第14話 天のきざはし
ジークハルトは王城の様子を、城外の高い空中から見下ろしていた。リーゼロッテが移動するのにつられて、異形たちも後を追うかのように集まってくる。
異形たちの声に目と耳を塞ぎ、苦悶の表情を浮かべるリーゼロッテの姿が目に焼き付いた。
そう、その姿は、まるで彼女そのものだった。
ジークハルトはリーゼロッテの顔を、いつも楽し気にのぞき込んでいた。リーゼロッテの瞳の色が、一度だけ開かれた彼女のそれと同じだったからだ。
だが、やはり彼女は瞳を閉じていてこそ彼女なのだ。ぎゅっと目を閉じて異形の声に耐えるリーゼロッテを見て、ジークハルトは心躍らせた。
ジークハルトの耳には、異形たちの咆哮は、助けを呼ぶ声にしか聞こえない。そう、自身の心に共鳴するかのように。
(姉上……もう、終わらせてもいいのでしょう……?)
その時が来れば、もう一度、彼女に逢えるかもしれない――
そう思うとただ気が逸る。
ジークハルトは、ここ数百年感じることのなかった、得も言われぬ高揚感にその身をまかせていた。
◇
「もう少しだ。我慢しろ」
ジークヴァルトがそう声をかけるが、リーゼロッテは耳をふさいだままその身を縮こまらせて、ジークヴァルトの胸に顔をうずめていた。もう周りを見やる余裕もない。頭の中が破れ鐘のようにガンガン響いていた。
異形の叫びは多すぎて、もはや何を言っているのかさえ聞き取れない。だた、悲痛な苦しみばかりが伝わってきて、心が押しつぶされそうになる。
(――違う、これはわたしの感情じゃない)
同調するなと言われ、リーゼロッテは必死にそれに抗おうとした。
ハインリヒを先頭に、リーゼロッテを抱えたジークヴァルトが続く。王城の中心部にある階段を駆け上がり、一行は玉座の間をひたすら目指した。
重厚で豪奢な扉の前には、誰も控える者はいなかった。中に王はいないということか。
普段は屈強な護衛が二人がかりで開けるその重い扉を、ハインリヒは力の限り押し開いた。赤い絨毯が一筋敷かれ、その先、部屋の最奥の一段上がった壇上に王と王妃のための椅子が鎮座している。
三人ががらんとした玉座の間に足を踏み入れると、異形たちはその扉にはじかれたように堰き止められた。異形は入ってこられないようだったが、リーゼロッテの耳にはその声が今も木霊し続けている。
ジークヴァルトは玉座の前の広間にリーゼロッテを下ろすと、自身の力で結界を強く張った。異形の声が少しだけ遠のいて、リーゼロッテはその場にしゃがみこみそうになった。
ジークヴァルトがその細い腰に腕を回して引き寄せる。一緒に床へ屈みこみ、自分が背もたれになるようにリーゼロッテを抱えこんで前へ座らせた。
「少し休むか?」
ジークヴァルトの問いかけに、リーゼロッテはかぶりを振った。一刻も早く解放してあげたい。自分にそれができるというのなら――
リーゼロッテは胸にかけたペンダントを外そうと首の後ろに手を回した。眠りにつく前に守り石は外すようジークハルトに言われたからだ。だが指が震えて留め金をうまく外すことができない。
ジークヴァルトがそれを制して、リーゼロッテのうなじの髪をかきわけた。華奢な首が垣間見える。そっと留め金を外すと、ジークヴァルトはペンダントを引き抜いて騎士服のポケットにしまった。
「あとで返してくださいませね」
リーゼロッテはそう言うと無理に笑顔を作ってから、手に持っていた白い粉薬を一気にあおった。水分が何もないためむせそうになるが、リーゼロッテはなんとかそれを飲み下した。苦味で涙目になる。
「眠り薬はじきに効きます。効果は長くて三時間ほどかと」
いいながらその瞳がとろんとしてくる。
「あとで甘い菓子を食わせてやる」
ジークヴァルトがそう言うと、リーゼロッテはふわりと笑って「たのしみにして、おります、わ」とささやくように言って、そのまますうっと眠りに落ちた。
ジークハルトの言うことを鵜呑みにしていいものか、ジークヴァルトは心の中で迷っていた。
だが、自身もリーゼロッテの力の片鱗を垣間見た。現状では埒が明かない以上、やってみるしかないのはわかっている。今までの自分だったら、ためらいもしなかっただろう。可能性が僅かでもあるのなら、なぜ試してみないのだと。
しかし、今、リーゼロッテを包む自分の力を解くことに、躊躇している自分がいた。無防備な体を、異形の前に晒すくらいなら、ずっと自分で囲っておきたい。
そう思っている自分に戸惑いを覚えた。
「ジークヴァルト」
ハインリヒに声をけられ、ジークヴァルトははっと我に返る。
「ハインリヒ、お前は俺の背後に回れ。玉座の間は王の結界で護られているようだが、何が起きるかわからない」
務めて冷静に、ジークヴァルトは言った。
「彼女はどうしたのだ?」
ハインリヒは、ジークヴァルトと背中合わせに座ると、少し振り向いてリーゼロッテを心配そうに見やった。
「ダーミッシュ嬢の力は、眠りと共に解放される。今まではオレの力と反発しあって内にこもっていたらしい」
そう言うと、ジークヴァルトは覚悟を決め、リーゼロッテを包む己の力を振りほどいた。
その瞬間、周辺に集まる異形たちが大きく反応した。玉座の間が激しく揺れる。
リーゼロッテはジークヴァルトの腕の中で、身じろぎもせず眠っていた。人形のように白い顔で、呼吸をしているのか思わず確かめたくなるほどに、静謐に眠りについている。
ほどなくして、その小さな体から陽炎のような緑のゆらめきが立ち上がった。
ジークヴァルトとハインリヒは、その押しつぶされそうな重い“気”に、ぐっと顔をしかめた。
「なんなのだ、これは」
ハインリヒがうめくように言った。
仄明るい緑の力がリーゼロッテを中心に広がり、玉座の間を満たしていく。部屋中の空気がピンと張りつめて、息苦しいほどだった。
(これが、ラウエンシュタインの力なのか――)
その光の円は、玉座の間の外へも広がっていき、群がり叫び続ける異形たちをも静かに飲み込んでいった。




