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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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27-4

     ◇

「で、それがリーゼロッテの涙を薄めた液なのね」

 残り僅かな香水瓶を片手に、アデライーデが感心したように言った。


「リーゼロッテ……あなた、なんて言うかとても便利ね」

「……お役に立てて何よりですわ」


 足手まといの自分にしてみれば、よくやったと言える功績だ。少しでもジークヴァルトの役に立てるならばと、リーゼロッテは前向きに考えることにした。


「これをみなに渡せば、この騒ぎもなんとかなりそうね」


 しかし涙の原液は公爵家の部屋に置いてきてしまった。夜会の合間に、廊下にいる異形たちの苦しみを少しでも軽くできればと、薄めた香水瓶だけを忍ばせてきたのだ。


「申し訳ございません。わたくし、涙をすべて持ってくればよかったのに……」


 うなだれたかと思うと、リーゼロッテはがばりと顔を起こした。

「わたくし今ここで泣きますわ!」


 力強くこぶしを掲げ、ぐっと顔に力を入れる。唇をへの字に曲げて、懸命にふるふると震わせる。

「…………ちっとも泣けないっ!」

 若干涙目になるものの、粒はひとつも溢れてこない。


(こんな時に出ないなんて!)


 普段は必要以上に出るくせに、やはり自分は役立たずだ。リーゼロッテの顔が悲しそうに歪む。その勢いで泣いてしまえばいいものの、こんな時に限って涙は一滴も出てこなかった。


「ヴァルト様! 今すぐわたくしを泣かせてくださいませっ」


 ジャケットの胸元を勢いで掴む。ぐいぐいと引っ張りながら、その顔を見上げて懸命に訴えた。


「いや、いきなり泣かせろと言われても……」

「何かございますでしょう? 日頃わたくしに言いたいこととか不満に思っていることとか。悪口でも構いませんわ。さあ、遠慮なくぶつけてくださいませ!」

「日頃お前に言いたいこと……?」


 必死の懇願にジークヴァルトが眉根を寄せる。


 もっとこちらを向いてほしい。いつだって笑っていてほしい。自分以外の人間を見ないでほしい。ずっとこの腕の中にいてほしい。


 しかし、ジークヴァルトの頭の中で駆け巡ったのはそんな言葉だった。


「いや、そんなものは特にない」


 すいとそらされた視線を受けて、リーゼロッテは逃すまいとジークヴァルトの顔を自分に向けさせた。


「お顔をそらすのは何かある証拠ですわ! さあ、遠慮なく言ってくださいませ。わたくしどんな言葉も受け止めますから!」


 ぐいぐい胸元をひっぱられ、ジークヴァルトは前にめりにリーゼロッテと見つめ合った。可愛らしい小さな唇が目に入る。いっそこのまま口づけてしまえ。


 そうしてしまえば彼女は驚いて泣くかもしれない。一瞬だけそんな思いがよぎるも、ジークヴァルトは必死の抵抗で顔をそらそうとした。


「いや、ない。ないと言ったならない」

「嘘をおっしゃらないでくださいませ。ヴァルト様は何かを誤魔化そうとするとき、必ずお顔をそらすではありませんか」

「それでもないものはない」


 頑なに拒否するジークヴァルトの目の前で、リーゼロッテはむうと唇を尖らせた。


「そんなはずはございませんわ! 例えばわたくしの容姿の事とか……」

「お前の容姿?」


 一瞬口をつぐんでリーゼロッテは、意を決したようにジークヴァルトをじっと見上げた。


「例えば『お前、自分の顔を鏡で見たことはあるのか』とか、そういったことですわ」

「鏡くらいお前だって自分でのぞくことはあるだろう」


 何を言っているんだというふうの返しに、リーゼロッテは再びぐっと口をつぐんだ。


「ですから、お前は醜女(しこめ)だとか、つまりはそういうことですわ」


 この異世界では自分の容姿は可愛くはないのだ。リーゼロッテはそう信じて疑わない。どうしてわからないのかと、頬を膨らませてジークヴァルトを不満げに見やった。


「何を馬鹿な事を……お前は一体何が言いたいんだ?」

 あきれた様子のジークヴァルトは本当に理解できないといった様子だ。


「でしたらほかにもございますわ。例えば……」

「例えば?」

「む、胸が小さすぎるとか」

「胸が?」


 青い瞳がリーゼロッテの胸元を凝視する。


「……別にそのくらいでちょうどいいだろう」

「ちょ、ちょうどいい!?」


 途端にリーゼロッテが涙目になった。


(コルセットで寄せに寄せた上に、詰め物を詰めに詰めて、盛りに盛ったこのニセ(ちち)を、よりにもよって『そのくらいでちょうどいい』ですってぇ!?)


 わたし脱いだらしょぼいんです。それが確定となってしまったリーゼロッテの瞳から、もりもりと涙が溢れだす。


「なぜだ」


 ぎゅっと眉根を寄せて、ジークヴァルトは助けを求めるようにアデライーデの顔を見た。アデライーデはうつむいて口元に手を当てている。肩が小刻みに震えているのは、笑いを必死にこらえているからだ。


 その間にリーゼロッテの頬から滑り落ちた涙が水差しへと零れ落ちていく。一粒一粒落ちるたびに、水面に緑の波紋が広がった。


「うう、これを騎士団のみな様でお使いくださいませ。量が足りないかもしれませんが……」


 涙ながらにその水差しを差し出すと、リーゼロッテは小さくすんと鼻をすすった。


「わたしにいい考えがるからこれだけあれば十分よ。ありがたく使わせてもらうわ。それに安心して、リーゼロッテ。あとでジークヴァルトは粛清しておいてあげるから。それとヴァルト、いくらここが安全だからって変な気を起こすんじゃないわよ」


 くぎを刺すように言って、アデライーデは再び王城の混乱へと飛び込んでいった。


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