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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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第22話 嘆きの唄

【前回のあらすじ】

 フーゲンベルク家で泣き虫ジョンの調査が始まるも、リーゼロッテの力に阻まれ苛立ちを覚える王兄バルバナス。リーゼロッテをジョンの元へと連れてくるようにと命じます。

 一方、休暇を言い渡されたアデライーデは、まどろみの中、過去の夢に捕らわれて。癒えぬ傷はいまだに心と体に深く刻み込まれ、苦悩し続けるアデライーデ。それでも、自身の人生を生きるべく、動くことを決意するのでした。

 唄が聞こえる。

 会えない恋人を切なく想う、ありきたりな愛の唄だ。

 甘やかなその唄声は、真っ青な空に溶けるように吸い込まれていく。高く低く。時にはひそやかに。

 彼女は今日も哀しく唄う。

 届かぬ嘆きを、ただそこにのせて――


     ◇

 ひと公務終えて戻った王太子の執務室で、ハインリヒは考え込むように椅子に座っていた。とんとんと指で叩かれる机は、無意識のものだろう。

 そんなハインリヒにカイは淹れたての紅茶を差し出した。視界に湯気を立てるカップが入り込み、ハインリヒはようやく顔を上げた。


「お疲れでしょう。どうぞお召し上がりください」

「ああ、すまない」


 洗練された手つきでカップに口をつける。その激甘な液体に、ハインリヒは思わずむせそうになった。口に含んだ紅茶を、そのままだばっと戻しそうになったくらいだ。

 よく見ると溶けきっていない砂糖の(かたまり)が、カップの底に沈んでいる。どうにかそれを飲み下すと、眉間に盛大なしわを寄せてカイをきつく睨みつけた。


「目がお覚めになったでしょう? 糖分補給は大事です」

「毒を盛られたかと思ったぞ」


 しれっと言うカイに、怒り半分あきれ半分で言葉を返す。


「そんなことしたら、それこそオレが星に堕ちますね」

「カイ……!」


 非難を込めてその名を呼ぶと、カイはちらりとこちらを見やって「失言でした」と付け足した。その表情に反省の色はない。


「ねえ、ハインリヒ様。ひとつだけお伺いしてもよろしいですか?」


 そう言いながら、カイはポットの紅茶を継ぎ足していく。ティーカップの中身は減った分だけ元の量へと戻ったが、多少薄まったからといって、それが甘すぎることに変わりはないだろう。だがカイは新しく淹れ直す気はさらさらないようだ。


「なんだ?」


 やけくそのようにハインリヒは何口かを飲み下した。カップを置くとすかさずカイが紅茶を継ぎ足してくる。どうやら盛った糖分を、残さず最後まで採らせる気でいるらしい。


「どうしてリーゼロッテ嬢に、あそこまで詳しくお話しなさったんです?」


 もっとオブラートに包んで、守護者の事だけ話すこともできただろうに。王子の馬鹿正直さは、いつもカイの理解には及ばない。


「……わたしは弱い人間なんだ。すべてをなかったことにして、すぐに逃げ出そうとする」


 カップの()を握る指に、知らず力が入った。先ほど思い出していたのは、ジークヴァルトが数か月ぶりに王城に顔を出した日のことだ。


 アデライーデを傷つけた直後から、ジークヴァルトはぱったりと姿を見せなくなった。

 あんなことがあった翌日でさえ、ハインリヒは当たり前のように公務をこなしていた。その異常さに気づきながらも、忙しさに追われる日々がしばらく続いた。


 いつしかあの夜の出来事は幻だったのではないかと、そんなことを思い始めたある日、当時フーゲンベルク公爵だったジークフリートが王城に乗り込んできた。その場はいなかったものの、父王に切りかかる勢いだったという噂話は、隠されつつもハインリヒの耳にも届けられた。

 大事な娘を傷つけられたのだ。すべては龍の思し召し――そんな戯言(ざれごと)で納得できるはずもないだろう。


 それでもハインリヒの日々が変わることはなかった。ただ、いつもそこにいたジークヴァルトの姿がないだけで。


 それすらも当たり前の日常になった頃、ジークヴァルトは突然王城に現れた。数か月ぶりに見たその姿は、少しだけ背が高くなっていて、だが、その態度はあまりにも以前と変わらぬものだった。

 まるで昨日の続きのような異様なまでの自然さは、何かを言わなくてはと焦るハインリヒに、言葉をかける時機を奪った。


 あの事件などなかったかのように、再び日々は過ぎていく。ジークヴァルトは何も言わない。だから、自分も何も聞けない。

 だとしても、あの時にこそ言わなければならなかったのだ。ハインリヒは今でも己の弱さに絶望を禁じ得ない。


 季節がひとつ移ろう頃、ふとした隙間時間に、ジークヴァルトとふたりきりになった。耳をそばだてる者も近くにはない。

 ハインリヒはたまらなくなって、とうとうジークヴァルトに本音を問いただした。お前はなぜ何も言わないのだと。アデライーデがああなった理由を、知らないはずはないだろうと。


「大体のいきさつは聞いている」


 半ば詰め寄るように問うたハインリヒに、ジークヴァルトは顔色ひとつ変えなかった。その声音も普段通りのままだ。聞かれたから答えた。そんな態度だった。


「アデライーデは、無事に……生きてはいるんだな?」


 怖くて誰にも聞けなかったことを問う。すべてが初めからなかったかのように、周囲の者はふるまっている。その偽りの世界に身を投じたままでいるのは、これ以上は耐えられなかった。


「ああ。今では歩くのにも不自由はしてない」


 その言葉に安堵した。ただ、とジークヴァルトが付け足すまでは。


「姉上は片目の視力を失った。顔に消えない傷も残っている」


 衝撃に、言われたことをうまく咀嚼(そしゃく)することができなかった。散らばった冷徹な単語だけが、頭の中をぐるぐると巡る。事実を受け入れようにも、脳が(かたく)なにそれを拒絶した。


 それ以上は黙ったままでいるジークヴァルトの青の瞳を見つめながら、ハインリヒの中でパズルのように、次第に事実は組みあがっていく。あの瞳と同じ色をした美しいアデライーデ。その視力は失われてしまった。顔には傷が残り、それは貴族女性として存在の抹消に等しいことだ。


「……気が済むまでわたしを殴ってくれていい」


 そこに立っていられるのが不思議なくらいだった。いっそジークヴァルトに殴り殺してほしかった。


「断る」


 そっけなく言ったジークヴァルトはすいと顔をそらした。その反応にハインリヒは、思わずその腕を乱暴につかんだ。


「ここには誰もいない! 不敬などは問わないし、何よりお前にはそうする権利がある!」

「断る」


 もう一度言ってジークヴァルトは、掴まれた腕を静かに振り払った。


「お前は自分が楽になりたいだけだろう? オレがお前を殴ったところで、姉上の体は戻らない」


 その言葉に貫かれ、ハインリヒは力なく崩れ落ちた。本当にその通りだった。断罪を求めるのは己の(とが)を暴くためではなく、自分はただ、許されたかっただけなのだ。


「あっ……あ」


 声にならない嗚咽(おえつ)が漏れる。自分は取り返しのつかないことをした。そんな軽い言葉で済まされるはずもないことを、アデライーデに強いてしまった。


 その様子をしばらく見つめていたジークヴァルトは、何も言わずに部屋から出て行こうとした。ドアノブを掴む音がする。それが回される前に、ジークヴァルトの声が小さく響いた。


「自分で行くそうだ」


 言われた意味が分からず、ハインリヒは濡れた瞳のままジークヴァルトの背を見上げた。


「いつか、自分でお前を殴り飛ばしに行く。姉上はそう言っていた」


 はっと息をのんだハインリヒを振り返ることもせず、ドアのノブは回された。


「これ以上、お前とこの話をするつもりはない。一時間だけ人払いをさせておく。それまでに王太子の顔に戻っておけ」


 それだけ言い残すと、ジークヴァルトは今度こそその場を出ていった。一人きりの広い部屋で、ハインリヒの頬を幾筋もの涙が伝う。

 ハインリヒはその時に悟った。ジークヴァルトが貴族として王家に従う道を選んだのは、他でもないアデライーデがそう望んだからなのだ。床についた手の甲に、しずくが跳ねては流れていく。生温かいその感触は、この皮膚の上にいまだ残ったままだ。


「ハインリヒ様?」


 覗き込むように呼ばれ、はっと我に返った。また意識を飛ばしていたようだ。


「ああ、すまない」


 あれから五年の歳月が過ぎた。あの日から、自分は何ひとつとして変わっていない。


「わたしは……誰かに見張っていてほしかったのかもしれない」


 激務が続く日々は、都合よくすべてを忘れさせてくれる。その陰で、今も嘆き苦しむ者がいる。

 己の愚行を(さげす)む存在が欲しかった。蓋をして見ないふりをする弱い自分を、これ以上、野放しになどできないように。


「その役目は、リーゼロッテ嬢には不向きなのでは?」


 横でティーポットを手にしたまま、カイはあきれたように肩をすくませた。

 カイはいつもハインリヒを擁護(ようご)する。終わったことはもうどうしようもないと、簡単に甘やかすことをその口に乗せてくる。


「女性の目の方が厳しいものだろう?」

「そうおっしゃるのなら、アンネマリー嬢にこそお話しになればよろしいのに」

「……ああ、そうだな」


 その発言に気分を害するでもなく、ハインリヒは静かに言った。

 本音を言えば、アンネマリーに自分の愚かさなど知られたくはない。だが、リーゼロッテにすべてを話したのは、彼女を通してアンネマリーに伝わってしまえばいい。そう思ったのも事実だった。


「カイ。忙しい中また引き留めて悪かった。年明けの夜会までは大きな公務もない。あとはこちらでどうにでもするから、通常任務に戻っていい」


 長く重いため息をついた後、ハインリヒは残っていた紅茶を飲みほした。ちょうどよい甘さがことさら美味しく感じたのは、初めがひどすぎたせいかもしれない。

 空になったカップに残りの紅茶を注ぎ込むと、カイは手にしたポットをワゴンに戻した。


「ではそうさせていただきます。しばらくは王都付近にはいますので、何かありましたらイジドーラ様におっしゃってください」

「ああ……なるべく何もないことを祈ろう」

 このやり取りは、ふたりの間では最早お約束だ。互いに軽く笑ってから、カイは部屋を後にしようとした。


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