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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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7-2

     ◇

「じゃあリーゼロッテ嬢、明日は気をつけてね」

「ありがとうございます。カイ様はしばらくはこちらにいらっしゃるのですか?」

「伯爵にお願いして、明日はここの学校を見学する予定なんだ。それが終わったら帰ろうかな?」


 カイを見送るために廊下を歩く。先を行くカイとリーゼロッテに、数歩遅れて歩くのがエマニュエルだ。

 見た目は三人だけだが、その後ろをカークが続き、そのさらに後方には、お目めきゅるるんな小鬼たちを、ぞろぞろと何匹も引き連れていた。視る者が視れば、驚きに振り返る在り様だ。幸いにもこのダーミッシュ家には、異形の存在を認識できる者はいなかった。


 途中、きゃあきゃあと騒ぐ少女たちの一団とすれ違った。廊下の(はし)に並んで形ばかりは礼を取っているが、みなリーゼロッテたちに好奇の目を向けている。


「ん? 行儀見習いの女の子たちかな?」

「はい、授業の一環として、定期的に見学に来ているようですわ」


 微笑ましそうに頷いて、リーゼロッテはその横を通り過ぎた。富裕層とは言え、平民がそうそう貴族の屋敷に足を踏み入れることはない。ダーミッシュ伯爵も大胆なことをすると、カイは素直に驚いていた。


 少女たちの列を通りすぎるや否や、突然カイが「はははっ」と腹を抱えて笑いだした。いきなりのことに驚いたリーゼロッテは、思わず足を止めて振り返った。


「どうかなさいましたか?」

「いや、なんだかしてやられた感がすごくって」

「してやられた感?」


 リーゼロッテがきょとんとすると、カイはいまだ笑いながら、「ううん、なんでもないんだ」と首を振って歩き出した。


 何がおかしいのか結局カイは、リーゼロッテが見送る間中(あいだじゅう)、ずっと最後まで笑い続けていたのだった。


     ◇

「みなさん、よくお聞きなさい。今日は伯爵様のお屋敷に、行儀見習いとして参ります。決して、決して粗相のないよう気をつけるのですよ」


 教鞭に立つ淑女マナー担当の女性教師が、チェーン付きの丸眼鏡をくいと上げた。


「出発する前に、おさらいをしておきましょう。貴族の方々にお会いしたら、まず顔を伏せること。目を合わせたり、不躾に見たりするのは不敬に当たります。十分注意するように」


 はーいと少女たちが返事をするが、その様子はみな浮足立っている。


「廊下ですれ違う時は、必ず端によって道を譲ること。顔は伏せたまま、こう頭を下げて礼を取ります。よいですか、この角度が最も美しいとされています」


 マナー教師が背筋を伸ばしてきっちりとお辞儀をする。


「ねえ、先生。淑女の礼のやり方も教えて欲しいわ」

「淑女の礼ですか?」


 言ったのは、クラスの中でも金持ちの商家の娘だ。学校に多額な寄付金をしている家なので、教師に対しても常に傍若無人にふるまっている。


「だって、いつ貴族の方に結婚を申し込まれるかわからないでしょう? わたし、そのときに恥はかきたくないわ」


 取り巻きの少女たちが、そーよそーよと口をそろえて言った。このクラスにいるのは裕福な家の子女たちだ。行儀見習いに行った先で、貴族に見初められることを夢みるような少女たちばかりだった。


 そんなやり取りを、ルチアは後ろの席で興味なさげに聞いていた。貴族の屋敷では極力目立たないようにしなくては。ぼんやりと窓の外を眺めながら、そんなことを考えていた。


「ふむ。わかりました、いいでしょう。わたしも若い時分には貴族のお屋敷に努めていた身。見本を見せますから、よくご覧なさい」


 教壇で女性教師はスカートをつまみ上げ、礼を取るポーズをした。生徒たちから、おおという尊敬の声が上がるが、その体勢はバランス悪く、頭も左右にぐらぐらと揺れている。ルチアの目には、不格好な礼にしか映らなかった。


「どうですか? せっかくですので、ひとりずつ前に出て練習してみましょう」


 嬉々として、少女たちが順番に前に出ていき、見様見真似で礼を取る。ひとりひとりの姿勢をチェックしながら、教師があれやこれやとその所作を正していく。だが、結局は不格好なままの礼にしかならず、ルチアはこのへんてこな授業をぽかんと見守っていた。


 ルチアは小さいころから、アニサと一緒に「お姫様ごっこ」という遊びをしていた。ルチアがお姫様になりきって、礼儀正しく振舞うのだ。


 淑女の礼の取り方はもちろん、お姫様のしゃべり方や歩き方、食事の仕方から笑い方にいたるまで、アニサはいろんな振る舞いを教えてくれた。ごっこ遊びというには厳しすぎるほど教え込まれたが、忙しく働くアニサと一緒に過ごせる唯一の時間だったので、幼いルチアも一生懸命それに応えた。


 今思えば、アニサはどうしてあんなことを自分に教えたのだろう。もしかしたら母もかつて、貴族の屋敷で働いていたのではないだろうか。マナーがなっていれば就職先の幅も広がる。イグナーツもお金持ちそうだったし、ふたりはきっとその頃の知り合いだったのだ。

 そんなことを考えていると、女性教師がルチアに視線を向けた。


「ルチア・ブルーメ。あなたが最後ですよ。さあ、前にいらっしゃい」


 ブルーメとは学校に入る際に、イグナーツが勝手につけた苗字だ。ここでルチアは「ブルーメ家の遠縁のお嬢さん」という肩書になっている。だが、ブルーメ家が一体どんな家なのか、ルチアにはよく分からないままだ。


 面倒だったがルチアは仕方なくひとり前に出た。女性教師に促され、アニサに教えられたとおりの淑女の礼をとる。


 背筋を伸ばし、指先の動きにまで神経を集中して、ゆっくりとスカートをつまみ上げた。カーテシーは足の位置が重要だ。不安定な姿勢に体の軸がぶれないよう、細心の注意を払う。瞳を伏せ、口元に小さな笑みを乗せたのも、すべてアニサの教えだった。


 興味なさげにおしゃべりに興じていた少女たちが、その無駄のない一連の動きを前に、驚きで押し黙った。しんと静まり返った教室の中、ルチアはゆっくりとした優雅な所作で、淑女の礼を崩していった。


「ま、まあまあ、いい感じでできていました。さすがはブルーメ家に縁続きというだけはありますね」


 動揺を隠しつつ、女教師が強がるように頷いた。


「あの、もう席に戻ってもいいですか?」

「ええ、練習はここまでにして、そろそろ伯爵様のお屋敷に向かいましょうか」


 教師の声掛けに、教室内は再び騒然となった。


     ◇

 少女たちの列の最後尾につき、ルチアはとにかく目立たないようにと、息をひそめながら歩いていた。貴族のお屋敷の廊下は、ふかふかの絨毯(じゅうたん)が敷き詰められている。いつか読んだ物語に書いてあった通りだと、その踏み心地を少しだけ楽しみながら進んだ。


「そこ! 私語は慎みなさい」


 興奮気味におしゃべりをする少女たちに、先頭の教師の注意がとんだ。はーいと返事をしながらも、やはりみなが浮足立ってそわそわとしている。


 廊下の向こうから、誰かが歩いて来るのが目に入る。すかさず教師が指示を出した。


「あちらは伯爵家のご令嬢、リーゼロッテ様でいらっしゃいます。さ、みなさん、壁に寄って決して粗相のないように!」


 金髪の令嬢と、貴族と思わしき青年が並んでこちらに向かってくる。教師自身も緊張しているのが伝わってきて、少女たちは壁に並んで慌てて頭を下げた。


(何、あれ……!?)


 ルチアもそれにならって頭を下げるが、驚きに目を見張っていた。令嬢たちの後ろに、もうひとり夫人が歩いていたが、そのさらに後方に、(いか)つい大男がついてきているのだ。


(あれはこの世の者ではないわ)


 街中でもいたるところで見かける黒い吹き溜まりのような(かたまり)は、時に人の形をとっていることがある。だが、あそこまではっきりと視えることはそうそうなかった。


 あれらと目を合わすと、助けを求めるかのように付きまとわれる。よくよく見ると、大男の後方にも、変な小人のような者たちが、床をぴょんぴょんと跳ねていた。ルチアは気づかなかったふりをして、とにかく視えないようにとぎゅっと瞳を閉じた。


 令嬢一行が、目の前までやってくる。顔を伏せろと言われたのに、少女たちはみなちらちらとその様子を伺っていた。


「ん? 行儀見習いの女の子たちかな?」


 ふいに聞こえた声に、ルチアは思わず顔を上げた。上げた先でその声の主と目が合いそうになり、ルチアは慌てて再び頭を伏せた。


(どうしてここにカイがいるの!?)


 令嬢と並んで歩いているのは、確かにカイだ。王都のはずれの街で出会ったカイは、ごろつきからルチアを守り、親切にこんがり亭まで案内してくれた。


 あの時に食べたシチューの味が忘れられない。真っ白なシチューは温かくておいしくて、不安でたまらなかったルチアの心も、一緒にあたためてくれた。今でこそ毎日贅沢な物を食べてはいるが、あの日ほどの感動を味わうことは一度もなかった。


(いいとこの坊ちゃんだって自分で言ってたけど、カイがお貴族様だったなんて……)


 令嬢と並んで歩く姿は、眩しいほどに堂々としている。ルチアは少しさみしいようなよく分からない気持ちになって、ぎゅっと唇をかんだ。

 とにかく見つからないようにしなければならない。カイが貴族だというのなら、なおさらだ。アニサは神殿や教会と共に、貴族の存在にも敏感だった。


 結局カイは、そのままルチアを素通りした。令嬢と楽しそうに談笑しながら、廊下の向こうへと去っていく。その後ろを例の大男と、不細工な小人たちがぞろぞろとついていった。小人はやけに楽しそうにぴょんぴょん跳ねていて、途中、そのうちの一匹が足を止め、不思議そうにルチアの顔を覗き込んできた。


 頑なに視えないふりをしていると、置いて行かれたことに気づいたのか、その小人は慌てて去った令嬢一行を追いかけていった。ほっと息をつくと、少女たちから興奮の声が上がる。初めて間近で見た貴族に、誰しも声が上ずっていた。


(早く帰りたい……)


 その中でルチアだけが、小さくため息を落とした。教師の合図で再び移動が始まり、ルチアもはぐれないようにと最後尾に回る。これから数人ずつに分かれて、さまざまな場所を見学する予定になっていた。


 先頭集団が廊下の角を曲がったところで、ルチアのスカートがくんと何かに引っかかった。驚いて下を見ると、おめめきゅるんなぶさ可愛い小人が、スカートのすそをぎゅっと掴んでいる。そのきゅるるんとばっちり目を合わせてしまったルチアは、出そうになった悲鳴を押し殺して、スカートを小人から取り返そうとした。


 だが、ルチアに自分の姿が視えていることが分かった小人は、さらに瞳をきゅるんきゅるんと輝かせて、上機嫌でルチアをどこかへ連れて行こうとする。


「やだ、ちょっと、やめて」


 必死に抵抗するも、小人はぐいぐいとルチアのスカートを引っ張って行く。助けを求めようにも、少女たちの列は廊下の角に消えてしまった。


(いやぁぁ、母さん助けてぇ!)


 ルチアは訳もわからないまま、伯爵家の廊下を小走りに連れられて行った。


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