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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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第3話 猫かぶり姫

【前回のあらすじ】

 王太子妃となったアンネマリー主催のお茶会に招待されたリーゼロッテは、ハインリヒ王子とアンネマリーの仲睦まじい姿を目の当たりにして、よろこぶとともにうらやましく感じます。

 ジークヴァルトに守られるばかりの自分をかなしく思いつつ、同席したイザベラの攻撃をなんとかかわしてお茶会を無事に乗り切るのでした。

「え? お誕生日なのにお祝いをしないの?」

「ああ、言われて見れば今日は旦那様の誕生日でございましたね。そうですねぇ、毎年、特別これといったことはしておりませんねぇ」


 ジークヴァルトが執務机で書類に集中している(すき)に、今日の予定をこそりと問いかけてきたリーゼロッテは、驚きながらもさらに声のトーンを落とした。


「でも贈り物などはするのでしょう?」

「いえ、それも特には……。お伺いしても毎年欲しい物はないということで、旦那様が七歳になった年から祝うこともなくなりましたので」


 紅茶をサーブしながら答えると、リーゼロッテは絶句している様子だった。


「わたくし、贈り物を用意してしまったのだけれど、ご迷惑だったかしら……」

「左様でございましたか。それは旦那様もおよろこびになられると思います。リーゼロッテ様のお心遣いを無駄になどできませんので、このマテアスが何とかいたしましょう」


 懐に手を入れると、マテアスは黒い手帳を取り出した。ページをめくって何かを確認すると、ぱたりと片手でそれを閉じる。


生憎(あいにく)と午後からはどうしてもはずせない来客がございますが、昼食時の三十分なら時間がとれそうですね。午前の執務を詰めればなんとかなるでしょう。リーゼロッテ様のお部屋に簡単ではありますが、祝いの席をご用意いたします。それまでお部屋でお待ちいただいてもよろしいですか?」

「それは構わないけれど……ジークヴァルト様にご無理を強いるのは心苦しいわ」

「何の話だ?」


 密談をするような近さが気に(さわ)ったのか、ジークヴァルトが書類を片手にこちらを睨みつけている。


「旦那様、本日の昼食はリーゼロッテ様のお部屋で食べていただくこととなりました。そこに積んである案件をちゃっちゃとお片付けになれば、予定よりもお時間を取ることができますが」


 その言葉にジークヴァルトの眉がピクリと動いた。次の瞬間、高速で書類の束が片付けられていく。


「では、リーゼロッテ様。後ほど旦那様がお部屋へ向かいますので、たのしみにお待ちくださいね。ああ、ちょうどいい機会ですので、今日はこちらを通って戻っていただきましょうか」


 マテアスはジークヴァルトが座る椅子の後ろの絨毯をぺろっとめくってみせた。むき出しになった床の一部を持ち上げると、下へ続く階段が現れる。


「こちらは旦那様の自室につながる隠し通路となっております。非常時にのみ使いますが、本日は時間もないことですし、こちらから参りましょう」


 マテアスがリーゼロッテの手を引こうとすると、ジークヴァルトがさっと横から(さら)っていった。


「いい。オレが連れて行く」

「承知いたしました。ですがなるべく早くお戻りくださいね。そちらの書類が片付かないことには、昼食の時間もなしになりますよ」


 くぎを刺すように言うマテアスを横目に、ジークヴァルトは屈みこんだ。物珍し気に階段を覗き込んでいたリーゼロッテに、「抱くぞ」と耳元で声をかける。


「ひゃいっ」


 抱き上げた瞬間飛び出たおかしな返事に、リーゼロッテの頬が染まる。ジークヴァルトはその顔をちらりと見やり、暗がりの階段を降りていった。


「十五分たってもお戻りにならなかったら、様子を見に行きますからね!」


 マテアスの声に見送られながら階段を降り切ると、リーゼロッテを抱えたまま人ひとりが通れる程度の狭い通路を進んでいく。真っ暗な中を幾度か曲がって、しばらくすると立ち止まった。


 目の前の暗闇に向かってジークヴァルトは手をかざした。青い光が(ほの)かに光ったかと思うと、光が漏れる隙間が見えてゆっくりと扉が開いていく。その扉をくぐると、突然の眩しさにリーゼロッテが胸に顔をうずめてきた。


「ここは……?」

「オレの部屋だ」


 大きな寝台の脇を通り抜け、居間へと続く(わく)だけの扉に向かう。早朝に目覚めたままのリネンの乱れが視界に入り、ジークヴァルトは胸に灯った欲望に知らず目を(すが)めた。


 組み敷いた彼女の蜂蜜色の髪が、波を描きながらシーツの海に広がっていく――毎夜のように夢想するその情景を、今ここで再現できたなら。


「このお部屋は、ジークヴァルト様のお力に溢れているのですね」


 腕に抱くリーゼロッテが不思議そうにあたりを見回している。はっと意識を戻したジークヴァルトは、自分を戒めるように眉間のしわをさらに深めた。


「壁に守り石が埋め込まれているからな」


 効率よく守りを厚くするために、この部屋のいたるところに守り石が施されている。子供の頃から注ぎ続けられた力がそこに蓄えられて、異形の者に対する鉄壁の防御となっていた。


 彼女にどんな欲望を抱こうとも、この部屋の中では異形が騒ぎ立てることはない。何の疑いもなく身を任せてくるリーゼロッテの無防備さに、理不尽に苛立つ自分がいた。


 足早に寝室を抜けて居間へと足を踏み入れる。ふたり掛けのソファにテーブル、壁際に棚があるだけの簡素な部屋だ。そこまで来るとジークヴァルトはリーゼロッテを下へと降ろした。


「……ヴァルト様、あれは何ですの?」


 ぽかんと口を開けたまま、リーゼロッテが棚の上の壁を見上げている。ジークヴァルトはそこをちらりと見やってから、リーゼロッテへと視線を戻した。


「あれはお前の肖像画だ」


 そこには一枚の絵が飾られている。光り輝くような笑顔を向けている幼い彼女の姿絵だ。


「それは見ればわかるのですが……なぜあそこに飾ってあるのですか?」

「なぜ? エッカルトが持ってきて以来、ずっとそこにある」

「ずっと?」

「ああ、オレが五歳の時からだ」

「ごっ」


 言葉に詰まった様子で、リーゼロッテは再びぽかんと絵を見上げた。開かれた唇の間から、並びの良い白い歯と小さな舌が垣間見える。

 ちりとした欲望に、ぐっと奥歯を噛み締めた。ここを早く出ないと、自分が何をしでかすかわからない。ジークヴァルトが壁の端にある取っ手のない扉に向けて力を注ぐと、その扉はひとりでに開いていった。


 ずっとここにあったこの扉を、今まで開くことは一度もなかった。リーゼロッテの手を引いて、開ききった扉の向こうへと(いざな)っていく。


「まあ! こちらはわたくしのお部屋の衣裳部屋ですのね」


 リーゼロッテが今使っている部屋は、ジークヴァルトの自室と扉一枚でつながっている。いわゆる夫婦の続き部屋というやつだ。リーゼロッテが公爵夫人となった暁に使われる予定だったこの部屋は、夜会での異形の騒ぎもあって前倒しで機能することとなった。


「あとでまた廊下側から顔を出す。部屋からは出るなよ」

「はい、ちゃんとお部屋でお待ちしておりますわ」


 リーゼロッテが衣裳部屋へと進むと、ジークヴァルトはその扉を閉めようとした。


「あの、ヴァルト様!」

「なんだ?」

「その……お忙しいのに送っていただいてありがとうございました。昼食の件もわたくしがご無理を言ってしまったから……」

「問題ない」


 閉じかけの扉から、その髪をするりとなでる。無防備なままくすぐったそうにしているリーゼロッテを前に、このまま引き寄せて抱きしめたくなる衝動をぐっとこらえた。


「……そちら側から鍵がかけられる。しっかりと締めておけ」


 一瞬、不思議そうな顔をして、「はい、承知しましたわ」とリーゼロッテは屈託のない笑顔をこちらに返してきた。彼女はこの扉の意味がまるで分かっていないようだ。自分がその気になれば、いつでもそちらに行けてしまうという危険な状況だというのにだ。


 扉を閉めて鍵がかかるのをじっと待つ。だが、待てども錠が降ろされる気配はない。


「なぜすぐに鍵をかけない」


 がちゃりと乱暴に扉を開くと、リーゼロッテはまだそこに立っていた。扉を再び開けたジークヴァルトを戸惑ったように見上げている。


「あの、だって、扉を閉めてすぐに鍵をかけると、締め出されたように感じてさみしい気持ちになりますでしょう? こういった時は、ヴァルト様に鍵の音が聞こえないようにしたほうがいいかと思いまして……」


 困惑顔で見上げるリーゼロッテの腕を引いて、気づくと胸にかき抱いていた。きつく閉じ込めてここから逃したくなくなる。


「ヴァルト様……?」


 息苦しそうな声が漏れて出て、慌てて腕の力を緩める。できた隙間から見上げる彼女は、やはり困惑顔のままだった。


 彼女に向けられるこの欲望の正体を、自分でもいまだにつかむことができない。だが、得体のしれないこの感情と自分に向けられている彼女のそれに、大きな(へだ)たりがあることだけはジークヴァルトも十二分に理解していた。


「……一体どうしろというのだ」


 体の欲に任せて彼女を手に入れたところで、その心は永遠に失われるだろうことはたやすく分かる。裏腹に集まる体の熱に、ジークヴァルトは嫌悪交じりに大きく息を吐いた。


「いいからすぐに鍵をかけろ」


 リーゼロッテを引きはがすように再び衣裳部屋へと押しやった。性急に扉を閉めると、今度は程なくして鍵が閉められる。間際に見えた不安げな彼女の表情が、残像の様に脳裏に焼き付いた。


 鍵を閉めたところで自分が力を注ぎ込めば、この扉はあっさりと開いてしまう。緊急時に対応するために必要なことだったが、そのことにすら苛立ちを覚える。

 扉からリーゼロッテが離れていく気配を感じて、ジークヴァルトは隠し通路へと(きびす)を返した。


「十五分きっかり。さすがですね、旦那様」


 執務机からいつも通りの口調で迎えたマテアスを、ジークヴァルトは無言で睨みつけた。


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