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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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12-2

     ◇

 ひとり残されたリーゼロッテは、部屋の中を見回した。


「いつ来てもジークヴァルト様の力でいっぱいだわ」


 看病のために幾度も訪れた場所ではあるが、あの時は周りを気にする余裕もなかった。改めて身を置くと、ジークヴァルトのすごさを感じてしまう。


(ヴァルト様はずっとここで過ごされてきたのよね)


 ふたり掛けのソファの正面には、一枚の絵が飾られている。屈託(くったく)のない笑顔を向けた、幼い自分の肖像画だ。

 ここに座ってあの絵を見上げながら、ジークヴァルトは日々を送ってきたのだろうか。なんだか気恥ずかしいような、居たたまれないような気分になって、リーゼロッテは小さくその首を振った。


「いいえ。部屋の絵なんて、慣れれば壁紙と同じなはずだわ」


 自分に言い聞かせるように頷くと、リーゼロッテは絵の下にある棚へと歩み寄った。使い古したクマの縫いぐるみ。不器用に折られた(つる)。落書きのような似顔絵。欠けた薄い桃色のガラス玉。棚に綺麗に並べられているのは、子供の頃に贈った覚えのあるそんながらくたばかりだ。


(こんなものまで取ってあるなんて……)


 きっとロミルダやエッカルトが、気を()かせて飾ったのだろう。そう思ってリーゼロッテは、棚の下の段を覗き込んだ。そこには十以上の箱が整然と重ねられている。箱のひとつを開けてみると、中には、自分が書いた手紙が綺麗な状態でしまわれていた。


 人様の部屋で家探しをしている気分になるが、自分が書いた手紙なら見ても問題はないはずだ。ひとり頷いて、リーゼロッテは一枚一枚確かめていった。


 最近書いた覚えのある手紙から、下の箱に行くにしたがって古くなっていく。一番昔のものは「小さい子供が一生懸命書きました」というような筆跡で、自分でも微笑ましく思えてしまう。


(この頃はジークフリート様(あて)だと思って書いていたのよね)


 子供の頃は、初恋の人であるジークフリートに手紙を書いているつもりだった。それがどうしてだか、息子のジークヴァルトとずっと文通していたのだ。正直、今でも驚きを禁じ得ない。複雑な気分になりながらも、当時どんな恥ずかしいことを書いていたのかと、怖いもの見たさでリーゼロッテは順に目を通していった。


 子供の頃のマナー教師の教えの通りに、手紙の書き出しには「愛しい人へ」と書かれていた。しかし、“子供が教えられたとおりに書きました感“が、そこからはひしひしと伝わってくる


 手紙の内容も、その九割は食べ物に関することだった。今日のおやつは美味しかったとか、夕食がどれだけ絶品だったとか、そんなことが食レポよろしく熱く語られている。残りは両親に関することや、義弟のルカがいかに可愛らしいのかを力説する内容が綴られていた。


「心配するほどおかしなことは書いてないわ……」


 身もだえるほど恥ずかしい内容の手紙を、あのジークヴァルトに送っていたのだと思っていた。それだけに安堵も大きく、同時になんだか拍子抜けしてしまった。

 しかし、初恋の人に向けて書く内容でもないだろう。あの頃の自分は、何を思ってこの手紙をしたためていたのだろうと、我がことながらリーゼロッテは呆れていた。


 ジークヴァルトが爵位を継いだ後の数年の手紙は、自分が見ても他人行儀な文面が並べられている。愛しい人へ、などというふざけた書き出しも、この頃から書かなくなった。


(この時期は、黒いモヤを(まと)うヴァルト様が、恐ろしくて仕方なかったっけ)


 あのモヤの原因は、自分に()いた異形の者の波動に、同調してしまっていたからだ。異形が感じるジークヴァルトへの恐怖を、つぶさに受け取ってしまった結果、視えていたものだった。


 ふと、()れられた紅茶の横に、同じ箱が置いてあるのが目に入った。その上に、封筒から出されたままの便箋(びんせん)が乗っている。見覚えのある便箋なので、あれも自分の手紙なのだろう。だが、最近は公爵家にずっといるので、ここのところ手紙のやり取りもしていない。


「これ……ピクニックの日程が決まった時に書いたものだわ」


 十五になる直前に、ダーミッシュ領の花畑に出かけた時の話だ。去年の夏に書いた手紙なので、なぜ今これがテーブルの上に置いてあるのか、リーゼロッテは不思議に思って首をかしげた。


 この手紙を書いたときは少し寝不足で、文章がうまくまとまらなかった覚えがある。しかし、今読み返してみると、礼節の保たれたなかなかよくできた文章だ。リーゼロッテは自分のことながらよく書けていると、満足げに頷いた。


「えっ!?」


 しかし書かれた結びの文を見て、一転リーゼロッテは絶句した。


『わたくしはあなただけのもの』


 何かの間違いだと思いたい。だが、その手紙の最後には確かにそう書いてある。よく見ると、その書き出しも『愛しのジークヴァルト様』などと、臆面もなく綴られていた。

 急いで書いたのがあだとなって、子供の時によく書いていたテンプレのような書き出しと結びを、無意識にしたためてしまったのかもしれない。


 この文面を、ジークヴァルトは読んだのだ。愛しのジークヴァルト様。わたくしはあなただけのもの。その言葉が頭の中でぐるぐると回る。リーゼロッテは恥ずかしさのあまり、手にした手紙をぐしゃりと握りつぶした。


「しわになるだろう」


 背後から声がして、手紙をひょいと取り上げられた。便箋を丁寧に伸ばすと、ジークヴァルトはそれを大事そうに封筒の中へとしまった。


「ジークヴァルト様……」


 動揺で二の句が継げられない。なんとか気持ちを落ち着けて、リーゼロッテは意を決したように隣に立つジークヴァルトの顔を見上げた。


「あの、ヴァルト様。そちらの手紙は間違いというか手違いと言うか、とにかく早急に処分していただけませんか?」


 あれをネタに、一生からかわれるような事態は絶対に避けたい。ジークヴァルトはわざわざ見えるようなところに置いていたのだ。その可能性はないとは言えないだろう。


「いや、駄目だ。これはオレが受け取ったものだ。これの所有権はオレにある」


 ふいと顔をそらすと、ジークヴァルトは胸のポケットにその手紙をしまってしまった。


 抗議をする間もなく、手を引かれてソファに座らされてしまう。間髪(かんぱつ)置かずに苺のタルトをフォークで(すく)い上げると、ジークヴァルトはあーんと口元に差し出してきた。

 仕方なくそれを口にする。公爵家で出てくるスイーツは、どれも安定のおいしさだ。どうせ食べるならばその味を心ゆくまで堪能(たんのう)しようと、リーゼロッテは運ばれるまま素直にすべてを完食した。


 一息ついたところでジークヴァルトの視線を感じる。リーゼロッテはクラッカーを手に取り、ジークヴァルトへと差し出した。


「あーんですわ、ヴァルト様」


 その口に押し込むと、ジークヴァルトがもぐもぐしながらじっと顔を見つめてくる。だが、その視線はまた唇へと向かっていて、リーゼロッテはこてんと首を傾けた。


「あの、ヴァルト様……わたくしの口に何かついておりますか?」


 去年の終わりくらいから、ジークヴァルトは自分の口元を頻繁に凝視するようになった。鏡をのぞいても特に変わったこともなくて、リーゼロッテはずっと不思議に思っていたのだ。


(エラは、ヴァルト様がキスしたいと思ってるなんて言っていたけど……)


 自分を子供扱いしているジークヴァルトが、そんな願望を抱くなどあり得ないだろう。


「別に何もない。お前の口には口がついているだけだ」


 ぎくりとした様子で、ジークヴァルトはさっと視線をそらした。その態度に、やはり何かあるのだとリーゼロッテは唇を尖らせた。その動きをジークヴァルトは横目で追っている。そこまでして見てしまうということは、やはり自分の口には何か重大な秘密があるに違いない。


(でも、何も言ってくれないのよね)


 ここ最近、いろいろと努力をしてみたが、結局ジークヴァルトが自分を頼ることはない。気を遣って、大事にしてくれていることはよく分かっている。同じ託宣を受けた者同士として、ジークヴァルトなりに努力をしてくれているのだろう。


(もういいわ。何を言っても、お前はそのままでいいって言うんだもの。だったらわたしはわたしのしたいようにさせてもらうんだから)


 龍の託宣がある以上、ふたりはどうあっても連れ添って生きていかなければならない。そこに愛情はなくとも、お互いが尊重し合ってやっていくのが、いちばん理にかなっていると、リーゼロッテは結論付けた。


「ヴァルト様、わたくし頑張りますわ」


 寄りかかるばかりではいけない。できるだけ迷惑をかけないように自立しよう。結局のところ一周回って、初めに思っていたことに辿(たど)りついただけだった。だが、もう迷わない。そう決めてリーゼロッテはジークヴァルトへと微笑んだ。


 ジークヴァルトが訝し気な表情をしたところで、リーゼロッテはその小さな手を差し伸べた。

「今日もやらせてくださいませね?」

 そう言ってジークヴァルトの手に指を絡める。瞳を閉じて、力の流れに意識を集中した。


 異形の気配もない静かな空間だからだろうか。部屋に満たされたジークヴァルトの気に包まれたまま、いつもよりもリラックスして、手のひらに緑の力を集めていった。


 気づくとジークヴァルトの腕の中にいた。うすく瞳を開けると、ジークヴァルトはリーゼロッテの唇に親指を這わせて、時折ぷにぷにと押しながら(もてあそ)んでいる。


 夢中になっているのか、自分が目を覚ましたことにも気づかない。珍しいと思って、しばらく好きにさせていたが、いつまでも終わりを見せない行為に、リーゼロッテは苦笑いしながらいたずらな手をつかみとった。


「ヴァルト様、くすぐったいですわ」

「――……っ!」


 驚いたように手を引っ込める。リーゼロッテはジークヴァルトの膝から降りて、すまなそうな顔を向けた。


「申し訳ございません。つい夢中になって、いつもより力を使ってしまったみたいですわ」


 眠りこけた自分を前に、ジークヴァルトも手持ち無沙汰だったのだろう。それよりもこれを禁止される方が困るので、リーゼロッテはさりげなく違う話題を振った。


「ヴァルト様の傷の痛みはいかがですか?」

「ああ、もう問題ない」


 顔をそらしながら言うジークヴァルトに、リーゼロッテはさみしそうな視線を向けた。今でも時折肩口を気にしたように押さえていることがある。まだ痛みや違和感が残っているのだろう。そう思うも、リーゼロッテは黙って頷いた。


 視線を感じると、ジークヴァルトが再び自分の口元をじっと見ている。なぜこんなにも口に固執するのだろうか? そこまで思ってリーゼロッテははっとした。


(もしやよだれを垂らしていたことがバレたのかしら……!?)


 寝室で看病をしていた時に、同じベッドで眠ってしまった。目が覚めた時に、唇がよだれでやたらとべたべたしていたのだ。誤魔化そうと思わず布団の中に潜り込んでしまったが、ジークヴァルトの寝具でこっそりそれをふき取った罪悪感も相まって、リーゼロッテは思わず涙目になった。


(馬車の中でもよく眠っちゃってたし、もしかしたら、いつもよだれを垂らしまくってたとか!?)


 だとすると一大事だ。さすがのジークヴァルトも、そんなことは指摘しにくいだろう。


「ヴァルト様、わたくしこれからは絶対に眠りませんからっ」


 半泣きで訴えると、ジークヴァルトの眉間のしわが深まった。ハンカチでそっと浮かんだ涙をふき取ってくる。見ると、それはリーゼロッテが誕生日に贈ったハンカチだった。


「あ……使ってくださっているのですね」


 中でもイニシャルを刺繍(ししゅう)しただけのハンカチだった。実用性を重視にしてよかったと、リーゼロッテはほっと息をついた。


「あの、大きく馬を刺繍したハンカチですが……」


 一緒に贈ったハンカチを思い出す。あれは刺繍がゴテゴテすぎて、ハンカチとしての機能は果たせそうにない物だ。それに、手渡した時のジークヴァルトのつらそうな表情が忘れられない。リーゼロッテは戸惑いながらも言葉を続けた。


「もしもお気にいらなかったら、あれは返していただいても……」

「なぜだ? オレはあれがいちばん気に入っている」


 そう言ってジークヴァルトは、どこからか小さな額縁(がくぶち)を持ってきた。そこにはリーゼロッテが刺した黒馬の刺繍のハンカチが入れられていた。


「……よくできている」


 愛おしそうにジークヴァルトは刺繍の馬を指でなぞった。伏せられた瞳は、いつになくやさしいものだ。


「ヴァルト様は、その馬を大事になさっていたのですね」

 ぽつりと言うと、ジークヴァルトは少し驚いたような顔をした。


「ああ……そう、だな。そうかもしれない」

 曖昧(あいまい)に言って、ジークヴァルトは再び静かに刺繍に視線を落とした。


「アデライーデ様に、その馬は随分と前に亡くなったと聞きました」

「ああ……シュバルツシャッテンは、異形からオレを(かば)って命()きた」


 一瞬、その言葉が理解できずに、思わずジークヴァルトを凝視した。言われた内容が、じわじわと頭の中で形になっていく。


「ジークヴァルト様……申し訳ございません、わたくし……」


 つらい思い出を口にさせてしまった。リーゼロッテは小さな唇を震わせて、大粒の涙を(あふ)れさせた。


「いい、昔のことだ」


 親指の腹で涙をぬぐう。瞳を閉じて大きくしゃくりあげると、リーゼロッテは胸に顔をうずめてきた。そのまま強くしがみついてくる。

 リーゼロッテの小さな手が、背中のシャツをぎゅっと掴む。すると突然、ジークヴァルトが不自然に前かがみになった。


「ヴァルト様……?」

「いや、問題ない。何もない。どうにもなってない」


 いつもより語彙(ごい)多く返事をしたジークヴァルトを前に、リーゼロッテは青い顔をした。


「まだ痛むのですね? いけませんわ、すぐに横になってくださいませ。わたくしずっと手を握っておりますから、ヴァルト様、今すぐ寝台へ」


 傷のない方の手を引いて、(わく)だけの扉をくぐる。寝室に入っていこうとするリーゼロッテを、ジークヴァルトは逆に強く引き戻した。


「ひどい目にあいたくなかったら、馬鹿な真似(まね)は今すぐやめろ」


 怒りを(はら)んだ声で言われ、リーゼロッテは驚いて振り返った。見るとジークヴァルトはいまだ前かがみの姿勢だった。眉間にしわを寄せ、まるで何かに耐えているようだ。


「何が馬鹿な真似だというのですか? 耐え難いほど痛むのなら、今すぐ寝台で横になるべきです」


 掴んだ手を引っ張ると、ジークヴァルトはさらに顔を(ゆが)めてその背を丸めた。倒れるのかと思って、慌てて両脇に手を差し入れる。その体重を支える自信はなかったが、転ばぬ先の杖くらいにはなれるだろう。


 抱え込むように抱き着くと、身を強張(こわば)らせたジークヴァルトの口から、今まで聞いたこともないような()き声が漏れて出た。


「え? あっ、きゃあっ!」


 いきなりジークヴァルトが、リーゼロッテを横抱きに抱え上げた。そのまま大股で部屋の中を進んでいく。乱暴な動きに、思わずリーゼロッテはその首にしがみついた。


 性急に扉を開くと、ジークヴァルトはリーゼロッテを下に降ろした。押しやるようにされ、半歩後ろへと下がる。見るとここは、自分の部屋のクローゼットだった。この衣装部屋(いしょうべや)は、ジークヴァルトの部屋と続きになっている。


「言われたとおりに横になる。お前は自分の部屋でおとなしくしていろ」

「ジークヴァルト様?」


 いきなりのことで訳も分からず、その名を呼ぶ。ジークヴァルトは怖い顔をして「鍵はすぐに閉めろ。絶対にだ」と言い捨てた。

 あまりにも強い拒絶に呆然となった。頬を大粒の涙が滑り落ちる。はっとなったジークヴァルトが、さらに苦し気な顔をした。


「違う、そうではない……心配はしなくていい。ただ、それだけだ」


 (うめ)くように言って、ジークヴァルトはリーゼロッテを抱きしめた。それも一瞬のことで、リーゼロッテを放し、扉の向こうにすぐ消える。震える指でリーゼロッテは、言われたとおりに間を置かずに鍵を閉めた。


『公爵様は弱った姿をお見せになりたくないのかもしれません』


 エラの言葉を胸で反芻(はんすう)する。


 ――きっとそうだ。きっと、拒絶されたのではない。


 何度も何度もそう言い聞かせて、リーゼロッテは唇をかみしめた。


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