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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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12-3

     ◇

 馬車の中、ガラガラと車輪が回る音が響く。リーゼロッテは隣に座るジークヴァルトの顔を伺った。

 今日は王城で夜会が行われる。ひと雨ごとに新緑が生い茂る、そんな時期に開催される王家主催の舞踏会だ。


「あの、ヴァルト様。今日はダンスを踊らなくても大丈夫ですので……」

「問題ない。最低でも二曲はお前と踊る」


 滅多に出られない舞踏会を、リーゼロッテはとても楽しみにしていた。そのことをジークヴァルトは知っている。まだ体がつらいならと、別に踊らなくても気にしないと伝えたかったが、今回も不発に終わってしまったようだ。


 二曲以上同じ相手と踊るのは、夫婦か婚約者だけだ。それが社交界での暗黙の了解だが、ジークヴァルトはその点に、やたらとこだわっているようだった。


「社交界でわたくしたちの婚約は、もう広く知れ渡ったでしょうから。やはり無理に踊ることもないと思いますわ」


 連れだって歩くだけでも、婚約者であることはアピールできるだろう。そう思って、今度はもう少し伝わりやすいように言ってみた。


「それでも踊る」

「わかりましたわ。ですがご無理はなさらないでくださいませね」

「ああ」


 そこで会話は終了した。


 ジークヴァルトが弱みを見せたくないと言うのなら、これ以上踏み込んでいくのはやめにした。この距離感でやっていくのがいちばんいいのだ。その結論に至って、最近では波風が立たないようにと、リーゼロッテはただ気を遣うだけの日々を送っていた。


 マテアスはやたらと自分たちをふたりきりにしようとする。しかし、顔を突き合せたところで、ジークヴァルトは眉間にしわを寄せて、難しい顔をするばかりだ。


 自分が口を開かなければ、会話が(はず)むこともない。もっとも、自分がしゃべったところで、ジークヴァルトは、ああ、だとか、そうか、だとか、そんな短い合いの手しか返してこない。最近では無理に話そうとはせずに、ゆっくりお茶を楽しむようにしているリーゼロッテだった。


 無言のまま、王城へと到着する。ジークヴァルトにエスコートされながら、リーゼロッテは(きら)びやかな夜会へと向かった。


     ◇

 誰もいない広々としたダンスフロアで、ハインリヒとアンネマリーがファーストダンスを踊っている。他には何も目に入らない様子で、ハインリヒはアンネマリーだけを熱く見つめている。

 そんな様子に呆れつつも、カイは生温かい視線でふたりのダンスを見守っていた。


(まあ、白の夜会の時、アンネマリー嬢と踊るオレの事、射殺(いころ)さんばかりに(にら)みつけていたもんな)


 ようやく念願が叶ったのだ。ハインリヒの寵愛(ちょうあい)ぶりは、どこの社交場でも話題の的だ。孤高の王太子の氷を溶かしたアンネマリーは、社交界で一目置かれる存在となっていた。


 ふと、フロアの向こうに、リーゼロッテがいるのが見えた。瞳を潤ませ、感極まった様子でふたりのダンスを目で追っている。そんなリーゼロッテと目が合うと、カイはひらひらと手を振った。

 隣にいたジークヴァルトが、苛立ったようにリーゼロッテを引き寄せる。間髪置かないその行動がおかしすぎて、カイは思わずぷっとふき出した。


 ダンスを終えたふたりが、王族用の壇上へと戻ってくる。今回はハインリヒの警護として夜会に参加しているカイは、すぐさまふたりの後方へと移動した。


 周囲の人間の動きに注意を向けながら、カイは静かに控えていた。幾人もの貴族たちが、王太子であるハインリヒに挨拶をしにやって来る。あっという間に行列ができるのはいつものことだが、今はその横にアンネマリーがいる。夜会では常に不機嫌に沈んでいたハインリヒも、自信に満ちた表情で貴族たちの対応をしていた。


 ざわめきと共に、先頭で待っていた貴族が後から来た者に順を譲った。訝し気に視線を向けると、そこに並び立つのは王族であるバルバナスと、ジークヴァルトの姉アデライーデだった。

 王兄(おうけい)にして騎士団総司令の立場にいるバルバナスは、どこにいても横柄(おうへい)な態度をとることで有名だ。夜会などには滅多に顔を出さないが、貴族の間ではそれが常識となっていた。


「おう、仲良くやってるみたいだな」

「伯父上、ご無沙汰しております」


 燃えるような赤毛に金色の瞳をしたバルバナスは、野性味あふれる視線で不躾(ぶしつけ)にアンネマリーを見た。顔立ちはディートリヒ王に似ているのに、まるで雰囲気が違う。そんなバルバナスに、怖気(おじけ)づくことなくアンネマリーは堂々と挨拶を返した。


「バルバナス様、ご健勝のようで何よりですわ」

「王太子妃殿下は、なにやらイジドーラ王妃に似てきたんじゃないか? ハインリヒ、尻に敷かれないよう気をつけろよ」

「このような場所でおやめください、王兄殿下」


 隣にいたアデライーデが、(たしな)めるように言った。美しく着飾ったアデライーデの右目は、黒い(ちょう)で形取られた幻想的な眼帯で覆われている。その姿を認めてアンネマリーは、彼女こそがハインリヒが傷つけた令嬢なのだとすぐさま気がついた。


「アデライーデ・フーゲンベルクにございます。王太子殿下、ならびに王太子妃殿下(ひでんか)。今宵はお招きいただきありがとうございます。王太子殿下がこのようにお美しい妃殿下を迎えられましたこと、改めてお(よろ)び申し上げます」


 アデライーデは美しい所作でふたりに礼をとった。一瞬つらそうな表情になるが、すぐに王太子の顔に戻って、ハインリヒは静かに頷いた。


「今夜はゆっくりと楽しんでいってくれ」

「ありがたきお言葉にございます」


 そう言ってアデライーデは再び礼をとる。


「王太子妃殿下」


 ふいの声掛けに、アンネマリーはきゅっと身を引きしめた。彼女はハインリヒにとって、特別な存在だ。そんなふうに思う自分を、アンネマリーは止めることはできなかった。


「今はこのような(よそお)いをしておりますが、わたくしの本来の姿は王城騎士にございます。ハインリヒ殿下と妃殿下の御代が永劫(えいごう)平穏であるよう、これからも力を()くしたく存じます」

「とても心強いお言葉、感謝します」


 立場上、アデライーデに礼は取れないが、アンネマリーは心からそう返事をした。


 バルバナスと共に、アデライーデがこの場を辞していく。その背を見送りながら、ハインリヒにしか聞こえない小さな声で、アンネマリーはぽつりと言った。


「とてもお強い方なのですね」


 アデライーデの凛とした(たたず)まいに、境遇に負けないだけのしなやかさとしたたかさを感じた。


「ああ……彼女にはいずれ(つぐな)いをしなければならない」


 低い声で言ったハインリヒに、アンネマリーは向き直る。


「どんな時も、わたくしはハインリヒの隣におります」

「アンネマリー……」


 いつまでも熱く見つめ合うふたりを、次の順番を待っていた貴族が、手持(てもち)無沙汰(ぶさた)に黙って見上げていた。


     ◇

 王子とアンネマリーのファーストダンスを前に、リーゼロッテはその瞳を潤ませていた。ふたりは見つめ合ったまま、ステップの足元すら気にすることなく、息ぴったりに踊っている。

 お互いを(いつく)しみ、信頼し合っているのが伝わってくる。ふたりが結ばれて良かった。改めてそう思うのと同時に、自分があんなふうに踊ることはないのだろうとも思った。


(でも、それはジークヴァルト様だって同じことだもの)


 龍から託宣を賜った自分たちは、それを違えることなどできはしない。託宣を破るということは、イコール星に堕ちるということだ。オクタヴィアや泣き虫ジョンのように、命をかけて運命に逆らうなどできるはずもない。


 ふと向こう側にいたカイと目が合った。騎士服を着ているところを見ると、今日は王子の警護なのかもしれない。


 ハインリヒ王子はアンネマリーと結ばれはしたが、いまだにほかの女性には触れられない状態だ。アンネマリーとの間に、次の王となる託宣を受けた子が授かった時点で、王子の守護者はそちらへと引き継がれる。その時になって初めて、王子はアンネマリー以外の女性との接触に、気を遣わなくてもよくなるのだ。


 カイが自分に手を振ってきた。彼もまた、アンネマリーと王子の恋を見守ってきたひとりだ。急に仲間意識が芽生え、リーゼロッテはカイに向かって輝く笑顔を向けた。


「ふあっ!」


 いきなり横にいたジークヴァルトに腰を引き寄せられた。周囲に異形でもいたのかと辺りをきょろきょろと見回すが、特に何かいる様子もない。


 そうこうしているうちにファーストダンスが終わりを告げる。開放されたダンスフロアに、多くの貴族がなだれ込んだ。


「行くぞ」


 そう言われて、リーゼロッテもダンスフロアに足を踏み入れた。こういった時、爵位の高い貴族が優先される。道を空けられて、フロアの真ん中あたりにたどり着いた。


(わたしなら、どの人が高爵位かなんて、まったく区別がつかないわ)


 最も、ジークヴァルトは容姿も目立っていて、その存在は誰もが知る所だろう。本来なら人混(ひとご)みに埋もれてしまうはずの自分がこうして優遇されるのも、ジークヴァルトがいてこそだ。


 そんなことを考えているうちに、オーケストラの演奏が始まった。ゆったりしたワルツなので、ジークヴァルトの負担も少なそうだ。


(自分も体重をかけないようにしなくちゃ)


 負傷した肩に負担をかけないようにと細心の注意を払う。しかし周りに異形の者がちらほらいて、ついジークヴァルトにしがみついてしまう。そのたびにダンスをフォローされて、結局は頼りきりになってしまった。


 一曲踊り切って、すぐに二曲目が始まった。これをこなせば任務完了だ。早く曲が終わることを祈りながら、リーゼロッテは懸命にステップを踏んだ。


 リーゼロッテをダンスに誘いたそうな紳士たちを横目に、ふたりはダンスフロアを出て王子たちの元へと挨拶しに行った。これが終わればもう帰っても構わなくなる。ジークヴァルトの体調を考えると、一刻も早く公爵家に戻りたかった。


 壇上前にたどり着くと、ジークヴァルトはやはり優先的に先頭へと通された。ほかの貴族たちも当然とばかりに道を空けていく。


「久しいな、フーゲンベルク公爵。怪我の具合はもういいのか?」

「はい、ご心配をおかけしました」

「かまわない。もうしばらくは養生するといい」


 ジークヴァルトは大事をとって、王城への出仕は控えている状態だ。いまだ癒えきっていない傷を押して、出仕が再開されるのは心配だった。王子の言葉に、リーゼロッテは安堵の息を漏らした。


 後ろに挨拶待ちの貴族が大勢控えているため、アンネマリーとは言葉を交わすこともなく、すぐさまその場を辞した。これで夜会のミッションは終了だ。


「ヴァルト様、もう帰りましょう?」

「疲れたのか?」


 無表情で問うてくるジークヴァルトは、リーゼロッテがまだここに居たいと言うのなら、それに従うような口ぶりだった。


「はい、今夜はとっても疲れましたわ。公爵家のお屋敷に、わたくし、もう帰りたいです」


 こう言えばジークヴァルトもすぐに帰ると言うだろう。貴族同士の付き合いも大事だが、今はジークヴァルトの体が最優先だ。


「わかった」


 そう言ってジークヴァルトはリーゼロッテを抱え上げようとした。驚いて半歩飛び退き、寸でのところで回避する。


「一体、何をなさるおつもりですか?」

「疲れたと言っただろう? 馬車まで運ぶだけだ」


 何を当たり前のことを。そんなふうにジークヴァルトは事もなげに見下ろしてきた。


「お怪我をなさっているのに、笑えない冗談をおっしゃらないでくださいませ」

「冗談など言っていない」


 再び手を伸ばしてくるジークヴァルトに、リーゼロッテはいい加減にしろと声を荒げようとした。


「お会いしたかったですわ、フーゲンベルク公爵様」


 ふいに可愛らしい声がふたりの間に割り込んだ。その聞き覚えのある声に振り向くと、そこには着飾ったイザベラが立っていた。イザベラは宰相(さいしょう)の娘で、リーゼロッテと同じく伯爵令嬢だ。ジークヴァルトの妻になるべく公爵夫人の座を狙っていて、何かとリーゼロッテに攻撃を仕掛けてくる。


「イザベラ様……」


 いつものようにリーゼロッテの存在をガン無視して、イザベラはジークヴァルトに向けて優雅な礼をとった。


「今日こそは、ダンスのお相手をしていただきますわ。よろしいですわよね、公爵様」


 にっこりと微笑んで、イザベラはジークヴァルトに向けて長手袋をした手を差し伸べた。それを取って当然とばかりに、イザベラは勝ち誇った顔を向ける。


「断る。前にも言ったが、ダーミッシュ嬢以外と踊る気はない」

「なぜ、そのように(かたく)なになるのですか?」


 理不尽(りふじん)には断固として立ち向かう。そんな勢いでイザベラはジークヴァルトを真正面から睨み上げた。


「いくら王命とはいえ、名を呼ぶつもりもないそんな女に(こだ)る必要が、一体どこにあるというのですか? どう考えても、貴方(あなた)の妻に最も相応(ふさわ)しいのは、宰相の娘であるわたくしイザベラ・ブラルですわ。そうでございましょう? ジークヴァルト様」


「……その名を呼ぶことを許した覚えはない。宰相の娘と言えど二度目はないと思え」


 今まで聞いたこともない冷たい声だった。驚いたリーゼロッテは、思わずその顔を見上げる。表情なくイザベラを見つめる瞳は、声音以上に冷たいものだった。


「あ……わたくし、不敬を……」


 震える声のイザベラは、青ざめてぼろぼろと涙をこぼした。そんなイザベラを無視して、ジークヴァルトはリーゼロッテを連れて歩き出していた。

 何度も振り返り、イザベラの様子を確かめる。だが、ジークヴァルトはお構いなしに、どんどん先へと進んでいってしまう。


「あのようにきつい言い方をなさらなくても……」


 気丈なイザベラがあんなにも委縮するほどだ。もしもあの言葉が、自分に向けられたものだったとしたら、リーゼロッテはもうジークヴァルトに、笑顔を向けられないかもしれない。


「いい。あの手合いははっきり言わないと、いつまでもしつこく付きまとう」


 ジークヴァルトは公爵だ。その立場から、利用しようと近づいてくる人間も多いのだろう。そうは思っても、先ほどのイザベラの泣き顔がこの目に焼き付いた。


「……女はすぐに泣くから面倒くさい」


 (ひそ)やかなため息と共に漏れ出た言葉を、リーゼロッテの耳は聞き逃さなかった。無意識のような呟きは、無意識だからこそ、ジークヴァルトの本音なのだろう。普段から泣き過ぎている自覚のあるリーゼロッテは、絶句してその口を引き結んだ。


「お前は別だ」


 リーゼロッテの様子に気づいたのか、ジークヴァルトはそっけなく言った。おざなりに付け加えられた言葉は、リーゼロッテの心に届くことはなかった。


 それ以上会話をすることもなく、宵闇(よいやみ)の中、ふたりは馬車に揺られて公爵家へと帰っていった。


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