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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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9-2

     ◇

「これは非常にまずいですねぇ」


 リーゼロッテはあの日以来、部屋に(こも)りきりで姿を見せない。ツェツィーリアもべったりとくっついて、そのそばを離れようとしなかった。ジークヴァルトの呼び出しにも、なんだかんだと理由をつけられて、断られ続けてもう数日が経過していた。


「旦那様、本当にお心あたりはないんですね?」

「ない」


 ふいと顔をそらすジークヴァルトを胡乱気(うろんげ)に見やってから、マテアスは集まった面々をぐるりと見渡した。

 今、執務室内にいるのは、ジークヴァルトとマテアスをはじめ、家令のエッカルト、侍女長でその妻のロミルダ、そしてジークヴァルトの父ジークフリートの従兄(いとこ)であるユリウスだ。


 この集会の議題はただひとつ。『ジークヴァルトがリーゼロッテに嫌われちゃったかも! これはなんとかしなければならない由々しき事態、みんなで力を合わせて知恵を絞ろう会議』のはじまりだ。


「リーゼロッテ様のご様子がおかしくなったのは、いつ頃からなのですかな?」

「わたしが感じたところ、ダーミッシュ領からこちらにお戻りになられてからのように思います。それ以前も、多少落ち込んでおられる様子はございましたが」

「そうねぇ……エラ様もいらっしゃるし、わたしはあまりリーゼロッテ様のおそばにはいませんでしたから。これといって感じることはなかったですねぇ」


 エッカルトの問いかけに、マテアスとロミルダが順に意見を言った。


「エマニュエル様なら、何かご存じかもしれませんねぇ」

「でも、あの()は今子爵家のことで手一杯のようだから」


 エマニュエルは子爵夫人となったが、ロミルダとエッカルトの娘だ。ダーミッシュ領に滞在していた彼女なら、重要証言が得られるかもしれない。


「そんなもの、ジークヴァルトが一言、リーゼロッテに謝れば済むんじゃないのか?」

「謝るようなことはしていない」


 ユリウスの言葉に、ジークヴァルトが無表情で即座に返した。


「理由なんてそんなもんなくたっていいんだよ。女が可愛く()ねてるときは、とりあえず男が折れとけば丸く収まるってもんさ」

「こちらが怒っている理由が分からないくせに、形だけ謝られても、女としてはちっともうれしくないですけどねぇ」


 ユリウスの顔をロミルダは呆れたように見やった。


「エマニュエルの手はいつ頃空きそうですかな?」

「何でも子爵家で、旅芸人を迎え入れての(もよお)しをやるそうで、その切り盛りがたいへんだって言ってましたわねぇ。ちょうど今日あたりの日程だったかしら?」

「旅の芸人ですかの?」

「ああ、今、貴族の間で流行ってるやつだな。行商人が芸を見せたり観劇をやったりするんだろう? 女子供が好きそうなやつだ」


 肩をすくませてユリウスが言うと、マテアスが突然ガタっと立ち上がった。


「それです……!」


 どれだよ。心中で一同がそう突っ込んだとき、マテアスの頭の中では、ジークヴァルトとリーゼロッテの関係修復計画が、着々と練られていたのであった。


     ◇

「旅芸人ですか?」

「ああ」


 執務室のいつものソファに腰かけて、リーゼロッテはこてんと首を傾けた。ここに来るのは久しぶりだ。というより、ジークヴァルトの顔自体、ここ数日ずっと見てはいなかった。

 なんとなく気まずくて、ツェツィーリアにかこつけて()けまくってしまった。しかし、呼び出しを延々と断り続けることもできずに、今ここに座っている。


「わたくし知っているわ。市井(しせい)の者が劇をやったりするのでしょう?」

「まあ、劇を」


 いつもは並んで座るふたりの間に、ツェツィーリアがすっぽりと収まっている。おかげでジークヴァルトとの距離が遠い。ほっとしている自分がいて、それがなんだか悲しくなってくる。


「リーゼロッテ様はなかなかお出かけにはなれないでしょう? 気晴らしになればと、旦那様がその一行を呼ぶ手配をなさってくださいました」

「お兄様にしては気が利くのね。わたくし、一度見てみたかったのよ」

「いえ、ツェツィーリア様のためではなく……」

「よかったですわね、ツェツィーリア様」

「ええ、ありがとう、ヴァルトお兄様!」


 満面の笑顔で見上げるツェツィーリアに、ジークヴァルトは「ああ」とそっけなく頷いた。


「いや、ですからこれは旦那様がリーゼロッテ様のために」

「これ、おいしいわ」

「ふふ、ツェツィーリア様、お口についていますわよ」


 菓子を頬張るツェツィーリアの口元を、リーゼロッテがハンカチでやさしくぬぐっていく。ツェツィーリアがいるとジークヴァルトと会話をしなくて済む。リーゼロッテにしてみれば、その存在がありがたく感じられた。


 この状況に危機感を覚えたマテアスが、口に物を入れるしぐさで指令を出した。ここ数日のノルマが溜まったままだ。ここはあーんで強行突破するしかない。

 それを見たジークヴァルトが、おもむろに菓子をつまみ上げた。それをリーゼロッテへと差し出そうとする。


「あー……」

「あら、お兄様。今日はやけに気が利くのね」


 横からさっと奪い取ると、ツェツィーリアはその菓子を自分の口に放り込んだ。


「ふふ、またお口についておりますわ」

 微笑ましそうにリーゼロッテが口元をぬぐう。そうこうしているうちに、エラの迎えが来てしまった。


 リーゼロッテが執務室を後にして、マテアスが拳をぐっと握りしめる。

「思わぬ妨害が……」


 レルナー家から一向に迎えが来る気配はない。それをいいことに、ツェツィーリアはリーゼロッテに四六時中べったりだ。


「旦那様、そろそろレルナー家に連絡をなさっては」

「いい。迎えが来るまでいさせてやれ」

「はぁ……旦那様はツェツィーリア様にお甘いですねぇ」


 その時、ジークヴァルトがはっと顔を上げた。天井を睨み、意識を集中する。いつの間にか宙に現れた守護者(ジークハルト)が、その空間を同じようにじっと見上げた。


『最近、(ねずみ)がうろちょろしてるね』

「ああ、わかっている」


 気配がかき消えたことを感じつつ、ジークヴァルトは低く答えた。


「旦那様?」

「いや、何でもない」


 不思議そうに首をひねるマテアスを、ジークハルトはおもしろそうに見やっていた。


     ◇

「フーゲンベルクの青き(たて)め。いつもいいところで邪魔をしおって」


 飛ばしていた意識を体に戻すと、ミヒャエルは忌々し気に舌打ちをした。


「旅の芸人を呼びつけ興を催すなど、いかにも無能な貴族が考えそうなことだ」

 鼻で(わら)いながらも、ふと思う。ともすれば、これは絶好の機会なのではないか?


 深い呼吸を三度して、ミヒャエルは再び深い瞑想に入った。


(くれない)の女神よ……どうか、どうか我が身にお力を!)

 命を削るかのごとくに、強く、強く、乞い願う。


 時間も呼吸も忘れたころ、前触れなく下から湧き上がるような熱が広がった。その熱はミヒャエルを焦がしながら、(たぎ)るように全身へ侵食していく。玉のような汗をかき、ミヒャエルの口から苦悶のうめき声が漏れて出た。


 無慈悲に体の内部を駆け巡る灼熱は、やがてすべてが一所(ひとところ)に集約していった。その熱が、完全に我が身の一部となった時、ミヒャエルはようやくその瞳を開けた。


「ふ……はははははははっ」


 動かなかった右手を掲げ、ミヒャエルは狂気の瞳でその指先を見た。異様に伸びた人差し指の爪だけが、禍々しいほどの紅玉の光を宿している。


(くれない)の女神よ……!」


 感極まり、熱の籠った声でミヒャエルは叫んだ。

 女神は再び力を与えてくれた。この国に、(くい)を打ち込むために。その望みを叶えられるのは、選ばれたこの自分だけなのだ。


 高揚感だけが支配する。


「今度こそ、目にもの見せてくれる。まずは、青き盾――お前からだ」


 爪先が妖しい光を放ち、陽炎(かげろう)のごとく揺らめいた。


     ◇

 毛足の長いふかふかの絨毯(じゅうたん)の上、これまたふかふかのクッションにうずもれながら、リーゼロッテはテーブルの上を見やった。背の低いテーブルには、珍しい食材を使った料理や、見たこともないフルーツが、所狭しと並んでいる。


(アラブの富豪にでもなった気分だわ)


 絨毯の上に直接座り、ご馳走をいただくなど、この世界に生まれて初めての事だった。すべてがひと口大に盛られているため、まるで高級ブッフェにでも来たような気分だ。


「不思議な食べ物ばかりですわね」

「西から来た行商人だそうだ。この料理は西部で採れる食材が使われている」


 隣であぐらをかくジークヴァルトにそう言われ、リーゼロッテはなるほどと頷いた。出かけるまでもなく、地方の味覚が楽しめるのだ。こうした旅の行商人を招くのが、貴族の間で流行(はや)るのも分かる気がする。


 これから旅芸人による観劇が行われる。飲食しながら、優雅に劇を鑑賞するのだ。貴族とはこんな贅沢ができるのかと、今さらながらに感嘆してしまった。


「あの、ジークヴァルト様……このような機会を設けてくださいまして、本当にありがとうございます」


 最近()け気味とはいえ、人としてお礼は言っておくのが筋だろう。そう思って、隣を見上げたリーゼロッテを、ジークヴァルトは静かに見下ろしてきた。

「ああ」

 そう言って、手を伸ばしてくる。髪を梳かれるのだと思った瞬間、反対隣りに座っていたツェツィーリアに、強く腕を引っ張られた。


「お姉様、劇はまだ始まらないの? すぐに見られないなんて、わたくし気に入らないわ」

 紅潮した頬で問うてくる。期待に満ちたその顔は、だいぶ興奮しているようだ。


「待つ時間が長いというのも、それほど悪いことではございませんわ。その分、わくわくした気持ちが続きますもの。それに、始まった時にもっときっとたのしいって思えるはずですわ」

「そんなものかしら」


 つまらなそうに唇を尖らせながらも、おとなしく菓子をつまみ始める。最近のツェツィーリアは、リーゼロッテの前ではとても素直だ。


「よかった、間に合ったみたいね」

「アデライーデお姉様!?」


 突然、ジークヴァルトとの間に、アデライーデが割り込んできた。ドレス姿の所を見ると、今日は騎士業は非番のようだ。

 ジークヴァルトを邪魔そうに押しやると、アデライーデは当たり前のようにリーゼロッテの横に陣取った。


「エマから聞いて、わたしもどうしても見たくなっちゃって。あら、これ美味しいわ」

 フルーツを口に放り込むと、アデライーデは同じものを手に取った。

「ほら、リーゼロッテも食べてみて」

 アデライーデにあーんと差し出されて、戸惑いつつもそれを口にした。


「美味しいですわ、お姉様」

「ずるいですわ、アデリーお姉様。わたくしも!」


 不満そうに言ったツェツィーリアが、違うフルーツをリーゼロッテの口元に近づけてくる。有無を言わさず奥へと押し込まれた。


「お、美味しいですわ、ツェツィーリア様」

「次はこれよ!」

「じゃあわたしはこっち」


 両脇から交互に差し出されて、訳も分からずリーゼロッテは懸命に咀嚼を繰り返した。


「もうお腹がいっぱいで……」

 胃の容積が限界を超えようとしたとき、ようやく観劇がスタートしたのであった。


     ◇

 劇に夢中になっているリーゼロッテたちを後ろから見やりながら、マテアスはひとり歯噛みしていた。

(旦那様との仲直り計画が……!)


 ツェツィーリアのみならず、アデライーデまで乱入してくるとは。いかにマテアスをしても、これは大きな誤算だった。綿密な計画を立て、この場を急ぎセッティングしたのだ。それをことごとく妨害されて、マテアスのイライラは頂点(きわ)まっていた。


 マテアスの計画ではこうだった。



 ふかふかの絨毯の上、ジークヴァルトの膝に乗せられたリーゼロッテが、観劇を夢中になって見つめている。

 危険なシーンではハラハラした顔で。甘いシーンには頬を染め。そんなリーゼロッテを、ジークヴァルトは愛おしそうに見つめている。


 マテアスがリクエストした通りに、悲恋のストーリーが演じられていく。その哀しい結末に、リーゼロッテの大きな瞳から、はらはらと涙がこぼれ落ちた。

 それをそっとぬぐうジークヴァルト。

 叶わなかった劇中の恋に、リーゼロッテの心は打ちひしがれたままだ。


「ジークヴァルト様……」

「オレはずっとお前のそばにいる」


 頬を伝う涙にそっと口づけると、リーゼロッテはぎゅっとジークヴァルトに抱き着いた。


「ヴァルト様、もうわたくしを離さないで」

「ああ、愛してる……リーゼロッテ」


 ぶちゅっ



(と、熱い口づけを交わしたおふたりは、永遠の愛を再認識するはずだったのに……!)


 がりがりと天然パーマの髪をかきむしりながら、マテアスはアデライーデの背中を睨みつけた。

「せめてアデライーデ様がいなければ……」

 夢中になっているリーゼロッテの肩を、やさしく抱き寄せることくらいはできたはずだ。


 殺気交じりの視線を感じたのか、ふいにアデライーデが振り返った。半眼で睨み返されて、マテアスは負けじと、しっしと追い払うような仕草をした。


 じ ゃ ま を し な い で く だ さ い よ


 口パクでそう伝えると、アデライーデは意地悪くふふんと笑みを作った。これ見よがしにリーゼロッテを抱き寄せる。


「なっ!」


 思わず出そうになった大声を、マテアスは寸でのところで飲み込んだ。


(き、鬼畜の所業……!)

 こうしてマテアスの仲直り計画は、あっさりともろくも崩れ去ったのだった。


     ◇

 終幕に盛大な拍手を送る。哀しい恋の結末に、リーゼロッテとツェツィーリアは目を赤く腫らしていた。すんと鼻をすすり、なんとなくな流れでお互いを抱きしめ合う。いまだ余韻が醒めなくて、いつになくふたりは無口なままでいた。


 いつの間にか片付けられたテーブルに、今度は様々な宝飾品が並べられていった。劇中で使われた指輪やネックレス、そのほか(ゆかり)ある品が目に入る。

 ざっと見たところ、それほど高価な物ではなさそうだ。どちらかというと、劇と連動したグッズ販売のようだった。


「さあ、お嬢様方。お気になったものはどうぞ手にとってご覧ください」


 重ねた手をもみ込みながら、行商の男はにっこりと笑った。こういった時、何も買わないのはマナー違反だ。価値のない物だと分かっていても、招いた以上はそれなりの施しをするのが貴族の役目だった。


「わたくし、これがいいわ」


 先ほどの感動はどこへやら、ツェツィーリアはもう選ぶのに夢中になっている。そのツェツィーリアが手にしたのは、水色の綺麗な石がついたペンダントだった。


「素敵な石がついておりますわね」

 その石の色はまるで義弟(ルカ)の瞳のようで、リーゼロッテは微笑まし気にツェツィーリアの顔を見やった。その様子にツェツィーリアは、慌てたように唇を尖らせる。


「べ、別にルカの瞳に似てるからって、これを選んだわけではないわ」

「あら、誰もそんなこと言ってないじゃない」


 アデライーデが意地悪そうに言うと、一瞬ツェツィーリアは口をつぐんだ。


「やっぱりほかのにするわ!」

 顔を赤くしたツェツィーリアを制して、リーゼロッテはそのペンダントを首にかけてやった。ツェツィーリアの胸に輝く水色を見て、満足そうに頷いて見せる。


「とってもお似合いですわ」

「お姉様がどうしてもって言うなら、わたくしこれにしてあげてもいいわ」

「ええ、そうしていただけますと、わたくしもうれしいですわ」


 リーゼロッテがそう言うと、ツェツィーリアもほっとしたような笑顔を向けた。


「そちらのお嬢様には、これなどがおすすめです」


 行商の男が青い石のブローチを勧めてくる。リーゼロッテがジークヴァルトの婚約者だと知っているのだろう。男は次から次に、青い石がついた宝飾を並べ立てていった。

「どれもお似合いですよ」


 こびへつらうような笑いに、困ったような顔を返す。ジークヴァルトの顔を立てるなら、自分はこのまま青い宝飾を選ぶべきなのだろう。


「青の飾りはいっぱい持っているから、たまにはほかの色もつけてみたいわ」


 気づくとそんな言葉が口から漏れていた。はっと我に返るも、一度出した発言をなかったことになどできはしない。怖くてジークヴァルトの顔が見られない。リーゼロッテはぎゅっと唇を噛み締めた。


「それならこれはどう?」

 気にも溜めていない様子で、アデライーデが緑のイヤリングを手に取った。リーゼロッテの瞳よりもくすんでいるが、小ぶりな石がゆらゆらと揺れる様は、乙女心をくすぐるデザインだ。


「素敵ですわね。わたくしそれがいいですわ」


 自分の色ならば、選んだとしても角は立たないだろう。言い訳がましく思ったものの、ジークヴァルトに笑顔を向けることが、リーゼロッテにはできなかった。


     ◇

 催しがすべて終わって、リーゼロッテはツェツィーリアと共に部屋に戻ろうとしていた。おなかいっぱいになった珍しいフルーツの数々。観劇の感動と、ジークヴァルトへの後ろめたさ。

 いろんなものがごちゃまぜになって、なんだかやたらと疲れてしまった。


 アデライーデの先導のもと、ツェツィーリアのおしゃべりに笑顔で相槌(あいづち)をうつ。そうしながらもリーゼロッテは、早く寝台に潜り込んで寝てしまいたいと思っていた。


 その一歩を踏み込んだ瞬間、空気が変わった。


 はっと息を飲み、隣を歩くツェツィーリアを近くに引き寄せた。

「わたくしのそばを離れないでくださいませ」

「リーゼロッテお姉様!」


 ツェツィーリアも異変に気付いたのか、不安そうにぎゅっと抱き着いてくる。

 いつの間にか、先を歩いていたアデライーデの姿が見えなくなっている。廊下はどこまでも薄暗く、その先を見渡すことはできなかった。


「そこのお嬢様方……」


 暗がりから、先ほどの行商の男がふらりと現れる。うつろな瞳をした異様な雰囲気を前に、リーゼロッテはかばうようにツェツィーリアを背に隠した。


「先ほどはお見せできませんでしたが、お嬢様にふさわしい宝飾がございます……」


 感情のこもらない声音で言うと、男は手にした箱を掲げ、その(ふた)をゆっくりと開いていった。


 途端に、周囲に瘴気(しょうき)が満ちる。パンドラの箱を開けたかの如くに、その(けが)れは渦巻きながら、(またた)く間に廊下の先へと広がっていく。


(この瘴気は……!)


 かつてこの身に感じた紅の(けが)れを前に、リーゼロッテはただ恐怖で立ち尽くした。

【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。突然、広がった紅の穢れに、逃げ惑うわたしとツェツィーリア様。狙われているのはわたしだと悟り、ひとりジークヴァルト様の元を目指します。異形に憑かれた人間たちに、苦戦を強いられるジークヴァルト様を前に、わたしにできることは何もなくて……?

 次回、3章第10話「妄執の棘 - 後編 -」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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