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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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26-7

     ◇

 アデライーデは錯乱した同僚に向けて、なんの躊躇もなくその拳を叩きつけた。腹にめり込んだ一発は、大柄な騎士を王城の廊下の壁へと吹っ飛ばした。


「何なのよ、一体」


 肩で息をしながら呟いた。異形に憑かれているのは一目瞭然だったので、拳に力を込めながらの格闘が続いていた。


「アデライーデ!」

 ニコラウスが足早に寄ってくる。


「怪我はないか?」

「わたしは大丈夫よ。一体何が起きているの?」


 辺りを見回すも、不安を煽るような波動はさらに重く濃くなってきているのが感じられた。


「首謀者は分からないが、王太子殿下のお命が狙われている」

「ハインリヒ殿下はいまどこに?」

「先ほど安全な場所に行かれたはずだ。今バルバナス様たちがこちらに向かっていると連絡がきた。それまで持ちこたえるしかないな」


 そこまで言うと、ニコラウスはアデライーデを嫌そうに見た。


「ていうかお前、バルバナス様に黙ってここに来ただろう?」


 毎年、年越しは騎士団の城塞でバルバナスと共に迎えていた。今日は朝からどこに行ったと探し回っていたに違いない。どうせすぐに居場所がばれて連れ戻されることは分かっていた。


「結果、役に立っているからいいでしょう?」


 おかげでバルバナスの到着は、アデライーデが夜会に来なかった時より早くなるだろう。


「そういう問題……なのか?」

 ニコラウスはバルバナスの雷が、自分にまで落ちないことだけを祈るばかりだ。


「……ハインリヒ!」

 突然そう叫んだかと思うと、アデライーデが駆け出した。


「え? おい、アデライーデ!」


 追いかけるもすぐその背中を見失ってしまう。王城の奥深くは迷路のようだ。アデライーデは子供の頃から出入りしていたらしいが、ニコラウスには無縁の場所だった。


 途方に暮れたように、ニコラウスは仕方なしに来た道を戻り、バルバナスの到着を待つことにした。


     ◇

 廊下の向こうで、数人の貴族に囲まれ苦戦しているハインリヒが目に入る。


「伏せて!」


 叫びながら細剣を貴族目がけて一閃する。渾身の力を叩きつけられた男たちは、昏倒するようにその場にバタバタと倒れ伏す。


「アデライーデ……」

 声掛けと共にしゃがみこんでいたハインリヒが、青ざめたまま立ち上がった。


「峰打ちです。死んではおりませんのでご安心ください」


 転がる男たちを見やりながら、剣を鞘に納める。ハインリヒの意図することは分かってはいたが、今は一介の王城騎士と王太子の立場だ。


「ここは危険です。今、王兄殿下が王城へと向かっています。それまでは近くの安全な場所へ移動なさってください」


「アデライーデ、わたしは……」


 苦し気な顔をして、ハインリヒはこの場を動こうとしない。その顔をアデライーデはきっとにらみつけた。


「そんな顔をしている場合ですか? 王太子殿下、あなたには為すべき大事なことがあるでしょう?」


 ハインリヒはこの国の命運そのものであり、この場にいる誰よりもいちばんに守られるべきものだ。それこそ王や王妃よりも優先されると言ってよい。


「だが、わたしは君に……」


 その直後、倒れていた男のひとりが、突如ハインリヒに襲い掛かった。すかさずアデライーデが回し蹴りを食らわせる。壁に叩きつけられた男が倒れ込むのを確認してから、アデライーデはハインリヒに向き直った。


「ああ、もう、辛気臭い顔をして! いいわよ、いつか殴りに行ってやるわよ!」

「え?」


 再びゆらりと起き上がった男の顔面に、アデライーデの右ストレートがめり込んだ。床を滑るように転がった男の口から、かつんと何が飛び出していく。廊下の暗がりに転がっていくそれを目で追って、アデライーデがぼきりと大きく拳を鳴らした。


 次代の託宣を受けた子が授かれば、守護者もその子へと受け継がれていく。その時点でハインリヒは、守護者の呪縛から解き放たれることになる。それはハインリヒが、どんな女性に触れても大丈夫になるということで。


「ハインリヒの託宣が果たされたら、遠慮なく殴らせてもらうから。首を洗って待っていることね」

「……分かった、その心づもりでいよう」


 目の前で頬を腫らして昏倒している男を見やり、ごくりとのどが鳴る。自分も奥歯の数本は覚悟しておかねばならないだろうと、ハインリヒは神妙に頷いた。


「アデライーデ……すまない」

「次にそれ言ったら、二発にするから」

「ああ、そうだな……ありがとう、アデライーデ」

「っふ、馬鹿ね。さあ、行きなさい!」


 その笑顔に押されるように、ハインリヒは走り出した。安全な場所には心当たりはある。迷路のような王城だが、その見取り図は頭の中にすべて入っている。


(だが、まずはアンネマリーだ)


 彼女を捨て置いて、自分だけが安全な場所にいるのだけは耐えられなかった。


 その姿を求めて、ハインリヒはひたすら王城の廊下を駆け抜けた。


     ◇

 遠くでざわめきが聞こえる。よくは分からないが、人が浮き足だっているようなざわつきを、アンネマリーはその肌に感じていた。

 廊下の向こうから誰かが駆けてくる。かなり慌てているような足音だ。


「王子殿下……!」


 その暗がりから現れたハインリヒの姿に、アンネマリーは青ざめて立ち上がった。礼を取るのも忘れてその場に立ち尽くす。


「ア……クラッセン侯爵令嬢、詳しい話はあとだ。わたしについてきてくれ」


 こわばったような声音で言われ、アンネマリーの体も緊張で硬くなる。久しぶりに聞く声に、涙が出そうになった。


「ここは危険なんだ。いいから早くしてくれ」


 振り向き、苛立ったように言われる。王子自らが迎えに来るなど、あの令嬢に頼まれでもしたのだろうか。

 だとすると、ハインリヒはあの令嬢のことを、相当大切に思っているのかもしれない。不興を買った自分など、誰かに任せておけばそれで済むはずだ。

 胸が痛むままハインリヒの背を追って、アンネマリーは黙って廊下を進んで行った。


 不意に廊下の角から王城騎士が剣をその手に襲いかかってきた。


「きゃあ!」


 キィンと金属がぶつかり合う音がして、王子が騎士と切り合う姿が目に入った。自分を背にかばうように立ち、騎士相手に幾度も切り結ぶ。


「どうして近衛の騎士が……」


 まるで事情が把握できない。そんなアンネマリーの目の前で、騎士の腹にハインリヒの剣の柄がめり込んだ。壁に吹っ飛ばされた騎士は、そのままぐったりとうなだれて動かなくなる。


「こちらへ。急ぐんだ」


 肩で息をするハインリヒに、廊下の先を行くように言われる。次に行く方向を口頭で指示されながら進むも、アンネマリーは不安に駆られて振り返った。

 別の男ともみ合いながら、剣を切り結ぶハインリヒが目に入った。


「王子殿下!」

「いいから君はまっすぐ進むんだ! 突き当りに部屋がある。そこまでまっすぐ走れ! 命令だ!」


 強く言われ、アンネマリーは振り向くことなく言われた部屋へと飛び込んだ。扉の向こうから剣がこすれ合う音がする。震えながら耳を塞ぐ。目の前で王子が襲われているというのに、自分は何もできずにむしろ足手まといとなっている。


 人が倒れるような音がして、廊下の向こうが無音となった。はっとしたアンネマリーは慌てて扉から廊下をのぞき込もうとした。


 不意に息を切らしたハインリヒが扉から飛び込んできた。息遣いが届くようなすぐそこの距離で、紫の瞳に凝視される。驚きでアンネマリーは一瞬呼吸が止まるかと思った。


「奥へ。もう少し離れてくれ」

 冷たく言われ、入り口で立ちふさがるようにしていたアンネマリーは我に返った。


「申し訳ございません……!」


 慌てて距離を取り、勢いで奥の壁まで後ずさった。その様子に王子の顔がぎゅっと歪む。あからさまな態度が気に障ったのだろうか。アンネマリーは不安で泣きそうになった。


 扉を閉め、ハインリヒは確かめるように鍵をかける。廊下へと気配を辿り、しばらくするとこちらを振り返った。


「もっと中央にいてくれないか?」


 言われた通り、アンネマリーは部屋の中心へと移動した。ここは儀式か何かを行う場所だろうか。部屋の中央には大きな円陣が描かれ、古代文字のような読めない記号が描かれている。


 ハインリヒは確かめるようしながら、壁伝いに部屋をぐるりと一周した。壁一面には繊細なレリーフが彫られ、そして天井には美しい幾何学模様が施されていた。


 部屋の中なのに風の流れを感じる。凍えるほどではないが、肌が粟立つほどには寒く感じて、アンネマリーは無意識に自身の腕をぎゅっと抱きしめた。


「ここに」

 一通り部屋を歩いて回っていたハインリヒが、不意に一枚のハンカチを床の上に広げて置いた。


「君はここに座っていて」


 お王子の命令ならばと、アンネマリーは置かれたハンカチの横に座ろうとした。


「その上に座ってくれ。気休め程度の大きさだが」


 顔をそらされたまま言われたが、アンネマリーは戸惑いながらもその背に礼を取った。

「お心づかい感謝いたします」


 言われたとおりに座ってみたものの、王子とふたりきりの状況にアンネマリーはどうしたらいいのかがまるで分らなかった。流れる風がアンネマリーのおくれ毛を揺らす。壁際よりも温かく感じるが、寒さに震える腕を抱きしめ不安げに部屋の中を見回した。


 不意に目の前に何かがばさりと投げ飛ばされた。見ると、床の上に王子が着ていた仕立ての立派なジャケットが無造作に落ちている。


「それを羽織っていてくれ」

 やはりそっぽを向かれて言われた。


「ですが、それでは王子殿下が……」


 この部屋は上着を着ていても肌寒く感じられるだろう。国の王太子を差し置いて、自分が暖かい思いをするなどアンネマリーにはできなかった。


「わたしが君を見ていて寒いんだ。いいからそれを羽織ってくれ」


 駄目押しのように命令だ、と言われ、アンネマリーはおずおずとそれを手に取り自らの肩に羽織った。ふわりとハインリヒのにおいが広がる。殿下の庭でいつも感じていた、あたたかでやさしい波動だった。

 胸が痛いくらいに締め付けられて、アンネマリーの顔がくしゃりとゆがんだ。


 不意に頬に感じていた風の流れが止まる。不思議に思って顔を上げると、少し距離を置いた床に、ハインリヒが背を向けて座っていた。その髪の毛が風でさわさわと揺れている。


(ハインリヒ様が壁になってくれているんだわ)


 ハインリヒは部屋の中を確かめるように歩き回っていた。部屋の中でいちばん暖かい場所を選んでアンネマリーに座らせて、さらに自分が風よけとなるためにそこにいるのだ。


 アンネマリーはそのことが分かると、もう涙がこらえられなくなった。自分が好きになったのは、二度と姿を見せるなと言った相手すら、見捨てることができないやさしい人だ。


 アンネマリーののどから嗚咽が漏れる。こんな狭い空間で泣かれるなど、王子にさらに嫌な思いをさせてしまう。そう思うも涙は止められなかった。

 案の定、ハインリヒはこちらを振り返り、苦しそうな顔をした。


「この部屋は龍の加護で守られているから安全だ。それに、じきに叔父上が騎士団を引いてやってくる。それまでは、頼む……怖いだろうが、耐えてくれ」


 思わず顔を上げると、まっすぐにこちらを見ていたハインリヒと目が合った。あの殿下の庭で過ごしたときと同じ距離感で、紫の瞳と見つめ合う。


 水色の瞳から涙が零れ落ちる様を、あの日と同じようにハインリヒもじっと見つめ返した。


 お互いの瞳に捕らわれたように、ただ黙ってふたりは見つめ合っていた。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。突然、異形に憑かれた者たちが暴れだした夜会。ジークヴァルト様に守られながら、わたしたちも安全な場所へと避難して。そして、王城の奥深くの部屋でふたりきりとなった王子殿下とアンネマリー。惹かれ合うふたりが辿る運命とは……?

 次回、2章第27話「陰謀の夜会 –後編-」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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