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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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12-4

     ◇

「旦那様、少々お(たず)ねいたしますが、リーゼロッテ様とはうまくやられているんですよね?」

「ああ」


 即答したジークヴァルトを前に、マテアスはこめかみにピキっと青筋を立てた。


「でしたら、なぜリーゼロッテ様は、あのように他人行儀にされているのでしょう?」


 最近、ふたりの仲はいい感じに近づいてきたというのに、ここにきて再び雲行きが怪しくなっている。以前のようにリーゼロッテがジークヴァルトを()けることはなくなった。だが、その態度はまるで、親しくない知人の茶会に招かれたような、そんな不自然なよそよそしさだ。

 ジークヴァルトの自室でふたりの時間を幾度か作っているが、回を重ねるごとに、リーゼロッテの様子がおかしくなっていく。


「旦那様のお部屋で、おふたりはどのように過ごされているのですか?」

「いつもと変わらない」

「いつもと、変わらない?」


 再びマテアスのこめかみに青筋が立った。


「まさかとは思いますが、そのいつもと、というのは、普段、執務室で過ごされている様子と何ら変わりがない、ということでしょうか?」

「ああ、そうだ」


 確かめるように問うたマテアスに、ジークヴァルトはそっけなく返した。


「異形の邪魔が入らぬようセッティングしているというのに、まったくあなたという人は……せっかくなんですから、口づけくらいなさったらいかがですか?」


 呆れたように言ったマテアスに向けて、ジークヴァルトは眉間にしわを寄せた。


「そんなことできるわけがない」

「なぜですか? せっかくの機会ですのに」

「駄目だ。そんなことをしたら」

「そんなことをしたら?」

「……彼女が泣く」


 ぎゅっと眉根を寄せたジークヴァルトに、マテアスが大げさにため息をついた。

 ジークヴァルトがリーゼロッテと初めて会った日に、盛大に泣かれてしまったことはマテアスも知っている。それこそ、名をちょっと呼んだだけでも大泣きされて、幼かったジークヴァルトの中でトラウマになっているのかもしれない。


 恐らくその時が主の初恋だったのだろう。本人の自覚はなくとも、それ以来会うことのできなかったリーゼロッテに、ジークヴァルトは並々ならぬ執着を見せていた。


「……それはあのリーゼロッテ様ですから、涙の一粒くらいはおこぼしになるかもしれません。ですが、おふたりは婚約関係にあるのですから、そのくらいは常識の範囲内でしょう?」

「いや駄目だ。そんなことをしたら」

「そんなことをしたら?」


 再びマテアスが聞き返すと、ジークヴァルトは今日いちばん苦しげな顔をした。


「止まらなくなる」


 そのあとジークヴァルトは押し黙って、すいと顔をそらした。


「どうしてあなた様は、いつも肝心な所でヘタレますかね。そこで止める必要など、どこにあるというのですか?」


 (いさ)めるようなマテアスの言葉を、ジークヴァルトは黙って聞いている。


「ヴァルト様……あなた、いつまで初恋をこじらせているおつもりですか? 本当に往生際(おうじょうぎわ)の悪い。一体いくつになったんですかあなた様は。子供のようにいつまでたってもウダウダウダウダと」


 いつになく苛立った様子のマテアスは、ジークヴァルトを()きつけるように睨みつけた。


「リーゼロッテ様はヴァルト様の託宣のお相手なんですよ。しかも、もう成人なさった立派な淑女です。いい加減、腹をくくったらどうなんですか?」

「それくらい……わかっている」

「わかっておられないから、今こうなっているのでしょう? あなたが恋したあの方だって、同じく大人になられたんです。今、ヴァルト様が、どう決断してどう行動しようが、きちんと受け止めてくださいますよ」


 唇を引き結んで、ジークヴァルトが(うめ)くように言う。


「それでも、彼女を傷つけたくない」

「まったく、あなたと言う人は……」


 マテアスはやっていられないとばかりに首を振った。


「婚姻の託宣がおりるまで、こんなぎくしゃくした関係を続けるおつもりなんですか? 今の様子じゃ、婚姻が果たされる頃にはリーゼロッテ様のお心は、別の誰かのものになっているやもしれませんね。託宣のお相手であることにあぐらをかいていると、いつか痛い目を見ますよ」


 吐き捨てられたその言葉に、ぐっと(のど)を詰まらせる。婚姻の託宣を受けた者同士は、問答無用で惹かれ合う。だが過去には、託宣を果たした後に、決別を選択した者もいる。


 その時、ジークヴァルトがはっと顔を上げた。自室の扉を開き、廊下を確かめる。

 今、彼女の気配がした。だが、目の前には、人影ひとつ見えない廊下が広がっている。


「旦那様?」

「いや、何でもない」


 そっけなく言うと、ジークヴァルトは自室の扉を再び閉めた。


     ◇

 文机(ふづくえ)に向かい、リーゼロッテはぼんやりとしたまま、幾度目かのため息をついた。義父のフーゴに宛てた手紙を書こうとするも、先ほどから一向に筆が進まない。


「お嬢様……何かお悩み事でもございますか?」


 エラにそう声を掛けられ、リーゼロッテはあきらめて握っていたペンを机の上に戻した。

「少し話を聞いてくれる?」


 沈んだままのリーゼロッテの言葉に、エラはもちろんですと頷いた。


「え? 夜会でイザベラ様がまた絡んでこられたのですか?」

 アルフレートを胸に抱きながら、リーゼロッテは隣に座るエラに向けて頷いた。

「でもそれはいいの。ジークヴァルト様はイザベラ様を相手にはなさらなかったから」

 リーゼロッテの言葉にエラは安堵した。


「それならよかったです。では、お嬢様は一体何を(うれ)いていらっしゃるのですか?」

「この前のお茶会で、イザベラ様がおっしゃっていたように……」


 リーゼロッテは一度ゆっくりと呼吸をして、震える声で続きを口にした。


「わたくしね、ジークヴァルト様に、一度も名前で呼んでいただけたことがないの。本当に、ただの一度も……」


 (おおやけ)の場なら、家名で呼ばれるのも不思議ではない。だが、身内しかいない場所でも、ふたりきりの時でも、ジークヴァルトが自分の名前を口にすることは、一度たりとてなかった。


「お嬢様……」

「わかってはいるの。わたくしたちは龍が決めた間柄。ジークヴァルト様も、わたくしの扱いに戸惑っていらっしゃるのかもしれない。だから、お互いを尊重し合えるように、ゆっくりやっていけばいい。そう思って今まで頑張ってきたのだけれど……」


 泣きそうに瞳を伏せたリーゼロッテの手を、エラはそっと包み込んだ。


「それでしたら、公爵様にお願いしてみましょう」

「ジークヴァルト様に? 何を?」

「リーゼロッテと、名で呼んでほしいと。怖がることはないと思います。公爵様はおやさしい方ですから」


 穏やかな表情で言うエラを、リーゼロッテは涙をためた瞳で見上げた。


「わたくし、名を呼んでくださらないからと、きっと意固地になっていたのね。呼んでいただけないなら、別にそれでもかまわないって……」


 自嘲(じちょう)気味に言ってから、リーゼロッテは笑顔になった。


「でも、エラの言う通り、ジークヴァルト様にお願いしてみるわ。どうしてそんな簡単なこと、今まで思いつかなかったのかしら」

「お嬢様はいつでも、周囲に気をお遣いになられますから……。もっと我儘(わがまま)をおっしゃってもよろしいと思います」

「そうやって甘やかされると、わたくし本当に我儘になってしまいそうだわ」

「お嬢様は、そのくらいがちょうどいいです」


 エラは本気でそう思っているかのように、真剣な顔で頷いた。


「もし、ヴァルト様に断られたら、エラが(なぐさ)めてくれる?」

「もちろんでございます。ですが、お断りされることなどございませんよ。もしあるとしたら、それは公爵様が『お嬢様のお名前を呼んだら死んでしまう呪い』にかかっているからに違いありません」


 大真面目にそんなことを言ったエラに、リーゼロッテは目を丸くした。


「ヴァルト様がそんな恐ろしい呪いにかかっていたら、わたくし名を呼ばれないくらい我慢できるわ」


 くすくす笑うリーゼロッテを、エラは安堵した様子で見つめている。


「リーゼロッテお嬢様。エラは、これからもお嬢様をずっとお支えしてまいります」

「ありがとう、エラ……」


 お互いを見つめて微笑み合う。ひとりではない。そう思うと勇気が()いてきた。

 このあと、ジークヴァルトの部屋に行くことになっている。先ほどまで気が重かったが、その時にジークヴァルトに名前で呼んでもらえるようにお願いしよう。そんなことを考えると、早く時間が来ればと気が(はや)る。


「エラはこれから刺繍教室よね。わたくしのことは心配しないで、行ってきてちょうだい」


 ジークヴァルトの部屋はすぐ隣だ。廊下にカークも立っているし、ひとりで行っても問題はない。

 エラを見送ると、リーゼロッテは義父のフーゴに手紙をしたためた。


(落ち込んだりもしたけれど、わたくしは元気です、と。これでいいわよね?)


 これ以上、フーゴに心配をかけても仕方がない。ジークヴァルトとは長い付き合いになるのだ。ずっと一緒にいなければならないのなら、ギスギスと過ごすより、風通しのよい関係でいたいものだ。

 迷惑にならない程度に自立を目指そう。ひとり頷いて、リーゼロッテは時計を見上げた。


(少し早いけれど、もう行ってこようかしら)


 部屋に誰もいなかったら、しばらく廊下でカークとおしゃべりでもしていればいい。リーゼロッテはそのまま廊下へと出た。


「今日はジークヴァルト様のお部屋にいくだけだから大丈夫よ」


 あとを着いてこようとするカークを制して微笑みかける。出番がやってきたとばかりに動こうとしていたカークは、ちょっぴり残念そうに壁際で再び背筋を伸ばした。


「カーク、いつもありがとう」

 見上げるとカークは、照れたように頬をポリポリと掻いた。


 ジークヴァルトの部屋の扉の前まで行くと、リーゼロッテは一度大きく深呼吸をした。大丈夫。ちゃんとうまくやれる。心の中で、そう自分に言い聞かせる。


 扉を叩こうとしたとき、部屋の中からマテアスの声が聞こえた。言い争いとまではいかないが、口調から何やら不穏な空気を感じる。扉の前で躊躇(ちゅうちょ)して、リーゼロッテはノックしようとしていた手を、胸の前でぎゅっと握りしめた。


「どうしてあなた様は、いつも肝心な所でヘタレますかね。そこで止める必要など、どこにあるというのですか?」


 中からはマテアスの声しか聞こえない。だが、内容から察するに、ジークヴァルトも在室しているのだろう。


「ヴァルト様……あなた、いつまで初恋をこじらせているおつもりですか? 本当に往生際の悪い。一体いくつになったんですかあなた様は。子供のようにいつまでたってもウダウダウダウダと」


 マテアスの言葉に、リーゼロッテはその瞳を大きく見開いた。


 ――ジークヴァルトに初恋の人がいる


 その事実に、リーゼロッテは頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。しかも、ジークヴァルトは現在進行形でその人が好きなのだ。


「リーゼロッテ様はヴァルト様の託宣のお相手なんですよ。しかも、もう成人なさった立派な淑女です。いい加減、腹をくくったらどうなんですか?」


 突然自分の名前を出されて、リーゼロッテは激しく動揺した。


「それくらい……わかっている」


 ジークヴァルトの低い声が聞こえた。絞り出すような声音だった。


「わかっておられないから、今こうなっているのでしょう? あなたが恋したあの方だって、同じく大人になられたんです。今、ヴァルト様が、どう決断してどう行動しようが、きちんと受け止めてくださいますよ」

「それでも、彼女を傷つけたくない」

「まったく、あなたと言う人は……」


 リーゼロッテは数歩あとずさって、くるりと向きを変えた。そのままその場を駆け出した。鼓動がどくどくとうるさく、ひどく動揺している自分にさらに動揺していた。


(ジークヴァルト様に好きな人がいる。でも、ジークヴァルト様には、わたしがいる)


 託宣で決められたこの自分が。だから、ジークヴァルトの恋が実ることはないのだ。


 マテアスは言っていた。初恋の『彼女』も、ジークヴァルトの決断を受け止めるだろう、と。


(ふたりは相思相愛なんだ。でも……)

 決してふたりは結ばれない。

(――このわたしがいるから)


 『彼女』はきっと結ばれないその運命を受け入れたのだ。だが、ジークヴァルトは?


 貴族に生まれたからには、政略結婚は珍しいことではない。家のために有利な相手と婚姻を結ぶのは、貴族として当たり前のことだ。ましてや自分とジークヴァルトは、龍が決めた相手。もし、それを違えるためには、星に堕ちるほかない。


(ジークヴァルト様は思い悩むほど、その方のことを――)


 やみくもに飛び出して、リーゼロッテはいつの間にか公爵家の庭の中にいた。人影のない静かな庭で、リーゼロッテは呆然と立ち尽くす。


(……わたし、ジークヴァルト様のことが好きなんだ)


 そう自覚したと同時に、自分は失恋してしまった。その事実に、リーゼロッテは絶望の(ふち)に立たされた。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。ジークヴァルト様への気持ちを自覚したわたしは、その距離をますます測れなくなって。おかしな態度を取り続けるわたしに、何も言わないジークヴァルト様。見かねたマテアスは、原因を探るべくエラに相談を持ちかけて……?

 次回、3章第13話「寡黙な公爵 - 前編 -」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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