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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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27-10

     ◇

 アンネマリーが消えた深淵の(ふち)へと膝をつき、ハインリヒは呆然とそこを覗き込んだ。


「……アンネ……マリー……」


 吸い込まれそうなその暗闇の中に、アンネマリーの姿を探す。さっきまでそこにいた。手を伸ばせば触れられる場所にいたはずなのに――


 静寂を取り戻した部屋にいるのは、この自分ただひとりだ。目の覚めない悪夢に、ハインリヒは息を詰まらせた。


「なぜだ……なぜ、こんなことに……」


 自分もこの中に落ちてしまえばいい。そうすれば永遠にアンネマリーと一緒にいられる。身を乗り出そうとした瞬間、背後の扉が静かに開くのが分かった。

 もう何もかもがどうでもよくなって、ハインリヒは警戒もせずに、その方向を振り返った。


「ディートリヒ王……」


 そこに立っていたのはディートリヒだった。遠くを見つめるような金色の瞳で、ハインリヒを静かに見下ろしている。


「何もせぬまま、諦めるのか? 王太子よ」


 重い声が響く。


「なぜ龍が目隠しを施すのか、お前にはその理由が分かるか? 頼り切り、人が考えるのをやめることを、龍は好まぬのだ。――我らは龍の庇護のもとにある。だが、言いなりというわけではない」


「王は……龍の言いなりにはならなかったというのですか?」


 その言葉に疑いの色が含んでしまう。その様に、ディートリヒの口元は柔らかく笑みを作った。


「余はあがき、そして、欲しいものを手に入れた。何もせぬまま、身を任せるのもまたお前の自由だ。だが、この部屋の真下に、何があるのかお前にならわかるであろう?」


 はっとハインリヒが顔上げる。


「父上……」

「あがけ、息子よ」


 弾かれるようにハインリヒは駆け出した。ディートリヒの脇をすり抜け、王城の廊下をひた走る。

 大きな二枚扉を開け放つと、その先の暗がりをまっすぐ進む。自分が進むにつれて廊下の壁に明かりが次々に灯っていく。

 近づくにつれて、手の甲のあざが耐え難く熱を持つ。ハインリヒは白い手袋を外すと、それを廊下へと投げ捨てた。


 歴代の王たちの肖像画を幾枚も通り過ぎ、廊下の最果てにある託宣の間へとたどり着く。扉に向けて、自身の力を流し込むと、龍のレリーフが紫に輝き、その扉は静かに開いて行った。


 託宣の泉の前にいた彼女のやわらかそうな亜麻色の髪がふわりと広がった。暗がりの中、アンネマリーのうなじの上あたりから、ほのかな明かりがもれる。


 丸く文様が描かれた、ハインリヒの龍のあざに似た光が、髪の隙間から垣間見えた。背後の泉からあふれ出ては消えていく文言が目に入り、その胸を詰まらせる。


 左手の甲にあるハインリヒのあざが耐えがたく熱を持つ。そこにいる、対のあざを求めるかのように――


 思うよりも早く、体が動いた。


 会いたかった、触れたかった、手に入れたかった――


「アンネマリー……!」


 その声にアンネマリーがゆっくりと振り返る。


 ハインリヒは龍のあざがある自身の左手を、アンネマリーの髪の中に差し入れた。そのまま後頭部を支えてその体をきつく抱きしめる。

 あざとあざが反応して、そこを中心にふたりの体が溶けあうように熱を帯びていく。


「ああっ」


 かつて感じたことのない突然の熱に、アンネマリーは何が起きたかわからない。ただハインリヒの胸元に頬を寄せ、その体にすがりついた。


 ふたりはいまだない近い距離で、互いを見つめ合った。切なそうにハインリヒがアンネマリーの顔を自身の胸に引き寄せる。


「王子、殿下……?」


 耳に直接ハインリヒの鼓動を聞きながら、驚きのあまり声がかすれる。ハインリヒの紫の瞳が(すが)められ、その表情が苦しい色に染められた。


「ハインリヒと。もう一度名前で呼んではくれないか……?」

 柔らかい肢体を閉じ込めるように抱きしめる。


「すまない……わたしは君を傷つけた。だが、君が嫌がっても、わたしはもう、君を手放すことなどできはしない……!」


 その腕の中、苦しいほどに(いだ)かれる。やわらかな髪の耳元に顔をうずめ、ハインリヒはアンネマリーをきつくきつく抱きしめた。


「君が好きだ、君が好きだ、君が好きだ、君だけを、愛している……!」


 絞り出すような声に、アンネマリーは水色の瞳を見開いた。夢を見ているのだと思った。ハインリヒを思うあまり、あり得ない妄想を思い描いているのだと。


「君が泣いて嫌がっても、もう駄目だ。君をもう、わたし以外の誰の手にも触れさせたくない」

 ハインリヒは苦しそうに耳元でささやき続ける。


「虫のいいことを言っているのはわかっている。君を散々苦しめて、あれほど傷つけておきながら……」

「ハインリヒ様」


 アンネマリーは、そっとハインリヒの頬に手を添えた。想像していた以上にやわらかな頬に、一瞬戸惑い、アンネマリーはその手をひこうとする。上から添えるように、ハインリヒの手がアンネマリーのその手をとった。


「わたくしは、ハインリヒ様に傷つけられてなどおりません」

 アメジストのような紫の瞳をまっすぐ見つめて、アンネマリーは泣きそうな顔で微笑んだ。


「わたくしもずっと、ずっと、ハインリヒ様のことを、お慕い申し上げて……ん」


 最後まで言葉を紡ぐ間もなく、アンネマリーは唇を塞がれた。


 何度も、何度も、ついばむように。そして、深く、長く――


「アンネマリー……アンネ、マリィ……」

「ハインリヒ、さ……ま」


 吐息と共に、言葉が溶けていく。苦しそうに息継ぎをしたアンネマリーの口内に、ハインリヒの舌が潜り込む。


「ん……ん、ぁん」


 髪の奥に隠された対の託宣の証を指で弄びながら、ハインリヒの空いた手がアンネマリーの背中をなぞっていく。灯る熱に翻弄されて、アンネマリーの体から力が抜けていく。

 そのままの勢いで、ハインリヒはアンネマリーを床の上に押し倒そうとした。


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