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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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25-4

     ◇

「ええ? わたくしたちがファーストダンスを?」


 夜会の開始よりも数時間早く王城へ到着したジークヴァルトは、リーゼロッテと共に豪華な控え室へと通されていた。

 リーゼロッテの桜色の唇を見つめながら、ああ、と短く返事をする。あの柔らかさを自分は知ってしまった。いや、思い出してしまったと言うべきなのか。


「どうしてわたくしとヴァルト様なのですか? この夜会は王家の主催で行われるのですよね」


 動揺したように見上げてくるリーゼロッテの唇が、可愛らしく抗議を伝えてくる。


 今すぐあの唇に口づけたい。小さな唇を押し開き、自分よりも薄い舌を探し当てて、逃がさないよう絡めとりたい。彼女のすべてにこの舌を這わせ、自分で埋め尽くしてしまいたい。


「ジークヴァルト様?」


 至近距離で覗き込まれる。大きな緑の瞳が飛びこんできて、ジークヴァルトははっと我に返った。


 ここは王城の一室だ。それも龍の加護が厚く、異形が近寄れぬほどの守りが施されている。言うなれば、この部屋で公爵家の呪いが発動することはない。自分の心根次第で、リーゼロッテをどうにでもしてしまえる、とても危険な場所だった。


 (いまし)めるように、己の守護者がしでかした日の事を思い出す。彼女を二度と泣かせるわけにはいかない。そう胸に誓って今日まで堪えてきたはずだ。


 リーゼロッテへと向けられるこの衝動の正体は何なのか。ジークヴァルトはいまだにそれがよく分からない。彼女は龍が決めた託宣の相手だ。口づけくらいしたとして、どうということはないだろう。

 何しろ父と母は日常いたる所で口づけを交わしていた。夫婦とはそんなものだというのがジークヴァルトの認識だ。


 では、なぜそうすることにためらいを覚えるのか。それはただ単に拒絶が怖いからだ。もしあの日のようにリーゼロッテに泣き叫ばれでもしたら、自分は一体どうなってしまうのだろうか。


 長いこと忘れ去られていた喜怒哀楽を、思い出させてくれたのは、他でもないリーゼロッテだった。そして、失うことへの恐怖心を再び呼び起こしたのも、間違いなく彼女の存在だ。

 ぐっと唇を引き結んで、ジークヴァルトはリーゼロッテから目をそらした。


「ファーストダンスを踊るのは、オレたちだけではない。王と王妃、そしてハインリヒもだ」

「王子殿下が?」


 リーゼロッテが不思議そうに問う。


「ですが、王子殿下は女性に触れることができないのですよね。パートナーはどなたがお勤めになるのですか?」

「それは……会えば分かる」


 歯切れ悪くジークヴァルトがそう言った時、部屋に迎えがやってきた。ふたりは夜会の会場へと移動した。


     ◇

 緊張した面持ちでリーゼロッテはその場に足を踏み入れた。扉を隔てた向こうから夜会の会場の喧騒が聞こえてくる。ここは()わば楽屋のような場所だ。ファーストダンスを務める者が、出番が来るまで控えるための部屋だった。


 豪華な調度品が置かれたそこにはまだ誰もいなかった。ジークヴァルトにエスコートされて、リーゼロッテは置かれたソファへと浅く腰かけた。ドレスにしわが寄らないように細心の注意を払う。


 しばらくすると、王妃を連れたディートリヒ王が現れた。リーゼロッテは立ち上がり、隣にいるジークヴァルトと共に礼を取る。


「そうかしこまらずとも良い」


 王の許しを得て顔を上げると、リーゼロッテはディートリヒ王の金色の瞳と目を合わせた。みごとな赤毛の偉丈夫(いじょうふ)だ。見た目はバルバナスと似ているのに、纏う雰囲気がまるで違う。すべてを見透かされているような視線に、リーゼロッテは慌てて瞳を伏せた。


「フーゲンベルク公爵、今日は大儀だったわね」

「いえ、これも王太子殿下に仕える者として当然の事です」


 ジークヴァルトが王妃に礼を取ると、イジドーラは次にリーゼロッテへと視線を向けた。


「ダーミッシュ伯爵令嬢。今日のドレスはまた華やかね」

「お褒めにあずかり光栄でございます、王妃殿下」


 リーゼロッテが礼を取ると、ハインリヒ王子がひとりの令嬢をエスコートしながら現れた。その見たことのない令嬢に、リーゼロッテは不敬になることも忘れて目を見開いた。


 女性にしては背が高いその令嬢は、切れ長で琥珀色の瞳をした、どことなくイジドーラ王妃に似た印象の令嬢だった。何より、ハインリヒ王子が何事もなくその手を握っている。


(もしかして、あの方が王子殿下の託宣のお相手……!?)

 ジークヴァルトが会えば分かると言ったが、そう言うことなのだろうか。


「ジークヴァルト……それにリーゼロッテ嬢も、今日は無理を言ってすまなかった」


 ハインリヒにそう言われ、リーゼロッテは僅かに首をかしげた。王子が人払いをすると、部屋の中には王と王妃、ハインリヒと謎の令嬢、そしてジークヴァルトと自分の六人だけとなる。

 使用人が出ていくと、ハインリヒは不自然なまでの大きな動作で、エスコートしていた令嬢から距離を取った。そんな王子を令嬢は意に介していないようだ。


「ごきげんよう、リーゼロッテ様」


 令嬢がリーゼロッテに微笑んだ。思ったよりもハスキーな声に、リーゼロッテは反射的に礼を取った。


「お初にお目にかかります。ダーミッシュ伯爵の娘、リーゼロッテでございます」


 名を呼ばれたのに、また自分で名乗ってしまった。だが、自分は相手の名も地位も知らないのだ。どの対応が正しいのかも分からず、リーゼロッテは礼の姿勢を崩せずにいた。


 ぷっと笑い声がして、口を開いたのはハインリヒ王子だった。


「意外とばれないものだな」

「あら、このわたくしが化粧を施したのよ。それも当然のこと」


 含みを持たせたイジドーラ王妃が笑みを刷く。


「いいから顔をお上げなさい」


 王妃に言われ、リーゼロッテおずおずと顔を上げると、謎の令嬢が優雅な足取りでリーゼロッテへと近づいてきた。


「はじめましてなんて、冷たいのね」


 いたずらっぽくウィンクを返す琥珀色の瞳を前に、リーゼロッテは淑女のたしなみも忘れて目を見開いた。


「か、カイ様!?」

「はは、正解」


 目の前にいるのは確かにきれいな令嬢なのに、頭が混乱してしまう。言葉を失っているリーゼロッテを前に、カイはいつもの口調で微笑みかけた。


「オレ、昔からハインリヒ様のパートナーを務めてるんだ。王太子殿下が全く踊らないのは不自然だろうってことで」

「そう……だったのですね」

「ってことで、今日、オレのことはカロリーネって呼んでくださるかしら? ね、リーゼロッテ様」


 イジドーラに似た妖艶な雰囲気を醸しながら、途中から艶やかなハスキーボイスになっていく。目を白黒させているリーゼロッテを、カイはおもしろそうに見やった。


「まあ、冗談はさておき、今日のドレスもよく似合っているね。その生地は隣国の物?」

「はい、こちらの織物はジルケ伯母様からいただきました。今宵はアンネマリーも、同じ生地で仕立てたドレスで参加しているはずですわ」


 リーゼロッテのその言葉に、ハインリヒ王子が息をのむのが分かった。それに気づくと、リーゼロッテははっとする。


 アンネマリーと王子は思いあっていた。だが、王子の気持ちを直接聞いたわけではない。アンネマリーからはその切ない思いを聞かされはしたが、託宣の相手を探す王子の心がいまだアンネマリーにあるのかは、リーゼロッテには分からなかった。


(でも、この王子殿下のご様子……王子もまだアンネマリーの事を……)


 ハインリヒはリーゼロッテのドレスを見やり、すぐに苦しそうに視線をそらした。王城の託宣の間の前で、王子はとてもつらそうな顔をしていた。だが、今はそれ以上に青ざめているようにリーゼロッテの目には映った。


「時間だ。王妃よ、手を」


 ディートリヒ王がイジドーラへと手を差し伸べる。その手のひらに、王妃が優雅な動作で長手袋をはめた手を乗せると、会場への扉が開かれた。

 きらびやかなシャンデリアの明かりが眩しく映る。


 これから王に並んでダンスを踊るということを思い出し、リーゼロッテの緊張は一気に高まった。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。いよいよ始まった新年を祝う夜会! ジークヴァルト様の過保護ぶりは相変わらずだけど、夜会を満喫するわたしです。一方、アンネマリーは王子の姿にいまだ心乱されて。和やかな雰囲気で進む舞踏会に、忍び寄る陰謀の影とは!?

 次回、2章第26話「陰謀の夜会 –中編-」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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