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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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19-2

     ◇

 深夜の石造りの廊下にコツコツと足音が響く。

 騎士団の本拠地が辺鄙(へんぴ)なこの地に置かれているのは、(おさ)であるバルバナスがそう望んだからに他ならない。


 四方を山脈で囲まれるこの国は、王都の最南の峠がいちばん敵国に攻め入られやすい地形となっている。有事の際に対応しやすいからだと言われれば納得するよりほかはないが、そう主張するバルバナス本人が、王城界隈(かいわい)を避けたいがためにこの地を選んだという事は、騎士団の誰もが知る所だ。


 白い息を吐きながら、ニコラウスは城塞の中をのんびりと見回っていた。今夜の警備が終われば、三連休が待っている。王都に帰るには短いが、与えられた私室で過ごす分には十分ゆっくりできる日数だろう。

 先日、王都に戻った時に、ちょっとムフフな本が手に入ったのだ。ほかの奴らに見つかると、俺たちにも見せろだなんだと厄介なので、休暇中にゆっくり読もうと大事に隠しておいた逸品だ。


 そんなことを考えながらにやにやしていたニコラウスは、ある場所でふと立ち止まった。奥まった廊下の先に人の気配がする。

 背の高い鉢植えのその奥に置かれた長椅子は、知る人ぞ知るさぼりスポットだ。だが、こんな夜更けにそんな場所にいるとしたら、それはひとりしか考えられない。


 足音を忍ばせて、その場所を覗き込む。その長椅子にいたのは案の定、アデライーデだった。騎士服のままの足を投げ出して、薄い毛布にくるまり無防備に寝息を立てている。

 ゆっくりと胸が上下する。こんな寒い中よく眠れるものだとあきれながら、ニコラウスはコートを脱いで、アデライーデの体の上にそっとかけた。そのまま寝顔を覗き込む。


 黙っていれば綺麗な顔だ。公爵令嬢である彼女がこんな騎士の真似事をしているのも、その右目にかかる傷のせいなのだろう。その傷があってもなお、アデライーデは美しいと思う。そう、その口さえ開かなければ。


 そうっと手を伸ばして、指先で傷をなぞろうとする。その瞬間、ニコラウスは伸ばしていた手を後ろにきつくねじりあげられた。


「あだだだだだだっ」

「ちょっと、たれ目のくせに、人の寝込みを襲うなんてどういうつもりよ」


 背後からアデライーデにのしかかられ、床に這いつくばらせられる。容赦なくねじりあげられる腕が悲鳴を上げた。


「たれ目は関係ないだろう! こんなところで寝てる方が悪いんだろうがっ。ここにどんだけの男がいると思っているんだ。いつも言ってるが襲われたって文句は言えないんだぞ! 無防備にも程があるだろうっ」

「ふん、そんな度胸がある奴なんてひとりもいないくせに」


 そう言ってアデライーデはようやくニコラウスの腕を離した。涙目のまま体を起こして、ニコラウスは変な方向を向いていた手をぱたぱたと振った。


「まったく、このじゃじゃ馬が。嫁の貰い手が無くなるぞ」

「余計なお世話よ。ニコ、あんたこそこんなとこにいないで、さっさと家を継げばいいでしょう?」


 その言葉にニコラウスはむっとした顔した。


「爵位は妹の伴侶に譲るからいいんだよ。いつもそう言ってるだろうが」


 ニコラウスはブラル伯爵家の長男である。しかし、その母親は伯爵の愛人という立場だった。一応男爵令嬢ではあったが、本妻に子供がいる以上、爵位はそちらに譲るのが筋というものだろう。本心はただ面倒ごとを避けたいというだけであったが、この際そんなことはどうでもいい。


「そんなこと言って、この前の白の夜会じゃ、令嬢たちにモテモテだったじゃない」


 にやにやと言われ、ニコラウスは顔をしかめた。あの日は本当にひどい目にあった。妹が社交界デビューするとあっては、いつもは理由をつけて逃げていた夜会も、あの日ばかりは出席せざるを得なかった。


「お前はいいよな。バルバナス様と一曲踊ったら、さっさとどこかに行っちまってさ」


 拗ねたように言うが、あの日のアデライーデを見て正直驚いた。どこから見ても立派な公爵令嬢だったその姿は、バルバナスにエスコートされていなかったら、最後まで誰だか分らなかったかもしれない。


「わたしはバルバナス様の令嬢()けに使われただけよ。まったくいい迷惑だわ」

 不機嫌そうにアデライーデはぷいっと顔を背けた。


 バルバナスとアデライーデの関係はよくわからないものだ。上官と部下の時もあれば、父娘(おやこ)のような時もあり、兄と妹のような時もある。王兄殿下と公爵令嬢である場合もあるし、ただの喧嘩友達のように見えることもある。


 騎士たちの間ではふたりは恋仲なのだという噂もあるが、近くで見物している限りではそんな甘い関係にはまるで見えない。どちらかというと、バルバナスが保護者のようにアデライーデを囲って、ただ大事に守っているだけだ。どうやらアデライーデはそれがおもしろくないらしい。


 アデライーデはもう二十歳(はたち)を超えている。平民ならばともかく、公爵令嬢にしては()き遅れと言わざるを得ない年齢だ。それはバルバナスのせいだとニコラウスは思っているのだが、あながちそれは間違いではないだろう。


 むさい男所帯で紅一点であるアデライーデが、こうも無防備でいられるのはバルバナスの存在があるからだ。騎士団の総司令官であり、王兄(おうけい)殿下であるバルバナス相手に喧嘩を売る命知らずは、この騎士団の中にいるはずもなかった。


(それでも間違いは起きることもある)


 アデライーデに口を酸っぱく言ってもどこ吹く風だ。余計なお世話と思いつつも、ついつい口を出してしまうのは、損な性分だとニコラウス自身も思わなくもない。


「なあ、アデライーデ……バルバナス様を試すようなことはもうやめろよ」


 おそらくアデライーデは、バルバナスのことが好きなのだろう。ニコラウスはそう踏んでいるのだが、当のバルバナスはアデライーデに男を近づけさせない割に、自分が手を出す様子は全くない。その煮え切らない態度に、アデライーデが腹を立てるのはわからないでもないのだが。


「言ってる意味がわからないんだけど」

「あーそうかよ。お前ら、ほんとめんどくせーな」


 投げやりに言うと、ニコラウスは栗色の髪をがしゃがしゃとかきむしった。


 つかず離れずなふたりを見ていると、つい自分の本心を言ってしまいそうになる。大きくため息をついた後、ニコラウスは先ほどアデライーデにかけたコートを、無造作に取り戻した。


「風邪をひく前に自分の部屋で寝ろよ」

「どこで寝ようとわたしの勝手でしょ。うるさいのよ、たれ目のくせに」


 ぷいと顔をそむけると、アデライーデは再び長椅子に横になろうとした。


「お前なぁ……」

「おう、こんな夜更けにこんなとこで何してんだ? あぁ?」


 突然、背後から凄まれて、ニコラウスは慌ててその背をぴしりと正した。この声はバルバナスだ。顔を見なくても怒っているだろうことが伺える。大方、アデライーデが部屋にいなくて、心配して探しに来たのだろう。


「わたしは定期の見回り中に、ここで寝ている彼女を見つけて、部屋に戻るよう注意をしていただけです!」


 ニコラウスがバルバナスに向けて騎士の礼を取りながら言うと、横になりかけていたアデライーデががばりと体を起こした。


「いやよ! 部屋には戻らないわ。だって、バルバナス様のいびきがうるさいんだもの!」

「ああ? オレの小鳥のさえずりのような寝息がなんだって?」

「何が小鳥よ! 夏のヒヨドリよりもよっぽどひどいじゃない!」


 夜中の廊下にいつもの口喧嘩が響いていく。アデライーデの部屋は、バルバナスの私室の中にある。鍵はかかるらしいが、アデライーデは四六時中バルバナスと寝食を共にしているようなものだ。

 あの部屋にはバルバナスの世話をする小姓がひとりいるので、アデライーデとふたりきりというわけではないのだが、変な噂が立つのはこんなおかしなことになっているからだ。バルバナスのこの見事な防御とけん制を前に、アデライーデに夜這いをかけられる者がいるはずもない。


 ()にも角にも、顔を合わせるとこのふたりはいつもこんな調子だ。くっつくならさっさとくっついてしまえ。延々とぎゃんぎゃん言い合うふたりを前に、「あーめんどくせ」とニコラウスは両耳を塞いだ。


「ああ? 今何か言ったか?」

「いいえ! きっと小鳥のさえずりですっ」


 ニコラウスが再びびしりと背筋を伸ばしたところで、遠くからバタバタと足音が近づいてきた。


「バルバナス様! こちらにいらっしゃいましたか!」

 暗がりの廊下の向こうから、ひとりの騎士が息を切らして駆け寄ってくる。


「なんだぁ騒がしい」

「王城から伝令です!」


 筒状に丸められた書状を手渡され、バルバナスはその紐を解いた。その表情はすでに騎士団の長のものとなっている。素早く書状に目を通すと、それをぽいとニコラウスに投げてよこした。


「特務隊に緊急招集要請だ」

「え? 何かあったんですか?」


 さっさと歩き出したバルバナスの背に、ニコラウスが慌てて問いかける。バルバナスは立ち止まって、上半身だけ振り返った。


「星を堕とす者が出たんだとよ。グレーデン家と、――フーゲンベルク家にな」

「な!?」


 ニコラウスは思わずアデライーデの顔を見やる。フーゲンベルクはアデライーデの生家だ。だが、そこにいたのは、同じくすでに騎士の顔をしたアデライーデだった。


「夜明けと共に出立する。眠れる奴は今のうちに仮眠しとけ」


 そう言い残して、再びバルバナスは歩き出した。その後ろをアデライーデが無言でついて行く。

 残されたニコラウスは手にした書状に目を落とし、再びふたりが消えた廊下の先に視線を戻した。


「……オレの三連休が」


 漏れ出た言葉は、寒々しい廊下に、わびしく吸い込まれていった。


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