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ジークヴァルトに抱えられて、再び元の場所へと戻ってくる。しかし、そのままフーゴの横を通り過ぎ、ジークヴァルトは奥に置かれた休憩用のソファへと向かった。
イザベラはブラル伯爵に回収されたようだ。同じように戻ってきたニコラウスが安堵のため息をついている。
不意にジークヴァルトの不穏な動きを察知して、リーゼロッテはそうはさせまいと強めに言った。
「お膝抱っこは、なさらないでくださいませね」
リーゼロッテを抱えたまま座ろうとしていたジークヴァルトは、一瞬動きを止める。それから渋々と言った感じで、リーゼロッテを隣のソファへと座らせた。その横へと自分も腰かける。
「夜会であーんは禁止ですわ」
テーブルに置いてあった菓子に手を伸ばそうとしたジークヴァルトに、間髪入れずに言葉を発する。何事も先手必勝だ。ジークヴァルトは強気に出れば、ものによっては自分の意見を押し通せることを、リーゼロッテはこれまでの経験でしっかりと学んでいた。
仕方なしにジークヴァルトは、ひとつのグラスを手に取って、リーゼロッテに差し出してくる。
「酒は口にするなよ」
「心得ておりますわ」
笑顔で受けとりグラスに口をつける。よく冷えた果実水が運動後の体に染み渡る。アデライーデとのダンスはそれはそれは楽しかった。ジークヴァルトがやってこなかったら、もう一曲くらい踊りたかったくらいだ。
そうしているうちに、義父母に加えて、エラにニコラウス、エーミールとエマニュエル、そしてヨハンがリーゼロッテたちを取り巻くように集まってきた。ジークヴァルトはともかく、自分ばかりが座っているのも申し訳ないように思う。だが、自分は公爵の婚約者の立場だ。ここは堂々と隣に座っているべきなのだろう。
「まったく、相変わらず過保護なんだから」
遅れてやってきたアデライーデが呆れたように言う。リーゼロッテの手を取りその指先に口づけた。
「今日は楽しかったわ。もう時間だからわたしはもう戻るわね」
「アデライーデお姉様……」
ぽっと頬を染めたリーゼロッテの小さな手を、ジークヴァルトが奪い返すように引き寄せる。それを楽しそうに見やってから、アデライーデは任務へと戻っていった。
華やかな貴族たちの人波の中に消えていくアデライーデの背中を、リーゼロッテはじっと見送った。
(アデライーデ様は本当に格好いい方だわ)
見た目の美しさだけではない。厳しさの中に見え隠れするやさしさと、不幸な境遇に屈しないしなやかさ。流されるままの自分には持ちえない輝きが、リーゼロッテの目には眩しく映った。
(それにしても、きらびやかな世界ね)
思い思いに着飾った貴族たちが、目の前を行き交っていく。自分がこの世界の住人であることに、いまだ慣れないリーゼロッテだ。
「あの眼帯……」
アデライーデが白の夜会でつけていたようなゴシック調の眼帯で着飾る淑女が目に入った。
「白の夜会のあと、マダム・クノスペの元に注文が殺到したらしいですわ」
エマニュエルの言葉に会場を見回すと、幾人も眼帯をつけた夫人がいるのが目に入った。
「しみやしわ隠しに、年配のご婦人に大うけしているそうですわ」
「そ、そうなのですね」
思わぬところに需要があったものだ。リーゼロッテがさらに会場を見回すと、ふとピンクブロンドの令嬢が目に入った。
「あ、あの方……」
この国ではピンクブロンドは珍しい髪色だ。
(ジークヴァルト様に婚約破棄を言い渡されることはなさそうだけど……)
リーゼロッテの中で、乙女ゲームの悪役説はいまだ残ったままだった。ピンクブロンドの可愛らしい令嬢がいたら、それはゲームのヒロインに違いない。そんな偏見と思い込みの中、リーゼロッテはその令嬢を凝視した。エマニュエルが同じ方向へと視線を巡らせる。
「どの方のことでしょう?」
「ほら、あのピンクの……」
そこまで言うと、その令嬢がこちらを振り返った。しかしその令嬢は、ピンクの羽がついたゴシック眼帯をつけた、かなり年配のご婦人だった。
「あちらはティール公爵のご母堂様ですわ。あの方がどうかなさいましたか?」
「い、いいえ……ピンクブロンドの方かと思ったのですが……」
その実、年甲斐もなくピンクで着飾ったご婦人だった。楽しそうな甲高い笑い声をあげては、周囲を苦笑いさせている。
「あの方は昔からピンクのお色が好きでいらっしゃいますから」
エマニュエルは苦笑しながらも丁寧に解説してくれた。
(はや〇やパー子さん……)
リーゼロッテが陽気にカメラをパシャパシャ撮る姿を思い描いていると、エマニュエルがふふと笑った。
「ピンクブロンドの髪をした方は、滅多にいらっしゃいませんからね」
「最近デビューされたご令嬢に、どなたかいらっしゃらないでしょうか?」
リーゼロッテの問いかけに、周囲にいた者たちが困惑気味に目を合わせる。
「若いご令嬢でピンクブロンドの方はいないかと」
「そうね、心当たりならおひとりだけいらっしゃるけれど……」
エマニュエルの言葉を引き継ぐように、クリスタが小首をかしげた。
「まあ! どなたですの、お義母様」
前のめりに聞くリーゼロッテを不思議そうにみやりながらも、クリスタはにっこりと笑顔を返した。
「テレーズ王女殿下よ」
「え? テレーズ様?」
この国の第二王女であるテレーズは、数年前に隣国の王子へと嫁いでいる。
(乙女ゲーム、既に終了説濃厚……?)
こてんと首をかしげて、リーゼロッテは隣に座っているジークヴァルトの顔を見上げた。
「あの、ジークヴァルト様、今後、婚約破棄のご予定などは……」
「? そんなものあるわけないだろう」
突然の発言に、ジークヴァルトの眉間にしわが寄せられたのは言うまでもなかった。




