20-2
「いずれ、ここにわたしの絵も飾られる。だが……」
ハインリヒが王となった暁に、向かいに飾られるべき王妃となる存在は、いまだ誰とも分からず行方知れずだ。その人物が存在するのかさえも危ういところだ。
王子は再び歩き始めた。進むにつれて、廊下の両側に掲げられる歴代の王たちの肖像画が増えていく。何十枚ものその横を通り過ぎたあと、ようやく廊下の最果てへとたどり着いた。
その突き当りの正面にも、また二枚扉があった。同じように龍のレリーフが施されているが、入り口の扉の半分くらいの大きさだ。
「ここは託宣の間だ」
そう言いながら、ハインリヒは龍のレリーフに向けて手をかざした。手のひらの先が紫を帯びるものの、しかしその扉が開くことはなかった。それを認めると、ハインリヒはリーゼロッテを静かに振り返る。
「託宣を受けたものはみな、赤子のうちにここに入るのが決まりとなっている。リーゼロッテ嬢もラウエンシュタイン公爵と共に、一度この部屋を訪れているはずだ」
赤ん坊の時のことを言われても、その記憶が残っているはずもない。だが、リーゼロッテはただ神妙に頷いた。
「少しでいい。リーゼロッテ嬢もここに力を流してみてくれ」
ハインリヒが距離を開けるように扉の前から退いた。頷いてその扉の前まで近づくと、リーゼロッテは言われるまま、龍のレリーフに向けて力を流した。
リーゼロッテのかざした手の先が仄かな緑に輝く。しかし、その緑はふわりとひろがり、そのまま消えてなくなった。扉を見上げるも、その鉄の塊は微動だにしていない。
「……やはりだめか。わたしの守護者が視えた君なら、この扉も開くのではと思ったが」
重いため息と共にハインリヒが言う。
「申し訳ございません。わたくし……」
「いや、いい。この部屋は必要な時にしか開かない。すべては龍の思し召しだ」
この部屋の中にある託宣の泉に姿を映せば、受けた者の託宣がそこに浮かび上がってくる。この中に候補となり得る者をすべて放り込めれば、自分の託宣の相手はすぐにでもわかるのに。だが、龍はそれすらも許さない。
扉から視線を外すと、ハインリヒはいちばん手前に飾られている肖像画をじっと見上げた。つられてリーゼロッテもそちらを見やる。
「王子殿下……?」
思わずそう声に出す。そこに掲げられた肖像画は、まさにハインリヒ王子のものだった。
「あれは始まりの王だ。驚くほどわたしに瓜ふたつだろう?」
ハインリヒは自嘲気味に笑った。八百年以上を経てもなお、王家の血は脈々と受け継がれている。
それなのになぜ、今、龍はこの国を見捨てようとしているのか――
「もしもこのまま、王子殿下のお相手がみつからなかったら……その時はどうなってしまうのですか?」
口から漏れ出た問いは、半ば無意識のものだった。
「相手がいないことには、わたしは王位を継ぐことはできない。託宣を違えたとして、このわたし自身が星に堕ちるか……」
その言葉にリーゼロッテがはっと顔を上げる。とんでもないことを聞いてしまったのだと今さら気づくが、すでに後の祭りだ。
「それだけならまだいいが……龍の加護がはずれたこの国は、最悪、破滅の道をたどるだろう」
その言葉の重みに思考が止まる。
「ブラオエルシュタインが八百年以上もの間、平和を保ってこられたのは、龍の力に他ならない。その平穏が、今、狂おうとしている」
「ですが、託宣を違えることを、龍は絶対に許さないと……」
思わずカイを振り返った。龍の託宣を阻もうとする者は、龍の鉄槌を受けて死を与えられる。公爵家の書庫で、確かにカイはそう言っていた。
「ならば、なぜ龍は、わたしの託宣の相手を隠すのだ?」
冷たく言われて、はっと王子へと向き直る。しかし、王子はリーゼロッテを見てはいなかった。ただ、睨むように、始まりの王を見上げている。
そのまましばしの沈黙が降りる。神聖なるこの空間では、静寂は重たい息苦しさにしかならなかった。
助けを求めるように再びカイに視線を送るが、カイは口をはさむ気はないらしい。少し距離を開けた場所で、表情なくただ立っている。
しぶるジークヴァルトを置いて、王子に連れられてここまでやってきた。カイは、王子と自分をふたりきりにしないためだけに、護衛としてついてきたのだろう。
ハインリヒはそれきり黙ったまま、思いつめるようにじっと肖像画を見上げていた。その苛立ちは誰に向けられたものでもなく、他でもない、王子自身に向けられているようだった。苦し気にたたずむその姿を前に、リーゼロッテにはそんなふうに思えてならない。
「……すべてが龍の思し召しと言うのなら、王子殿下のお相手は、心配せずともいずれ必ず見つかるのではないでしょうか」
ぽつりと漏れ出たその言葉に、ハインリヒがはっとこちらを振り返った。国の命運を左右する非常事態だ。軽はずみな発言だったと、瞬時に後悔がよぎるも、そんなリーゼロッテに、王子は乾いた笑いを向けただけだった。
「君は……アデライーデと同じことを言うんだな」
続けて何かを言いかけて、ハインリヒはそのまま端正な顔をゆがませる。
「あの日、わたしが触れさえしなければ……アデライーデはあんな目にあうことなどなかったのだ」
今にも泣きだしそうなその顔を前にして、かける言葉などみつかるはずもない。
「わたしは彼女の未来を奪った」
震える声は慟哭を思わせて――
リーゼロッテにはただ黙って、王子の言葉に耳を傾けることしかできなかった。




