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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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第6話 束縛の檻

【前回のあらすじ】

 フーゲンベルク家の奥書庫で、オクタヴィアの日記を見つけたリーゼロッテ。そこに残された記憶から、オクタヴィアの辿った人生を垣間見ます。

 真相を確かめるべく、カイと共に向かったカーク子爵家では、ジョンに向けたオクタヴィアの手紙が見つかって。

 ジークヴァルトを何とか説得し、その手紙を手にジョンの元へと向かったリーゼロッテは、オクタヴィアの思いを唄に乗せて、ジョンを浄化へと導くのでした。

 春のあたたかな日差しが、テーブルの上に揺れる木漏れ日を映す。満開の花が咲き乱れる木のそばで、リーゼロッテはティータイムを楽しんでいた。同席するのはツェツィーリアとルカ、それにエラだ。


「それでオクタヴィアはレオン・カークと結婚したというの?」

「はい、その後カーク家でしあわせに暮らしたようですわ」


 ツェツィーリアが泣き虫のジョンの(こと)顛末(てんまつ)を聞きたがるので、リーゼロッテは順を追って説明していた。


「公爵夫人から子爵夫人に。なかなか大胆な選択ですね」


 感心したようにルカが頷いている。流れで異形の者の存在を明かしたが、ルカは思った以上にすんなりと受け入れてくれた。


「でも公爵家には息子がいたのでしょう? 自分だけしあわせになるなんて許せないわ」

「ツェツィー様はおやさしいですね。その方は公爵家の跡取りとして、立派に責務を果たされたのかもしれません」


 ルカはそう言って、ツェツィーリアの手を取った。


「だっ、誰が手に触れていいって言ったのよ!?」

「傷ついたツェツィー様をおなぐさめしたくて……。触れることを許してはいただけませんか?」

「そう言うことは触れる前に言いなさいよ。それに、どうしてわたくしがなぐさめられなくてはいけないの? 誰も傷ついてなんていないもの」


 真っ赤になってぷいと顔をそらしながらも、ルカの手を振りほどこうとはしない。それをいいことにルカはその手を愛おしそうに握っている。


「それにしても、あそこにそんな異形の者が立っていたなんて……」


 エラは満開の花が咲く木を見上げた。ジョンが浄化されたあと、枯れていた木に突然花が咲いた。桜に似た薄紅色の綺麗な花だ。


「ずっと黙っていてごめんなさい」

「とんでもございません! このエラの目に異形が視えないばかりに、お嬢様のお力になれなくて……」

「そんなことはないわ。今はこうして疑うことなく話を聞いてくれるし、それにエラは無知なる者だから」


「無知なる者? 義姉上、何ですかそれは? また聞き慣れない言葉ですね」


 ルカは異形の者の話に興味津々だ。昔から知識欲旺盛な弟だったが、その吸収力はエッカルトも両手離しに褒めているほどだ。


「無知なる者はね、異形が視えないし、異形もまた悪さができない人間の事を言うの。ルカも無知なる者なのよ?」

「わたしがですか?」


 驚いたように言った後、ルカは悲しそうにツェツィーリアを見た。


「ツェツィー様も異形の者が視えるのですよね。あなたを怖がらせる存在を認識できないなんて……わたしは一体どうしたらいいのでしょう」

「わ、わたくし異形なんて怖くないわ! いい加減なこと言わないで!」


 ふたりのやりとりを微笑ましく見つめながら、リーゼロッテはルカに助け舟を出す。


「ルカがそばにいるだけで、異形の者は寄ってこないのよ」

「おそばにいることで、わたしはツェツィー様をお守りできるのですか?」


 頷くと、ルカは瞳を輝かせた。


「ツェツィー様、この命に変えましても、わたしがあなたをお守りします!」

「な、何よ、ルカなんて明日にはダーミッシュ領に帰ってしまうんでしょう? それに簡単に命をかけるだなんて言わないで!」


 ばん、とテーブルを叩くとツェツィーリアは椅子から飛び降りて、屋敷の方へと駆け出した。


「ツェツィー様!」


 ルカがその後を追おうと席を離れる。数歩進んでから振り返り、「義姉上、中座する無礼をお許しください」と礼を取ってから、ルカは駆け足でツェツィーリアの背を追っていった。リーゼロッテが目配せすると、そばに控えていた使用人が、大慌てでふたりの行った方へと走っていく。


「ルカはツェツィーリア様の事、本気なのね」

「ですが婚約を申し込むとなりますと、簡単なお話ではないでしょうね」


 エラがため息交じりに言う。公爵家の令嬢ならば引く手数多(あまた)だろうし、下位の爵位の家に嫁ぐとなったら、家同士の利害が一致しなければ実現は難しい。貴族の婚姻とは本来、恋愛の果てになされるようなものではなかった。

 ダーミッシュ家は伯爵の地位にあるものの、片田舎の中堅貴族だ。最近でこそ商業が発展して豊かな領地を持つが、歴史ある公爵家と比べるとやはり見劣りすると言わざるを得ない。


「ルカは思いのほか頑固だから……。何が何でもお義父様を説得しそうだわ」

「そうでございますね」

「ツェツィーリア様が義妹になったらわたくしもうれしいわ」


 そのときリーゼロッテの紅茶に、ぽとりと花のつぼみが落ちてきた。エラとともに満開の木を見上げる。桜のような可憐な花は、しかし花びらが舞い散ることなく、その枝に堂々と咲き誇っている。

 次いで開いた花が落ちてきた。枝から落ちるにはまだまだ早そうな、五枚の花弁が開いた美しい咲き具合だ。


「ふふ、犯人はきっとあの小鳥ね」


 ふっくらした(すずめ)のような小さい鳥が、枝から枝へちょんちょんと跳ねている。時折花をついばみながら、その花弁を地面へと落としていく。


「花散らしの小鳥ね。ああやって花の蜜を吸っているのだそうよ」


 ジョンがいつも泣いていた木の根元を、いくつもの花が飾っている。ジョンは天で笑顔を取り戻しただろうか。そんなことを思って青空を見上げたリーゼロッテの髪を、春の風がふわりと攫っていった。


     ◇

「明日、リーゼロッテお姉様も、ルカと一緒に帰ってしまうのでしょう?」


 同じ寝台で横になりながら、ツェツィーリアがぽつりと聞いてくる。ルカがやって来てからも、ツェツィーリアはこうしてふたりで眠りたがった。


 枕に頭を沈めたまま、向かい合って見つめ合う。不安そうなツェツィーリアの頬にかかる髪を、リーゼロッテはやさしく梳いた。


「わたくしはすぐに戻ってまいりますわ」


「ねぇ、お姉様……ルカってどんな子? あんなふうに言われても、わたくしどうしたらいいのかわからない……」


 うとうととまどろみかけるツェツィーリアは、いつもよりもちょっぴり素直だ。戸惑いが伝わってきて、義弟の行いが少しだけ申し訳なく感じてくる。

 ルカは昔からこれと決めたことは必ずやり通す子だった。一度気に入ったものは、ずっと大事に扱っている。その徹底ぶりは、熱しやすくて冷めやすいリーゼロッテも見習わなくてはと思うほどだ。


「ルカは一度信じたことは絶対に曲げない子です。ちょっと頑固なところもあるけれど、まっすぐでとても頼りになりますわ」


 姉の欲目かとも思うが、ルカは本当に努力家でいい子だ。人への尊敬と気遣いを、決して忘れることはない。


「お姉様とルカは、本当の家族ではないのでしょう?」

「確かに血のつながりはないですわ。ですがわたくし、ダーミッシュ家は本当の家族だと思っております」

「……家族って何? お父様もお母様もわたくしを置いていってしまったわ……叔父様と叔母様が新しいお父様とお母様になったけれど、あんな人たち、家族じゃない……」


 そう言いながら、ツェツィーリアはすぅっと寝入ってしまった。あどけない顔を、ひとしずくの涙が横切っていく。リーゼロッテはその小さな体をぎゅっと抱きしめた。

 同情したところで、自分に何ができるわけでもない。中途半端に手を差し伸べても、傷つくのはきっとツェツィーリアだ。


(下手なことをするとまた、ジークヴァルト様にご迷惑をかけてしまうかもしれないわ。エラにもくぎを刺されているし……)


 エラの話では、両親を亡くしたツェツィーリアに、レルナー家の人間たちも初めはみな同情的だったそうだ。だが、何年たっても癇癪(かんしゃく)を起し続ける彼女に、次第に人は離れていった。

 養父母となった叔父夫婦に息子が誕生したことが、そのことにさらに追い打ちをかけた。使用人たちにしてみれば、わがままな前公爵の娘に取り入るよりも、新公爵の跡取りについた方がいいというのは、当然の流れと言えるだろう。


 涙の残る頬にそっと口づける。


(どうか……どうか、心から味方になってくれる人が、ツェツィーリア様のそばにいますように)


 訪れたまどろみのまま、意識が沈んでいく。互いに守り合うかのように、まるくなってふたりで眠った。


     ◇

 帰郷の準備が整って、ルカと共にジークヴァルトが待つエントランスへと向かった。見送りの使用人たちもずらりと並んでいる。


「ジークヴァルト様、ルカ共々お世話になりました」

「義兄上、今回はとても有意義な時間を過ごせました。このような素晴らしい機会を与えてくださいましたこと、心より感謝いたします」

「ああ、またいつでも来るといい」


 笑顔で見上げたルカの頭を、ジークヴァルトは大きな手でぽんと撫でた。ルカが視線を向けると、少し遠くにいたツェツィーリアは盛大にぷいと顔をそむけた。


「ツェツィーも今日、レルナー家に帰ることになった」

「そうなのですね……」


 リーゼロッテは一週間程度で、また公爵家を訪れる予定になっていた。その時にまた一緒に過ごせるだろうと思っていただけに、落胆も大きく感じられる。


「ツェツィー様」


 ルカの呼びかけにも、ツェツィーリアは視線を合わせようとしない。ルカは目の前で(ひざまず)き、ツェツィーリアの手を取った。下から覗き込むようにその顔を見上げる。


「ツェツィーリア様……わたしのことを忘れないでいてくださいますか?」

「わ、忘れたりはしないわ。ルカはわたくしの記憶力を馬鹿にしているの?」

「あなたのように美しい方は、これからも多くの男に望まれるでしょう。そんな中、わたしの存在など、ツェツィー様の記憶の奥底に沈んでしまわないかと不安なのです」


 きゅっと握る手に力を入れられて、ツェツィーリアはみるみるうちに真っ赤になった。


「おやおや、知らぬ間にお嬢様に春が」


 突然割り込んだ声の主に、ルカは咄嗟(とっさ)にツェツィーリアを背にかばうように立ちはだかった。


「これはこれは、なんとも勇敢な騎士様だ」

「グロースクロイツ!」


 不機嫌そうなツェツィーリアの声がすると、そのひょろりとした長身の男はルカに向けて(うやうや)しく腰を折った。


「これはとんだ失礼を。わたくしめはツェツィーリア様の従者、グロースクロイツと申します。以後、お見知りおきを、ルカ・ダーミッシュ様」

「ツェツィー様の従者?」


 ルカが確かめるように振り返ると、ツェツィーリアは不満げな顔のまま小さく頷いた。


「では、ツェツィーお嬢様。旦那様の(めい)ですので、お諦めになって今回はすんなり素直に帰っていただきますよ」


 しぶしぶといったふうにツェツィーリアはグロースクロイツの手を取った。


「ツェツィー様……」

 哀しそうにルカの視線がその背を追う。


「ルカ。わたくし、リーゼロッテお姉様みたいに、作法を完璧にして見せるわ。次に会うときに、あなたを驚かせてあげるんだから」


 振り返ったツェツィーリアの言葉に、ルカの瞳が輝いた。


「はい! わたしもツェツィー様の横に立つに相応(ふさわ)しい男になるべく、日々努力を(おこた)りません! 手紙も必ず書きます!」

「べ、別にルカのために淑女になるのではないわ。それに、手紙は読んであげてもいいけど、返事を書くかはわからないんだからっ」

「読んでいただけるだけでしあわせです! わたしはいつ、どこにいても、あなただけを思っています」


 ルカが真剣な顔つきで言うと、ツェツィーリアは再び真っ赤になって口をぱくぱくさせた。


「なんたる甘酸っぱさ……若さとは空恐(そらおそ)ろしい」


 片手で目を覆い、天を仰ぎながら大仰に言ったグロースクロイツの足を、ツェツィーリアが盛大に踏みつけた。


「おおうっ! ツェツィーお嬢様、先ほど淑女宣言をなさったではありませんか」

「そんなもの、帰ってからよっ」


 どすどすと足音を立てながら、ツェツィーリアはひとりエントランスの出口へと向かった。


「では、フーゲンベルク公爵様、今回もツェツィーリア様がたいへんお世話になりました。寛大なご対処に、心より感謝いたします」


 グロースクロイツはジークヴァルトに恭しく礼を取ってから、ツェツィーリアの後を追っていく。


「ツェツィーリア様!」


 その長身を追い越して、ルカがツェツィーリアへと駆け寄った。驚き顔で振り返ったツェツィーリアを、その勢いのままルカはいきなり抱きしめた。


「無作法をお許しください。ですが、今だけは……」


 耳元近くで苦し気に言われ、ツェツィーリアは背をピーンと伸ばしたまま固まっている。


「ツェツィー様、必ずお迎えにあがります」

 そう言って、ルカはツェツィーリアの耳たぶにそっと口づけた。


「な、な、な」

「ななな?」

「なんてことするのよっ」


 真っ赤になった耳を押さえて、ツェツィーリアは絶叫した。追いついたグロースクロイツは、おやおやという顔をしている。


「ルカ・ダーミッシュ様。お別れのご挨拶はそのくらいでよろしいでしょうか?」


 満面の笑みで言われ、ルカは名残(なごり)()しそうにツェツィーリアを腕から解放した。


「いくわよっ、グロースクロイツ!」


 赤くなったままの顔をつんとそらすと、ツェツィーリアはひとりずんずんと行ってしまった。


「では、ルカ・ダーミッシュ様、御前失礼いたします。今後もツェツィーリア様のこと、何卒(なにとぞ)よろしくお願いいたします」


 恭しく腰を折ったところで、「グロースクロイツ!」と、焦れた声が飛んでくる。やれやれといった感じで、グロースクロイツはその場を後にした。


「ルカ、あまりツェツィーリア様を困らせてはいけないわ」


 神妙な顔で見送っていたルカに、リーゼロッテが声をかけた。くるっと振り返ったルカは、思いのほか落ち込んでいる様子はない。


「いえ、あの程度の行いは、わたしのこの年なら、まだ許されるかと思いまして」

「まあ!」


 天使の笑顔で言われ、リーゼロッテは目を丸くした。ルカは間もなく十歳になる。貴族とはいえ、子供の(たわむ)れと見逃される年齢かもしれない。だが、その言動は大人顔負け。もはや策士と言っていいほどの成長ぶりだ。


「それに、あれくらいしないと、本当に忘れられてしまうかもしれません。わたしはそんなのは嫌です」

「ルカの気持ちは分かるけれど……ジークヴァルト様のお立場もあるでしょう?」

「いや、問題ない」


 ぽん、とリーゼロッテの頭に手を乗せてくる。心配そうに見上げたリーゼロッテの手を取り、「いくぞ」と言ってジークヴァルトは歩き出した。


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