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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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22-3

     ◇

「ほら、アンネマリーも抱いてごらんなさい?」


 言われるがまま恐る恐る赤ん坊を腕に受け取った。思うよりずしりと重い赤子は、つぶらな瞳でアンネマリーをじっと見つめてくる。


(かわいい……)


 そう思うものの、まだ首も座っていないような赤ん坊だ。おくるみには包まれているが、落ち着かない不慣れな手つきにすぐにぐずつきだした。慌てて母親の手に戻すと、とたんにご機嫌顔になる。ぷにぷにのほっぺを軽くつついてみれば、小さな口からよだれをあふれさせながら、だぁとうれしそうに目を細めた。


 アンネマリーは母ジルケと共に、親類の屋敷で行われる浸泉式(しんせんしき)に参加していた。浸泉式は生まれたばかりの赤子に祝福を授ける儀式の事だ。神官を招いて行われるこの儀式は、貴族の子ならば必ず受ける義務がある。


 ようやく到着した神官の手に、母親が心配そうな様子で裸の赤ん坊を託した。盲目のその神官は、女性と見まごうほどの綺麗な顔立ちをしている。この場に立ち会った誰もが、老若男女問わずその美しさに見とれていた。


 緩く後ろで束ねられた長い銀髪は、赤ん坊に配慮しての事だろう。赤子はぐずることなくおとなしくその手に収まっている。慣れた手つきで聖水が入れられた桶まで運ぶと、神官は手にした赤子をゆっくりと湯に浸けていった。頭とおしりを支えられながら、湯の中でほわっと気持ちよさそうな顔を作った。


「この新たな命に青龍の祝福を」


 神官の声と共に桶の水に波紋が広がる。うれしそうに赤子はばっしゃっばっしゃと乱暴に水面をたたいた。


「まあまあ! 神官様、申し訳ございません!」


 年配の夫人が慌てて使用人にタオルを持ってこさせる。赤子を桶から引き揚げ母親へと手渡すと、神官は閉じた瞳のままやさしげに微笑んだ。


「よくあることですので問題ありません。青龍の祝福が心地よかったのでしょう。むしろ元気な(あかし)、喜ばしいことです」


 神官の濡れた髪から水が(したた)り落ちていく。タオルを手渡そうとしていたメイドの少女が、見とれた様子でぽかんと口を開けている。


「あの、神官様。よろしければわたくしどもとお茶でもなさいませんか? 特製の茶菓子を用意させましたの。きっと神官様もお気に召すはずですわ」

「お心遣いありがとうございます。ですが、我々にそのようなもてなしは不要です。神殿の規律となっておりますので、どうぞお気を悪くされないでいただけますか」

「まあ、そうなの。でしたら濡れた衣服の代わりだけでも、こちらで用意いたしましょう。そのままでは神官様のお体が冷えてしまいますわ」


 残念そうに言う夫人は、なんとか神官の気を引こうと必死のようだ。しかし、神官は静かに首を振った。


生憎(あいにく)とこれからすぐに神殿に戻らねばなりません。そのお心だけ頂いておきます」


 (めし)いた瞳を感じさせない足取りで、神官は濡れた服を乾かすこともなく足早に帰っていった。


「はぁ……男の方なのになんだか綺麗な神官様だったわね。年甲斐もなく見惚れてしまったわ。それにしてもあの神官様、視力を失われていると聞いて初めは心配したけれど、とても慣れた感じで安心したわ」


 夫人のその言葉に、ジルケが何かを思い出したように笑い出した。くすくすと口元に手を当てながら、アンネマリーを振り返る。


「アンネマリーの時はひどかったのよ?」

「え?」


 アンネマリーはきょとんと目を丸くした。


「そういえばそうね。あの時の神官様は本当にひどかったわ」


 周りの者から笑い声が漏れる。その様子に、くるみ直された赤ん坊もきゃっきゃとうれしそうな声を上げた。何のことだかわからないというアンネマリーに、ジルケは悪戯っぽい笑顔を向ける。


「やってきた神官様がね、聖水を湯にすることなくいきなりアンネマリーを桶に浸したの。冷たかったのでしょうね。アンネマリーったら火が付いたように泣き出して」

「あの時の神官様の慌てぶりったら!」


 どっと笑いが起きて、驚いた赤ん坊がわっと泣きだした。「あらあら」と母親が慌ててあやしだす。


「あの時は夏だったからまだよかったけれど、なんだか手つきも慣れていない若い方だったものね」

「生まれたての赤子を冷たい水に浸すだなんて、きっと新米の神官様だったんだわ。祝福の言葉もそこそこに、そそくさと帰って行ったもの」


 今だから笑えるのだろうとしても、アンネマリーは少しばかりおもしろくなさそうな顔をした。だがみなの笑いにつられて、結局は口元がほころんでしまう。


「やっと笑ったわね」


 その言葉は、ようやく泣き止んだ赤ん坊に向けられたのかと思いきや、ジルケはやさし気にアンネマリーを見つめていた。


「お母様……」

「安心なさい、アンネマリー。わたしたちはみなあなたの味方よ」


 親戚一同がアンネマリーをやさしく見やる。王妃のたくらみのせいで、アンネマリーの社交界での立ち位置は、微妙ものとなってしまった。だが今この場には、白の夜会での出来事をおもしろおかしく話す者などひとりとしていなかった。


 ジルケの妹であるクリスタも、アンネマリーのためにあちこちの茶会や夜会で心を砕いてくれている。リーゼロッテがジークヴァルトの婚約者であると知らしめた今、ダーミッシュ伯爵夫人とお近づきになりたい貴族は山ほどいた。そんなクリスタの姪であるアンネマリーを、悪く言おうとする者はそれほど多くはない。


 親戚一同もアンネマリーの不名誉を少しでも解消すべく、一丸となって動いていた。その事実を知り、アンネマリーの瞳は自然と潤んでいく。


「大丈夫よ、何も心配いらないわ。新年を祝う夜会にも、堂々と出席すればいいのだから」


 溢れる涙で、返事をすることができなかった。零れ落ちる涙をそのままに、アンネマリーはただ黙ってジルケに頷き返した。


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