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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣

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14-2

     ◇

 びりびりとリーゼロッテにあてがわれた客間の壁が振動している。


 その時カイは、遠くから響いていた異形たちの咆哮が何か大きな力に飲まれ、やわらかく溶けていくのを感じていた。その力は、徐々にこの部屋にも近づいてきているようだ。どれだけ大きな力だと言うのだろうか。


 アンネマリーがエラの部屋から出てきた。

 先ほどまで三人でお茶を飲んでいたが、エラは異形の気にやられて気分が悪くなったようで部屋で休ませることにした。さすがの無知なる者でも、この数の異形には耐えられないということか。


「エラは今眠りましたわ」


 アンネマリーは少し疲れた顔で静かに言った。彼女の方は影響が少ないようだ。無知なる者にも力の差があるのかと、カイは興味深げに思った。


「アンネマリー嬢は気分が悪くなったりしてない?」

「はい、わたくしは問題ありませんわ」


 部屋に沈黙が訪れる。


 この部屋にはカイとアンネマリーしかいない。アンネマリーは居心地の悪さを覚えた。カイは人当たりこそ柔らかいが、どこか他人を拒絶しているようにアンネマリーはいつも感じていた。


 それに彼に関するよくない噂も耳にする。それは主に女性関係であった。噂を鵜呑みにしてはならないと身をもって感じていたアンネマリーだったが、カイに関しては、十中八九それは正しいのではないかと思っていた。


(エラの部屋にいたほうがいいかしら?)


 しかし、アンネマリーとカイは同じ侯爵家とはいえ、カイのデルプフェルト家の方が王家に近く、家格としては上だった。むげに扱うこともできない。この部屋での待機も王子の命であると言われれば、勝手に出ていくわけにもいかなかった。


 そのときアンネマリーは、ふわっと何か暖かいものに包まれる感覚を覚え、思わず周囲を見回した。と、いきなり目の前のカイが、半ば崩れ落ちるように片膝をついた。


「カイ様?」


 アンネマリーが肩に手を添えてのぞき込むと、カイは何とも苦しそうな顔をしていた。その額に脂汗が滲んでいる。

「だ、いじょうぶ」と床を凝視したまま言葉を紡いだカイは、どう見ても大丈夫そうには見えない。


 何か汗を拭く物をと、アンネマリーが立ち上がろうとすると、カイがその細い手首を乱暴につかんだ。そのままカイに抱きすくめられ、アンネマリーは体を硬直させた。

 膝立ちのまま、ふたりの距離がゼロになる。


「ごめん、ちょっとだけこうしてて」


 アンネマリーの肩に顔をうずめたカイが、うめくように言った。アンネマリーはカイを抱きしめ返すこともできずに、そのまま動けないでいた。


 リーゼロッテの守護者の力は、玉座の間から同心円状に広がり続けていた。その力が王城の奥まったこの客間ももれなく包み込んでいく。


 カイはビリビリと全身を(さいな)むような神気に苦悶の表情で耐えていた。アンネマリーを抱きとめる腕が震え、いたずらに力が入る。はっと息を吐くが、うまく吸い込むことができない。

 清らかすぎて生物が生きられない静謐(せいひつ)な水の中のようだとカイは思った。


(綺麗すぎて反吐(へど)が出る……!)


 カイは己の深部にまで浄化しにかかる圧倒的な力に、殺意に近い苛立ちを憶えた。


「さ、わんな」

――オレの心に


 ギリとその歯を食いしばった。


 そのときアンネマリーの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。

「あたたかい……」


 そう言うと、アンネマリーはあたりを見回した。アンネマリーの涙がカイの肩にすべり落ち、カイは突如、世界を取り戻した。


 水を得た魚のように動かなかった体の自由が戻ってくる。思い切り息を吸い込むと、ふわりとアンネマリーのいい匂いがした。


――このままアンネマリーの全てを奪いたい。

 突然カイはそんな衝動に駆られた。自分ならばいとも簡単にそれができてしまうだろう。


 ふいにあの可哀そうな王子の顔がよぎった。欲する者の手には届かず、そうでない者はたやすくそれを手に入れる。


 託宣は呪いだ――

 そう言ったのは誰だったろうか。


 カイはハインリヒに特別な感情は抱いていなかった。イジドーラの大切な人間の、大切にしたかったもの。

 ただそれだけだった。


 カイはアンネマリーの両の二の腕をつかむと、自分の体からぐいと引き離した。


「ごめん、ありがとう。もう大丈夫」

 そう言って立ち上がると、手を引いてアンネマリーも立ち上がらせた。


「ここはもう大丈夫そうだから、オレは行かなくちゃ。ああ、でも迎えが来るまで、絶対に部屋を出ちゃダメだからね」


 そのまま部屋を出ていこうとして、「ああ」とカイは何かを思い出したようにアンネマリーを振り返った。懐に手を入れて何かを取り出し、握りこんだ手をアンネマリーの目の前で開いて見せた。

 その手のひらにはハインリヒの懐中時計が乗せられていた。


 見覚えのあるそれを差し出したカイを見やり、どうしてこれを彼がもっているのだろうとアンネマリーは小首をかしげた。


「ハインリヒ様が、アンネマリー嬢に持っていてほしいって」


 アンネマリーの白い手を取り時計を握り込ませると、カイはやわらかくふっと笑った。

 常々、彼の貼り付けたような笑顔が胡散臭いと感じていたアンネマリーは、カイの素の笑顔を見て目を丸くした。


「じゃあ、オレ行くね」

 そう言ってカイは静かに扉を閉めた。


 残されたアンネマリーは、手のひらの時計をみやる。ハインリヒが肌身離さず持っていた懐中時計だ。

 その蓋を開くと時計の針が静かに時を刻んでいる。


 殿下の庭で、これを開いて文字盤を確認しては、ハインリヒはいつも残念そうな顔をした。


『時が止まってしまえばいいのに』


 いつかハインリヒがそう呟いたとき、アンネマリーはハインリヒへの気持ちを自覚した。


 時計の蓋の内側には、アメジストのような石がはめられている。ハインリヒの瞳の色だ。その紫にきらめく石をアンネマリーはそっとなぜた。


 陽だまりのような波動を感じて、アンネマリーは胸の前で、ぎゅっとその時計を握りしめた。

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