪いで壊滅状態だった執務室は、すっかり元通りになっていた。いつもの風景に戻り、リーゼロッテの力の制御の訓練も再開されることとなった。

 ジークヴァルトは眉間にしわを寄せつつ、自分の執務机で仕事に精を出している。最近あまりにも自制がきかないジークヴァルトに、マテアスは「目の前の餌(リーゼロッテ)はお預けの刑」に処しているところだ。


 執務室がはちゃめちゃになっても、日常の業務をすべて停止するわけにいくはずもない。荒れ狂った部屋の中から優先事項を選別し、修復も最短で行う。この多大な労力を考えると、(あるじ)へのこの仕置きは至極妥当と言えるだろう。


 だがあまり締め付けすぎると、限界突破した時に(あるじ)の奇行が激しくなる。(あめ)(むち)(さじ)加減を模索している今日この頃だ。


「間もなくエラ様がいらっしゃいます。本日からリーゼロッテ様の訓練に、応援として参加していただくことになりました」


 今までの経緯を考えると、ジークヴァルトの暴走をマテアスひとりで見張ることは困難だ。そこで最強にして最高の壁、エラの登場である。これを機に、エラには公爵家の呪いが起こる理由を説明してある。リーゼロッテの横にエラを座らせておけば、ジークヴァルトの破壊行動も最低限に抑えられることだろう。


「エラが来るの? だったら守り石に力を籠めるところを見てもらいたいわ」

「でしたらもうしばらくお待ちいただけますか?」


 リーゼロッテはうれしそうに頷いた。


「本でも持ってくればよかったかしら?」

「それでしたらお暇つぶしにこちらなどいかがでしょう」


 マテアスが上着の内ポケットに手を入れて、ごそごそと探っていく。薄い手帳に予備の眼鏡、何かのメモ書き、鍵の束、黒い小箱と次から次へと物を取り出した。


「ああ、ありました」

 かちゃりと音を鳴らし最後に出てきたのは、複雑な曲線が絡み合う金属だった。


「これは、知恵の輪?」

「さすがリーゼロッテ様、ご存じでしたか。こちらはこのようにふたつのパーツに分かれておりますので、こんなふうにして外して遊びます。子供のおもちゃでございますが、時間つぶしにはなるでしょう」


 慣れた手つきで一度知恵の輪を外すと、マテアスは再びそれを難なく組み合わせた。知恵の輪を受け取ると、リーゼロッテが不思議そうに小首をかしげてくる。


「どうしてこんなものを持っていたの?」

「こちらは泣き止まない子供対策でございます。あと、これですね」


 そう言って握りこんだ拳をリーゼロッテの前で開いて見せる。と、ぽんっと造花が一輪飛び出した。


「きゃっ、すごいわ、マテアス!」

「大抵のものは言っていただければ、すぐにでもご用意できますよ」


 そう言いながら先ほど取り出した品々を胸のポケットに戻していく。

 マテアスはしゅっとした体形をしている。あれだけいろいろなものがしまわれている割に、上着が膨れたりだぼついていることもない。


「マテアスって本当に何でも持ってるのね。まるで魔法使いみたい」


 何でも出てくるポケットなど、異次元に通じる例のアレのようだ。そんなことをリーゼロッテが胸中で思っているなどと知らないマテアスは、自嘲(じちょう)ともとれるような笑顔を返してきた。


「わたしは臆病な人間なのですよ。用意周到にしていないと、ろくに眠れもしない小心者なのです」

「え……?」

「ああ、エラ様がいらしたようですね」


 ノックの音にマテアスが扉へと向かった。

 緊張気味に入ってきたエラは、リーゼロッテの顔を見るとほっとした顔になる。


「待っていたわ。エラに見てもらいたいものがあって。あ、マテアス、この知恵の輪、しばらく借りていてもいいかしら? せっかくだからやってみたいの」

「もちろんでございます。ではエラ様、よろしくお願いいたします」


 マテアスの目配せにエラは神妙に頷き、斜め横のソファへと腰かけた。

 呪いの発動理由を知ったからには、公爵の魔の手からリーゼロッテを救うのは自分の使命だ。ダーミッシュ伯爵からも、婚姻前の節度は保つようにと(めい)を受けている。マテアスを味方につけた今、リーゼロッテの貞操が守れなかったという言い訳などできるはずもない。


「ねえ、見ていてエラ」


 リーゼロッテが灰色の丸い石を両手で包み込んだ。瞳を閉じ、深くゆっくりと呼吸をしながら集中している。その姿は祈りを捧げているようにも見え、神聖さを感じさせる様をエラは食い入るように見つめていた。


 しばしの後、リーゼロッテが静かに瞳を開く。次いでゆっくりと握った手のひらを(ほど)いていった。


「なんて美しい……」


 リーゼロッテの手の上で輝くのは、それはそれは見事な緑の石だった。中で緑が不規則に揺れ、たゆとうような幻想的なきらめきを作り出している。その石を手渡され、エラは明かりに透かすように石の中を覗き込んだ。


「まるでお嬢様の瞳のようですね」

「力は瞳の色に宿るのですって」

「瞳の色に?」

「ええ、以前エマニュエル様がそうおっしゃっていたわ」

「お嬢様のお力はこんなにも綺麗なのですね……」


 無知なる者のエラの目には、異形の者も力の色も目視することはできない。そのことをずっと残念に思っていた。


「ジークヴァルト様の守り石は青いでしょう? 王子殿下の石は紫なのよ」

「殿下の瞳の色は紫ですものね……。あっ、アンネマリー様が白の夜会でつけていたネックレスも、この守り石だったのですね!」


 得心がいったようにエラは頷いた。


「エマ様も青い力をお持ちだし、みな瞳の色と同じなの。ふふ、でもマテアスは青くってもよく分からないわね」

「そう言えばクラーラ様にお渡ししたブローチにも青い石がついておりましたね」


 異形に()かれやすい体質の子爵令嬢クラーラに、魔よけとしてマテアスの守り石を贈ったのは、冬に開いたお茶会のことだ。ツェツィーリアの来襲、イザベラの猛攻、ルカの一目ぼれと、この冬はとにかく目まぐるしく過ぎる日々だった。


「まあ、マテアスの瞳も青いですから、何も不思議ではございませんが」

「え? エラはマテアスの目を見たことがあるの?」


 リーゼロッテは思わずマテアスの顔を見た。相変わらずの糸目が、何か御用ですか? といったふうにこちらを見返してくる。


「あると言えばありますが……」

「でもマテアスってずっと糸目よね? いつ? どんなとき?」

「そうおっしゃられましても……幾度か見た時に確かに青かったと認識した程度で、具体的にいつかまで記憶には」


 困惑したようにエラが首をひねった。


「そうなのね。ここだけの話なのだけれど、マテアスのまぶたを一度押し開いてみたいって、わたくし実は前からずっと思っていて……」


 ひそひそとされている内緒話は、しっかりとマテアスの耳にも届いていた。それなら一度されたことがございます。そう思いながら書類に目を通していたマテアスの脳裏に、酔っぱらったあの日のリーゼロッテが浮かんでくる。

 同様に思い出していたのか、理不尽な(あるじ)の殺気がマテアスに向けられてきた。


 あの寒い冬の日、紅茶に一滴たらされたブランデーで、リーゼロッテはそれは見事に酔っぱらっていた。抱きつきまくりの甘えまくりの恩恵に預かれなかったジークヴァルトは、いまだにあの日のことを根に持っている。


「あれはわたしのせいではございませんよ」


 小声で言うと、ジークヴァルトは不服そうについとその顔を逸らした。


     ◇

 鍛錬(たんれん)を終えて、エラはマテアスと連れ立って廊下を歩いていた。この早朝訓練はずっと続けられている。夏は陽が昇る時間も早い。回数が減ってしまった分、マテアスは長めに時間を作ってくれていた。


 忙しいマテアスが削れるのは睡眠時間だけだ。それが分かっていてなお、エラはこの鍛錬をやめるわけにはいかなかった。リーゼロッテを守るためにもっと数をこなしたい。そんな思いばかりが(つの)って、マテアスの厚意に甘えてしまっている。


「あの、マテアス、夏の間は部屋までの送り迎えは、なしにしても大丈夫なのでは?」

「以前にも申し上げましたが、送迎をやらせていただけないのなら、鍛錬自体なしにさせていただきますよ」


 せめて負担を軽くしようと提案したが、以前と変わらない答えが返ってきた。困った顔のまま、エラは小さく首をかしげた。


(今度マテアスの部屋の前で待ってようかしら? その方がマテアスも長く休めるだろうし)


「何をお思いかは存じませんが、その考えはお捨てになった方がよろしいかと。万が一わたしの部屋の前で待機などなさっていたら、有無を言わさず部屋に引き込みますよ」

「えっ!?」


 胸中を言い当てられたのとそのあとに続いた不穏な内容に、エラは必要以上に動揺してしまった。だが横を歩くマテアスはいつも通りの涼しい顔のままだ。


「……マテアスって時々おかしな冗談を言いますよね」

「おかしいですか?」

「おかしいというか、らしくないというか……」


 早朝に絶対ひとり歩きをするなという、マテアスなりの忠告なのかもしれない。ここは従うほかはないのだろうと、エラは素直に降参することにした。


「エラ様の中のわたしが、思いの(ほか)まともな人間のようで安心いたしました」

「マテアスのことは尊敬しています」


 この巨大なフーゲンベルク家をまとめ、公爵を補佐しながら日々執務をこなしている。人当たりが良く使用人たちをうまく使っているし、かといってないがしろにすることもない。その上武術の達人とくれば、取る揚げ足すら見つからない。


「それは光栄の極みでございますねぇ」

「本気でそう思ってますよ?」


 軽く受け流してくるマテアスは、成熟した大人なのだろう。ちょっとしたことですぐ動揺してしまう自分が、本当に情けなくなってくる。リーゼロッテのためにも、もっとマテアスのようにならなくては。そうは思うが、焦りばかりが先立った。


 行く先の廊下に人影を認め、エラは驚きに足を止めた。そこを通らないと自分の部屋には戻れない。そんな位置の廊下にひとり立っていたのはエーミールだった。


「これはエーミール様、おはようございます。こんな早朝に散策でございますか?」


 先を行くマテアスと離れるわけにもいかず、エラはその背に隠れるようについて行った。目が合わないよう礼を取り、その横を素早く通り過ぎようとする。


「マテアス……貴様がエラに危険な荒事(あらごと)を仕込んでいるというのは、本当の話のようだな」

「グレーデン様、これは……!」


 反射的に抗議をしようとしたエラを、マテアスが手でそっと制した。


「エラ様の護身の稽古は、旦那様から正式に許可をいただいております。不服がおありでしたら、どうぞ旦那様に直接おっしゃってください」


 ぐっと口をつぐむと、エーミールはマテアスの顔を悔しそうに睨みつけた。


「では急ぎますのでこれで失礼させていただきます。エラ様、参りましょう」


 何事もなかったようにマテアスは平然と歩きだした。エラは小さく礼を取った後、無言でその後ろに続く。


 ――そんな捨てられた子犬のような顔で見ないでほしい


 自分の動きを目で追ってくるエーミールから、不自然に視線を逸らすことしかできなかった。


(マテアスのように上手く(かわ)さないといけないのに)

 泣きそうになるのを(こら)えて、エラはぎゅっと唇を噛みしめた。


「エラ様」


 はっとして視線を上げると、足を止めたマテアスが心配そうにこちらを振り返っていた。その顔を見て、理由なくほっとする。


「もしやエーミール様はああやって、エラ様を待ち伏せなさったりしているのですか?」

「いえ、決してそのようなことは……! 先日レルナー様と話をしているときに、偶然お会いしましたが」

「そうでございますか。ですが、エーミール様のお心はいまだエラ様にあるご様子。どうぞお気をつけなさってください」

「……はい」


 力なくうつむいた。もしまた何かあったら、公爵にこの件を報告しなくてはならなくなる。そうなればエーミールの立場も悪くなってしまうだろう。


(わたしのことなどもう放っておいてほしいのに……)


 指が白くなるまで拳を握る。ふいにその手をマテアスがやさしく(ほど)いてきた。片膝をついて、うつむくエラを覗き込むように見上げてくる。


「今一度、おふたりでお話合いになってみてはいかがですか? 時につまらぬ誤解ですれ違ってしまうこともございましょう。まさにわたしたちの(あるじ)のように」


 (さと)すように言うマテアスは、自分を追い詰めないような言葉を選んでくれている。手を取られたまま、それでもエラは小さく首を振った。


「わたしの答えが変わることはありません」

「……もう何も言わないお約束でしたね。出過ぎたことを申し上げました」


 やわらかく言って、マテアスは立ち上がった。


「エラ様、もしよろしければ、この件をロミルダに話してもかまいませんか?」

「ロミルダに?」

「母は貴族の出です。彼女の言葉ならエーミール様は昔から素直に耳を傾けてくださいます。それにエラ様も、ロミルダの方がお話ししやすいこともおありでしょう」

「そう……ですね。ロミルダだけになら……」


 公爵の耳に届くよりはずっとましだ。エラはそう思ってマテアスの言葉にうなずいた。


「ではそのように。もちろん何かありましたら、わたしのこともきちんと頼ってくださいね」

「いつも本当にありがとう……マテアスには迷惑ばかりかけてしまって」

「前にも申し上げましたが、エラ様の笑顔のためならわたしは努力を惜しみませんよ」


 そう言われて、自然と口元に笑みが漏れた。


 昇りゆく日が刺し込んで、廊下を明るく照らしていく。朝日に染まるエラの笑顔を、マテアスは眩しそうに見た。



 そんなことがあった日の夜遅くに、ウルリーケ逝去の知らせがグレーデン家より届けられたのだった。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。ビエルサール神殿で行われたウルリーケ様の葬儀に、わたしはジークヴァルト様と共に参列します。その帰り道、神官長様ともうひとり若い神官様とすれ違って……?

 次回、4章第3話「弔いの鐘」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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