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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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16-2

     ◇

「はぁ、緊張した……」

 少し進んだところでルチアは力が抜けたようにつぶやいた。


「命拾いしたね、ルチア」

「本当にぃ」

「えっ、そんなになの!?」


 しみじみと言うふたりに、ルチアは驚いたように顔を上げた。


「はは、それはさておき、ルチアもすっかり令嬢らしくなったね」

「だってそれは、母さんがいろいろと教えてくれていたから……」


 再び俯いてルチアは小さな声で答える。いずれルチアが貴族社会に行かざるを得ないことを、母のアニサは承知していたのかもしれない。誰であろうと龍からは逃れることは不可能だ。イグナーツが養子縁組に異議を申し立てなかったのも、それを分かってのことだろう。

 そんなことを思ってルチアを静かに見つめていたカイに、ベッティがこそりと話しかけてきた。


「それにしてもカイ坊ちゃま。ルチア様には龍のあざが……」

「ああ、ベッティも見たんだ? よくルチアが許したね」

「そこはそれ、どうにでもやりようはございますのでぇ」


 悪い顔になった後、ベッティは胡乱気(うろんげ)な視線を向けてくる。


「それよりもカイ坊ちゃまですぅ。一体どうやってアレを確認なさったのですかぁ?」

「はは、そこはそれ、どうにでもやりようがあるでしょ」


 こそこそと言い合うふたりに、ルチアが不思議そうな顔をする。そんなルチアに、カイはわざとらしいくらいに明るい声をかけた。


「何にせよ、どうせ逃げ出せないなら楽しまないとね?」

「何よそれ」

「いいからいいから」


 (いぶか)しげな顔のルチアの肩に手を回して、会場へと連れていく。夜会が始まるのは陽が沈んでからなので、今は使用人たちが準備に追われて走り回っていた。だがカイの姿を認めると、みな礼を取ってさっといなくなってしまった。


「さあ、貸し切りだよ」


 ルチアに手を差し伸べて目の前で腰を折る。


「ルチア嬢、オレと踊っていただけますか?」

「え? いやよ。わたしデビュー前だから、今日は踊らなくっていいってブルーメ子爵に……」

「大丈夫、大丈夫。見てる人間なんていないから、ルチアがへんてこな踊りをしても誰も笑わないよ」


 強引に手を引いてダンスフロアの中央へと連れていく。


「オレの動きに合わせるだけでいいから」

「へんてこって何よ! お姫様のステップならちゃんと母さんに教えてもらったもの」

「じゃあ、お手並み拝見」


 目配せを送ると、ベッティはピアノの鍵盤に指を滑らせた。軽快なワルツが奏でられていく。

 カイにリードされるまま、ルチアはフロア中を動き回った。幼いころに懸命に覚えたステップが、考える前に自然と出てくる。しかしこんな広い場所で誰かと踊るのは初めてだ。戸惑いながらもなんとかルチアは、カイの動きについていった。


「ホントだ。なかなか上手だね」


 そう言いながら、さりげなく危うげな動きをフォローする。貴族女性にもダンスが苦手な者は少なからずいるので、それを思うとルチアは十分(さま)になっていた。


(これならそれほど心配することもなかったかな)


 貴族女性特有の舌戦は、数をこなして慣れてもらうしかない。そのためにリーゼロッテに近づけた。彼女と親しくすれば、表立って攻撃する者もそうはいないだろう。

 ルチアの容姿はどうあっても王族を思わせる。第三王女と姉妹と言ってもおかしくないことを(かんが)みると、それはなおさらのことだった。


(ピッパ様が社交界に出るのは四年後か……)


 ふと思ってカイは苦笑いをした。今朝ハインリヒに言われたことが頭をよぎる。こんなにもルチアに肩入れする自分は、確かにらしくはないだろう。なんだかそれが無性に可笑しく思えてきた。


(四年後、ルチアが生きているかも分からないのに――)


 龍からリシルの託宣名を受けた者。それがルチアだ。目の前にいる少女は、いずれ異形の者に(あや)められる。それは生まれながらに決まってしまっていることだ。


 ――だがそれは自分とて同じこと

 カイ自身、四年後にまだこの世に存在するかは定かでない。


「カイ?」


 押し黙ったまま見つめるカイを、ルチアは不安そうに見上げてくる。腰を支えてターンをしながら、カイは小さな笑みをルチアへと向けた。


「どうせ逃げ出せないんだ。最期までとことん楽しまないと、ね?」


 そのつぶやきに、ルチアはただ困った顔を返すだけだった。


     ◇

「お初にお目にかかります、ルチア・ブルーメでございます……」


 ぶつぶつと同じ台詞を何度も何度も復唱する。これさえ丸暗記しておけば、無事に乗り切れるだろうというエラからの進言だ。


「緊張しているのかね?」


 義父となったブルーメ子爵に問われて、ルチアは小さく頷き同意を示した。


「それは奇遇であるな。わしも極度に緊張しておるのだよ、うん」


 頼れるのは義父だけだというのに、なんとも情けない返事が返ってくる。このブルーメ子爵は言葉こそ古めかしいが、ふくよかな容貌をしていて実に温厚そうな人物だ。


 ルチアが初めてブルーメ家へ連れていかれた時、子爵は咲き乱れる花の中に埋もれていた。庭師を紹介されたと思ったのに、土にまみれていたのは紛れもなく義父となるこの男だった。

 開口一番、好きな花は何かと問われた。赤いプリムラだと答えると、翌日には庭の一角にプリムラがたくさん植えられていた。今はまだ花芽はついていないが、満開になったらさぞや色鮮やかな美しい庭になることだろう。


「子爵様は、わたしが……わたくしが迷惑ではなかったのですか?」

「お義父様と呼びなさい、うん。迷惑だとは思っておらぬでな、安心するといい」


 子爵はどこか遠い目で言う。


「ブルーメ家はイグナーツ様の支援で潤っているのでな。わしがのんびりと庭いじりができるのも、実はイグナーツ様のおかげであるのだ、うん」

「イグナーツ様とは従兄弟(いとこ)だって聞きました」

「そうであるな。だが彼は公爵家のお方となった。子爵家にとっては殿上人(てんじょうびと)よの、うん」

「えっ、イグナーツ様ってそんなに偉い人だったの!? ……ですか?」

「まあ、そういうことであるからして、わしとしても彼の希望を無下(むげ)にはできぬのだよ、うん」


 それならば納得もいく。いきなり孤児を貴族として迎え入れるなど、正気の沙汰ではないとルチアはずっと思っていた。


 はじめは必死に抵抗もしたが、ブルーメ家へ向かう馬車の中、イグナーツから母からの手紙を渡された。

 今後のことはイグナーツに従うこと。そうすれば衣食住に困ることはない。今までひもじくつらい思いをさせて本当に悪いことをした。ふがいない母を許してほしいと、その手紙にはアニサの文字で綴られていた。


 それが母の願いとあれば、ルチアは黙って従うしか他はない。ただ、最後までかつらをはずすのだけは抵抗があった。それも今ではもう慣れてしまった。鬱陶(うっとう)しい前髪から解放されて、今では視界もオールクリアな毎日だ。


 鮮やかな赤毛は夜会仕様に美しく結い上げられている。ベッティにやってもらったが、おかしな侍女のわりにはその仕事ぶりは口だけではないようだ。


「うん、だがわしもルチアのような娘を持てて、実はうれしく思っているのだな。それを信じてくれると、わしもうれしく思うぞな」

「そう言ってもらえてうれしいです……お義父様」


 嘘偽りない言葉を口にする。その時初めてルチアは、素の笑顔を子爵に向けた。


「では行くとするかな、うん」


 使用人による声掛けに、ブルーメ子爵はルチアへと肘を差し出した。そこにルチアが手を添えてくる。


 並び立ち控えの部屋を出る。ここから先は未知の世界だ。なにしろブルーメ家は、今まで王家に属することもない中立の立場の貴族だった。毒にも薬にもならない日和見の立ち位置で、波乱もなく平穏な日々をただ送ってきた。


 だが、ブルーメ家は王家の者の色彩を持つ少女を迎え入れた。そのお披露目が、王家に膝をつくデルプフェルト家で今まさに行われようとしている。いかに愚鈍(ぐどん)な自分にも、与えられた役割はわかるというものだ。


「わしも貴族の端くれ。それらしい働きをするのもまた勤めよの」


 つぶやいてブルーメ子爵は、その一歩を踏み出した。


     ◇

「お嬢様……とてもお綺麗です」

「ありがとう、エラ」


 ドレスを(まと)ったリーゼロッテを見て、エラは眩しそうに目を細めた。初夏の夜会に相応しい淡いグリーンの美しいドレスだ。だが施された繊細なレースも、飾られた青い守り石も、リーゼロッテの前ではただの引き立て役に過ぎなかった。


「今日はついていくことができずに申し訳ありません……」

「エラは何も悪くないわ。大丈夫。わたくしちゃんとうまくやれるから」


 心の整理がついたかのように、リーゼロッテはやわらかく笑った。この方は逃げることも叶わない。諦めを含んだその笑顔に、エラの胸は締めつけられた。


「そろそろ行きましょう。ジークヴァルト様をお待たせしてはいけないわ」

「はい、お嬢様」


 自分はきっとこれから幾度も、こうやってリーゼロッテを見送るのだろう。誰よりもそばで、誰よりも長く、この細い背を支えていけたなら。


 そう願いながら、エラは先導して部屋の扉を静かに開いた。


     ◇

 街道を行く馬車は、始終会話もなく進む。膝の上に乗せるのはやんわりと断られてしまった。夜会前にドレスにしわが寄るのは嫌だと言われては、強引に乗せることもできないだろう。

 帰りならばいいかと問うと、彼女は困ったような顔のまま小さく頷き返してきた。


 マテアスにはあまりしつこくするなと言われている。ただ触れて、こちらに顔を向けてほしい。たったそれだけのことが、自分には難しく思えて途方に暮れた。


 笑顔にするのはなおままならない。

 彼女にはいつでもそうであってほしいのに――


 暮れなずむ街並みを抜け、ほどなくして馬車はデルプフェルト家へと到着する。


「ダーミッシュ嬢、手を」


 降り際に手を差し伸べると、悲しそうな顔のまま彼女はそっと上に添えてきた。馴染(なじ)んだこの手のひらも、触り飽きることもない。あのまま馬車にふたりきりでいられたら。そんなふうに思う自分は相当おかしなことになっている。


(惚れた相手の前では男はみな阿呆になる、か……)


 マテアスに言われるまで、このくすぶる思いの正体が何なのか、まるで理解ができないでいた。彼女は初恋の相手だろうと今まで幾度か誰かに言われた。だが、恋と聞いてもピンとくる何かを、自分の中に見出すこともできなかった。


 彼女の歩調に合わせるのは、今では当たり前のことだ。この足取りも、添えてくる手も、肩も、背も、耳も、唇も何もかも。彼女のありとあらゆるものが小さくて、それすら愛おしく感じてしまう。胸の奥がざわつき始めるのを感じて、ジークヴァルトはその顔を強くしかめた。


 ここで公爵家の呪いを発動させるわけにはいかない。リーゼロッテをエスコートしながら、腹に力を入れたままジークヴァルトは夜会の喧騒へと向かっていった。


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