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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
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第4話 氷結の王子

 王妃が去った私室で、ハインリヒ王子はいらだつように大きく息を吐いた。


(あの人はいつまでたっても苦手だ……)


 正論ではなく感情でものを言う人だとわかってはいるのだが、振り回されている感が否めない。

 先ほども先ぶれもなく突然やってきたか思うと、明日の茶会に必ず出席するよう言ってきたのだ。予定されていた公務の数々は、いつの間にやら全てが変更されていた。


 イジドーラ王妃は父王の後妻で、ハインリヒの実の母親ではない。


 実母である前王妃が亡くなったのはハインリヒが物心つく前だったので、イジドーラはいわば育ての母だ。そうはいっても、言うほど世話してもらった記憶もないのだが。


 とはいえ、それなりに愛情を注いでもらっていることは、知っているし、感謝もしている。

 悪い人ではないのだ。厄介ではあるが……。


 早急に婚約者を見つけなくてはいけないことは、自分も重々承知している。しかし、どうしろというのだ。適当に見繕うことなどできるはずもないのに。

 父であるディートリヒ王は触れればわかると言った。では、触れられない自分はどうしたらいいのか。

 ……堂々巡りである。


 明日は、王妃のお茶会に出なければならない。

 また大勢の令嬢たちに囲まれるのかと思うと、ハインリヒは苛立ちをかくそうともせず、再び大きく息を吐いた。


     ◇

 茶会の開始とともに王妃の離宮の庭園では、デビュー前の令嬢たちが王妃に挨拶するために、長い列を作っていた。

 イジドーラ王妃は、令嬢とその母親のアピールに対して適当に返事を返しつつ、初々しい令嬢たちを、目を細めながら観察していた。口もとのほくろがなんとも色香を漂わせている。王妃は始終鷹揚に頷いていた。


 今日集めたのは、社交界デビュー前の子爵位以上の令嬢たちだ。無作為に選んだわけではない。どの令嬢も、ブラオエルシュタインの長い歴史の中で、王家の血筋が混ざった経緯のある家の子女であった。


 それにしても、令嬢よりも母親によるうちの娘アピールがすさまじい。未来の王妃の母を目指す、面の皮の厚い母親ばかりだ。しかし、イジドーラはそんな夫人たちは嫌いではなかった。ある程度の野心は、貴族として認められるべき気概と言えよう。


 公爵令嬢であったイジドーラは、先の王妃がみまかられたあと、後妻としてディートリヒ王に輿入れした。上位貴族とはいえ、社交界の荒波を乗り切るには、それなりのしたたかさが必要だった。


 しかし、今回ばかりは選ぶのはハインリヒだ。自分にすりよったとしても、意味をなさない。

 あわれな息子は、運命の令嬢を迷子にしてしまっている。血を分けた子ではないが、心から幸せになってほしいと願う程度には、イジドーラはハインリヒのことをかわいく思っていた。

 本人に嫌がられようと、母として自分にできることをしてやりたかったのだ。


 ようやく、令嬢のご機嫌うかがいの列に終わりが見えてきた。


「クラッセン侯爵長女、アンネマリー・クラッセンでございます。王妃様、本日は素晴らしいお茶会にお招きいただきまして、恐悦至極に存じます」



 めずらしく母親のつきそいのない令嬢が礼を取った。ふわふわの亜麻色の髪のかわいらしい令嬢だ。


(これはドストライクね)

 令嬢のメリハリのある柔らかそうな体を観察しつつ、王妃は声をかけた。


「クラッセン侯爵は、外交で隣国へ赴いていたわね。侯爵の手腕はなかなかのもの。これからも頼りにしているわ」

「恐れ多いお言葉、ありがたき幸せにございます。父が泣いて喜びますわ」


 侯爵令嬢自身はそれほど感動したそぶりもみせず、社交的な笑顔をその口元に張り付かせていた。


(クラッセンといえば、ジルケが嫁いだところね。言われてみればジルケにそっくりだこと)


 旧知のたれ目の侯爵夫人を思い浮かべ、王妃は懐かしそうに眼を細めた。侯爵令嬢は、堂々とした態度で王妃に臆することもなく、挨拶を終えてさっさと去っていった。


「……アンネマリー、ね」

 王妃は口元を扇でおおい、後ろに控える女官にひそひそと声をかけた。

「たしかあの娘もクラッセン侯爵と一緒にしばらく隣国へいたはずだわ。詳しく調べ上げなさい」

 女官は小さくうなずいて、仰せのままにと頭を下げた。


 最後の令嬢も、母親を伴わずにやってきた。先ほどのアンネマリーと比べて、華奢で線の細い、やせっぽちの令嬢だった。しかし、足取りはゆっくりと優雅で、そのひとつひとつの動作が見る者の視線をうばう。


「ダーミッシュ伯爵が長女、リーゼロッテ・メア・ダーミッシュにございます」


 やはりゆっくりとした所作で、令嬢は王妃に礼を取った。彼女は、どの令嬢よりも幼く見えるのに、どの令嬢よりも気品にあふれていた。まるで王妃教育を厳しく受けた高貴な令嬢のようであった。


 しかし、王妃は、別のことに眉をひそめた。ハニーブロンドに緑の瞳の令嬢は、リーゼロッテ・メア・ダーミッシュと名乗った。

 メアを受けた令嬢は、フーゲンベルクの託宣の相手であったはずだ。思わずそのことを口からもらしてしまう。


 そこで、はたと王妃は思った。ひとつの託宣を受けた令嬢が、また別の託宣の相手に選ばれることだってあり得るかもしれない。現に今、ハインリヒの可愛い人候補として、既婚女性も並べ挙げているのだから。


――龍は時に気まぐれを起こすのだ。

 夫であるディートリヒ王が、いつだかそう言っていたのを思い出す。


「そう……。そうね、そういうこともあるわよね」


 ハインリヒとあの可愛げのないジークヴァルトが、この令嬢を取り合う姿を想像して、イジドーラ王妃は、その口元にあやしげな笑みを()いたのだった。


     ◇

 ハインリヒ王子は高い壇上の椅子で足を組み、白い手袋をはめた手で頬杖を突きながら、どうしたものかと思案に暮れていた。茶会の主催者が早々に退出するなど、王妃の破天荒ぶりも困ったものである。


 それにしても、このような茶会に本当に意味はあるのだろうか。そもそも、わざと冷たく当たって、令嬢たちを遠ざけているのだ。

 そうでもしないと、彼女たちの身の安全が保障できない。万が一、飛び出してこられたら、この前のようにきちんと避け切れるだろうか。そう思うと、自然に眉間にしわが寄る。


 かつて、思い余った令嬢が突撃してきて、肝を冷やしたことがあった。

 その令嬢は自分に抱き着こうとでもしたのか、いきなり茂みの奥から飛びかかってきたのだ。あの時ばかりは、自分の反射神経に感謝した。自分が避けたせいで、その令嬢は思い切り地面にスライディングして、鼻の頭をすりむいてしまっていたが。


 女性の一人も受け止められず、男としては非常に申し訳なく思ったので、その令嬢には良縁をみつくろっておいた。令嬢の実家は玉の輿に乗れたと喜んでいたし、年は離れているが、今では仲睦まじく暮らしていると聞く。


 ハインリヒは眼前に押し寄せている令嬢たちに、知らずため息をついた。こうして護衛の近衛兵を配しているが、これは王太子であるハインリヒのためではなく、令嬢たちを己から守るために置いているのだ。

 こうも多くの令嬢に囲まれていると、常に戦々恐々として、気が休まらない。一目で託宣の相手が判別できるなら話は別だが、どう考えてもこの時間が無駄に思えて仕方がなかった。


「おい、ヴァルト、お前はどうだったんだ?」


 ハインリヒは斜め後ろに控えるジークヴァルトに小声で話しかける。自分の護衛騎士の筆頭を務めるフーゲンベルク公爵は、ハインリヒの幼馴染でもあった。


「どう、とはなんだ?」


 質問に質問で返される。ジークヴァルトとて、この茶番の理由はわかっているだろうに。ハインリヒが眉をひそめると、ジークヴァルトは腰を折って慇懃無礼に言いなおした。


「一体何がどうとの仰せでしょうか? 王子殿下」


 眉間にしわをよせ、さらに不機嫌な顔になったハインリヒは、言い方の問題ではない、とつぶやいた。


 しかし、その機嫌の悪い姿も一枚の絵のように様になっていて、令嬢たちから感嘆のため息が漏れる。ハインリヒは、密かに『氷結の王子』や『孤高の王太子』などと呼ばれているのだ。


「ヴァルトは婚約者の令嬢に会っているのだろう? その、初めて会った時に、こう、何か感じるものがあったとか、わたしが聞きたいのはつまりそういうことだ」


 みなまで言わせるなと思ったが、ジークヴァルトはあえて言わせているのだろう。どうして自分のまわりには、こういったクセの強い人間ばかりなのだろうか。


「知らんな」

 ジークヴァルトはそっけなく答えた後、「むこうは泣いていたが」と、やはりそっけなくつけ加えた。


(泣くほど感動を覚えるものなのか?)

 一瞬そう思ったが、ジークヴァルトのことだ、相手を威圧して泣かせたに決まっている。ハインリヒは、相手の令嬢が気の毒に思えてきた。


 しかし、泣きたいのはこちらの方だ。国の明暗を担う立場としては、めそめそと泣いている場合ではないのだが。

 残された時間はあと二年。やらねばならぬ必要事項を考えると、あまりにも時間が足りなかった。


 その時、近衛騎士のバリケードをすり抜けて、ひとりの令嬢が脇の方からそろりと近寄ってきていた。


 気の弱そうなその令嬢は後方を振り返り、おそらく彼女の母親だろう夫人に助けを求めるような視線を送った。夫人は強く頷いてから顎をしゃくって、そのまま進めと令嬢に指示を出している。令嬢は涙目になりながら、意を決したように壇上の王太子へと近づこうとした。


 それに気づかないふりをしたままハインリヒ王子は、ため息交じりに「ヴァルト」と後ろにいる幼馴染の名を呼んだ。その呼びかけに応えることなく、ジークヴァルトは近寄ってきた令嬢に立ちふさがるように体をずらし、無言で令嬢を見下ろした。


 スカートの裾を気にしながらこっそりと壇上に登ろうとしていた令嬢は、不意にできた人影に恐る恐る顔を上げた。令嬢とジークヴァルトの視線がからみ合う。


「ひいっ」

 令嬢は短く悲鳴をあげたかと思うと母親のいる方へ一目散に逃げていった。


 目が合ったのはほんの一瞬だ。ジークヴァルトはずっと無表情を保っていたが、大抵の人間はジークヴァルトを前にするとこんなふうに恐怖する。睨んでいるわけでもないのに、威圧感を感じて恐れをなして逃げていくのだ。


(目が合うだけで追い払えるとは。こういうときジークヴァルトは重宝するな)

 そんなことを考えながら、ハインリヒは何気なく庭の方をみやる。


 ふと、ここからいちばん遠い円卓に目がとまり、思わずその目を見開いた。

 王太子である自分に興味なさげに、遠巻きにたたずんでいる数人の令嬢がいたのだが、そのひとり、遠目に見ても華奢と思える小さな令嬢が、こともあろうに“とんでもないもの”を背負っていたのだ。


「おい、ヴァルト、あれを見ろ」

 手袋をはめた指でその令嬢を指し示す。


 時折、気に入られたのか取りつかれたのか、その身に()()()()をつけて歩く者がいるにはいるが、あそこまでの人間は今まで見たことがなかった。

 その令嬢の様相は、砂糖に群がる(あり)を連想させた。


 普段、感情を表にあらわさないジークヴァルトも、さすがにぎょっとしたようだ。ジークヴァルトが二度見をするなど、そうあることではなかった。


 意味もなく、してやったり感をおぼえたが、あの令嬢を放っておくわけにもいかず、ハインリヒは王太子として、ジークヴァルトに何とかするように命令する。


 早く行けと、手をはためかすと、ジークヴァルトは一目散にその令嬢を目指していった。


 あのヴァルトが平静を欠くとは。おもしろいものが見られたものだ。

 そう思ったことは、ジークヴァルトには内緒にしておこう。からかうネタは、ここぞというときにとっておくべきだ。


 ハインリヒはそんなことを思いながら、事の成り行きを目で追ったのだった。

【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。いたいけな異世界令嬢、がんばってまーす! 不可解なお茶会のあと、待っていたのは魔王様との対決で!? え! ヴァルト様! そんなことされたら、わたしお嫁に行けなくなっちゃいます!!

 次回、第5話「悪魔の令嬢」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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