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「お婆様、お元気そうで安心いたしましたわ」
雪景色が見える温室で、アデライーデは優雅にほほ笑んだ。時間を止めたように、ここは何もかもがあの頃のままだ。だが、ウルリーケは随分と年老いて見えた。その分だけ、その頑固さが昔よりもいっそう際立ったように感じられる。
「お前はまだ騎士の真似事などしているのね? 悪いようにはしないから、わたくしの元へお戻りなさい。何か欲しいものはない? お前のためならばなんだって手に入れてやるわ」
「お婆様……」
少し困ったように小首をかしげた。ウルリーケは一度心を許した相手にはとことん甘い。アデライーデは子供ながらにそれをよく知っていて、いい子を演じてはウルリーケに高価なものを強請ったものだった。
今思えば、ジークヴァルトにかかりきりの父母に対する当てつけだったのだろう。公爵令嬢とは言え、不相応に高価なものに囲まれるアデライーデを、周囲は複雑そうに見つめていた。
当時、辺境伯の地位についていた祖父の元へ預けられたのも、そのことが起因していた。ウルリーケの元から離され、アデライーデは見捨てられたような気分を幾重にも味わった。
「今からでも遅くはないわ。お前とエーミールとの婚姻を進めましょう。地位が必要というのなら、確かスタン伯爵家の爵位が空いていたわね。わたしからディートリヒに口添えをしてやるから安心なさい。公爵令嬢のお前には屈辱かもしれないけれど、ふたりの子供にグレーデン家を継がせてもいいのだから」
興奮気味に語るウルリーケに、アデライーデは緩く首を振った。そのやせ細った手にそっと自身の手を添える。
「そのお気持ちだけでうれしいですわ。ですが、エーミールには相応の相手をお選びになってください」
悲し気に目を伏せる。顔良し家柄良しのエーミールならば、もっと条件のいい家へと婿養子に望まれるだろう。実際にそんな話はグレーデン家へ舞い込んでいるはずだ。
ウルリーケは自分の息のかかる親類縁者に対して、思うがままの采配で婚姻関係を結ばせていた。王族であったウルリーケに逆らえるものはいない。それは、降嫁する際に、王家から鉱脈の採掘権を携えて彼女がやってきたからに他ならない。
この権利はウルリーケだけが有するものだ。そのウルリーケが亡くなった折には、王家へとその権利が返上されることが初めから決まっている。グレーデン家で女帝のように振舞い、周囲の者が逆らえないでいるのもこのことが原因だった。
「おお、可哀そうなわたくしのアデライーデ! エーミールはお前のためにどこにもいかせないでいたのよ。何も心配せずにお前はわたくしにすべて任せなさい」
その時、乱暴に温室の扉が開け放たれた。使用人が慌てたように誰かを制しているが、その人物はお構いなしにずかずかとこちらに向かってきた。
「休暇は終わりだ。今すぐ帰還するぞ」
「バルバナス……!」
雪に濡れたバルバナスに、ウルリーケが憎悪の顔を向けた。
「誰がお前の来訪を許しましたか! 今すぐ立ち去りなさい!」
興奮したように立ち上がる。そばで控えていたメイドが慌てたようにその背を支えた。
「ウルリーケの婆さんよ、あんたはもう王族じゃねえんだ。そっちこそ立場を弁えてもらおうか」
バルバナスの冷酷な物言いに、ウルリーケは激高した様子でさらに声を荒げた。
「お前こそ、アデライーデを唆して……! これ以上お前のお遊びに、この娘を付き合わせるわけにはいかないわ!」
そこまで言って、ウルリーケは苦しそうに胸を押さえその場に崩れ落ちた。
「お婆様……!」
「自業自得だ。帰るぞ、アデライーデ」
青ざめて駆け寄ると、途中で手首を乱暴につかみ取られる。アデライーデはその腕を、すぐさま力の限り振り払った。
「それはご命令ですか? 王兄殿下」
取り戻した腕を身に引き寄せながら、睨みつけるように言う。しばしアデライーデの顔を見つめたバルバナスは、横を向くと大きな舌打ちをした。
「明日までに戻って来い。でなければ次は力づくでも連れ戻す」
そう言い残し、来た時と同じように乱暴な足取りでバルバナスは帰っていった。
ウルリーケが使用人たちの手で運ばれていく。それを見送ったアデライーデは、ぐっと唇をかんだ。
父が強引にでも嫁ぎ先を決めてしまえば、バルバナスから引き離すこともできただろう。だが、騎士団へ入りたいと言ったアデライーデを、ジークフリートは止めることはしなかった。
(それを思うと今の状況も、すべて自分が招いたことなんだわ)
あの日、バルバナスの手を取ったからこそ、今の自分がいる。周りの環境のせいにして、嘆いてばかりいても状況は何も変わりはしない。
人生とは選択の連続だ。
選択して、選択して、選択して、たどり着いた先こそが、今、この時だといえるだろう。例えそこに、抗えない出来事があったとしても、目の前にいくつも選択肢は並べられていたはずだった。
(何もしないまま誰かにゆだねるだけの選択は、絶対にもうしたくない)
ウルリーケに会いに来たのもそのためだった。今はまだ反抗の意思表示にしかならないかもしれないが、従順なままの自分ではないことは伝わったはずだ。
「アデライーデ様……」
目立たぬよう控えていたエマニュエルが心配そうに近づいてきた。
「大丈夫よ。エマ、つき合わせて悪いわね」
「そのようなことは問題ありません」
エマニュエルにだけはいつも本音を漏らしてしまう。つい甘えてしまうのは、いけないと分かっていても。
「情けないわね。こんなことしながら、自分が本当にどうしたいかなんて、まるでわかっていないのよ」
バルバナスの元を離れたとして、自分に何ができるだろうか? フーゲンベルク家に戻ったところで、ジークヴァルトの世話になるだけだ。いかず後家の姉のいる家に嫁ぐなど、リーゼロッテにしてみればいい迷惑だろう。
「騎士としても中途半端だし、この先どうやって生きていこうかしら」
バルバナスは絶対にアデライーデに危険な任務をさせることはない。自分が赴く場所へ連れて行くことはあっても、基本はお飾りの立場だ。周囲もそれが当たり前になっていて、女のくせにと陰口をたたかれているのも知っている。
それが悔しくて、人並み以上の努力をして剣の腕だけは磨いてきた。そこら辺の騎士相手になら、引けは取らないほどの自信はある。
「どなたかお慕いする殿方はいらっしゃらないのですか?」
「殿方ね……」
何しろバルバナスがあの調子なので、自分に近寄ってくる男などひとりもいやしない。まともな付き合いがあるのは、貴族出身の限られた騎士くらいだ。
「ニコラウス・ブラル様とは親しくされておられるのでしょう? あの方なら伯爵家のお世継ぎですし、アデライーデ様とつり合いもとれるのでは?」
「ニコ? 駄目よ、あのたれ目は」
ニコラウスは跡目を継ぐ気はないと常々公言している。だが仮に、公爵令嬢であるアデライーデを妻に迎えるとなると、そうも言っていられなくなるだろう。
「でも、そうね。確かに、誰かそういう相手がいれば、話はまた違ってくるかもしれないわね……」
好いた男のひとりでもいれば、この先どうしていくべきか、行く先が見えてくるかもしれない。
「これからは夜会にも積極的に出ようかしら」
その言葉にエマニュエルの顔が輝いた。貴族女性として、良縁の求めるのがいちばんのしあわせであると、エマニュエルはそう考えるひとりだった。アデライーデを心から慈しむ存在がそばにいてくれたのならと、何度そう思ったことだろう。
「わたしもお供させていただきます」
「エマがいればダンスの相手には事欠かないわね」
エマニュエルにダンスを申し込む男は多い。ブシュケッター子爵はいつもそれを心配しているが、その妖艶な容姿とは裏腹に、エマニュエルの身持ちは岩のように固かった。
「とりあえず交友関係を広げることから始めるわ」
白の夜会に出て、意外とダメージが少なかったことを思い出す。負った傷に関してひそひそと囁かれていたのには気づいていたが、それもさほど気にはならなかった。
僅かばかりでも光明が見えてきた。そんな気がしてアデライーデは、悪だくみをする子供のごとく口元に悪戯な笑みを作った。




