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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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27-7

     ◇

 突如広がった清廉な気が、一気に女神の力を押し流していく。それを感じ取ったミヒャエルは、動揺からその瞳を開けた。


「なんだ? 何が起きたのだ?」


 異形に飲まれていた者も次から次へと正気に戻っていく。配下に置いた貴族たちも、思うように操れなくなった。


 再び瞳を閉じて、王城内をくまなく探る。王子は青龍の加護のある部屋へと逃げ込んだようだ。先ほどはうまくいかなかったが、またじっくりといぶり出せばいいだけの話だ。


 それよりも、この広がり続ける力は何なのか。ミヒャエルは精神を統一して、その忌々しい力が最も濃い場所を丹念に探っていった。


(いた、ここだ)


 王城の一室が脳裏に浮かぶ。その部屋にいるのはふたりの人間。ひとりはフーゲンベルクの若き公爵。もうひとりは、緑の気を纏う令嬢だ。


(あの緑はラウエンシュタインの証……ひとり娘がいるとは聞いていたが、こんな所に隠れていたとは)


 女神があの血脈は危険だと教えてくれている。己が王となるにあたって、障害になりかねない。今すぐにでも排除すべき存在だ。


 もはや傀儡である貴族は使い物になりそうもない。ならば自身の力でどうにかするだけだ。自分には女神がついている。その力を持ってすれば、あんな小娘などひとひねりだ。あの部屋にも龍の加護が施されているようだが、女神の力の前では薄紙も同然だった。


 眉間に神経を集中して、紅の力を凝縮していく。限界まで高まったのを感じて、ミヒャエルはその目を見開いた。


 真っ赤に染まった瞳が光を放つ。その穢れた力は、まっすぐと緑の令嬢めがけて放たれた。


     ◇

「おい、何をするつもりだ?」


 ジークヴァルトに片手を掴まれて、リーゼロッテは不服そうに上を見上げた。


「あの量ではすぐに足りなくなるかもしれませんわ。わたくしもう少し泣きますから、離してくださいませ」

「駄目だ、お前一体何をするつもりだ?」


 胡乱気に問われ、リーゼロッテは誤魔化すように瞳を彷徨わせる。


「何って、涙を出すために、少しばかり頬をつねろうと……」


 痛みで少しくらいは涙も出てくるだろう。多少頬が赤くなったところで、それで異形が落ち着くのならばお安い御用だ。空いた手を頬に伸ばそうとすると、そちらもジークヴァルトに取られてしまった。


「いや駄目だ。却下だ。絶対にするな」

「でしたら目つぶしでもなんでも」


 顔を突き出して目を見開くように差し出すと、ジークヴァルトも同じように目を見開いてきた。


「お前、いい加減にしないと本気で泣かすぞ」


 ぐいと腰を引き寄せられて、大きな手で後頭部をホールドされる。めずらしく怒った様子のジークヴァルトを前に、遠慮なくどうぞとリーゼロッテは怯むことなくその身を預けた。その手に力が入ると、顔を上向かされたリーゼロッテの足が少し浮き気味になった。


 すわ目つぶしか、と心を決めて目を見開く。しかしジークヴァルトは怖い表情のまま、ぐっとその顔を近づけてきた。


 その瞬間、リーゼロッテは背中にあり得ないほどの悪寒を感じた。一瞬で肌が粟立ち、禍々しい(けが)れが一直線にこの身へと向かってくる。


「――……っ!」


 咄嗟に振り返ろうとするも、ジークヴァルトに抱え込まれた。紅の穢れはジークヴァルトの力ごと押しつぶすかのように、切り込みながらリーゼロッテの中心へと侵食しようとしてくる。有無を言わさぬ穢れを前に、本能的な恐怖が支配した。


 弾き飛ばされたジークヴァルトが壁に打ち付けられる。青の守りが離れ、リーゼロッテは一瞬で紅の炎に包まれた。


「ダーミッシュ嬢……!」


 紅蓮の炎は瘴気を放ち、息をすることもままならない。絶望を拒絶するようにジークヴァルトが指を伸ばした瞬間、紅蓮の中から緑の揺らめきが立ち上った。


 ジークヴァルトの目の前で、リーゼロッテがふわりと浮き上がった。蜂蜜色の髪がたなびき、すっと瘴気に手のひらを向ける。その小さな手から、なんの力みもなく緑の輝きが放たれた。そよ風のような心地よさを感じたが、その緑は旋風のごとくの鋭さをもって、一気に瘴気をかき消した。


 部屋の中が再び青龍の神気に満たされると、リーゼロッテは脱力するようにその場に崩れ落ちた。

 咄嗟にジークヴァルトが受け止める。小さな体が腕に収まる瞬間、リーゼロッテの体から浮き上がり、()()はふわりと離れていった。


 リーゼロッテによく似た女性が宙に浮いている。その姿を見上げて、リーゼロッテが小さくつぶやいた。


「……マルグリット母様?」


 わずかに振り返ると、その女性はふうっと大気に溶けるように見えなくなった。


「膜だ……」

 不意にジークヴァルトが言う。


「あれがお前を守っていた膜の本体だ」

「膜……」


 リーゼロッテを守っているのはマルグリットの力だ。王城でジークハルトがそんなことを言っていた。母は未だ自分を包んでいてくれたのか。


 有無を言わさぬ恐怖と、母のぬくもりと。あまりにも一瞬の出来事で、心が追いついてこない。

 リーゼロッテは放心したように、ジークヴァルトの胸に縋りついた。


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