27-6
◇
「ニコ!」
「アデライーデ、お前どこ行ってたんだよ! まだ異形に憑かれた者たちはウヨウヨいるんだ。王太子殿下の姿も見失っちまったし、バルバナス様はまだ到着しないし」
「いいから一緒に来てちょうだい」
有無を言わさず腕をつかんで引っ張っていく。
「おあっ、ちょ、待てってば」
バランスを崩しながらもニコラウスはアデライーデに続いた。
「確かここらへんよね。ニコ、ちょっとこれ持っていて。一滴もこぼすんじゃないわよ」
水差しを渡されたニコラウスは、その中身を不思議そうにのぞき込む。水から不思議な気を感じる。何か清らかな、そんな感じの柔らかな波動だ。
「これ、何の水だ?」
くんくんと臭いをかいでみる。
「ちょっと飲んだりしないでよ! それは大事な妖精の聖水なんだから!」
「へ? 妖精の聖水?」
アデライーデは古びた扉を開けると、その中に入っていった。ここは使用人が出入りするような場所だ。不思議に思いつつ、ニコラウスもその後ろ姿を追う。
「ここは……配管の管理室か?」
この王城は寒さ対策で、城の壁のいたるところに配管が走っている。その中を温泉水が巡り、寒さを和らげる役割を果たしていた。
「用があるのはこっちよ」
アデライーデはひとつの配管のバルブを閉めて、配管の始まりの蓋になった場所をぱかりと開けた。
「それ貸して」
ニコラウスから水差しを取り戻すと、アデライーデはおもむろにその中身を配管の中に流し入れた。
「おい、そんなとこに入れてどうする気だ? これって、防火用の配管なんじゃ……」
「いいのよ。この水を王城内に撒くのが目的なんだから」
アデライーデはすべての水を流し終えると、壁に向けて指を彷徨わせた。
「ええと、どれが散水のボタンなのかしら?」
手当たり次第に壁にあるボタンを押していく。
「おまっそんな闇雲に押して大丈夫なのか!?」
「別にいいでしょ。どれだかよく分からないし」
「いや、それ、絶対に駄目だろう!」
ニコラウスがアデライーデの腕をつかんでやめさせようとする。そのタイミングで、廊下の遠くから誰かの悲鳴が響き、次いでもくもくと蒸気が漂ってきた。
「やだ、なんか違うもの撒いたのかしら?」
「だから言っただろうが!」
ほのかに硫黄を含んだ温泉水の香りがする。防火水の他に温泉水まで散水された様子だ。
「おあ、あの湯気……源泉の熱湯かぶった人間いたらどうするんだ?」
「仕方ないでしょ。それに狙い通りうまくいったみたいよ」
アデライーデがにやりと笑う。つられるようにニコラウスが遠くの気配を探ると、王城全体でざわついていた異形の者が、次第におとなしくなっていくのが感じられた。
「ほら! わたしの計算通りよ!」
「どうみても偶然の産物だろうがっ」
王城の廊下を急いで渡る。視界が悪い廊下は、温泉水の蒸気で煙った状態だ。その湯煙が王城内をゆっくりと移動していく。その範囲が広がるとともに、異形に憑かれていた者も次々と落ち着きを取り戻していくのが分かった。
不意に剣を手にした貴族が数人、ふたりの前に立ちはだかった。湯煙を前にしても、何者かに操られたかのように禍々しい気を纏っている。
「そう、あなたたちが首謀者の一味ってわけね」
ニコラウスとともに不穏な気を纏う貴族たちと対峙する。
「そいつらも操られているんだ。死なない程度に手加減しろよ」
「分かってるわよ。親玉を吐かせるまでは殺したりはしないわ」
一気に踏み込み、その貴族たちと剣を交えた。リーゼロッテの涙が効いているのか、貴族たちの動きは緩慢だ。しかし倒しても倒してもふらふらと置きあがってくる。
そのいたちごっこに息が上がる。アデライーデもニコラウスもずっと力を使い通しだ。疲弊が激しいのも仕方がなかった。
「うぉら! アデリー、お前こんな所で何やってんだ!」
湯煙の向こうから、猛然とバルバナスが現れた。襲い来る貴族たちには脇目もふらずに、一直線にアデライーデへと向かってくる。
「何って王城の警護に決まってるでしょ! そっちこそ今頃になってやってくるなんて、騎士団総司令の名が聞いてあきれるわ!」
「ああん? オレ様の許可なく危険な目に合うなんざ、いい度胸してんじゃねぇかっ」
言い合いながらも、切りかかる貴族たちをばったばったとなぎ倒す。その絶妙なコンビネーションを前に、ニコラウスは呆れたように肩をすくませた。
「ああ、もう! ほんとめんどくせーふたりだな!」
そう叫びながらも、戦闘のさなかに飛び込んでいく。
バルバナスたち騎士団の登場で、反乱ののろしを上げた貴族は、瞬く間に鎮圧されたのだった。




