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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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6-4

     ◇

「死んだ人間の記憶の欠片(かけら)? なんだぁ、このふざけた調書は」


 渡された書類の束を、バルバナスはニコラウスに投げて返した。ばらばらになりそうな調書の束を、寸でのところでキャッチする。ほっと息をつくニコラウスを無視して、バルバナスは忌々(いまいま)()に舌打ちをした。


「ですがこの調書は、あのカイ・デルプフェルトが作成したものですよ。彼ほどの人物が、偽りを書くとは思えません。それに実際に、例の星を堕とす者は浄化されたようですし……」


 目の前に立つ一本の木を見上げる。満開の花が咲き誇るアーモンドの木だ。


 ニコラウス自身は、ここにいたという異形の者――泣き虫ジョンを直接目にはしていない。フーゲンベルク家に来たときは、この木は雪にうもれて近づくことすらできなかった。


 そのジョンが浄化された。そう公爵家から連絡があったのが、春の雪解けを待って調査が再開される直前のことだ。


「やだ、本当にジョンがいなくなってる」


 ふいにアデライーデの声が割り込んできた。いつもジョンが膝を抱えて泣いていた木の根元をまじまじと見つめ、次いで上を見上げる。薄紅色の花が咲き乱れる見事な枝ぶりだ。


「この木、アーモンドだったのね。夏には実がなるかしら」

「おい、アデリー、ここには来るなと言ったはずだ」

「何よ、別にいいでしょ。もうジョンはいないんだし、危ないことは何もないでしょう?」


 アデライーデはぷいと顔をそむけると、いきなりニコラウスの尻をぎゅっとつまみ上げた。


「あだだだだだだだっ! おまっ、いきなり何すんだよっ」

「それはこっちの台詞よ。ニコの妹が、公爵家で暴言を吐きまくったそうじゃない? わたしの可愛いリーゼロッテを泣かせておいて、ただで済むと思ってるわけ?」


 アデライーデの後ろに、エーミールとエマニュエルが立っているのが視界に入り、ニコラウスは青い顔をした。ここにあの茶会に居合わせた人間がふたりもいる。当然、使用人からも、アデライーデに詳細が伝えられたことだろう。


「ちっ、くだらない話をしてんじゃねぇ。異形が浄化されたのなら、ここにはもう用はない。帰るぞ、アデライーデ」


 バルバナスに無理やり引っ張っていかれる。アデライーデは不服そうにしながらも、おとなしくそれに従った。


「ふぅ、助かった」


 ニコラウスが胸をなでおろしていると、まだ近くにいたエマニュエルが、妖艶(ようえん)にほほ笑みかけてきた。


「ニコラウス・ブラル様、ご機嫌よう。先日のお茶会ぶりですわね。職務とは言え、再び堂々とフーゲンベルク家の門をくぐられましたこと、本当に感服いたしますわ。万が一、三度(みたび)ご訪問いただけましたときには、わたくしが。このわたくしが、ニコラウス様を心よりおもてなしさせていただきますわ」


 その場にブリザードが吹き荒れたかのような、身も心も凍りそうな声音だった。笑顔なのに、全くと言っていいほどその目は笑っていない。


「ほんと……その時がたのしみですわ」

 流し目を残しつつ、エマニュエルはアデライーデの背を追っていった。


「……どうしてオレの周りには、気の強い女しかいないんだ」


 胃の辺りを押さえながら、ニコラウスは「うう、癒しが欲しい」と涙目でつぶやいた。


「情けない奴だな」

「エーミール様……オレにはもうエーミール様しかいないっ」


 がばりと抱き着こうとしたニコラウスを、エーミールはあっさり()けてかわした。


「気持ち悪い言動をするな。叩き切るぞ」

「少しはやさしくしてくださいよ! 唯一の癒し的存在だったエラ嬢にも、イザベラのせいで嫌われたっぽいし、オレは今後、何に癒しを求めればいいんだっ」

「そんなものをエラに求めるな」

「だって、エラ嬢は無知なる者じゃないですか。そばにいてくれだけで、もうそれだけで癒されるというか……ああ、でも贅沢は言わないっす。やさしい女性なら、もう誰でもいい……」

「くだらんな」


 遠い目をして言うニコラウスに、虫けらを見るような冷たい視線を向ける。そのままエーミールは屋敷の中へと向かった。


「エーミール様、置いてかないでくださいよぉ」


 情けない声を出すニコラウスを無視して、屋敷の廊下を進む。エントランスに出ると、ちょうどこれから出かけると言った感じのエラと出くわした。


「エーミール様? ニコラウス様も、こちらにいらしていたのですね」


 ふたりに礼を取ると、エラは控えめに微笑んだ。その笑みはエーミールだけでなく、ニコラウスにも向けられている。


「エラ、あなたはダーミッシュ領へともどっていたのではないのか?」

「リーゼロッテ様のお使いで、こちらに寄らせていただきました」


 今日のエラは、訪問用のきちんとしたドレスを着ている。化粧も派手にならない程度に、きっちりと施されていた。


「あの、エラ嬢……先日の茶会では、妹が失礼をして本当に申し訳ない」

 ニコラウスに頭を下げられ、エラは慌ててその手を取った。


「そんな、頭をお上げになってください。ニコラウス様はきちんとイザベラ様を(いさ)めようとなさってくださいました。わたしに謝る必要などありません」

「……エラ嬢が、癒しの天使に見える」


 大口を開けたまま、ニコラウスは呆けたように言った。取られた手を反対にぎゅっと握り返す。


「何を馬鹿なことを言っている」


 いつまでも離そうとしないニコラウスからエラの手を奪い取ると、エーミールはエラを自分の方へと引き寄せた。


「今からどこかへ訪問するのか?」


 控えめだが上質なドレスを身に(まと)っているエラに問うと、エラは少し躊躇(ちゅうちょ)してから口を開いた。


「これからグレーデン家にお邪魔させていただく予定です」

侯爵家(うち)に?」

「はい、リーゼロッテ様の使いとして、ウルリーケ様へお見舞いの品を届けに参ります」


 その返事にしばし考え込むと、エーミールはエラの手を引いて歩き出した。


「ならばわたしも行こう」

「え? ですが、エーミール様は……」


 エーミールはウルリーケと折り合いが悪そうだった。グレーデン家へと帰ることを(いと)う様子を、エラは常にエーミールから感じ取っていた。


「わたしも一度は見舞いに行くつもりだった。いい機会だ、一緒に行ってやる」


 むしろエラにエーミールが便乗した感じだが、エーミールにしてみれば、そんなきっかけがなくては、足が向かなかったのかもしれない。そう思ってエラは黙って頷いた。


 ふたりは手と手を取り合って、エントランスから出て行ってしまった。その場にぽつりと取り残されたのは、ニコラウスひとりだ。

 遠くから、使用人たちの楽し気な笑い声が聞こえてくる。二匹のおめめきゅるんな異形の者が、仲良さげにきゃっきゃとはしゃぎながら目の前を横切った。


「どうしてオレだけ……」

 漏れた声が誰もいない廊下に(わび)しく響く。


「オレだけの癒しが欲しい……」


 若干涙目になりながら、ニコラウスはまだ見ぬ癒しを求めて、とぼとぼと歩き出した。


     ◇

 馬車で二時間ほどかけて、グレーデン家へと到着した。単身、馬を駆って向かったエーミールが、馬車留めの所で待っていた。エラが降りると当たり前のように手を引いて、屋敷の中へとエスコートしていく。


「早いこと済ませて、さっさと公爵家へ帰ろう」


 ここは自分の家のはずなのに、エーミールはエラの手を引きながらそんなことを口にした。普段以上に、気が張っている様子が伝わってくる。エーミールは本当にグレーデン家を忌避(きひ)しているのだ。改めてエラはそう思った。


 以前、リーゼロッテのお供で訪問した時同様、まるで人の気配がしない家だ。使用人が目に付くのを嫌う貴族は少なからずいる。毛足の長い絨毯(じゅうたん)が敷かれた廊下は、足音さえ響かない。


「あの、エーミール様。お気遣いはうれしいのですが、今日はリーゼロッテ様の使いとしてこちらへご訪問させていただきました。このような扱いは必要ないかと思うのですが……」


 令嬢に対するような洗練されたエスコートを前に、エラは困ったようにエーミールを見上げた。これではエーミールが、エラを家に招待したかのような振る舞いだ。


「あ、ああ。そうだったな」


 慌てたようにエーミールはエラから手を離した。珍しく動揺している様子に、エラはエーミールがいつになく緊張していることに気づく。グレーデン家の女帝と呼ばれるウルリーケは、孫ですら畏縮(いしゅく)させる存在だった。


「あら? エーミールではないの。家にいるなんて珍しいこと」

「大方、母上の見舞いにでも来たんだろう」


 廊下の向こうから現れたのは、グレーデン侯爵夫妻だった。エラははっとして、すぐさま廊下の(はし)に避け、使用人のように礼を取ろうとした。


「そこまでする必要はない。あなたはリーゼロッテ様の使者だ」

「ですが……」


 エーミールに制されて、エラは仕方なく貴族としての礼を取った。グレーデン夫妻はこれから夜会へ出かけるような(きら)びやかな(よそお)いをしている。母親が容態思わしくなく、()せっている最中とは思えない着飾りようだ。


「エメリヒ、早く行きましょう。お義母様に何かあったら、しばらくは夜会にも出られなくなるわ。本当につまらない」


 グレーデン夫人の言葉に、エラは我が耳を疑った。咄嗟(とっさ)に侯爵の顔を(うかが)い見るが、母親を(そし)られた割には平然とした顔のままだ。そのエラに、グレーデン侯爵がちらりと一瞥(いちべつ)をくれた。目が合いそうになり、エラは慌てて瞳を伏せた。


「エーミール、女遊びをするのは構わないが、相手はきちんと選んでくれよ。下賤(げせん)な女を(はら)ませて、母上の機嫌を(そこ)ねられても困るからな」

「父上……!」


 その言いようにエラは絶句した。それでも礼を崩すことは、立場上できはしない。


「あらあなた、エデラー商会の娘ね? あそこの化粧水はわたくしたちの間でも、なかなかの評判よ。(いや)しい者が作った物にしては、まあまあよくできているって。これからも商魂(しょうこん)たくましくやることね」


 鼻で(わら)うように言われ、エラは身をこわばらせた。だが、平静を装って「ありがたきお言葉いたみいります」とさらに深く礼を取った。頭を下げた視線の先で、ぐっと握られたエーミールの(こぶし)が視界に入る。エラの礼を見届ける前に、侯爵夫妻はさっさと歩き出していた。


 ふたりの背が見えなくなったのを確認した後、エラは礼の姿勢を解いた。

「エーミール様、参りましょう」

 侯爵夫妻が消えた廊下の先を、無言のまま睨みつけるエーミールに、そっと声をかける。もう一度拳を強く握りしめると、エーミールは歩き出した。エラは、黙ってその背について行った。


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