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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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19-5

     ◇

「お待たせいたしました」


 王妃の離宮の入り口まで行くと、ジークヴァルトがたたずんでいるのが見えた。昨夜と今朝は、書斎にある隠し通路からやってきたが、さすがに今回は正面から迎えに来たようだ。ジークヴァルトは近衛の騎士服ではなく、公爵家当主としての正装をしている。

 同様に、王族に謁見(えっけん)するにふさわしい(よそお)いとなったリーゼロッテは、ジークヴァルトにエスコートされて、王妃の離宮から王城へと向かった。


 時折、せわし気に行き交う城勤めの者とすれ違う。自分たちの姿を認めると、みな慌てたように廊下の端に()けて礼をとった。一人前の貴族として扱われているのだと思うと、気が引き締まる。ほんの数か月前、ジークヴァルトに抱っこ輸送されていた頃とは違うのだ。


 今目指しているは、王太子用の応接室だ。以前、幾度となく通った場所だが、王妃の離宮からの道のりは目新しいものばかりだった。


(白の夜会の時も思ったけど、王城って本当に広いのね)


 途中、長い昇り階段の前まで来たときに、ジークヴァルトは足を止めてリーゼロッテをじっと見下ろしてきた。何か言いたげなその顔を前に、リーゼロッテははっとして身構える。


「わたくし、ちゃんとひとりで昇れますわ」


 (すそ)の長いドレスは、裾を持ち上げながら慎重に昇る必要がある。手を引かれて昇るなど、かえって危ない行為だ。


「問題ない。お前は軽い」


 かがみこんで手を伸ばしてくるジークヴァルトを前に、思わず半歩飛びのいた。

(持ち上げるつもりだったんかい!)


 よほどの幼児でない限り、子供だってひとりで昇るものだろう。自立しようと決意した矢先に、とんだ逆行ぶりである。


「わたくしはもう一人前の貴族ですわ。階段くらいひとりで昇らせてくださいませ」


 不服そうにしながらもジークヴァルトが手をひっこめたので、リーゼロッテはスカートをつまみ上げてさっさと階段を昇り始めた。


(ヴァルト様の心配性にも困ったものだわ)


 これは自分ができるところを、ひとつひとつ示していかねばならないのだろう。千尋(せんじん)の谷に落とせとまでは言わないが、ここまでくるとジークヴァルトが子離れできない親のように思えてしまう。


 つまずかない様、慎重に一段一段ゆっくり昇る。その後ろをジークヴァルトがついてくるのはいいのだが、どこかハラハラしている感が伝わってきて、逆にこちらが緊張をあおられる。

 途中の踊り場に差しかかると一度立ち止まり、リーゼロッテは後ろを振り返った。


「わたくし、絶対に、転げ落ちたりいたしませんから」


 にっこり笑って、念を押すように言う。対照的にジークヴァルトは眉間にしわを寄せた。


「万が一ということもある」

「異形が視えない頃でも、階段から落ちるようなことはございませんでしたわ」


 事実そうなのだから仕方がない。そんな不満そうな顔をされても困ってしまう。最後まで何事もなく階段を昇りきると、リーゼロッテはどや顔で振り返ろうとした。途端に、ジークヴァルトに手を取られる。

 エスコートする体勢に戻っただけなのだが、そのホールド感は拘束に近い。その様子を見ていた城仕えの者が、礼をとりつつも目を泳がせているのが遠目にも分かった。


(過保護にもほどがあるわ……)


 昨日の今日で、ジークヴァルトも過敏になっているのだろう。心配してくれる気持ちはありがたいが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

 戸惑ったまま再び歩き出す。これはもう早急に目的地にたどりつくしかない。そう思ってリーゼロッテは無心のまま歩を進めた。


 ふと見知った廊下に出たことに気づく。以前、王城に滞在したときに、何度となく行き来した廊下の風景だ。

 以前はここを自分の足で歩くことはほとんどなかった。ジークヴァルトの腕の中で揺られながら見ていた廊下を、今、自分の足で歩いている。少し不思議な気持ちになりながらも、リーゼロッテはひとり小さく頷いた。


(そうよ。抱っこ輸送されていた時よりは、格段にマシにはなっているんだわ)


 そう思うと踏みしめる一歩一歩が感慨深い。ふと廊下の端々に異形の者が垣間見えた。あれほど怖がっていたその影も、今ではほとんど恐怖を感じることはない。基本、放置されているような異形は、害をなさない弱いものばかりだ。


(時間があれば、あの子たちの話も聞いてあげられるのに)

 異形たちのさみしげな波動を感じながら、リーゼロッテはその横をただ通り過ぎた。


 王太子の応接室にたどり着くと、王子は不在のようだった。ジークヴァルトに促されて、勝手知ったる部屋の奥へと進む。すると、いつも座っていたソファの影から、何かがひょこりと顔を出してきた。


「まあ、あなたたち……!」


 驚いた声を上げると、小さな異形の者が三匹、ぴょこんと飛び出してくる。

 それは以前、リーゼロッテが浄化を試みていた異形たちだった。ブサ可愛くおめめをきゅるんとさせて、じっと見上げてくる。うれしそうな波動が伝わってきて、リーゼロッテも自然と笑みを返した。


「ずっとここにいたの? あのときはごめんなさい。わたくしがまだうまく力を扱えなかったから……」

「今はダメだ」


 不意に後ろから抱え込まれる。そのまま抱き上げられると、定位置のソファの上にそっと下された。ジークヴァルトが近づくと、異形たちは慌てたように部屋の(すみ)に逃げてしまった。


「当分ダメだ」


 そう言いなおしたジークヴァルトに、リーゼロッテは困ったような顔を向けた。どのみち小さな異形は、守り石の効果で自分には近づけない。それはジークヴァルト自身がよくわかっているだろうに、いくらなんでも心配し過ぎだ。


 そうは言っても迷惑ばかりかけている自覚はある。ジークヴァルトの心労を軽くするためにも努力しなくては。


「わたくし、ちゃんとヴァルト様の言われた通りにいたしますわ」

 とりあえず今は、信用貯金を貯めようと、リーゼロッテは安心させるように頷いた。


「ジークヴァルトさまー、入りますよー」


 軽いノックと共にカイの声がした。応える前に扉が開かれ、カイが顔をのぞかせる。その後ろから、ハインリヒ王子がするりと部屋の中に入ってきた。

 条件反射のように立ち上がり礼をとると、ハインリヒは少し驚いたような顔をした。


「ああ、リーゼロッテ嬢も来ていたのか」

「申し訳ございません。わたくしがジークヴァルト様に無理にお願いいたしました」

「いや構わないよ」


 そう言って向かいのソファに腰をかけたハインリヒが、こちらも座るようにと促してくる。座った後に王子からまじまじと見つめられ、リーゼロッテは目を伏せたまま居心地悪そうに居住まいを正した。


「白の夜会でも思ったが、確かにカイの言う通りだな。……わかった、もう見ないから睨むのはやめろ」


 眼光鋭く睨みつけてくるジークヴァルトに苦笑を返し、ハインリヒはリーゼロッテから視線をずらした。


「ね、言った通りでしょう。リーゼロッテ嬢がおもしろいことになってるって」


 そう言いながら、カイは紅茶を差し出してくる。ふわりと芳香が広がって、以前の王城滞在の頃に戻ったような既視感を覚える。


(それにしたっておもしろいってどういうこと……?)


 不服に思いつつ、カイと王子の視線の先を見やると、いつの間にか戻ってきていた異形たちが、リーゼロッテに向けて懸命に手を伸ばしていた。近づけるギリギリのところで、あふれ出ている緑の力をつかもうと必死のようだ。


「確かに目詰まりは解消されたようだね」


 ハインリヒにそう言われ、王城での騒ぎを思い出す。あの時は自分の力が解放できないことが原因で、とんでもない迷惑をかけてしまった。


「その節はたいへんご迷惑を……」

「いや、いいよ。あれはリーゼロッテ嬢の責任ではないし、君は我が国の大事な(たみ)のひとりだ。わたしには王族として君を守る義務がある。だから今回の件も、心配せずにこちらに任せてくれないか?」


 はっとして顔を上げる。泣き虫ジョンのことが頭をよぎった。ひどいことをしないでほしいと、そう王子に懇願したくなる。しかしそんな我儘が通るはずもないだろう。


「王子殿下の仰せのままに……。お心、感謝いたします」


「言っても問題ないだろう?」


 突然ジークヴァルトが口を開いた。ハインリヒが何の話だというように訝し気な顔をする。

 この面子(めんつ)が顔を合わせたとき、ジークヴァルト自らが話題を振ることはまずなかった。大概はカイとリーゼロッテがおしゃべりをしていて、横でそれを黙って聞いていることがほとんどだった。


「ダーミッシュ嬢が、侍女に事情を話したいと望んでいる」

「侍女に?」


 ハインリヒが首をかしげた。目の前に王子がいるのに、ジークヴァルトを通してお願いするなど、何もできない子供のようだ。リーゼロッテは慌てて言葉を付け足した。


「わたくしの侍女、エラ・エデラーでございます。エラが無知なる者だということは存じております。ですがどうしてもわたくし、エラにだけは本当のことを話しておきたくて……」

「ああ、そういうことか。かまわないよ」


 あっさりとハインリヒにそう返されて、リーゼロッテは拍子抜けした顔になる。


「託宣にまつわることは龍次第だけど、異形に関することなら誰に話しても問題ないよ。ただ、告げるのは信頼のおける者だけにしたほうがいい」

「異形の者のことは、相手を選ばないと狂人扱いされますからねー。まあ、エラ嬢なら大丈夫でしょ。それにしてもリーゼロッテ嬢、今まで律儀に黙ってたんだ」

「王子殿下に家族にも他言無用と言われておりましたので……。わたくし、龍の目隠しの存在もつい最近知りました」 


 その言葉にハインリヒが苦笑いをした。


「ああ、リーゼロッテ嬢は知らなくて当然か。自分の常識がみなも当然と思うのは危険だな。それにしてもジークヴァルト、きちんとした知識を教えるのもお前の役目じゃないのか?」

「言われなくてもわかっている」


 ふいと顔をそらしたジークヴァルトを、ハインリヒはあきれたように見やった。


「気持ちはわかるが、四六時中そばにいられるわけでないだろう? 正しい知識は武器になる。フーゲンベルク家にもその手の書物は多くあるはずだ」

「ヴァルト様、わたくしも頑張って勉強いたしますわ」


 そんな本があるのなら、むしろもっと早く教えてほしかった。そう思いながらも、リーゼロッテはジークヴァルトの顔を覗き込む。


「……わかった。だが、公爵家に帰ってからだ」


 いまだ不服そうなジークヴァルトを横目に、カイがおかわりの紅茶を差し出してきた。


「そうだ、リーゼロッテ嬢。もし公爵家の書庫で、日記とか見つけたらオレに教えてくれる?」

「日記ですか?」

「うん。託宣を受けた者は、日記を残すことが多いから。目隠しで言いたいことを言えないのを、遠回しな表現で記すことがあるんだ。読む人間が読めば、言いたい事がわかることもあって、それが手がかりになるかもしれないから」


 手がかりとは、王子の託宣の相手に関する事だろう。そう思い当たるとリーゼロッテは隣に座るジークヴァルトを仰ぎ見た。公爵家で見つけた書物を、勝手に教えるのもはばかれる。


「言えるのなら龍が良しとしたことだ。それは教えてもかまわない」


 ジークヴァルトはそっけなく言って、リーゼロッテの頭にポンと手を置いた。そのままくすぐるように髪を指に絡ませる。


「そういうことはふたりきりの時にだけやってくれ」


 ハインリヒはあきれたように首を振った。


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