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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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第19話 氷の王子

【前回のあらすじ】

 突然現れた女が禁忌の異形・星を堕とす者だと、カイに告げられたリーゼロッテ。その上、泣き虫ジョンまで、星を堕とす者である疑惑が浮上します。

 そのまま王城へ連れていかれたリーゼロッテは、カイとベッティが腹違いの兄妹だとベッティに告げられて。ジークヴァルトの思いを微妙に誤解しつつ、王妃の離宮での生活が始まるのでした。

 眠ると、必ずアンネマリーの夢を見る。


 あの庭で、少し距離を置いた場所に座るきみ。まぶしくて、あたたかくて、ここちよい。向けられる屈託のないその笑顔は、揺れる木漏れ日そのものだ。


 自分の弱さも、ずるさも、当たり前のようにすべてやさしく包んでくれる。


 手を伸ばせば、すぐそこにいる。誰よりも、愛おしいきみ――



 人の気配感じて、ハインリヒははっと意識を戻した。書類を手にしたまま、少し転寝(うたたね)をしていたようだ。数度、頭を軽く振ってから、備え付けられた本棚へと視線を向けた。

 しばらくするとの壁の奥でカチリと音が鳴り、その本棚が横にスライドしていく。棚が移動したその奥には、暗い通路が奥まで広がっている。冷やりとした風の流れができて、その暗がりからジークヴァルトが姿を現した。


「ハインリヒ……まだ起きていたのか」


 そう言いながらジークヴァルトは本棚の一冊を奥へと押しこんだ。再びカチリと鳴って、本棚が重い音を立てながら元の位置へと戻っていく。


「眠れないのか?」


 自室の書斎に執務を持ち込んで、夜更けまで書類に目を通していたハインリヒに、ジークヴァルトは気づかわし気な声音で問うた。


「ああ、何かしていた方が気が紛れる」


 正確には眠れないのではなく眠りたくないだけだ。だが、そんなことをジークヴァルトに言っても意味はないだろう。


「ヴァルトは気にせず先に休んでいろ。昔、乳母が使っていた部屋を整えさせた。そこを好きに使え」

「いや、いい。オレはここで寝る」


 そっけなく言った後、ジークヴァルトは()いているソファに腰をかけた。そのまま腕を組んだかと思うと、目をつぶって黙り込む。

 その様子を黙って見ていたハインリヒは、しばらくしてからあきれたようにため息をついた。


「何を心配しているのか知らないが、わたしはリーゼロッテ嬢のところに夜這いに行ったりはしないぞ」


 このハインリヒの自室は、王太子妃の部屋である星の読みの間に、隠し通路でつながっている。ジークヴァルトは先ほどそこを通って、リーゼロッテに会いに行ったのだろう。


 グレーデン家に星を堕とす者が現れたことは、ハインリヒも報告を受けている。リーゼロッテが星読みの間で保護されているのもそういう経緯からだ。王妃の離宮は王による加護が厚い。異形に対する守りならば、国内随一の場所と言えた。


「そんなに心配だったら、向こうに行ったまま戻ってこなければいいだろう」


 投げやりに言って、ハインリヒは手にした書類に再び目を落とした。本当にジークヴァルトは変わったと心底思う。こんなにも一人の女性に執着するなど、未だに信じがたいことだ。


 重く長い息をつきながら、書類をめくる。その文字を目で追うものの、頭になど入ってこない。この脳裏を巡るのは、あきれるくらいアンネマリーのことばかりだ。

 さすがに自分でも頭がおかしくなったのではないかと思っている。彼女と共に過ごしたのは、本当に僅かな時間だったのだから。


 アンネマリーを忘れることはあきらめた。最近では、そんなふうに開き直っている自分に対して、もはや投げつける言葉もみつからない。


「非効率だな」


 不意に書類を取り上げられる。手にした紙の束を無造作に机に放り投げると、ジークヴァルトはハインリヒの腕をつかんで立ち上がらせた。


「そんな腐った顔をしているくらいなら、少しオレに付き合え」


 そのまま有無を言わさず部屋の外へ引っ張り出される。ハインリヒはされるがままに、ジークヴァルトに連れられて行った。その後を、部屋を警護していた近衛の騎士が、慌てたようについてくる。


「お前はここで待て。大丈夫だ、無茶はしない」

 ジークヴァルトは近衛騎士に向かって言うと、鍛錬場の扉を開けた。


 しんとした薄暗い部屋が広がっている。壁に掛けられた模擬剣を二本取ると、ジークヴァルトはそのうちの一本をハインリヒに向けて投げてよこした。


「たまにはいいだろう?」

「ああ、こうしてお前と手合わせるのは久しぶりだな」


 深夜の寒々とした鍛錬場で、ふたりは剣の切っ先を向け合い対峙した。しばらく無言でにらみ合ったあと、ほぼ同時に動き出す。


 続けざまに、剣がこすれ合う音が響いていく。一閃、一閃、火花が散り、気を抜くことは一時もできない。

 こういったとき、ジークヴァルトは容赦がない。王太子である自分を相手にしたとき、大概の者は怪我をさせまいとその手を抜いてくる。わざと負けられるのはおもしろくはないが、己の立場を思えばそれも仕方のないことだ。


 しかし、ジークヴァルトは怪我をさせないギリギリのところを攻め立ててくる。重い斬撃を受け止め、弾き、攻撃に転じる。それを幾度か繰り返したのち、勝負はあっさりとついてしまった。


 手にした剣が弾き飛ばされ、遠くの床へとすべりながら転がっていく。尻もちをついた喉元すれすれに、冷やりとした剣先を突きつけられた。


 互いの荒い息遣いだけが鍛錬場に響く。しばしの後、ジークヴァルトはその剣を鞘に納め、そのままハインリヒの腕を引いて立ち上がらせた。


「……ろくにお前に勝てた試しはないな」

「お前は守られる立場の人間だ。お前よりオレが強くて当然だろう」


 そっけなく言うと、ジークヴァルトは転がっている剣を拾い上げ、元あった壁へともどしていった。


 思えばジークヴァルトと最後に手合わせたをしたのはいつの事だったろうか。子供の頃から幾度となく行われていたそれは、忙しい日々にいつの間にか忘れ去られていった。


 ジークヴァルトとて、公爵の立場だ。本来ならば、多くの者に守られて当然だろう。それなのに、自分のこの背を守るように、いまだ当たり前にここにいる。


(そうか……あの日以来、ヴァルトとは手合わせはしていなかった)


 アデライーデを傷つけたあの日、ジークヴァルトをも失っておかしくなかった。だが、そうさせなかったのは、アデライーデ自身に他ならない。


(わたしはいつだって周りに甘えてばかりだ)

 無言のまま、ハインリヒは拳をきつく握りしめた。


「お前はもっと、人を使うことを覚えた方がいい」


 不意にジークヴァルトが言った。暗に周りを頼れとにおわされ、ハインリヒはその端正な顔を歪めた。

 人を動かすことを苦手としている自覚はある。執務を引き継ぎ、多くの者に指示を出す。父王の存在は大きすぎて、王太子である自分に素直に従う者は、期待するほど多くはない。


「まずは実力を示さねば、人はついてこないものだろう」

 砂をかみしめるように言う。自分に足りないものを認めることは、思いのほか難しい。


「お前は十二分にやれていると思うがな」


 ジークヴァルトにそう言われても、素直には頷けない。王太子として、誰にも隙を見せるわけにはいかない。その立場にあぐらをかいて、努力を怠ることなどできるはずもなかった。


 だが実際は、自分は何もかもが中途半端だ。つなぎとめることも、断ち切ることも、守ることすら、本当に、何もかも――。


 流した汗の分だけ、冷えた空気が体温を奪い始める。


 一体どうしたらいいのか。自分がどうしたいのか。それすらもわからない。

 眠れない夜はいつまで続くのだろう。もしかしたら、この思いは永遠に付きまとうのかもしれない。


 ――はやくこの思いすべてが()てついてしまえばいい


 そんな日が来ることを、ハインリヒはただ一心に願っていた。


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