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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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第16話 初夏の夜会

【前回のあらすじ】

 思いを押し殺したまま、ジークヴァルトのもとで過ごすリーゼロッテ。その様子を周囲はただ見守るしかできません。

 そんなある日、子爵家の養子になった少女ルチアがやってきて。彼女が王族の血筋であると気づきつつも、リーゼロッテは市井で育ったルチアの助けになろうと心に決めます。

 公爵家の使用人の間でエラへの求婚が過熱する中、ヨハンのプロポーズをエラが受けたと勘違いしたエーミール。その思いが暴走し、エラの心は離れていってしまうのでした。

「ハインリヒさまー、入りますよー」


 軽いノックの後、返事をする前に執務室の扉が開け放たれる。はじめは苦言を呈しもしたが、来客中、カイが勝手に入室してくることは決してない。

 無作法をするかしないかは、中にいる人間で判断されるのだ。そもそもいちばんに敬われて(しか)るべきはこの自分のはずだが、いちいち注意する気もとうに()せてしまった。カイを見やることもなく、ハインリヒはそのまま書類にペンを走らせた。


「今日はなんだ?」

「いえ、今夜デルプフェルト家で夜会が開かれるので、今日はこれでお(いとま)しようかと。昼前にはあっちに着かないとならないんです」

「ああ、もうそんな時期か」


 そこでようやくハインリヒは顔を上げた。

 各家で開かれる小規模な夜会は、いわば派閥の象徴だ。誰が呼ばれて、誰が呼ばれなかった。開催する家の力が強いほど、社交界では頻繁にそんな話題が上る。

 王家派の中でも公爵家に追随するほどと言われるデルプフェルト侯爵家だ。その夜会は中でも注目の的だった。


「面倒だけど、一度帰ってきますよ」


 肩をすくめて言うカイを少し心配そうに見やる。その視線に気づきつつも、カイはいつもの笑顔を返してきた。


「正直、こんな時だけ調子がいいって思いますけど、まあ、毎年のことなんで。それに今年は逆にこっちが利用させてもらうつもりですし」

「……本当に彼女を夜会に出すつもりなのか?」

「あれ? もしかしてハインリヒ様、ルチアのことでディートリヒ王に何か言われちゃいました?」

「いや、そういうわけではないのだが……」


 考え込むように指で机を叩く。新たに見つかった託宣を持つ少女を、カイはブルーメ子爵家の養子にしたいと申し出てきた。だが彼女はラウエンシュタイン公爵代理であるイグナーツに任せておけばいいと父王に言われたばかりだ。


 そこでハインリヒはイグナーツに直接コンタクトを取った。彼はブルーメ家の庶子から、ラウエンシュタイン公爵家に婿入りを果たした男だ。それも託宣を受けた身であったからこその話だが、そのイグナーツ経由で養子縁組を進めれば、王は何も言うまいという算段だった。


 手続きは拍子抜けするほどスムーズに行われた。表向きはイグナーツの進言でブルーメ家が養子縁組を願い出て、それを王が了承したという形だ。


「イグナーツ様が山に入る前でよかったです。この冬の積雪が例年以上で助かりました」

「……彼はリーゼロッテ嬢の父親とは思えない人物だったな」

「そうですか? 泣き上戸なところなんかそっくりですけど」


 カイの言葉にハインリヒが意外そうな顔をする。一度だけ呼びつけたイグナーツは、淡々と話す静かな印象の男だった。


「にしても、イグナーツ様がああもあっさりと了承するとはオレも思ってみませんでしたよ」

「それは同感だな」


 ハインリヒはイグナーツに半ば命令する形を取った。イグナーツは母親のアニータの願いで、ルチアを隠す手助けをした経緯がある。にもかかわらず、彼は養子縁組をふたつ返事で了承した。


「まあ、早くマルグリット様を探しに行きたくて、面倒ごとが嫌だったのかもしれませんけど」

「彼はマルグリット・ラウエンシュタインが、本当にまだ生きていると信じているのか?」

「なんでも気配を感じるんだそうです。いまだ貴族名鑑には、ラウエンシュタイン公爵としてマルグリット様の名前が載ってますし……()()()()になったとしても、貴族籍を残すのが国の慣習なんですかね?」


 カイの言葉にハインリヒは大きくため息をつく。


「悪いがそこら辺のところは何も教えられていない」

「すべては龍の思し召し、ですね」


 肩をすくめるカイにハインリヒはただ頷くしかなかった。王太子の身でありながら、知らされていないことがこの国には多くありすぎる。


「あと、夜会の件は勝手に決めてすみませんでした。ピッパ様が社交界に出る前に、ルチアの存在を当たり前にしておきたかったので」


 口を開きかけて、ハインリヒはそのままカイの顔をじっと見やった。


「ん? オレの顔に何かついてますか?」

「いや……ひとりの人間にお前がこんなにも執心するとはな」

「まあ、乗りかかった舟ですよ。王にもルチアを見届けるよう言われましたし」

「そうか」

「……今回は無理を聞いてくださって、ハインリヒ様には感謝しています」


 神妙に言ったカイを前に、思わず驚き顔になった。王に言われたにしても、損得勘定抜きで他人に労力を傾けるカイを、ハインリヒは今まで見たことがない。


「何なんですか、さっきから。オレだって礼くらい言いますよ」

「ああ、そうだな」


 本人に自覚がないのも珍しい。そう思ってハインリヒはひそやかに笑みを作った。


     ◇

 手綱を手渡すと使用人の男は恐々(こわごわ)とそれを受け取った。デルプフェルト家に帰るのは一年ぶりだ。自分に対する家人のこんな態度はいつものことなので、気にも留めずにカイは屋敷の中に入っていった。


「お帰りなさいませ、カイ坊ちゃま」

「出迎えはいいって言ってるのに」

「そういう訳にはまいりません。カイ坊ちゃまはベアトリーセ様の唯一の御子であらせられます」


 ベアトリーセはカイの母親だ。デルプフェルト侯爵の正妻ではあるが、この世を去って久しかった。出迎えた家令がカイを「唯一の御子」と言ったのは、父親が後妻を(めと)ろうとしないためだ。

 しかし、カイには兄弟姉妹がベッティを含めて九人いる。それもすべて母親が違うのだから、呆れるより他はない。カイが五男であることを考えると、正妻にどれだけの愛情を感じていたかは推して知るべしと言うところだろう。


「もうみんないる?」

「ほとんどの方がお集まりです」

「そっか、ありがとう。とりあえず行ってくるよ」


 ひらひらと家令に手を振って、父のいる部屋へと向かう。毎年行われるこの茶番は、茶番だけに無駄としか思えない。そう思いつつも、律儀に付き合ってやっている自分はつくづく人がいいと思うカイだった。


「カイ兄様!」

「やあ、ジルヴェスター、随分と大きくなったね」


 いきなり飛びついてきた末の弟を抱き上げる。デルプフェルト家でカイを歓待するのは、先ほどの家令とこのジルヴェスターだけだ。


「前に会ってからもう丸っと一年ですよ。一度も帰って来ないなんてひどいです」

「ごめんごめん。オレもいろいろと忙しくて」


 ジルヴェスターは琥珀色の瞳を輝かせ、うれしそうにカイの頭をぐしゃぐしゃにしてくる。そんな弟を抱えたまま、カイは目的の場所まで歩いて行った。

 サロンの入り口で下に降ろすと、ジルヴェスターはノックもせずに勢いよく扉を開けた。中の喧騒が廊下に漏れて出る。部屋には七人ほどの人間がいた。いきなり飛び込んできた末の弟に一瞥(いちべつ)をくれただけで、先に待っていた兄弟姉妹は、酒や煙草を片手におしゃべりに興じたままだ。


 だがそれはカイがサロンに足を踏み入れるまでのことだった。カイの姿を認めると、この場にいる誰もが警戒したように押し黙る。しんと静まり返った中、臆することなく歩を進めた。上座に座るデルプフェルト侯爵の前まで行くと、カイは形式ばかりの礼を取った。


「父上、ご無沙汰しております。相も変わらずご健勝の様子。 何よりです」

「ようやく来たか……」


 黒の瞳を細め、つぶやくように言う。


「オレが最後ですか?」


 サロンを見回すと、ほとんどの者がさっとカイから視線を逸らした。次兄だけが忌々しそうに睨みつけてくる。


「エリザベスがおらぬ」

「彼女なら今、任務中ですよ」

「なんだ、つまらぬな」


 すねた子供のように言う父親を前に、カイは軽く肩をすくませた。


「その一環でもう屋敷にはいますから。顔を出すように言ってあるので、そのうち来ますよ」


 それでも不服そうにしている侯爵は、ひじ掛けに頬杖をついたまま子供たちに向けて、追い出すように手を振った。


「他の者はよい。カイ、近くへ」


 カイにだけ手招きをする。そそくさとほとんどの者が出ていくが、不服そうに次兄だけがしばらくその場に立っていた。しかし、父親の関心が自分に向かないことがわかると、舌打ちをしてサロンを後にした。

 乱暴に扉が閉められると、侯爵が再び手招きをしてくる。


「もっと近くへ」


 言われるがままカイは侯爵の目の前まで歩を進めた。次に言われるだろうことはわかっていたが、それを言われるまでカイは黙って父親を見下ろしていた。


「膝を」


 愉快そうな声音で侯爵は言った。そしてカイは静かに膝をつく。毎年のことだ。この男はとうに正気ではないのだろう。


「やはりお前がいちばん()()に似ているな」

「そりゃ母子(おやこ)ですから」

「ジルヴェスターは瞳が似ておると思うて産ませたが……カイ、お前の前ではくだらぬ(まが)い物よ」


 顎に手を当て顔を上向かせる。恍惚とした表情のままデルプフェルト侯爵は、さらに頬に指を滑らせた。


「そうだ。この色だ。(いにしえ)から生れ出た琥珀の瞳。燃え尽きた灰の髪……。カイ、なぜお前は髪を伸ばさぬか」


 唐突に問うてくる。だがこの質問も毎度のことだった。


「長い髪は任務の邪魔です」

「つまらぬな」


 そう言いながらも愛おしそうに黒の瞳を細めてくる。この男にとって子供たちは、飾り置くためのコレクションに過ぎない。気に入った色彩の女を(はら)ませて、生まれた子供を引き取っては近くに(はべ)らせているというわけだ。

 屋敷に住まわせるのは子供たちだけだった。手を出した女たちは住む場所を別に与えて、それぞれきちんと面倒を見ている。それが唯一の救いと言えるだろうか。


 この男の瞳には、どのみち狂気が宿っている。理解できるとは思えないし、そうしたいとも到底思えない。歪んだ寵愛(ちょうあい)を欲する兄弟の多くは、この男にすっかり毒されてしまっている。それが哀れに思えてならなかった。


「先の夜会で女になったであろう? 今宵はあれをせぬか?」

「ご冗談を。任務以外で女装するほど、オレも酔狂(すいきょう)ではありませんよ」

「冗談なものか。お前を愛でるのも此れ切りかも知れぬであろう?」


 心ない言葉を平然と口にするのは、この男に心がないからだろうと本気で思う。それをものともしないカイ自身も、結局のところ同じ穴の(むじな)だ。


「それにお前は年々男になりよる」

「それはまぁ、男ですから」

「まったくもってつまらぬ」


 裏腹に口元に薄く笑みを()く。常人(じょうじん)には感じ得ないうすら寒さがそこにはあった。


「エリザベスでございます」

 声掛けと共に控えめなノックがなされる。入れとだけ言われ、扉を開けたのはベッティだった。


「お召しにより参上いたしました」


 緊張した面持ちで侯爵の前で礼を取る。ベッティはこの男の危うさに、初対面の折に速攻で距離をとった口だ。あれは賢明な判断だったとカイは今でも思っている。


「なんだ、エリザベス、毛を染めておるのか?」

「恐れながら任務中でありますれば。あの色は目立ちすぎます」

「つまらぬな」


 興味を失ったように、侯爵は邪魔そうに手を振った。


「もうよい、下がれ」

「恐れながら、デルプフェルト侯爵様。本日の夜会の客人であるブルーメ子爵令嬢がご挨拶にお見えです」

「ならば通せ」


 すっと仕事仕様の表情になると、侯爵は鷹揚(おうよう)に頷いた。一度サロンを出たベッティが、ほどなくしてルチアを連れて戻ってくる。


「侯爵様、この方にございます」

「あ、あの……デルプフェルト侯爵様、お初にお目にかかります、ルチア・ブルーメと申します。お見知りおきのほどを」


 緊張しながらもルチアは綺麗な礼を取った。侯爵は無言でその姿を上から下まで眺め、しばらくののちにぼそりと言った。


「瞳の金が強すぎる……趣味ではないな」


 そのつぶやきにカイが珍しくあからさまに嫌な顔をした。気に入ったなら、ルチアに手を出そうとでも思っていたのだろう。開いた口もふさがらない。


「では、用件は済みましたね。父上は夜会の支度もあるでしょうから、オレたちはこれで失礼します」


 当たり前のようにカイはルチアの手を取ると、そのままサロンを出ていった。ベッティも静かにその背を追っていく。頬杖をついたまま侯爵は、(とが)めるでもなく無言で三人を見送った。


「カイよ、それでもまだ愚直に生きるというのか……」


 (こら)えきれないようにひそかな笑みが、その口から洩れて出る。


「あれと同じで、随分と楽しませてくれよるわ」


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