20-4
「王太子殿下。本日は立太子の儀をご立派に務められて、わたくしも我がことのようにうれしく思っております」
子供の頃の面影は限りなく薄く、うつくしい所作でアデライーデは淑女の礼をとった。そのよそよそしさに、面食らうのと同時に、ハインリヒは幾ばくかの疎外感を感じた。
アデライーデは去年社交界にデビューしている。すでに立派な貴族なのだ。そう思うものの、一抹のさびしさはぬぐえなかった。
アデライーデは礼をとったまま、じっと頭を下げている。自分よりまだ背は高いものの、アデライーデはこんなにも華奢な少女だっただろうか?
いや、もう少女と呼べる体つきではないのだろう。細い腰と、うつむき加減の胸の谷間に、ハインリヒの目は無意識のうちにくぎ付けとなっていた。
しばらく沈黙がおりる。アデライーデからそれ以上の反応がないことに疑問を感じたハインリヒは、アデライーデが自分の許しを待っているのだとようやくそこで気がついた。
「あ……いや、ここでは、そんなふうにかしこまらなくてもいい」
ようやくそう口にすると、アデライーデは体を起こして大仰にため息をついた。
「人が礼を尽くしているっていうのに、嫌がらせみたいに放置するなんて! もう、信じられない!」
腰に手を当てて、ぷぅと頬を膨らませたアデライーデは、昔のままだった。そのことになぜだか安堵する。
「そんなこと言われてもだな。急なことでわたしも驚いたんだ」
「カーテシーってほんと体勢きついんだから! ハインリヒも一度やってみるといいわ」
そう言って、アデライーデはぷいと顔をそむけた。これも昔からの彼女の癖だ。
「王太子に淑女の礼をとれというのか?」
ぷっとふき出しながら、昔のような気やすい間柄にハインリヒはほっと息をついた。気を許せる存在は、身内以外は片手で数えられるほどしかいない。
ジークヴァルトもそのうちのひとりだが、アデライーデは自分にとって、もうひとりの姉のようであり、かけがえのない友のようでもあった。
「何よ、偉そうに。最近も、お気に入りの女官を驚かしては、よろこんでいるそうじゃない? どうせまた、胸の大きな女官ばかり狙っているんでしょう?」
「ばっ、そんなはずはないだろう!?」
「そんなはずあるにきまっているわ。だって、ハインリヒ、昔っから胸の大きな女官が好きだったじゃない」
その言葉に、ハインリヒはぐっと言葉につまった。思い当たることがないわけでもないのが実に痛いところだ。
「そ、そんなことより、アデライーデはどうしてここにいるんだ?」
アデライーデが手持無沙汰に、ぽつんと後宮にいるなどめずらしいことだ。話をそらすようにハインリヒは言った。
「ここへはお父様のお供で来ただけよ。王へのご挨拶が終わったら、お父様もここに戻ってくるわ。でも、わたしは今日、王妃様の離宮に泊まることなってるのよ!」
本当にうれしそうにアデライーデは言った。大輪の花が開いたようなその笑顔は、やはり昔のままかわることはない。
狭い後宮でずっと孤独に過ごしてきたハインリヒは、彼女の存在に、ある意味救われていたのだ。その時そんなことを思った。
「クリスティーナ様とテレーズ様にお会いするのは久ぶりだから、本当にうれしくって」
「そうか。姉上たちによろしく言っておいてくれ」
姉弟とはいえ、これからは気軽に会いにも行けなくなる。王族とは面倒なものだと思うが、それは言っても仕方のないことだ。
「ええ、伝えておくわ」
そこで一度会話が途切れ、その場に沈黙が訪れる。
「まだ、託宣の相手がみつからないそうね?」
「ああ」と顔をそらして、手をきつく握りしめた。自分のせいではないと主張したいが、この話題はどうにも自責の念が占拠する。
「大丈夫よ。すべては龍の思し召しなんでしょう? 気にしなくっても、そのうちひょっこり現れるわよ」
あっけらかんとした口調で言われ、ハインリヒはぽかんとしたあと、仕方なさそうに「だといいな」と苦笑を返した。
ハインリヒはこれから主要貴族との会食など、こなさねばならないことがある。しばしの休憩のために、アデライーデと別れて自室へとひとまず向かった。
「あ、ハインリヒ。今日はすごくかっこよかったわよ!」
後ろから悪戯っぽく声をかけられ、ハインリヒは前を向いたままアデライーデに向けて片手を上げた。今、振り向いてしまったら、赤くなったこの顔に気づかれてしまうだろうから。
誤魔化すように、ハインリヒは大急ぎでその場を立ち去った。




