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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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第17話 こころ結んで

【前回のあらすじ】

 デルプフェルト家で行われる初夏の夜会で、王族の落とし(だね)であるルチアのお披露目が行われて。侯爵家に戻ったカイは、一年ぶりに父であるデルプフェルト侯爵と顔を合わせます。

 その夜会に招待されたリーゼロッテは、ジークヴァルトに付き従いながら淡々と夜会をこなしていって。そんな中、再び襲い掛かる(くれない)の女。突如現れた星を堕とす者を前に、負担はかけられないとひとり庭へと逃げるも、結局はジークヴァルトに助けられてしまいます。

 名ばかりの婚約者に危険を冒す必要はないと訴えたリーゼロッテは、いきなりジークヴァルトに唇を奪われるのでした。

「これでいいんだろう?」

 最後に(ついば)むように下唇に口づけると、ジークヴァルトはようやくその顔を離した。


 遠くから人が近づく気配がする。酔ったような陽気な声に眉を(ひそ)め、もう一度リーゼロッテへと視線を落としてきた。

 頬に走る傷に顔をしかめてから、脱力したリーゼロッテの膝裏をすくい上げる。そのまま横抱きに抱え上げると、ジークヴァルトは庭の小道を通って人目のつかない裏口へと向かった。


 放心したままリーゼロッテは、その腕の中、震える指先で自身の唇に触れた。一体何が起きたというのだろうか。だがいまだ濡れた唇が、先ほどの口づけが嘘ではないことを物語っている。


 裏口から人気(ひとけ)のない廊下を進んだところで、使用人にでくわした。抱えられたリーゼロッテを見て、はっとした顔をする。ジークヴァルトは隠すようにリーゼロッテをさらに胸に抱き寄せた。


「どこか部屋を」

「は、はい、こちらでございます」


 使用人は先導して一室の扉を開け、中へと(いざな)った。


「ブルーメ家の侍女を呼んできてくれ」

「え? ブルーメ家でよろしいのですか?」

「ああ」


 (いぶか)しげな顔をしながらも、使用人は「承知いたしました」と頭を下げて扉を閉めた。


 そんなやり取りをぼんやりと聞いていた。これでいいんだろう。ジークヴァルトが言ったその言葉だけが、先ほどからずっと頭の中を回っている。


「これで……いいんだろう、ですって?」


 ふつふつと怒りが湧き上がってきた。がしっと耳ごと頭を挟み込み、ジークヴァルトの顔を自分へと向けさせる。突然のことに目を見開き、リーゼロッテを抱えたままジークヴァルトは動きを止めた。


「いいわけなどあるものですか……! あんな、あんな……っ」


 感情が(たかぶ)って言葉に詰まった。口づけのひとつもすれば、名ばかりの婚約者でなくなるとでも思ったのか。こころの伴わない口づけなど一体何の意味があるというのだ。そんな浅はかな考えに怒りを覚えて、もりもりと涙がせりあがってくる。


(今さら面倒くさい女だと思われたってかまわない……!)

 もうどうなってもいい。よほど面倒くさいのはこの男の方ではないか。


 ぼろぼろと涙をこぼしながら、リーゼロッテは青の瞳をまっすぐに睨みつけた。


「口づけたところで形ばかりの婚約者に変わりないではありませんか!」


 一度口にしたらもう止めることができなくなった。とめどなく流れる涙と同じで、次々と言葉が(あふ)れ出す。


「守るのが義務だとおっしゃるのなら、そんなものもう必要ございませんわ! ご心配なさらなくても、これからも婚約者としての義務はきちんと果たします。夜会にも出ますし、人前では仲睦まじげにふるまいますわ。託宣が果たされたら、ちゃんとわたくしからジークヴァルト様を自由にしてさしあげます! ですからもうこれ以上、ご自分を(だま)すような真似(まね)はなさらないでくださいませ……!」


 最後の方はもはや懇願(こんがん)だった。ジークヴァルトと(つな)がるこの糸は、ぐちゃぐちゃにこんがらがって、もう(ほど)くことすらかなわない。


「それに、ジークヴァルト様はお慕いする方がいらっしゃるくせに、それなのに、わたくしにあんな……あんなこと……」

「……一体なんのことだ?」


 ずっと黙っていたジークヴァルトが口を(はさ)んできた。ぐっと眉根を寄せたままリーゼロッテを見つめ返してくる。


「とぼけないでくださいませ。わたくしマテアスとの会話を聞きました。ジークヴァルト様には今も思う初恋の方がいらっしゃるって……!」

 隠さなくったっていい。もうわかっているから、これ以上(いつわ)るのはやめてほしい。


 一瞬だけ驚き顔になったジークヴァルトは、ゆっくりとリーゼロッテをひとり掛けのソファへと降ろした。そのまま閉じ込めるように(おお)いかぶさってくる。

 (ほだ)されなどするものか。頬に伸ばされた手をリーゼロッテは咄嗟に払いのけた。


 それでもジークヴァルトは再び指を伸ばし、頬に流れる涙をぬぐってくる。いやいやと首を振って、リーゼロッテはその手首を掴み取った。

 すべっていくあたたかな指に、余計に溢れ出る涙が止まらない。同情でやさしくなどしてほしくない。今も思う人がいるのなら、思い切り突き放してほしかった。


「お前だ」


 ふいに言われ、リーゼロッテは思わず顔を上げた。すぐそこにある青い瞳と見つめ合う。それ以上何も言ってこないジークヴァルトの顔を、意味が分からずしばらくじっと見ていた。


「だから、お前だ」

「……なにが、わたくしですの?」


 青の瞳は自分を(とら)えて離さない。同じ言葉を再び言われ、リーゼロッテは(わず)かに首をかしげた。


「オレの初恋の相手というのは、お前のことだ。リーゼロッテ」

「え……?」


 見開いた瞳から、たまった涙がぽろりとこぼれ落ちる。思考が停止したように、まるで理解が追いつかなかった。


「子供の頃に一度会いに行っただろう。そのときだ」

「ですが、あの日……わたくし泣きましたわ」


 震える唇が問う。そうだ、あの日、黒いモヤがかかるジークヴァルトを見て、自分は恐ろしさのあまり大泣きしてしまった。そんな相手に恋をするなど、果たしてそんなことがあるのだろうか。


「ああ……あの日、泣いたお前も可愛かった」


 ふっとジークヴァルトの瞳が愛おしそうに細められた。親指の腹で涙をぬぐい取り、ゆっくりと顔を近づける。リーゼロッテの唇を、そして小さく(ついば)んだ。


 リーゼロッテの顔が真っ赤に染まる。それと同時に部屋中のありとあらゆるものがドカンと揺れた。


 盛大に発動した公爵家の呪いは、瞬間、爆風のように広がったリーゼロッテの力によって、一瞬で相殺(そうさい)されたのだった。


     ◇

「ふぅ、やれやれ」


 (イザベラ)の追跡を振り切って、ニコラウスは大きく息をついた。おかげで夜会の会場から離れ、随分と奥まったところに来てしまった。

 侯爵家の人間に見とがめられたら、怪しい奴だと目をつけられてしまうかもしれない。何しろデルプフェルト家は諜報(ちょうほう)活動に特化した一族だ。敵に回したら厄介なことこの上ない。

 いい年をして迷ったなどという言い訳も見苦しいだろうと思い、ニコラウスは来た廊下を戻ろうとした。


(それにしてもイザベラのやつ、急に一体どうしたんだ?)


 今までは誰でもいいから早く結婚して、自分の代わりに伯爵位を継げと迫っていたくせに、今日にきていきなり親しくなった令嬢との間に邪魔するように割り込んできた。

 今回は顔見知りの令嬢と踊っていただけなのでよかったものの、本命の女性の前でやられたらたまったものではない。


(もっとも、いつも本命にはフラれてばかりだけどな)

 そんな自分の考えに情けなくなって、ニコラウスはひとり涙ぐみそうになった。


「あれ? エーミール様?」


 廊下の向こうにぽつりと立っているエーミールの姿が見え、ニコラウスは首をかしげた。正装をしているところを見ると、彼も夜会に招待されたのだろう。だがこの程度の規模の夜会にエーミールが来ていたのなら、気づかないなどあり得なかった。

 エーミールはとにかく目立つしとにかくモテる。夜会に出れば令嬢たちに囲まれ、既婚女性からも次々にお声がかかる。それをうまいことさばいていくのだから、そのスキルに感嘆するより他はない。


「エーミール様、どうしたんすかこんなところで?」

「……ニコラウスか」


 ちらりとこちらを見て、エーミールはすぐまた顔を戻した。そのまま何もない床を、じっと見つめている。


「何かあったんすか?  そんな女にフラれたみたいな顔して」


 その言葉にはっと顔を上げて、エーミールはぎりと(にら)んできた。そしてまた視線を()らされる。


「え? 何? 嘘、マジで!?」


 エーミールをフる女性がいるなど驚きだ。しかも目の前のエーミールは相当本気で落ち込んでいる。


「やべ、どうしよ。めっちゃ親近感っ」

「その五月蠅(うるさ)い口を今すぐ閉じないと、叩き切るぞ」


 地獄の底から響いてくるような声で言われ、ニコラウスは慌てて首を振った。


「あああ、嘘ですごめんなさい! エーミール様、カッコイイ! よっこのモテ男!」


 瞬時に放たれた殺気に、ニコラウスは思わず一歩飛び退()いた。エーミールが帯剣してなくてよかった。もし護衛騎士のいで立ちだったなら、瞬殺されていたに違いない。


「ん? 何だかたのしそうだね?」

「か、カイ・デルプフェルトっ!」


 いきなり背後を取られたニコラウスは、思わず大声で叫んでいた。てんぱりすぎてカイを呼び捨てたことにすら気づかない。


「やあ、ブラル殿とは初めましてかな? 噂はかねがね聞いてるよ」

「ひょっ! そんな……かの有名なデルプフェルト様に認知されているとは……! オレ、この前のフーゲンベルク家の騒ぎの調書、めちゃくちゃ感動したっす。あんな素晴らしいもの、今まで見たことなくって」

「ああ、泣き虫ジョンのだね。はは、あれはオレもなかなかの力作だと思ってたんだ。ありがとう」


 言っても、リーゼロッテの言葉をそのまま清書しただけである。あれほど簡単な調書はなかったと思っているカイだった。


「カイ・デルプフェルト……()()の貴様がどうしてここに……!」

「やだなぁ、グレーデン殿。ここオレん()だって。さすがに今日は勘弁してよ」


 軽く肩をすくめて言う。あんな騒ぎの後だ。ジークヴァルトが心配だろうと思って、わざわざ政敵の家の人間であるエーミールにも招待状を送ってやったのだ。

 それが分かっていたエーミールは、ぐっと口をつぐんだ。ニコラウスだけがぽかんとふたりのやり取りを見守っている。


「ん?」


 ふと遠くに違和感を覚え、三人は同時にそちらへと視線を向けた。まっすぐ伸びた廊下の先、その奥から緑の何かが迫って来ている。


「「「ぬおおおおおぉおおおぉおうっっっ!」」」


 次の瞬間、緑は三人の間を爆風のように走り抜けた。圧倒的な力にねじ伏せられるように、頭からつま先まで下に押し付けられる。

 あっという間に過ぎ去った重圧に、三人はもれなく床へと這いつくばっていた。やっとの思いで顔を上げると、辺りを満たすのは清々(すがすが)しいほどの澄んだ空気だ。


 その覚えのある清廉(せいれん)な力に、いちばんに反応したのはカイだった。


「あんのふたり……! オレを殺す気かよ!」


 がばりと身を起こし、力が向かって来た方向へと即座に走り出す。


「……ジークヴァルト様!」

 はっとしたように、エーミールがそれに続いて走っていく。


 俊足で遥か向こうに消えていったふたりに、ニコラウスだけがただぽかんと廊下に取り残されたのだった。


     ◇

「開けますよっ!」


 コココココン! と(せわ)しなくノックしてから、返事を待たずにカイは乱暴に扉を開けた。


「一体なにやってくれてるんですか! 危うくオレ死にかけましたよ!」


 部屋の中には予想通りのふたりがいた。真っ赤になったリーゼロッテを膝に乗せ、ジークヴァルトがその口にせっせと菓子を運んでいる。

 口に入れても入れても、リーゼロッテの体からはぽっぽぽっぽと緑の力があふれ出ている。力を消費した分を補うように、ジークヴァルトが嬉々としてその口に菓子を詰め込んでいた。


「あー、もう……」


 とっちらかった室内。熟れたビョウのように頬を染めるリーゼロッテ。今まで見たことのないくらい上機嫌なジークヴァルト。これを掛け合わせれば、(おの)ずと何があったかはわかるというものだ。


(さっきまですごくぎくしゃくした様子だったのに……)


 夜会の会場でのふたりは、遠目に見ても物凄くこじれているようだった。いい感じですれ違っている(さま)をおもしろく見学していたというのに、一体何があったのやらだ。


「カイ、菓子が足りない」

「はいはい、わかりました。ジークヴァルト様、この(たび)は誠におめでとうございます。菓子は公爵家の馬車に詰め込んでおきますので、今すぐとっとと帰ってください」


 このままでは屋敷全体が破壊されそうな勢いだ。ジークヴァルトが頬を撫でさするたびにリーゼロッテが赤くなり、それを見たジークヴァルトが公爵家の呪いを発動させている。リーゼロッテからあふれた力が周囲の異形を瞬殺し、それを先ほどからずっと繰り返している。

 しかもこの部屋は、リーゼロッテの浄化の力が充満していた。扉を開けただけでも気を失いそうだ。


「うわぁ、なんだかすんごぃことになってますねぇ」

 後ろからベッティがひょっこりと顔をのぞかせた。


「カイ坊ちゃまぁ、わたしひとりじゃ斃死(へいし)しそうなのでぇ一緒に来てくださいましねぇ」


 カイの両腕を肩に(かつ)ぐように引っ張って、ベッティは中へと歩を進めた。


「公爵様ぁお召しにより参上いたしましたよぅ。超絶吐きそうなので手短にぃ」

「傷を」


 短く言われ、ベッティは覗き込むようにリーゼロッテを見た。頬や腕に血のりが残っているが、どこにも傷は見当たらなかった。それを確認すると、無理やり道連れにしたカイを置いて、ベッティはさっと扉の外へと避難した。


「もう傷は()えているようですねぇ。先ほど聖女の力が屋敷中を吹き抜けましたのでぇ、そのとき一緒にご自分を治癒されたのではないでしょうかぁ」


 そう言われてリーゼロッテは自分の腕をまじまじと見た。確かに線状に血が走っているだけで、傷も痛みもまるでなかった。


「というわけで、お帰りはあちらですぅ。ちなみに先ほどの爆風でぇわたしも天国への扉を見ましたよぅ。このままだと本当に扉が開きそうなんでぇ、これ以上はご勘弁くださいましぃ」

「そう思うならオレを置いてかないでよ」


 扉の隙間から目だけをのぞかせているベッティに、呆れたようにカイは言った。


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