第26話 陰謀の夜会 –中編-
【前回のあらすじ】
リーゼロッテが新年を祝う夜会に向けて準備を進める中、アデライーデに振り回され気味なエーミールとニコラウス。
紅のしるしをもつ女を女神とあがめるミヒャエルは、国家転覆をたくらみます。
そんな中、舞台は夜会の会場へと移り、リーゼロッテはジークヴァルトと共にファーストダンスを踊ることになるのでした。
貴族たちが見守る中、ジークヴァルトにエスコートされてダンスフロアへと進んでいく。先を行くのは王と王妃だ。ふたりがフロアの中央に立つ姿を確認し、左の空いたフロアへと移動する。後に続いていた王子と令嬢姿のカイは、右隣りへと進んでいった。
自分たちの姿に不躾な視線が向けられたが、令嬢を連れた王子が姿をあらわすと、フロア全体がどよめくのが分かった。王の登場に静まっていたその場が一転、囁き声でうめ尽くされていく。
騒然とした雰囲気のまま、オーケストラの演奏が始まった。まずは王と王妃が踊りだし、一節置いてからリーゼロッテも最初のステップを踏み出した。
(今はダンスに集中しなくちゃ)
なぜ自分たちがこの場で踊ることになったのか。詳しい理由は分からないが、王子の態度を見ると、自分たちの存在がこの場に必要だったのかもしれない。それは王子とカイにばかり注目がいかない様にするための、話題提供のようなものだろうか。
なんにせよ、今ここで自分が踊っているのは、ジークヴァルトがいてこそだ。公爵である彼は、王族と並ぶにふさわしい立場と言えるだろう。
(ジークヴァルト様に恥をかかせるわけにはいかないわ)
夜会用の高いヒールにも随分慣れた。新しい靴に靴擦れの痛みを感じるが、今は気合で乗り切るしかない。
(いでよ! アドレナリン!)
優雅にターンを決めながら、そんな言葉が脳内をこだまする。幸い、フロア内に異形の者の姿はなかった。広いスペースの中リーゼロッテは、ジークヴァルトと見つめ合いながらのびのびと踊った。
やがてワルツは終わりを告げ、リーゼロッテはジークヴァルトと向かい合わせになって互いに礼をする。
(やっぱりヴァルト様とはすごく踊りやすいわ)
少しばかりステップが乱れても、ジークヴァルトがさりげなくフォローしてくれる。息の合ったダンスというよりは、息を合わせてくれているといった感じだろうか。
(かゆい所に手が届くダンス、というのもアレかしら?)
何かほかに適切な表現はないものかとリーゼロッテが小首をかしげた時、いつの間にか壇上に登ったディートリヒ王から、夜会開始の宣言がなされた。
「過ぎる年に感謝し、来るべき新年を祝う夜会の始まりだ。今宵ばかりはすべての憂いを忘れ、存分に楽しむといい」
重い声が響くとわっと歓声が上がり、貴族たちは思い思いに動き出す。ダンスフロアにも人がなだれ込むが、一目散にハインリヒ王子に向かっていく一団が目に入った。
ハラハラしならその動きを目で追っていくと、王子とカイは既に壇上にいた。王と王妃の座る玉座の斜め後ろに立ち、耳元で何かを囁き合っている。しばらくすると、王子はカイを丁寧にエスコートしながら、王族専用の扉を出ていった。
(よかった……王子殿下は無事に退場されたみたい)
この人だかりに囲まれでもして、誰か女性が王子に触れるような事態に陥ったら、どんな惨事になるか分からない。今まで王子は、さぞかし気が休まらない日々を送ってきたのだろう。今さらながらにそんなことを思った。
「抱くぞ」
「え?」
不意に耳元でそう言われ、リーゼロッテの体が浮き上がる。
「なな何をなさるのですか」
「お前、足を痛めているだろう。隠してもわかるぞ」
周囲にいる貴族の視線が刺さる。抱き上げられたこの状況を回避するには、一体どうしたらいいのだろうか。そんなことを考えるも、ジークヴァルトはお構いなしに歩き出した。
リーゼロッテを横抱きにしたまま、ずんずんと進んでいく。そんなジークヴァルトを前に、驚き顔の貴族たちが次から次に道を譲っていった。
恥ずかしさのあまりその首筋に顔をうずめる。足は痛いには痛いが、歩けないほどではない。なんとか降ろしてもらおうと、リーゼロッテは青い瞳を覗き込んだ。
「ヴァルト様……わたくし歩けます」
「なるべく目立つように言われている。堂々と顔を上げていろ」
逆に耳もとで囁かれてしまう。やはりこれは王子に注目がいかないための陽動作戦なのだ。命令とあらば、自分もそれに従うしかないだろう。
覚悟を決めてリーゼロッテはその顔を上げた。すれ違う貴族たちに物珍し気に見つめられて、客寄せパンダの気分になってくる。
(もういいわ! やるならとことんやってみせるわ!)
開き直って、これ以上はないというくらいの渾身の淑女の笑みを作った。夜会で抱き上げられて、ニコニコ笑っている令嬢など前代未聞だろう。こうなったらジークヴァルトも道連れだ。王族の命令ならば、恥もまるごと一蓮托生ということだ。
甘えるようにぎゅうっとしがみつく。しあわせそうな笑みを作り、目が合った貴族には思いっきり微笑み返してみせた。
笑顔を向けた貴族は、みな示し合わせたようにさっと目をそらしていく。ジークヴァルトはジークヴァルトで、見せつけるようにあてどもなく会場の中を練り歩くものだから、珍獣を見るような視線に次から次へとさらされた。
だがそんな痛い視線にも次第に慣れてくる。気分がおかしな方向にハイになり、最後の方はなんだか楽しくなってきてしまった。
(出てるのはアドレナリンというよりエンドルフィンかも……)
どうせ目をそらされるならばと、笑顔を大盤振る舞いしながら、そんなことを思う。しかし、みなが目をそらすのは、リーゼロッテが微笑みかけた者たちを、ジークヴァルトが眼光鋭く睨みつけるからだ。
リーゼロッテのこの笑顔は、実のところ淑女の鏡だと大絶賛を浴びていた。のちに淑女教育のお手本となり、リーゼロッテスマイルとして後世まで語り継がれるなど、本人は知る由もない。
行く先に見知った者たちの姿を認めると、珍獣行脚もようやく終わりを告げた。フーゴとクリスタの前で降ろされて、リーゼロッテはようやく息をつく。
「やあ、リーゼロッテ。元気そうで何よりだよ」
「ふふ、ジークヴァルト様と仲良しさんで安心したわ」
「お義父様、お義母様……その、今日はお会いできてうれしいですわ」
行脚への突っ込みがないため、かえって返答に困ってしまった。ニコニコ顔の両親の後ろにジルケとアンネマリーの姿が見える。
「アンネマリー! ジルケ伯母様も」
小走りで駆け寄るも、ここは夜会の会場だ。いつものようにハグし合うわけにはいかないので、リーゼロッテはふたりの前で淑女の礼をとった。
「ジルケ伯母様、ご無沙汰しております。アンネマリーも会えてうれしいわ」
「リーゼロッテも元気そうね」
アンネマリーは少し複雑そうな顔をして微笑んだ。




