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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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5-3

     ◇

 書類に目を通していると、ふいに助けを求めるようなカークの思念が飛んできた。はっとなり、隣に座るリーゼロッテに視線を向けた。何も書かれていない白紙のページを見つめ、呆然とした様子で彼女は瞳から涙を溢れさせていた。


「ダーミッシュ嬢!」


 何かに飲まれている意識を、引き戻すように強く言う。びくっと体を震わせて、彼女はその顔をこちらに向けた。


「――これは、オクタヴィアの日記なんだわ」


 色を無くした唇が、小さく震えている。咄嗟に頬に落ちる涙を親指で拭い、その顔を胸に引き寄せた。背中に回された彼女の小さな手が、ぎゅっとシャツを掴んでくる。ざわつく感情を抑え込みながら、ジークヴァルトはリーゼロッテの髪をそっとやさしく梳いた。


「大丈夫だ、ここは安全だ」

「……はい、ヴァルト様」


 平静を取り戻すように、リーゼロッテは小さく息をついた。次いでジークヴァルトを見上げてくる。


「それに何が書かれていたんだ?」


 奥書庫にしまわれた書物が危険であるはずはない。そんな思い込みをしていた自分に、ジークヴァルトは苛立ちを覚えた。


「こちらの日記は、オクタヴィアが書いたもののようですわ」

「オクタヴィア? ジョンが仕えていたという令嬢か?」

「はい」


 昨年の冬にあった泣き虫ジョンに関する出来事は、その後保留となり、春の雪解けまでは封印状態になっていた。調査を続行しようにも、ジョンのいる枯れ木は今、雪にうずもれている。


「リーゼロッテ様が視たというジョンの記憶を踏まえまして、わたしもあの後少々調べてみたのですが、オクタヴィアという方は、確かにフーゲンベルク家の家系図に存在されています。ちょうど今から九代ほど前の公爵夫人となられた方です」

「公爵夫人?」

「はい、龍の託宣により当時の王弟殿下をフーゲンベルク家の婿養子に迎え、おふたりは男児をひとりもうけたとの記録が残っております」

「え? ではオクタヴィアはあの時に亡くなったわけではないの?」


 言われて見ればそうかもしれない。オクタヴィアは龍から託宣を受けた身だ。ジョンが龍の鉄槌を受け星に堕ちたというのなら、オクタヴィアの命はそれにより助かったのだ。


『龍から託宣を受けた者は、それを果たすまで死ぬことすら許されない。例え、死んだほうがましって目にあおうともね』


 ふいにジークハルトの言葉が蘇る。オクタヴィアは託宣を果たすべく、カークを追って死ぬことはできなかったのだ。


(じゃあ、ジョンやカークの死は無駄だったってこと……?)


 ぎゅっと胸が締め付けられた。先ほど流れ込んできたオクタヴィアの思いが蘇る。この事実を、オクタヴィアはどんな気持ちで受け止めたのだろうか。


「わたしが調べたところでは、男児が誕生した後、婿入りした王弟殿下はまもなく病死されています。その後オクタヴィア様は、当時のカーク子爵と再婚されたようですね」

「ええっ!?」


 らしからぬ大きな声を上げて、リーゼロッテは椅子から立ちあがった。テーブルに両手をつき、前のめりにマテアスに問うてくる。


「オクタヴィアはカーク家へお嫁に行ったの!?」

「はい、記録ではそのように。カーク子爵家がフーゲンベルク家の傍系貴族になったのも、それがきっかけのようですし……」


 マテアスの言葉にリーゼロッテは呆然とした様子だった。


「どういうことなの……? カークは冷たい雨に降られた後、亡くなったって……」

「カーク子爵家へ行けば、もっと子細な記録が残っているかもしれませんが」


 困惑気味に答えるマテアスに、リーゼロッテは決意したように頷いた。次いでジークヴァルトの顔を仰ぎ見る。


「ヴァルト様、お願いでございます。わたくしを、カーク子爵家へ行かせてくださいませ」


 必死の懇願に、ジークヴァルトの眉間のしわが一層深まった。


     ◇

「なんだか大所帯になってしまったわ……」

「リーゼロッテ嬢の立場を思えば、当然ともいえる処遇じゃない? まあ、グレーデン家の一件があるから、オレも信用されてないんだろうけど」


 迎えられたカーク子爵家で、カイと共にソファに座った。その後ろにはユリウスとエマニュエルにエラ、そして不動のカークが並んで立っている。


「カイ様までお呼び立てして、本当に申し訳ありません」

「はは、大丈夫だよ。龍の託宣に関する事と星を堕とす者にまつわる事は、王城騎士としてのオレの管轄だから。そう言えば、フーゲンベルク家で託宣を受けた者の日記が見つかったんだって? 今度オレにも読ませてよ」

「日記はジークヴァルト様が管理なさっていますわ。……カイ様はまだ託宣の調査をされているのですか?」


 王子の消えた託宣の相手はアンネマリーだった。それが見つかった今、調べることなどあるのだろうか。


「実は見つかってない託宣が他にもあるんだ。ハインリヒ様の件は一件落着になったけど、オレの仕事はまだまだ残ってるってわけ」

「そうだったのですね」

「だから、こうしてカーク子爵家の書庫を確認できるのは、オレ的にも願ったり叶ったりだよ」


 そんな会話をしていると、慌てたようなヨハンがやってきた。


「お待たせして申し訳ありません。ただいま当主である父が不在でして、わたしがご挨拶に」

「いきなり押しかけて申し訳ありませんわ、ヨハン様」

「とんでもございません!! 我がカーク家にリーゼロッテ様に来ていただくなど、光栄の極みっ」

「お兄様、少しは落ち着いて」


 手をわちゃわちゃさせながら言うヨハンの後ろから、使用人に手を引かれた少々ふくよかな令嬢が現れた。


「ブランシュ!」

「わたし、ブランシュって言います。いつも兄がお世話になってます」


 ブランシュはぺこりと頭を下げた。そのしぐさは貴族令嬢というよりも、慣れない使用人といった感じだ。


「ブランシュは視力を失っていて……その、多少の粗相は見逃していただけたらと……」


 すまなそうに言うヨハンに、リーゼロッテは微笑み返した。


「きちんとご挨拶いただけましたわ。こちらこそ、ヨハン様にはよくしていただいております」


 リーゼロッテが淑女の礼を返すと、ブランシュは見えないはずの目を「きゃっ」とふくよかな両手で覆った。


「もしかしてあなたがリーゼロッテ様ですか? すごく綺麗な緑! 眩しすぎてよく見えないっ」

「こら、ブランシュ、リーゼロッテ様に失礼だぞ」

「だってお兄ちゃん」

「お兄ちゃんではないだろう? お兄様と呼びなさい」

「あは、またやっちゃった」


 もちもちのほっぺたに手をやって、ブランシュはペロッと舌を出した。


「ブランシュ様は力を感じ取ることができるのですか?」

「はい! お兄様は青くって、リーゼロッテ様は輝く緑色! 隣の人は琥珀色だし、後ろにいるのは青、青、透明!」

「透明?」

「はい、だってその人は透き通ってて何も見えないから」


 エラを指さして言うブランシュに、リーゼロッテは感心したように頷いた。


「無知なる者のエラは、透明に視えるのね」

「こら、人様を指さすのはやめなさい! エラ嬢、妹が失礼を働いて申し訳ない」

「問題ございません」


 頭を下げるヨハンにエラは笑顔で首を振った。


「ヨハン殿、悪いけどオレあまり時間ないんだ。早いとこ書庫をのぞかせてもらえると助かるんだけど」

「あああっ、デルプフェルト様、申し訳ございませんっ! 今すぐご案内いたします!! エマ、悪いがブランシュの相手をしていてもらってもいいだろうか?」

「承知いたしました。さあ、ブランシュ様、参りましょう」

「やった! 今日は特別なお客様が来るからってお菓子も特別なの!」

「それは楽しみですわね」


 エマニュエルに連れられて、ブランシュはうれしそうに去っていった。手探りをしながら歩く姿は、やはり目が見えていないのだと見て取れる。


「では、書庫へご案内します」


 残りの一行はカーク子爵家の書庫へと移動した。


     ◇

「こちらの部屋です。あまり所蔵する書物は多くはないのですが、古い物はここで確認が取れるはずです」


 フーゲンベルク家よりも手狭な小部屋だった。壁際に並ぶガラス戸付きの本棚に、小さめのテーブルがある。窓のそばに飾りのチェストが置かれ、その窓は厚いカーテンで閉め切られていた。部屋の中はほこりっぽく、籠った空気が支配している。


「急なことで掃除が行き届かず申し訳ありません。ここへは滅多に足を踏み入れないもので」

「とりあえず、家系図を見てみたいかな」


 カイの言葉にヨハンは一枚の大判な羊皮紙を取り出した。それをテーブルの上で広げてみせる。


「これが我が家の家系図です」


 カイがのぞき込みながら、その上に指を彷徨(さまよ)わせていく。


「あった、これだ。オクタヴィア・カーク。これがリーゼロッテ嬢が言ってた『ジョンのお嬢様』ってことかな?」

「はい、恐らく……」


 リーゼロッテも家系図を同様に覗き込んだ。オクタヴィアの伴侶は第五代目のカーク子爵レオンとなっており、オクタヴィアはレオンとの間に五人の子供をもうけたようだ。その下にさらに家系図が広がっている。


(オクタヴィアは本当に、恋人のレオン・カークと結ばれたのね)


 壁際にいるカークを見やる。不動のカークはレオン・カークが残した思念の残像のような物だ。本人がしあわせな人生を歩んでその生涯を閉じたとしても、その思いだけがあの場に焼き付いて残ったということだ。


「うーん、これだけじゃ、何も判断できないなぁ。他のも見させてもらおうかな?」

「はい、どうぞご自由に。ここでご覧いただく分には、どれでも見ていただければと思います」

「そうさせてもらうよ。リーゼロッテ嬢も手伝ってくれる?」

「はい、もちろんですわ」


 本棚に向かうふたりを黙って見つめていたエラに、ヨハンが遠慮がちに声をかけた。


「エラ嬢、もしよかったら君に見せたいものがあるんだが……」

「わたしにですか?」


 もじもじと大きな手指を付き合わせるヨハンに、エラは不思議そうに首を傾けた。


「ああ、別の部屋に置いてあるものをぜひ見せたくて」

「ですが……」


 エラは困ったようにリーゼロッテの背に視線をやった。リーゼロッテのそばを離れるのはためらわれる。


「ここにはオレもいる。エラ嬢は少し息抜きしてきたらどうだ?」

 隣に立っていたユリウスがにかっと笑った。


「エラ、わたくしなら大丈夫よ。何かあったらすぐに呼ぶから」

「ではお言葉に甘えまして、少しヨハン様と行ってまいります」

「おう、ふたりでゆっくりな」


 今度はヨハンに向けてユリウスはにかっと笑った。次いで親指を立ててサムズアップする。


「オレはお前に賭けてるんだ。頑張れよ!」

「はぁ」


 何のことを言われたのかわからなかったヨハンは、中途半端な返事をしてからエラを連れて書庫を出ていった。


「ユリウス様はヨハン殿に賭けているんですか? 無謀だなー。オレだったらグレーデン殿辺りにしますけど」

「大穴狙いの方が人生楽しいだろう?」

「はは、ユリウス様らしいですね」

「一体何のお話ですか?」


 リーゼロッテが不思議そうに問うと、カイは朗らかな笑顔を向けてきた。


「リーゼロッテ嬢は知らないんだ? 今、フーゲンベルク家で(おお)流行(はや)りの賭け事だよ」

「賭け事?」

「うん、エラ嬢を落とすのは一体誰かってね。あ、これ本人に言ったらダメだよ? おもしろくなくなるからね」


 人差し指を立てて神妙に言うカイに、リーゼロッテはあんぐりと口を開けた。


「ちなみにベッティはジークヴァルト様の従者君に、かなりの額をぶち込んだみたい。お金に(うるさ)いベッティにしてはめずらしいよね」


 破産しないといいけど、とカイは楽しそうに付け加えた。リーゼロッテは何も言えないまま、しばらくカイの顔を呆れたように見つめていた。


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