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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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28-6

「……アンネマリー」


 横に座ったハインリヒに抱き寄せられ、耳元で熱く囁かれる。


「君のすべてをわたしのものにしたい……」


 大きな手が背中を上下して、アンネマリーは自分の格好を思い出した。

 今ガウンの下に身に着けているのは、先ほどイジドーラに渡されたペラペラのベビードールだ。そんなものを着て会いに来たと知れたら、ふしだらな女と思われてしまうかもしれない。

 アンネマリーが瞳に涙を浮かべると、ハインリヒの顔が苦しそうに歪められた。


「君を怖がらせたいわけではないんだ……今なら、まだ……やめてあげられる……もし、本当にいやだったら正直に言って欲しい」


 ぎゅっと眉根を寄せて切なそうに問うてくる。答えを返せないまま、アンネマリーの唇は小さくただ震えていた。

 つらそうに再び顔を歪めた後、ハインリヒは力を抜いてやさしくアンネマリーの額に口づけた。


「いいよ……無理はさせたくない。怖がらせてすまなかった」


 そう言って穏やかに抱きしめてくる。それでもいまだ苦しげなハインリヒを前に、アンネマリーの心は切なく締め付けられた。


(ハインリヒ様のこんなつらそうな顔は見たくない)


 そんなことのために自分はここにいるのではない。その思いがあふれて、アンネマリーは自らハインリヒに口づけた。今度は狙い通りに唇が届き、そのまま首すじに手を回してハインリヒをきゅっと抱きしめた。


「怖くないと言ったら嘘になります……ですが、ハインリヒ様とだったら、わたくし、嫌ではありませんから……」


 耳元で囁くように言う。恥ずかしくて、最後の方はハインリヒに聞こえたかどうかあやしくなってしまった。


「アンネマリー……!」


 熱く名を呼ばれ、口づけられる。

 されるがまま何も出来ず、ハインリヒから与えられる熱に、アンネマリーはただひたすらおぼれていった。


     ◇

 頬を撫でるやさしい指の感触に、アンネマリーの意識は浮上した。ぼんやりと見上げるとハインリヒが自分の顔を覗き込んでいる。王太子の正装したその姿は凛々(りり)しくて、いつまでも見とれてしまう。


 夢うつつにその綺麗な紫の瞳を見つめていると、ハインリヒはやさしく口づけてきた。ちゅっちゅとついばむように唇に触れ、その心地よさに思わずうっとりとしてしまう。


「アンネマリーの今日の公務は取りやめにしておいたから」


 その台詞にアンネマリーの意識は一気に覚醒した。驚きに身を起しかけると、肩を押されてアンネマリーの頭は、再び柔らかい枕へと沈んでいく。


「わたしも手加減ができなくて夕べは無理をさせてしまった……今日はゆっくり休んでいて」


 そう言われて、昨晩のことがはっきり頭の中に蘇った。かっと頬に熱が集まり、アンネマリーはシーツを持ち上げて顔半分を思わず隠した。自分の寝起きの髪は爆発したようにもわもわになる。いつも侍女がふたりがかりでそれなりのさらさらヘアにしてくれるのだが、そんなこともあり、アンネマリーはさらに潜るようにしてシーツで顔を隠した。


「アンネマリー……」


 愛おしそうに名を呼ばれて、そっと顔を出す。すぐさま口を塞がれてアンネマリーは小さく吐息を漏らした。


「ああ、行きたくないな……」

 耳元でハインリヒが長いため息と共にぽつりと漏らす。


「公務をさぼりたいなど、生まれてこの方初めてだ」


 苦笑いしながら再びアンネマリーに口づける。ついばむような軽いキスが、次第に深いものへと変わっていく。


「王太子殿下? お支度はいかかがですか?」


 事務的な男の声と共に寝室の扉が叩かれた。あまりにも驚いて、アンネマリーの体がびくりとはねた。


「ああ、今行く。五分待て」


 顔を上げて扉に向けて返事をしたハインリヒは、横顔もその声音も、王太子然としたものだった。だがその手は、アンネマリーのいる寝台へとちゃっかりと潜り込んでいる。


 固まったまま動けないでいるアンネマリーに微笑んで、ハインリヒはもう一度やさしい口づけを落としてきた。


「大丈夫。寝室には誰も入ってこないから」


 再び落とされた甘い口づけに、アンネマリーの意識が持っていかれてしまう。何も考えられなくなってきたころに、無機質に扉が叩かれた。


「殿下、そろそろお出になりませんと、時間が差し迫っております」

「すぐに行く」


 再び王太子の顔に戻ると、ハインリヒは残念そうにアンネマリーを覗き込んだ。


「わたしは行くけど、君はもうしばらく体を休めて」

 最後に額に口づけて、ハインリヒは今度こそ立ち上がった。


「あ! ハインリヒ様、通路の目印の位置を!」


 それが分からないと、王妃の離宮に戻れない。爆発した髪のことも忘れてアンネマリーは慌てて身を起こす。


「君はもうあの通路を通らなくていい。これからはわたしがアンネマリーに会いに行くから。義母上の離宮には連絡してある。心配せずにここにいて」


 そう言ってハインリヒはアンネマリーを抱き寄せた。

 扉の向こうから聞こえてきた焦れた声に、ハインリヒは小さく息をつく。いつものきりりとした王太子の顔に戻ると、今度こそ寝室を後にした。


 その凛々しい背中をポーっとなって見送った。ひとりきりになった部屋は、時間を止めたかのように静まり返っている。


(ハインリヒ様は公務に行かれたのに、わたくしばかり休んでもいられないわ)


 とりあえず何か服を着ようと辺りを見回す。乱れた寝所に昨晩の記憶がよみがえって、アンネマリーはひとり赤面する。


(わたくしったら、なんて大胆なことをしてしまったのかしら……)


 はしたない女だと思われなかっただろうか。夕べの出来事が頭の中をぐるぐるめぐる。


「ハインリヒ様……」


 その名を呼ぶだけで胸が苦しくなってくる。先ほど別れたばかりなのにもう会いたい。会いたくて会いたくて仕方がない。

 握りしめたリネンの先に、昨日着ていたガウンを見つけると、アンネマリーは素肌の上からそれを羽織った。


 不意に寝室の扉が叩かれる。びくりと体を震わせると、「アンネマリー様?」と女官のルイーズの声がした。


「ルイーズ?」

 見知った者の声に安堵する。


「そちらへ行ってもよろしいですか?」

「ええ、大丈夫よ」


 静かに寝室に入ってきたルイーズは、乱れた格好のまま寝台の縁に腰かけるアンネマリーの姿を認めると、目じりのしわを深めてやさしく微笑んだ。


「よく頑張られましたね」


 アンネマリーの目の前で片膝をつき、そっとその手をとった。(いた)わるように言われて、自分がしたことは果たして褒められるようなことだったのだろうかと、アンネマリーはただ頬を赤くした。


「お体はおつらいでしょうが、あまり時間がございません。無理なようでも、まずは少しでも何かお召し上がりになってください。その後身支度を済ませて、星読みの間に戻ります」


 ルイーズの合図とともに、若い女官がふたり寝室の中へと入ってくる。


「この者たちはこれからアンネマリー様につく女官です。口も堅く信頼置ける者ですので、どうかご安心ください」


 ふたりの女官が静かに頭を垂れる。ルイーズの言葉に頷くと、アンネマリーは足に力を入れて、なんとか自力で立ち上がった。


 身支度が整って、廊下へと出る扉の前で、アンネマリーは一度躊躇(ちゅうちょ)した。


「ルイーズ、本当にここから帰って大丈夫なのかしら……」


 王太子の部屋の前には常に近衛騎士が立っている。入れた覚えのない人間がいきなり中から出てきたら、それはもう驚かれることだろう。


「アンネマリー様は王太子妃となられるお方。堂々と戻ればよろしいのです」


 そうきっぱりと言われ、アンネマリーは覚悟を決めた。ハインリヒの横に並ぶ者として、自分に迷いがあってはならないのだ。


 アンネマリーが力強く頷くと、ルイーズがその扉に手をかけた。顎を引き、ぐっと背筋を伸ばす。


 優雅な足取りで王太子の部屋を後にする。扉を過ぎるところで、礼を取りながらも驚愕したように大口を開けている近衛の騎士が目に入る。アンネマリーはその騎士に微笑みながら「ご苦労様」と言い残して、ゆっくりとその横を通り過ぎた。


 赤面する近衛の騎士を横目に、若い女官がそのあとを続く。堂々と離宮へと帰っていくアンネマリー一行の話は、瞬く間に王城内に広まった。


     ◇

「アンネマリー、そのドレスは少し胸元が開き過ぎなのではないか?」


 今日は王太子であるハインリヒの誕生日であるともに、アンネマリーとの婚姻の儀も執り行われる日だ。婚儀仕様の豪華な衣装を身につけたハインリヒが、目の前のアンネマリーの姿に目を奪われつつも動揺している。


「いえ、イジドーラお義母様が、これくらいの方が肖像画の売れ行きがいいからと……」


 神殿で行われる婚姻の儀式は神官と限られた貴族しか出席できないが、今日は王都の街をふたりのパレードが行われることが決まっている。それに伴い、王都の街中が祝福ムードで沸き立っていた。


 美男美女な王太子と王太子妃との評判で、ふたりの肖像画が市井(しせい)で飛ぶように売れているらしい。その収益は王家の収入となり、ハインリヒはそれを王都の大河にかかる大橋の修復費用に充てようと考えていた。

 その手助けができるのならと、アンネマリーは自分の胸のひとつやふたつ見せびらかすこともやぶさかではなかった。


「いや、だがしかし」


 最後の最後まで言い続けるハインリヒをなだめ、アンネマリーは(おごそ)かな雰囲気の中、正式に王太子妃となった。ハインリヒと共に、青龍の前で永遠の愛を誓い合う。


 片隅に、公爵に抱え込まれながら大号泣しているリーゼロッテの姿が目に入った。今日は婚儀といえ、一日公務が続く。ゆっくりと余韻に浸る暇もなく、ふたりはパレードの馬車へと乗り込んだ。


 その後ろ姿をイジドーラは感慨深げにみやっている。その後ろで、カイも同じようにふたりを見送った。

 今頃は王都の目抜き通りを、ゆっくりと馬車が進んでいることだろう。遠くに祝福の歓声を聞いた気がして、カイはその口元に自然と笑みをのせた。


「ようやくおさまる所におさまったって感じですね」


 イジドーラの背に声をかけると、いたずらな叔母は、扇を広げて「そうね」と満足げに頷いた。


「ねえ、イジドーラ様。ひとつだけ聞いてもいいですか?」

「何かしら?」


 不意の問いかけに、イジドーラは前を向いたままだ。


「イジドーラ様は、アンネマリー嬢がハインリヒ様の託宣の相手だと、初めから分かっておられたんですか?」

「あら、まさか」


 そう言ってイジドーラはわずかにこちらを振り返った。閉じた扇を口元に置き、カイに向けて妖艶な笑みを()く。


「女のカンよ」


 大きく目を見開いたカイは、次の瞬間、お腹を抱えて笑い出した。


「オレ、一生、イジドーラ様にかなう気しねーっ!」



 極寒の冬の晴れ渡った青空の下、カイの大爆笑が響き渡る。


 龍歴八百二十九年、ハインリヒは託宣通りに、アンネマリーを王太子妃に迎えることができたのだった。


 はーい、わたしリーゼロッテ。ここで第2章は終了ですわ。ここまでお付き合いしてくださった淑女のみな様、ブクマ評価してくださった方々に感謝です!

 では、第3章「寡黙な公爵と託宣の涙」でお会いできること、楽しみにしておりますわ!

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