22-6
ジョンを振り返る。そこにはリーゼロッテを守るように、カークが両手を広げて立っていた。
『レオン・カーク……! お前さえいなければぁっ』
追憶の続きのまま、ジョンの憎しみが増幅していく。燃え上がる紅の炎が、カークへと一直線に向けられた。何もかもを焼き尽くすそれは、何も生み出すことのない虚無の炎だ。
目の前でその灼熱にカークが飲まれた。同時にカークの思いが掻き消えていく。
「駄目よ、駄目! カーク、戻ってきて! やめてジョン! ジョン! ジョバンニ――っ!」
ジークヴァルトの腕の中、リーゼロッテは悲鳴のようにただ叫んだ。その瞬間、リーゼロッテの体から、緑の光がほとばしる。その光はカークの体を追い越して、灼熱を押し戻すようにジョンひとりを目ざした。
その場にいた誰もが動けなかった。ある者は意識を飛ばし、ある者は膝をつく。いまだにそこに立っていたのは、バルバナスと、リーゼロッテを抱えあげているジークヴァルトだけだ。
苛むようなジョンの憎悪が、一瞬で清廉な気に置き換わる。急激なその変化に、一同はさらに苦悶のうめき声を上げた。
リーゼロッテの力が、枯れ木ごとジョンをすべて包んでいく。その緑はまるで繭玉のような大きな塊を作り、全てを覆い隠していった。
「一体、何が起きたってんだ――?」
乾いたバルバナスの呻き声が響く。
「ダーミッシュ嬢!」
ジークヴァルトの腕の中で、リーゼロッテが力なく崩れ落ちる。片膝の上にその背を乗せ、ジークヴァルトは震える手つきで、色を失った唇に小さな菓子を差し入れた。
咀嚼されることなく、その菓子は雪の上にこぼれ落ちた。リーゼロッテの顔色は、もはや蝋人形のように白い。
懐から取り出した小瓶の蓋を親指の腹で乱暴に開けると、ジークヴァルトはその中身を一気にあおった。
ためらいなくジークヴァルトはリーゼロッテに口づけた。冷たい唇を自らの舌でこじ開け、含んだ糖蜜をその口内へと注いでいく。
こくりとのどが鳴る音がした。少しずつ少しずつ、リーゼロッテの嚥下に合わせるように、残りの蜜をその中へと落としていった。
含んだ蜜がなくなると、ジークヴァルトは一度唇を離した。微かな呼吸がゆっくりと繰り返される。後ろ手に手のひらを向けると、すかさずマテアスが同じ小瓶をその手に乗せた。
その中身を一気にあおる。再びリーゼロッテの唇を塞ぎ、確かめるようにゆっくりと蜜を注ぐ。
こくりとのどを鳴らしながら、リーゼロッテの舌がもっととそれを求めてくる。応えるように舌を絡ませ、ジークヴァルトは慎重にすべての蜜を流し込んだ。
最後のひとくちを飲み込むと、リーゼロッテは小さく息をついた。頬に赤みがさしている。ほっとするのも束の間、晴れた空が急激に曇りだし、一気に雪が吹きすさび始めた。
「ちっ! 撤退だ! 動ける奴は意識のない者を順に運べ! ひとりも忘れず回収しろよ!」
そう叫んだバルバナス自身も、近くで倒れ伏していた騎士をひとりその肩へと担ぎ上げた。
去り際に振り返る。泣き虫ジョンを包んだ繭玉は、瞬く間に吹雪に覆い隠されていく。
雪に埋もれて誰ひとり近寄れなくなった異形の調査は、春の雪解けを迎えるまで、一時、打ち切られることとなった。
◇
辻馬車から降り立ったその男は、凝った背中を伸ばすためにぐっと両腕を上げた。肩口まで伸びた銀髪を揺らし、こきこきと首を何度か鳴らす。
「ったく、今年はひどい目にあったぜ」
そうひとりごち、足元に置いてあった荷物を拾い上げる。
龍の目前まであと僅かまで来て、気づくと麓の村の入り口に飛ばされていた。まさに一瞬の出来事だった。何か月もかけて分け入った山頂の間際、あと一歩というところで振り出しに逆戻りだ。
龍のいやらしさに、もはや覚えるのは殺意ばかりだ。
だが、確かに手ごたえはあった。いまだかつてなく、彼女の気配を近くに感じたのだから。
(マルグリット……次こそはお前を取り戻す)
その男――イグナーツはゆっくりと振り返る。遠く煙る山脈を、睨むようにじっと見据えた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。ウルリーケ様に会うために、グレーデン家へと向かったアデライーデ様。それに気づいたバルバナス様は、連れ戻すべく雪の中馬を走らせます。そんな最中、王都へと戻ったイグナーツ父様に、カイ様は会いに行って……?
次回、2章第23話「求めゆく者」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!




