15-3
◇
あてがわれた部屋を手早くチェックして、ベッティは所在なさげにしているルチアを振り返った。
「お食事はこのお部屋に用意していただけるとのことですのでぇ、その前に湯あみでもなさいませんかぁ?」
「そうね……できたら汗を流したいかも」
というより、この苦しいドレスを一刻も早く脱いでしまいたいのがルチアの本音だ。ベッティにもその気持ちはよく理解できたので、すぐさま準備に取りかかる。市井で育った身にしてみれば、コルセットはただの拷問器具だ。
ルチアの背に回ってドレスの背中のボタンをはずす。コルセットの紐を緩めてやると、ルチアは大きく息を吸った。
「ふふぅ、苦しかったですねぇ」
やけにうれしそうに言われて、ルチアはちょっとむっとした顔をした。
「馬鹿にしているわけではございませんよぅ。わたしも身代わりを買って出て、締め上げられた経験がございますのでぇ」
「え? 侍女ってそんなこともするの?」
「いいえぇ、わたしは侍女としてできる方なのでぇ、いろいろとオプション付けてやらせていただいてますぅ」
「オプション?」
わからないといったふうにルチアは訝しげな顔をした。
「まぁまぁそれはさておきまして全部脱いでしまいましょうかぁ。このベッティがお背中流しますよぅ」
「自分でできるからいいわ!」
手で体を庇うようにして、ルチアはさっと距離を空けた。一気に警戒心が跳ね上がった様子に、ベッティはおや? という顔をする。
「何も恥ずかしがることはございませんよぅ。わたしはいろんな高貴な方のお体を見てまいりましたしぃ、貴族の方は使用人の目などいちいち気にされないものですよぅ」
「だって、わたし本当は貴族なんかじゃないもの」
「ぶっちゃけ貴族の地位はお金で買えたりもしますからねぇ。王に認められたのならルチア様は立派な貴族の一員ですぅ」
そう言いながらルチアの身ぐるみをはがしにかかる。
「やだ、やめて! 体は見られたくないのっ」
「そこまでお嫌ですかぁ? このベッティ、口は堅い方でしてぇ、見聞きしたものを他言するようなことはございませんよぉう」
「それでもいやよ」
頑なにルチアは身を守るように縮こまった。
「ふぅわかりましたぁ。でも最後にひとつだけお聞きになってくださいますかぁ? こう見えてわたしは王妃殿下のもとで働いたこともある、超絶ひっぱりだこな人気侍女なんですぅ。その世話を受けないなんて、ルチア様はとんだ機会損失をなさってること、覚えておいてくださいましねぇ」
「何よそれ」
ルチアがおかしそうにぷっと噴き出した。
「嘘ではございませんよぅ。ベッティはアンネマリー王太子妃殿下のお背中をお流ししたこともあるんですからぁ」
「王太子妃様の? そんなの信じられないわ」
「では明日、リーゼロッテ様にお聞きになってはいかがでしょうぅ? リーゼロッテ様はアンネマリー様と従姉妹同士でいらっしゃいますからぁ」
「お姫様と従姉妹……? そんな、わたしますます場違いなんじゃ……」
青ざめたルチアにベッティはうんうんと頷いている。
「ルチア様は平民から高貴な貴族令嬢に! わぁぁあ、物語のヒロインみたいで超絶夢のようですねぇ」
「あなた、全然うらやましがってないでしょう?」
「はいぃ、ぶっちゃけちっともうらやましくありませんのでぇ」
「もう、何よそれ」
呆れたように言って、ルチアは仕方ないといったように笑顔を見せた。
「ルチア様は笑っていらっしゃる方がよろしいですねぇ」
「笑わせたのはあなたじゃない」
「仕える主人を笑顔にするのも侍女の役割ですよぉう。さぁ、もう覗いたりはいたしませんから湯殿へ行ってくださいましぃ」
浴室の扉を開け、促すように手を引いた。
「ほんっとうに覗かないでね!」
「このベッティ、主人の言いつけは絶対に守りますよぅ。侍女の仕事は信用第一ですからぁ。あ、中に呼び鈴を鳴らす紐がございますのでぇ、ご用がありましたら何なりとお申し付けくださいましねぇ」
「絶っ対に呼ばないから、あなたはそこでゆっくりしてて」
ルチアが浴室に消えると、扉を閉めるふりをして、ベッティは気づかれない程度に隙間を開けたままにした。懐から手鏡を取り出しそれを覗き込む。慎重に角度を変えながら中の様子を伺った。
今回カイに言われたのは、ブルーメ家の令嬢になった少女の世話をしろということだけだ。慣れない貴族社会になじめるように。そんなつまらないことだった。
普段出されるような情報収集の指示もない。ほかの侍女でも務まりそうなことを、わざわざカイは自分に任せてきたのだ。
確かにルチアは異形が視えている様子だが、上手に距離をとっている。守る必要などなさそうなので、何かほかに裏があるのだろうとベッティはそう踏んでいた。
ドレスを脱いだ下着姿のルチアが鏡に映る。子供とも大人とも言えないそんな年頃の体つきだ。その華奢な肢体に刻まれた鮮明なあざを認め、ベッティは知らず息をのんだ。
「あのあざは……」
どう見てもあれは龍のあざだ。ベッティはそれを持つ貴族女性を探すために、長いこと潜入捜査を続けてきた。龍のあざとは何なのか、なぜそれを持つ人間を探すのか。その理由をカイから知らされたことはない。
状況から判断するに、龍から託宣を受けた者の証なのだとベッティは理解している。だがその託宣が何のために龍から与えられるのか、やはりベッティは知らないままだ。
赤毛に金の瞳は、王族を思わせる。初対面から思っていたことだが、ルチアの顔立ちはどことなくピッパ王女に似ていた。導かれる答えは、この少女は「王族の血を引く龍から託宣を受けた者」といったところだろう。
(カイ坊ちゃまがルチア様のもとにわたしをよこしたのは、このせいだったんですねぇ)
あざのある場所が場所だけに、カイがどうやってそれを確かめたのかは問い詰めたいところだが。
どのみちカイがやれと言うのだから、ベッティに否の選択肢はない。自分が従うのは、カイひとりだけなのだから。
ベッティにとってカイが言うことは絶対だ。例え人道に反していようとも、それがカイの望みならベッティは気に留めることもない。
手鏡を懐にしまう。ベッティはそっと扉を閉めた。
◇
ルチアがやってきてから、リーゼロッテの顔に笑顔が戻っている。ふさぎ込む時間も減って、エラは安堵する日々を送っていた。
その上ルチアは全く手がかからない。今まで自分のことは自分でやって生きてきたのだろう。平民として育ったのだから、何も不思議なことではない。だが貴族としてはそれでいいはずもなかった。
「ルチア様、またご自分で掃除などなさって。そういったことは使用人に任せればいいのです」
「だって、何もすることがなくって。刺繡は指を刺しちゃうし、わたし向いてないんだわ……ですわ」
「誰にでも最初はございます。続けているうちに上達していくものですよ。それにルチア様が掃除をなさっては使用人が困ります」
「え? だって自分が使う部屋よ。自分で掃除したっていいじゃない、ですか」
「担当の使用人の仕事ぶりが気に入らないのだと、その者が解雇されるかもしれません。貴族の言動はそれくらい影響があるのですよ」
エラの忠言にルチアは一瞬絶句した。
「何それ、面倒くさい……。わたし掃除が行き届いてないなんて思ってないし、お願いだからその人をやめさせたりしないで」
「そう思われるなら今後掃除は一切しないことです。必要なら使用人をお呼びください」
「……そうすればその人はちゃんとお給料がもらえるのね?」
エラが頷くとルチアはほっとした顔をした。
きっと今まで苦労して育ってきたのだろう。子供が働かなくてはならない過酷な現実が、この国にはいまだ存在する。エラが育ったダーミッシュ領はそういった子供はほとんどいない。他領ではそうもいかないということを、エラが知ったのは成人してからだ。
「ルチア様は夜会の前に一度ブルーメ家に戻られるのですよね?」
「ええ……」
不安そうなルチアに、エラがしてやれることは何もなかった。
「夜会ではリーゼロッテお嬢様とできるだけ親しくお話なさるといいと思います。お嬢様と懇意にされているというだけで、ルチア様を軽く扱う者はいなくなるでしょうから」
「エラ様は夜会には出ないの?」
「はい、わたしは招かれておりませんから」
ルチアはため息をついて投げやりな様子で言った。
「行くのも招くのも事前に準備が必要だなんて。ほんとお貴族様って面倒くさい」
「礼儀のひとつでございますよ。それにルチア様、随分と言葉が乱れておいでです」
「あ、もう……こんなふうに話さなくてはならないなんて、わたくしいつも舌を噛みそうですわ」
エラにも多少は覚えがあることなので、苦笑いしつつもアドバイスを送る。
「慣れるまでは簡単な言葉だけを選んで、ゆっくりとお話しになるといいですよ」
「ゆっくりと?」
「はい、ゆっくりと。こう言ったらなんですが、貴族女性はそれほど頭の良さを求められておりません。夜会などでよくわからない話を振られたら、とりあえず笑ってやり過ごすのがコツです」
「まるでお人形扱いね」
呆れたようなルチアに、エラはその通りだと思って反論することもしなかった。
「でも、そうね……ゆっくりとなら案外いけるかも」
つぶやくように言ってから、ルチアはにっこりと笑顔を作った。
「エラ様。わたくし、夜会では、あまり口を開かないように、しようかと思います。そうすれば、ボロがでにくいと、エラ様はおっしゃりたいの、ですわよね? このしゃべり方は、どこも、おかしくは、ないですか?」
「お言葉選びを間違えなければ、問題ないかと」
「なら、よかったですわ。リーゼロッテ様の口調を、頑張って、真似しようとしても、なんだか、余計に、変になって、しまうんですもの」
そう言ってルチアはほっと息をつく。
「ルチア様の所作は、どこに出ても恥ずかしくないほどの淑女ぶりです。ブルーメ子爵のおそばを離れなければ、夜会でも心配なことはありませんよ」
「だと、いいのですが。でも、わたくしは気を抜くと、すぐに元に戻って、しまう、しまいます。リーゼロッテ様みたいに、あたり前に、できないのです」
それこそリーゼロッテは、ただ立って座るという行為だけでも、容易に人の視線を惹きつける。紅茶を飲む仕草ですら、完成された芸術作品を目にしているかのようだ。
「はぁ、貴族って本当に面倒くさい……」
その独り言を聞き逃したふりをして、エラは黙ってルチアを見つめていた。彼女の苦労はこれからもずっと続くのだろう。
エラ自身、貴族とは面倒なものだと思っている。夜会でリーゼロッテをそばで見守りたいが、招かれてもいないのに勝手についていくわけにもいかなかった。
(せめて侍女として夜会の控室まで行けたらよかったのに……)
男爵令嬢という立場からそれも遠慮するようにと、マテアスから言われてしまった。それなのに爵位のないただの侍女はついていけるのだ。納得はいかないが、他家の人間が勝手に入り込むことをよしとしない貴族は多い。
(もっとも夜会について行ったところで、わたしは何の役にも立たないのだけれど)
低爵位の身では、貴族同士の意地の張り合いからリーゼロッテを守ることは難しい。イザベラのような人間が現れても、自分は黙ってただ耐えるしかない。言い負かす自信はあるが、それをやってしまうと不敬罪に問われて、結局はリーゼロッテに迷惑がかかってしまう。
心ない輩を相手にするのは、よほどリーゼロッテの方が上手にかわしていた。そう思えて自分でも情けなくなってくる。
「ルチア様。人にはそれぞれ立場というものがございます。身分相応なふるまいをしてこそ、その役割を果たせるというものです」
その言葉を、エラは自身に向けて言った。
「でも、わたくし、好きで、今この立場に、いるわけではない、ですわ」
「そうだとしても、ですよ」
きっとこの少女は、自分の出自を知らないのだろう。王族の血を引く者として国の監視下に置かれることは、一生涯逃れられないことだ。
(でも、わたしは違う――)
エラは改めて決意する。父が爵位を返上したら、一平民としてリーゼロッテに尽くしていこう。
潤沢な資産を持つエデラー男爵家に近づくために、エラに求婚してくる貴族は少なくない。父に頼んで絶対に受けないようにと言ってはあるが、それが高い爵位の者だった場合、断り切れない事態もあり得るのだ。そんなことになっては、リーゼロッテのそばにはいられなくなってしまう。
貴族という立場に縛られずに、リーゼロッテの事だけを思って生きていく。それはなんと満たされた日々だろうか。
(早くその日がくればいいのに……)
不満そうに唇を尖らせているルチアを前に、エラはそんなことを考えていた。




