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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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20-3

     ◇

 ぱちん、という指先の衝撃に、若い女官は思わず小さな悲鳴をあげた。振り向くと、笑い声をあげながらハインリヒ王子が逃げ走っていく後ろ姿が目に映った。


「まったく、王子殿下ときたら、間もなく十二になるというのに、まだまだ悪戯ばかりね」


 隣にいた年上の女官があきれたように言う。静電気体質のハインリヒ王子は、毎年冬になると、女官に触れては驚かして回っているのだ。


 だが、こんな光景を見られるのもあとわずかの事だ。

 本来、王以外の男は許可なく入ることができない王妃の離宮だが、幼少の折からハインリヒは自由に出入りしている。しかし、王太子となった後はそうもいかなくなるだろう。


 ハインリヒは十二歳の誕生日に、立太子の儀を迎えることになっている。この国の成人は十五を迎える年からだが、王族の男児は十二歳から様々な公務をこなすのがしきたりだ。王太子に冊立(さつりく)された後は、ハインリヒの自由な時間はほぼないと言っていい。


 未来の王として、ハインリヒが学ぶべきことは山のようにある。王子のやんちゃぶりがみられなくなるのは寂しい気もするが、その成長を誇らしく思う気持ちの方が大きかった。


「もう、なんでいつもわたしばかり……」

 若い女官がため息をつく。今年ハインリヒが狙ってくるのはこの若い女官ばかりだ。


「王子殿下は柔らかいものがお好きなのよ」

 年上の女官にそう言われ、若い女官はわからないといったように首をかしげた。


「さぁ、無駄話はこのくらいにして、仕事に戻るわよ」


 急かされて、足早に持ち場に戻っていく。


 そんな平穏な日々は、無慈悲に終わりを告げる。

 その予兆に気づく者はいないまま、真冬の雲ひとつない晴天の日を最後に、その後しばらく雪が降り続けた。


     ◇

 今日、ハインリヒは王太子として多くの貴族の前に立った。もう、子供として甘えることも許されない。

 式典用の立派な衣装を身に着け、自然と背筋が伸びる。この身が引き締まるとともに、言葉にしがたい高揚感にいまだ包まれていた。

 式典が滞りなく終わった後も興奮が冷めやらぬまま、ハインリヒは後宮の自室へとひとり向かっていた。


 後宮は入れる者が限られているため、わりと自由に動き回れる場所だ。ここを一歩出ると、近衛の騎士が張り付いたようについてくる。見張られているようで正直うっとおしいが、自身を守るためだと思えばついて来るなと言えるはずもない。


 少し身軽になった気分で歩く後宮で、ハインリヒは着飾った令嬢の姿を認めた。

 爵位の高い貴族なら、後宮に足を踏み入れることは、それほど難しいことではない。その誰かが娘を連れてきたのかもしれないと、ハインリヒは思わず身構えた。


 自分は託宣の相手がいまだみつかっていない。その隙を狙って、王妃の座を射止めんとする貴族が後を絶たないのだ。

 先ほどの立太子の儀でも、令嬢を連れた貴族たちが自分に取り入ろうと群れをなしてきて、その対応に辟易してきたばかりだ。


 ほとんどが龍の託宣の存在を知らぬ者たちだったが、分かっていて娘をあてがおうとする者もいるからなお始末に悪い。そういう(やから)がいるので注意するようにと、確かに事前に言われてはいたが、現実にそれを目の当たりにすると、やはり驚きの方が大きいものだ。


 これがこの先も続くのかと思うと、少々気が滅入る。


(いつになったらわたしの相手は見つかるのだろうか)


 歴代の王たちは、幼少の折から託宣の相手と共に過ごすのが当たり前の事らしい。だが、自分だけがそうではないのは理不尽にも感じられる。


(いや、父上もそうだったと聞く。だからわたしの相手もじきに見つかるはずだ)


 父王ディートリヒの託宣の相手も、はじめはなかなか見つからなかったらしい。だが、隣国の王女の顔に龍のあざがあることがわかり、交渉の末、母であるセレスティーヌを王妃に迎えたと聞いていた。


(国交もろくにない頃で、いろいろと大変だったらしいが)


 王となる者の託宣の相手が異国の人間であったのは、セレスティーヌが初めてのことだったらしい。だが、その血筋を紐解けば、ブラオエルシュタインの王家の血が隣国へ渡った経緯があったことが判明した。


 ならば、ハインリヒの相手も国外にいるのではとも思ったが、現時点で近隣諸国に条件に見合う姫君はいないようだ。自分の相手はやはり国内にいるのだろう。


 その相手が見つかるまでは、下手にどこかの令嬢の手管にひっかかってはならないと、周りの者たちから口うるさく言われている。最近では帝王学だけではなく、子孫繁栄のための教育も受けるようになった。

 女性のあの柔らかそうな体には興味はあるが、それに惑わされてはならないのだ。そんなことを思いながら、ハインリヒは行く先にいる令嬢を観察するようにじっと見やった。


「アデライーデ……?」


 驚いたように問うと、その令嬢は静かに振り返った。王太子が冊立される場に相応(ふさわ)しい装いのうつくしいドレス姿に、ハインリヒは言葉を失った。


 アデライーデとは子供の頃、共に過ごした過去がある。

 ジークヴァルトが異形に常に狙われているという理由で、巻き込まれることを避けるために、アデライーデは一時的に王妃の離宮に預けられていた時期があった。


 四つ年上のアデライーデに、子供だったハインリヒはひな鳥のようについて回った。今考えると、二人の関係は王子と公爵令嬢というより、仲の良い姉弟といった所だったろう。


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