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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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21-7

 笑わなくなったアデライーデは、それでも心の平衡を保てていた。少なくともあの時、自分ではそう思っていた。


 自分が平気そうな顔さえしていれば、何もかもがうまく回った。それを見て、周りの者はあからさまに安堵した。極力何も考えないように。時折向けられる哀れみの視線も、気づかないふりをした。そうすれば、ただ、時間だけは穏やかに過ぎていったから。


 ぼんやりとソファに座っていると、いつの間にか向かいでジークヴァルトが本を読んでいる。この弟はいつまでここへ、こうしてやって来るつもりなのだろう。


「ねえ、いつも何を読んでいるの?」

「これだ」


 問いかけると、ジークヴァルトは手にしていた本の表紙を掲げてアデライーデに見えるようにした。そこには『夜会の髪結いー上級者編ー』と書かれている。


「エマがいつも読んでいる」


 訝し気な顔をしたからだろう。ジークヴァルトが補足するように付け足してきた。


「ここではずっとそれを読んでいたの?」

「ああ」


 そう言って、ジークヴァルトは再び本に目を落とした。じっくり読みこんでは、時折ページをめくる。


 アデライーデはその本を取り上げると、ぺらぺらとページをめくっていった。


「ねえ、これやってみてよ」


 中でもことさら難しそうな髪型を選んで指定した。ジークヴァルトは何も言わずに立ち上がると、鏡台に目を向ける。アデライーデは櫛やらピンやらが入った箱を探し出して、ジークヴァルトに手渡すと、鏡の前の椅子に腰かけた。


 ジークヴァルトは箱の中をしばらく吟味してから、まずブラシを手に取りアデライーデの髪をゆっくりと梳きだした。

 その手つきをぼんやりと眺める。しばらくすると、ジークヴァルトは見様見真似で、櫛とピンを駆使してするすると髪を結いあげていった。


「ちょっと。なんでこんなにうまいのよ」

 鏡に映ったその出来栄えに、半ば呆れた声が出る。


「書いてあるままにやっただけだ」


 得意げになるでもなくそっけなく言うジークヴァルトに、「可愛げのない弟ね」と返した。


「じゃあ、次はこっち」


 今度は複雑な編み込みを指定した。少しは困る顔を見てみたい。だがジークヴァルトはあっさりとその髪型を作り上げていく。


「何をなさっているのですか!?」


 こわばったエマニュエルの声が聞こえ、ふたりは同時に振り返った。櫛とピンと持ったジークヴァルトと、美しく髪を編み込まれたアデライーデを見て、エマニュエルが目を丸くする。口をパクパクしたまま、声にならないでいるようだ。


「髪をいじってもらってるだけよ。何も心配いらないわ」


 ゆるく微笑み、忙しいエマニュエルを部屋から追い出した。エマニュエルはもう子爵家へ嫁ぐことが決まっている。ようやくつかんだ幸せだ。これ以上、自分が足手まといにはなりたくなかった。


 ふたりきりに戻った室内で、編み込みを続けるジークヴァルトの顔を鏡越しに覗き込む。表情を変えることなく、黙々と髪に指を絡ませている。


「ねえ、ヴァルト。わたしはもう大丈夫よ」


 その言葉にジークヴァルトの指の動きが止まる。探るようにジークヴァルトも、アデライーデの瞳を見つめてきた。

 鏡を通して、同じ色をした瞳が見つめ合う。ずっと他人のようだった弟は、それでも自分の弟でいてくれた。


 公爵家として、王家との繋がりを断絶してこの先やっていけるはずもない。領民の生活を守るためにも、私怨にまみれて愚かな行いに突き進むことは避けるべきだ。

 自身の境遇を嘆き悲しむだけの人生を送るには、アデライーデは誇り高い貴族の矜持を持ち過ぎた。


「お父様にも言っておくから、あなたはもう前の生活に戻りなさい」

「それが姉上の望みなのか?」


 その聞きようが、なんともジークヴァルトらしい。必要に迫られて、ジークヴァルトはいつでも正しい選択をする。だが、それがジークヴァルト自らのために選ばれることは一度もなかった。


「ええ、そうよ」


 アデライーデの返事に頷くと、ジークヴァルトはアデライーデの好きな明るい色のリボンを髪に巻き付けた。リボンは綺麗な曲線を描き、最後にきゅっと(しぼ)られる。


 その出来栄えをじっと見つめながら、ジークヴァルトは不意にぽつりと言った。


「なんなら、オレがあいつを殴って来るが」

 あいつとはハインリヒの事だろう。


「別にいいわ。どうせ殴るなら、いつか自分のこの手で殴り飛ばしに行くから」


 憮然として答えると、ひそやかに笑う気配がした。鏡越しに見ると、そこには変わらず無表情のジークヴァルトがいただけだった。

 櫛を置くと、ジークヴァルトは部屋を後にした。それ以降、その顔を見ることのない日々が再び訪れた。



 自分はやはりそのうちどこかに嫁がされる運命だろう。鳥かごの中、穏やかにただ時間は過ぎて、このまま死んだように生きていく。


 ぼんやりとそんな日々が続いて、ある日母から、辺境伯である祖父の元に行かないかと尋ねられた。祖父のジークベルトの元には、幼少の頃にしばらく預けられていた記憶がある。

 何もない荒野のような場所だ。あそこなら、ぶしつけな茶会の誘いも断ることも容易にできるし、馬に乗って野を駆けるのも楽しそうだ。

 他国に通ずる山脈の砦を守るためのその地は、今の自分にとてもふさわしいように思えた。


 体力の回復を待ちながら、旅の準備を進める。と言っても持っていくものなど、何ひとつなかった。せわし気に荷造りしている侍女たちを、ただぼんやりと眺めるだけだった。


 そんな日に、バルバナスは突然アデライーデの目の前に現れた。


 子供の頃、王妃の離宮に預けられていた際に、バルバナスとは幾度か話す機会があった。何なら、ハインリヒと共に、その背に乗って尻を鞭で叩いたことだってあるくらいだ。


 静かな屋敷が浮足立つ様子を不思議に思っていた矢先に、その鮮烈な赤毛の男はデライーデの前に立った。射貫くような金色の瞳に、アデライーデは忘れかけていた生に対する憧憬を思い出す。


 生気なくやせ細ったアデライーデを、バルバナスはぶしつけに眺めた。弱い自分を侮蔑されているようで、アデライーデはたまらない気持ちになった。思わず目をそらす自分に、なぜだが恥ずかしさだけが込み上げてくる。


「悔しいか?」


 不意にバルバナスはアデライーデに向かって問うた。思わず顔を上げると、挑むような金の瞳とぶつかった。そこに憐憫(れんびん)は微塵もない。


「悔しいか? アデライーデ」


 再び投げかけられた問いに、アデライーデの顔はぐしゃりと歪んだ。


「悔しいわ! 悔しいに決まっているじゃない! わたし、悔しくてたまらない……!」


 そう叫びながら、アデライーデはいつの間にか自分が泣きじゃくっていることに気がついた。奥歯を噛み締めながら、心の慟哭は鳴りやまない。


 自分は何も選べない。さえずりを忘れた小鳥のように、籠に捕らわれたままこのまま一生を終えるのか。


 逃げ出したい。何もかも忘れて。ここから、誰も知らない場所へ。


「ならば、オレが連れて行ってやる。その覚悟あるなら、今すぐこの手を取れ」


 声を震わせて叫ぶアデライーデに、バルバナスは大きなを差し伸べた。

 アデライーデは導かれるように、迷いなくその手を取った。抱えあげられて馬に乗せられたアデライーデは、本当にそのまま公爵家の屋敷から連れだされてしまった。


 突然の誘拐事件に、屋敷中がひっくり返るような大騒ぎになったことは後から聞かされた。エッカルトをはじめ屋敷中の者は、今でもそのことを根に持っているらしい。


 そんなことを思い出しているうちに、意識がふと浮上する。軽く眩暈(めまい)がする頭で、ゆっくりと体を起こす。また、あの夢を見てしまった。そんな疲労感に無意識にため息が口をついた。


 先ほどのジークヴァルトのおかしな行動のせいかもしれない。八つ当たりのように思って、アデライーデは頭の芯に残る痛みをやり過ごそうとした。


 そんなとき横からグラスが差し出される。ぼんやりとみると、そこには心配そうにのぞき込むエマニュエルがいた。


「手間をかけさせたわね」


 エッカルトがわざわざ子爵家から呼び戻したのだろう。渡されたグラスの中身を一口含むと、少しだけ気持ちが落ち着いた。これはひどい頭痛がするたびに、エマニュエルがいつも入れてくれる特製のお茶だ。エマニュエルはいつでも、アデライーデを優先させて事を進めてしまう。


「アデライーデ様のためなら、何をもってしても駆けつけますわ」


 エマニュエルは子爵家に嫁いだことを、今でも後悔しているようだ。アデライーデが怪我を負った時にはすでに、子爵との婚姻話は後戻りできないほどに進められていた。


「エマにはわたしよりも優先すべきことあるでしょう?」

 エマニュエルはもう子爵夫人だ。家をないがしろにしていい立場ではない。


「いいえ。アデライーデ様は、わたしが唯一主人と認めた方ですから」


 静かにほほ笑んで、エマニュエルはグラスを下げに行った。エマニュエルは自分が決めたことに対して、絶対にひいたりはしない性格だ。そこに歯がゆさも覚えるが、素直にうれしいと感じる自分もいた。


 まだずくずくとうずく痛みに、額を押さえた。結局は、何も変わらない。自分はいまだ籠の中の鳥だ。


 バルバナスはあの日、確かにアデライーデをあの場から連れ去ってくれた。騎士団での毎日は、目新しいものばかりだったが、結局は檻の主が父からバルバナスになっただけの事だった。(いく)年月(としつき)を経ても、自分は何ひとつ自由に動けないままだ。


 ぎゅっと唇をかみしめて、アデライーデは鏡に映る自分を睨みつけた。

(これじゃ、あの頃の子供のまま何も変わらないわ)


 ふっと息を吐き、エマニュエルを呼ぶ。


「文を書くから準備してちょうだい。ウルリーケお(ばあ)(さま)に会いに行くわ」

「よろしいのですか?」


 驚いた様子のエマニュエルに、頷き返す。


「今わたしは休暇中だもの。公爵家の人間として、お婆様を訪問するだけよ」


 そこに何の問題があるというのか。もう誰かの言いなりで生きるのはうんざりだ。その先に後悔が待っていようとも、自分が選んだ道ならどのような結末も納得できるはずだから。


 そんなアデライーデは、あの日々よりも、今を生きているようにエマニュエルの目には映った。目の前にいるのは、誰よりも誇り高い自分の(あるじ)だ。



 エマニュエルは頷いて、とびきり上等の便箋を、アデライーデのために用意した。


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