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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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第10話 妄執の棘 – 後編 –

【前回のあらすじ】

 気まずい雰囲気のまま、ジークヴァルトを避けるようになったリーゼロッテ。婚約話からレルナー家を飛び出してきたツェツィーリアもやって来て、ますますふたりの距離は遠のきます。

 その状況に危機を感じたマテアスが、旅の行商人を呼び興を催すも、その思惑通りに事は運ばずで。その行商人を隠れ蓑に、ミヒャエルの魔の手が再びリーゼロッテを襲うのでした。


 広場では行商人による露店が開かれ、多くの人でにぎわっていた。普段から使用人が行き交うこの場所は、いつも以上に活気に満ちている。


 社交好きだった先代に比べ、ジークヴァルトはイベントごとをまるでおこそうとしない。以前は定期的に開かれていた夜会も茶会も、今は昔の話となっていた。使用人にしてみれば、やりがいも張り合いもないというものだ。


 しかし、ここに来て行商人を招いてのお祭り騒ぎだ。使用人向けの露店が並び、野外パフォーマンスなどもあちこちで行われていた。


「リーゼロッテ様がいらしてから、たのしいことが増えたわね」

「このままずっと公爵家にいてくれればいいのに」

「はやくお嫁に来てくださらないかしら。リーゼロッテ様のこと、奥様って呼んでみたい!」

「旦那様もがんばってはいるみたいだけど……」

「あの旦那様だものねぇ」


 そんなため息交じりの会話を横目に、エラはヨハンと共に露店を見て回っていた。リーゼロッテのそばを離れたくはなかったが、たまには息抜きをということで、しばしの自由時間をもらっていた。


(でもそろそろ戻らないとだわ)


 公爵がついているから大丈夫だとも思う反面、公爵がそばにいるからこそ、別の心配が頭をもたげてくる。最近のリーゼロッテは、公爵を()けているようだった。ツェツィーリアのそばにいたいというのも嘘ではないのだろうが、それにしてもあからさまな態度に、エラも戸惑っていた。


(お嬢様にお聞きしても何も答えてくださらないし……)


 リーゼロッテは子供の頃から、抱えた悩みを自己完結させてしまうことが多かった。そこを察して支えるのが自分の役目のはずなのに、今回ばかりは理由も原因もさっぱりだ。


「公爵様のご様子を見ると、喧嘩をなさったようでもなさそうだし……」

「エラ嬢? どうかしたのか?」


 隣にいたヨハンが不思議そうに問いかけてくる。独り言が口から漏れ出ていたことに気がついて、エラは慌ててその首を振った。


「いいえ、なんでもございません。わたしはそろそろリーゼロッテ様の元へ戻ろうかと思いまして……」

「ああ、もうそんな時間か。そうだ、エラ嬢。よかったらこれを受け取ってもらえないか?」


 差し出された袋を開けると、中には小さなイヤリングが入っていた。緑の石がついた可愛いデザインのものだ。


「これをわたしが頂いてよろしいのですか?」

「リーゼロッテ様が同じものをお求めになっていた。揃いで持っていたらエラ嬢もよろこぶかと思ってだな」


 大きな指をもじもじ突き合わせるヨハンに、頬を染めながらエラは笑顔を向けた。


「お心遣いありがとうございます。とてもうれしいです」

「いや、オレもエラ嬢にはいつもよくしてもらっている。ほんの感謝のしるしだ」

「わたしの方こそ、たくさん学ばせていただいております。ヨハン様はわたしの刺繍のお師匠様ですから」


 尊敬のまなざしを向けるエラに、ヨハンはわちゃわちゃと手を振った。


「師匠などと大袈裟なっ」

「いいえ、ヨハン様はわたしの知らない技術をたくさんお持ちですし、そうお呼びするのがふさわしいです」


 そんなやり取りを、周囲の者が注意深く伺っていた。ヨハンに賭けた者はその背に声援(エール)を送り、そうでない者はハラハラとふたりの成り行きを見守っている。


「え、エラ嬢! 実は我がカーク家には、代々伝わる秘伝の刺繍の(わざ)があるんだがっ」

「秘伝の刺繍!?」


 そのパワーワードにエラの瞳が輝いた。期待に満ちた目で、前のめりでヨハンの顔を見上げてくる。


「そう、秘伝の刺繍だっ。生憎(あいにく)誰彼(だれかれ)なく教えることはできないんだが、も、もしっ、エラ嬢がオレの、つ、つ、妻になってくれるなら、すべての技を君に教えてやれるんだがどうだろうかっ」


 てんぱったままヨハンは大声で叫んだ。勢いだけで飛び出した突然のプロポーズに、周囲の者が固まった。息を詰め、みながエラの返答に耳をそばだてる。


「……それでは教えていただけないのも仕方がありませんね。リーゼロッテお嬢様の侍女として、わたしは一生結婚するつもりはありません。残念ですが、諦めるよりほかないですね。いつかヨハン様の奥様になられる方が、うらやましい限りです」


 悪気なくあっさりと返されたヨハンが、見ていて気の毒なぐらい涙目となった。


「そ、そうだなっ、残念だが、仕方がないなっ」

「はい、仕方ないですね」


 にっこりと頷いたエラは、求婚されたこと自体気づいていない様子だ。だが、それはわざと(かわ)したようにも見えて、エラを落とすのは一筋縄ではいかないと、その場にいた者たちが目を見合わせた。


 ニコラウスに続き、エラ争奪杯(そうだつはい)からヨハンが脱落した。そのニュースは電光石火で公爵家内へと伝わることとなる。残るはエーミールか、マテアスか。最近では、デルプフェルト家のカイや、女好きのユリウスの名も挙がっていた。


 そんな雰囲気をしり目に、エラは申し訳なさそうにヨハンに付け加えた。


「それにわたしは、子爵家の女主人を務められるような器ではありませんし、エデラー家は近いうちに男爵位を王に返上する予定です。ヨハン様にはもっと相応(ふさわ)しいご令嬢がおられるはずです」

「ははは……だといいんだが」


 力なく笑うヨハンに、同情の視線が集まった。その時、ヨハンの表情が一変した。はっと顔を上げ、屋敷の方へと視線を向ける。


「ヨハン様?」

「空気が変わった……」


 低く真剣な声音に、エラの顔が青ざめる。


「何かあったのですか?」

「わからない。だが、屋敷の奥によくない気を感じる。この広場は大丈夫なようだが」


 見回す広場は活気に満ちていて、みなこの時間を楽しんでいるのが見て取れた。


「オレは様子を見てくる。君はこのままここにいてくれ」


 足早に去ろうとしたヨハンの腕を咄嗟に掴む。


「いえ、お嬢様が心配です。わたしも一緒に行かせてください」

「……分かった。だが、何があるか分からない。絶対にオレから離れないでほしい」


 神妙にエラが頷くと、ふたりは屋敷の中へと急いだ。裏口から廊下へ入り、会話もないまま屋敷の中心を目指す。観劇が行われていた広間を過ぎたあたりで、感じる瘴気(しょうき)がどんどん濃くなってくる。脂汗がにじんできて、ヨハンはうめくようにつぶやいた。


「これ以上は危険だ」


 途中の廊下でその腕を掴み、エラの歩を止めさせる。ヨハンの目には、行く先の廊下は赤黒い霧に包まれていた。このまままっすぐ進めば執務室があり、そのさらに先にはジークヴァルトの部屋がある。屋敷の奥に向かうほど、この瘴気が濃密になっていくように感じられた。


「ですが……」


 戸惑ったようにエラは廊下の先を見やった。無知なる者のエラの目の前には、いつもの廊下の風景が続いている。よくない気を感じると言われても、何のことだかさっぱり分からなかった。


(でも、この先にリーゼロッテお嬢様がいる)


 その事だけは理解できた。だとするなら自分の取るべき道はただひとつだ。

 エラはヨハンの手を振り払って、廊下の先へと走りだした。


「エラ嬢……!」


 咄嗟にその腕を伸ばすも、ヨハンの手は(くう)を切った。エラの姿は瘴気の中へと飲み込まれるように消えていく。


「くそっ」


 後を追おうにも、ヨハンの体は邪悪な気に(はじ)かれてしまった。事態は自分ごときが手に負えるものではない。そう判断したヨハンは、来た廊下へと向き直り、全速力で走りだした。


      ◇

 突如として身を襲った瘴気に、アデライーデはぎりと歯を食いしばった。膝をつきそうになるのをこらえて、背後を振り返る。

 すぐ後ろにいたはずのリーゼロッテとツェツィーリアの姿が見えない。そこに広がるのは、赤黒く(けが)れた霧だけだ。王城での夜会で感じたものと同じ瘴気に、アデライーデは大きく舌打ちをした。


 視界のきかない廊下を手探りで進む。先に見えたバルコニーの扉を、アデライーデは渾身の蹴りでこじ開けた。

 飛び込むように扉をくぐろうとすると、厚い蜘蛛(くも)の巣のようなものが絡みついてくる。その力を無理やりにでも突き抜ける。大きく息を吸うと、新鮮な空気が一気に肺に流れ込んできた。


 不快感が晴れ、狂わされていた五感が爽やかな風と共に戻ってくる。振り返った廊下はやはり赤黒い瘴気で満たされていた。王城では広がり続けていた(くれない)の瘴気が、今はその密度を増しつつも範囲を狭めていくのが感じられる。


「ジークヴァルトは何してるのよ!」


 バルコニーの手すりから身を乗り出して、アデライーデはぴゅうと空に向かって指笛を響かせた。しばらく待つと、天空から二羽の(たか)が舞い降りてくる。風切り音を立てながら、順に目の前の手すりへと着地する。幾度か大きく羽ばたかせたあと、二羽は綺麗に羽をその背に収めた。


「ミカル、あなたは王城にこれを届けて。ジブリル、あなたは(とりで)のバルバナス様に」


 走り書きした簡書を手早く(あし)の筒へと差し入れる。小さな干し肉を順に放り投げると、ミカルとジブリルは器用に(くちばし)でそれをキャッチした。


「あとでもっといい(やつ)をあげるから、今はこれで我慢して。さあ、行きなさい!」


 アデライーデの声と共に、二羽の鷹は再び空へと飛び立った。一羽は東へ、もう一羽は南へ。その影を見送ったあと、アデライーデははっと屋敷の上を見上げた。


「ジークヴァルト……?」


 屋敷の屋上は、見晴らしのいい吹きさらしとなっている。眺めはいいが吹く風の強さに、子供の頃はそこに行っては、よくエマニュエルに叱られたものだ。その屋上からジークヴァルトの気を、アデライーデは感じ取っていた。


「とにかくリーゼロッテを探さなくちゃ」


 新年を祝う夜会で狙われたのは、ハインリヒとリーゼロッテだけだった。敵のしっぽはいまだ掴めていないが、その首謀者の目星はついている。


公爵家(うち)に直接攻め入るなんて、いい度胸してるじゃない」


 (こぶし)をぼきりと鳴らすとアデライーデは、瘴気渦巻く屋敷の廊下へと、再びその身を投じていった。


     ◇

「ツェツィーリア様、こちらへ」


 手を引きながら、行商の男と距離を取る。男は持っていた箱を手落とすと、(ふところ)から短剣を取り出した。(うつ)ろな瞳のまま、リーゼロッテたちの元へと歩を進めてくる。


 恐怖で震えるツェツィーリアの手を掴み、先の見えない廊下を走りだした。このまま進めばジークヴァルトの部屋がある。守りが厚いあの場所まで行けば、何とかなるかもしれなかった。


「ツェツィーリア様、頑張ってくださいませ」


 何度も振り返りながら先を急いだ。進んでも進んでも、男は短剣を手に追ってくる。


「きゃあっ」


 ツェツィーリアが床に足を取られて盛大に転んだ。つられてリーゼロッテも膝をつく。

 どべしゃ、と腹ばいになったツェツィーリアの目の前で、リーゼロッテはそれはそれは優雅に可憐に転んで見せた。そんな場合ではないのは分かっているが、格の違いを見せつけられて、悔しさにツェツィーリアは涙目になった。


「ツェツィーリア様っ」


 引き寄せて膝立ちのまま背にかばう。ゆらりと立つ男を前に、リーゼロッテは勇気を振り絞って立ち上がった。その時、男の輪郭がぶれ、異形の影が妖し気に揺らめいた。

 取り憑かれているこの男は、ただ巻き込まれた被害者なのだ。それが分かると、リーゼロッテは決意したように大きく頷いた。


「ここはわたくしにお任せください」


 慌てなければ大丈夫だ。ここ最近、力の制御もうまくなってきた。そう自分に言い聞かせながら、リーゼロッテは握りこんだ手のひらへと自身の力を集めていった。

 最大限に集まったことを確認すると、大きく振りかぶって手のひらを男へと押し出した。緑の力が放射状に広がって、ふわりと男の体を包み込む。


 キラキラと緑が収束していく様を、ツェツィーリアと共に固唾(かたず)を飲んで見守った。かばうように腕を上げていた男が、次の瞬間、こちらに顔を向けた。

 きゅるんとした瞳と目が合って、リーゼロッテはぽかんと口を開けた。虚ろだった目が輝いて、やたらと目力を発揮している。


「きゃーっ、この役立たずっ!!」

「申し訳ございませんっ」


 瞳をきゅるんきゅるんさせながら、男は短剣を振りかざして追ってくる。手と手を取り合って、再びふたりは霧の中を走り出した。


「とりあえず、わたくしの部屋まで頑張ってくださいませ!」


 部屋には日々溜めた涙が置いてある。それを振りかければ、力の強い異形でも浄化ができるかもしれない。それにクローゼットを通れば、ジークヴァルトの部屋にも行けるはずだ。


 しかし、次第にツェツィーリアの足が鈍くなる。息を切らして、これ以上走るのは限界の様子だ。

 足をもつれさせ止まってしまったツェツィーリアを、咄嗟に壁際でかばった。目の前へと迫る男を、なすすべなくリーゼロッテはただ見上げた。


 振りかぶられた短剣を頭上に感じ、リーゼロッテはぎゅっと目をつぶった。ツェツィーリアだけは守らなければ。だが、自分が倒れたらどうなってしまうのだろう。


 その時、男の横から何か大きな力が放たれた。吹き飛ばされた男は奥へと転がり、そのまま霧の中へと沈んでいった。


「グロースクロイツ!」

「おや、ご無事でしたか、ツェツィーお嬢様」


 なんだか残念そうな口調に、ツェツィーリアは間髪入れずにその足を踏みつけた。


「来るのが遅いのよ! この役立たずっ」

「おおう! その小さなお御足(みあし)でピンポイントで()まれると、このグロースクロイツ、なんだか病みつきになりそうです」

「気持ち悪いこと言ってないで、今すぐこの場を何とかなさい!」


 だんっと一歩踏み込むと、グロースクロイツは慌てて長い足を引っ込めた。


「そうはおっしゃられましても、さすがのわたしでも、これはどうにもならなさそうですね」


 そう言いながら、グロースクロイツはツェツィーリアをさっと抱き上げた。その視線が自分の背後を見据えているのを感じて、リーゼロッテは後ろを振り返った。

 吹き飛ばされたはずの男が、虚ろな瞳に戻ってそこに立っていた。一歩、また一歩と、リーゼロッテへと近づいてくる。


「どうやら標的は、リーゼロッテ様、ただおひとりのようですね」


 その言葉にツェツィーリアがはっとグロースクロイツの顔を見る。


「駄目よ。お姉様をひとり置いてはいけないわ」

「というわけで、お恨みになるなら、どうぞこのグロースクロイツだけになさってください。リーゼロッテ様には申し訳ないのですが、わたしは先代からツェツィーリア様をお守りするよう言いつかっておりますので」


 リーゼロッテに向けて慇懃無礼(いんぎんぶれい)に腰を折る。抗議するようにツェツィーリアは身をよじった。

 しかし、グロースクロイツはツェツィーリアを抱えたまま、リーゼロッテに背を向け歩き出した。霧の中にリーゼロッテの姿が消える。消える間際、安心させるかのように、リーゼロッテはツェツィーリアに向けて微笑んだ。


「お姉様っ」


 必死に手を伸ばすも、グロースクロイツはどんどん先を進んでいってしまう。その背をバシバシ叩くが、その歩調は緩まなかった。

 ふっと重圧が掻き消え、いきなり視界が明るくなった。霧の中を抜けたのだ。そう思うと、緊張の糸がぷつりと切れてしまった。


「グロースクロイツ……お姉様に何かあったら、お前を絶対に許さない」

「なんと言われましょうとも、わたしが忠誠を誓うのは、ツェツィー様、あなただけなのですよ」


 飄々(ひょうひょう)と告げるグロースクロイツを、ツェツィーリアはぎっと睨みつけた。


「ツェツィー様……」

「ルカ?」


 ふいに聞こえたルカの声に、ツェツィーリアは驚きで振り返った。その先に、悲しそうな顔をしたルカが(たたず)んでいる。


「おおう、わたしとしたことが。ツェツィー様の大事な方が、わざわざ会いに来てくださったのですよ。それでお嬢様をお探ししていたのです」


 ツェツィーリアを下に降ろすと、その背をそっとルカの方へと押し出した。半歩前に出たツェツィーリアは、ルカの水色の瞳と目を合せる。


「あ……」


 胸元でその瞳と同じ色をしたペンダントが揺れた。その水色をぎゅっと握りしめて、ツェツィーリアはいきなりルカのいる逆方向へと走り出した。


「ツェツィー様!」


 ルカの声を背に、ツェツィーリアはパニック状態となっていた。ルカの瞳のペンダント。リーゼロッテを置き去りにしてきた罪悪感。そして、義父が決めてしまった婚約者の存在――


 ツェツィーリアはどうしたらいいのか分からなくなって、闇雲に廊下を走り続けた。だがすでに体力も限界で、すぐにルカに追いつかれてしまう。


「逃げないで、ツェツィー様」


 悲しそうに言って、ルカはツェツィーリアの手をやさしく掴んだ。それでも逃がさないようにと、その腕に閉じ込めてくる。


「駄目よ……だってわたくし……」


 息も絶え絶えに、ようやくそれだけを口にした。自分の婚約者は決まってしまった。ルカに触れてもらう資格など、もう自分にはこれっぽっちもないのだから。


「そんなにも、わたしの求婚は嫌だったのですか?」

「そんなことない! だけどわたくしの婚約者は、お義父様が決めてしまったもの!」


 悲しそうに言ったルカを、ツェツィーリアは反射的に見やった。


「え? ではわたしのことが嫌でお逃げになったわけではないのですか?」

「だからそう言っているでしょう! わたくしもルカが好きよ! でもわたくしにはもう婚約者がいるんだもの!」


 突っぱねるようにルカの胸を押す。しかし、ルカは反対にさらにきつく、ツェツィーリアを抱きしめてきた。


「よかった……! ツェツィー様はこれからずっとわたしのものです」

「だから、わたくしにはもう……!」


 かみ合わない会話を続けるふたりの後ろで、グロースクロイツがわざとらしい咳をひとつした。


「ツェツィーお嬢様。おせっかいながら、お耳にいれて差し上げたいことがございます」

「何? 今取り込み中よっ」

「まぁまぁ、そうおっしゃらずにお聞きになってください。旦那様がお決めになったお嬢様の婚約者様のことなのですが」

「いやよ! 聞きたくないっ」


 耳を(ふさ)ぎにかかるツェツィーリアに、ルカが驚きの顔を向けた。


「待ってください。ツェツィー様はその話をご存じないのですか?」

「ええ、何しろ最後まで話を聞かずに、レルナー家を飛び出してきましたもので……」


 グロースクロイツの言葉に、ルカは神妙に頷いた。


「では、改めてわたしから申し上げます。ツェツィーリア様、どうぞ、わたしの妻になってください。必ずしあわせにすると誓います」


 目の前で(ひざまず)かれて手を取られる。面食らったままツェツィーリアは一歩後ずさった。


「だ、だからわたくしにはもう……」

「まったく、察しのお悪いお嬢様ですね」


 後ろで盛大にため息をつかれ、ツェツィーリアはぎっとグロースクロイツを睨み上げた。


「ですから、その旦那様がお決めになった婚約者様こそが、今、お嬢様の目の前にいらっしゃるルカ・ダーミッシュ様なのですよ」

「……え?」


 やれやれと言ったように首を振るグロースクロイツを見上げ、次いでツェツィーリアはルカの顔を見た。


「本当……なの?」

「はい、この度ツェツィーリア様への求婚を、レルナー公爵様に了承していただけました」


 満面の笑みでルカは頷いた。立ち上がり、愛おしそうにツェツィーリアを覗き込む。


「ツェツィー様の愛の告白は確かに受け取りました。そのお気持ちを確認できて、わたしも本当にうれしいです。必ずあなたをしあわせにすると誓います!」


 再びぎゅうっと抱きしめられて、ツェツィーリアの頬はおもしろいくらいに赤く染まった。


「あ、愛の告白なんて、わたくし絶対にしていないんだからっ」

「いいえ、ばっちりしておりましたね」


 グロースクロイツの突っ込みに、ツェツィーリアの意味不明な絶叫が、廊下の端まで響き渡った。

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