17-2
◇
「ふっ、はははっ」
向かいに腰かけるユリウスが、リーゼロッテの顔をまじまじと見た後、突然笑い出した。笑いをこらえては、リーゼロッテをちらりと見やり、またふき出す。そんなことを幾度か繰り返す。
「あの、ユリウス様……。わたくしの顔に何かございますか?」
「いや、すまない。さっきのジークヴァルトを思い出すとつい……」
そう言ってユリウスは再びぷぷっと笑った。
「ジークヴァルト様は過保護でいらっしゃるから……」
「そりゃ過保護にもなるだろうさ」
ユリウスの言葉にリーゼロッテは困ったように笑みを作った。
(わたしってそんなに危なっかしいのかしら)
ジークヴァルトの自分に対する子供扱いが、傍目から見てバレバレなのだと思うと、少し悲しくなってくる。隣に座るエラに視線を送ると、エラはやさしく微笑み返してきた。
「公爵様は本当に、お嬢様を大事になさっておられますからね」
「ええ、そうね」
その言葉に反論はなかったので、リーゼロッテはあきらめ半分に頷いた。
「ユリウス様、今日はお忙しい中、護衛を引き受けてくださってありがとうございます」
話題を変えるように言うと、ユリウスはにかっと笑った。
「生憎、途中までだがな」
「途中まで?」
「ああ、後で別の騎士が合流予定だ。女帝と顔を合わすのも勘弁だが、オレもこん中で長時間は耐えられそうにない」
ユリウスも力ある者だ。自分の力にあてられているのだと悟り、リーゼロッテはさっと顔色を変えた。
「心配無用だ。ジークヴァルトからこれを預かっている」
そういってユリウスは、ウィンクしながら青い守り石を取り出した。
「そちらはジークヴァルト様の……?」
「ああ、これを持ってりゃ少しはましだ」
頷くユリウスに、エラが不思議そうな顔をした。無知なる者のエラに異形の存在も自分の力のことも話せない。リーゼロッテは仕方なく曖昧に頷き返した。
しばらくの後、馬車が速度を落としてゆっくりと止まった。ユリウスが確かめるように窓の外を眺めると「選手交代だ」と言って外に出ていく。ほどなくして、別の護衛騎士がひとり、馬車の中に乗り込んできた。
「やあ、リーゼロッテ嬢。今日はよろしくね?」
「え? カイ様⁉」
素っ頓狂な声が出る。今日のカイは公爵家の護衛服を着ていたので、話しかけられるまで彼だと気づけなかった。逆光でわからなかったが、よく見ると灰色の髪は暗い色に染められているようだ。
「エラ嬢も久しぶり」
「デルプフェルト様、ご無沙汰しております」
驚きつつもエラは席を譲ろうと立ち上がろうとする。カイはそれを制して「あ、いいよ、エラ嬢はそっちに座ってて」と扉を閉めた。
ユリウスがいた席にカイが座ると、馬車は再び軽やかに走り出した。
「あの、カイ様……今日はわざわざ来てくださったのですか?」
エーミールは別の用事があるとかで、今日のお茶会には不参加だ。あんなエーミールでもいてくれた方が心強かったとに、ちょっぴり思ったリーゼロッテだった。グレーデン家の女帝という強みマックスな存在に、やはり臆してしまっているのかもしれない。
「うん? まあ、わざわざというか……。あ、エラ嬢、肩にゴミが」
そう言ってカイが手を伸ばすと、次の瞬間、エラの体が手前にかくんと倒れこんだ。その力の抜けた体をなんなく受け止め、カイはそのままリーゼロッテとエラの間に座り込む。
「エラ!」
明らかにカイの手がその首筋に触れた瞬間に、エラは脱力するように崩れ落ちた。「カイ様……!」とリーゼロッテが非難めいた声を上げると、カイは困ったような顔を向けてくる。
「眠り薬を使っただけだから。ごめん、ふたりだけで話す時間が欲しくて」
カイはもたれかかるエラを抱きよせて、収まりよくするように自身の肩にエラの顔を乗せた。カイを挟んで三人で並ぶ椅子は少々窮屈だ。横から肩を押されながら、リーゼロッテは心配そうにエラの顔を覗き込んだ。
「すぐに醒めるよ。体に負担はないから安心して」
「なぜこのような……」
カイに体を預けているエラは、すやすやと眠っているように見える。それでも不安はぬぐえない。
「時間がないから手短に話すけど、今日の茶会は、オレがジークヴァルト様に頼んで受けてもらったんだ」
「カイ様が?」
「うん、どうしてもグレーデン家に潜りこむ必要があって。ほら、オレってグレーデン家で嫌われてるからさ、真正面からは入れないでしょ? ウルリーケ様がリーゼロッテ嬢に会いたがってるのは聞いてたから、ちょうどよかったよ」
にっこりと笑顔を返してくるカイを見て、公爵家でのエーミールとのやり取りを思い出す。一方的にエーミールがカイをなじっていたが、ふたりの仲が良ろしくないのは一目瞭然だった。
「それでカイ様は今日、公爵家の護衛服をお召しなのですか?」
「うん、そう。オレ、今日は一介の護衛だから、あっちに着いたらデルプフェルトの名は出さないで欲しいんだ」
「……潜入捜査、ということですのね」
「リーゼロッテ嬢って、時々すごい言葉知ってるよね」
いたずらっぽくカイは笑う。否定しないということは、そういうことなのだろう。
「物語でよくそういう話がございますでしょう? わたくしはおとりで、カイ様はその隙に捜査をなさいますのね」
「おとりというか、リーゼロッテ嬢は普通にお茶会を楽しんでくればいいよ。今回は捜査というより、ある人物と接触を図りたいだけだから」
「まあ! 聞き込み調査ですわね!」
前のめりに言うと、カイはぷっとふき出した。
「ほんとリーゼロッテ嬢って変わってるね」
深窓の令嬢のくせして聡すぎる。それでいて世間知らずで素直でまっさらだ。苦労知らずの純真無垢な令嬢に違いはないが、それだけではない何かを秘めている。
その時カイにもたれかかっているエラが、小さく身じろぎした。密談できる時間はもうわずかだ。
「リーゼロッテ嬢、オレが何を調べているか、察しはついてる?」
「……王子殿下の託宣のお相手ですか?」
試すように問うと、リーゼロッテは迷いながらもそう口にした。カイは満足そうに頷いてから、流れる景色に目をむける。
「本来ならいるはずの託宣の相手が、見つからないまま今に至っているんだ。貴族女性は調べつくしたけど、該当する者はいなかった。全員が浸泉式であざの有無を確認されているはずだから、当然と言えば当然なんだけど」
浸泉式とは生まれたばかりの赤ん坊に、国の守護神である青龍の祝福を授ける儀式のことだ。赴いた神官が、聖水が入れられた桶に裸の赤ん坊を浸けるというもので、貴族に生まれた者は、必ずこれを受ける義務がある。
「では、浸泉式は龍のあざを調べるためのものなのですか?」
「そういうこと。祝福を授けるというのは建前だよね。ねえ、リーゼロッテ嬢は、龍の祝福コンテストって聞いたことある?」
突然、話題を変えるようにカイが問う。いきなり話が飛んで、リーゼロッテは小首をかしげた。
「市井のお祭りですわよね。あざの形の美しさを競うという」
以前、王都の街中で馬車から見かけた祭りを思い出す。庶民の祭りだと、エマニュエルは言っていた。
この国では生まれつきのあざは、龍が授けた祝福としてよろこばれるものとされている。そのあざの形を競う祭りが、龍の祝福コンテストだ。
「あの祭りは、実は王家主催で行われているんだ。そのことは伏せられてるけどね」
「王家の主催で?」
「うん、あれは市井にまぎれた貴族の庶子……その中でも託宣を受けた者を探すことが目的だから。つまり、龍のあざを持つ者を見つけるための祭りなんだ」
「それで龍の祝福コンテストなのですね……」
龍のあざは絵にかいたような文様のようなあざだ。そんなあざを持つ者ならば、莫大な賞金を目当てに名乗りを上げることだろう。
「それでも未だに、ハインリヒ様の託宣の相手を見つけられないでいる。だけど今回、手がかりになりそうな情報が得られそうなんだ」
そういうことならばとリーゼロッテは力強く頷いた。
「カイ様、お任せくださいませ! わたくし、立派なおとり役を務めさせていただきますわ!」
「はは、ありがたいけど、普通にお茶会に参加するだけでいいからね? リーゼロッテ嬢に危ないことされると、オレ、ジークヴァルト様に殺されちゃうよ」
リーゼロッテがそんな馬鹿なという顔をすると、カイは思い出したように懐から何かを取り出した。
「とりあえず、これも渡しとこうかな」
見ると差し出されたのはジークヴァルトの守り石だった。
「さっきレルナー殿から渡されたんだ。持ってないと瀕死になるからって」
「カイ様はお持ちでなくて大丈夫なのですか?」
「うん、間もなく到着しそうだし、リーゼロッテ嬢が持っていた方が、何かあったときに安心でしょ。それに、エラ嬢に触れているとすごく快適。無知なる者ってどうなってるんだろう?」
カイが不思議そうに、眠っているエラのあちらこちらをまさぐろうとする。リーゼロッテは慌ててその手を制した。
「カイ様!」
「はは、冗談だよ」
笑いながらエラの体を馬車の壁に預けると、カイは素早い動きで向かいの席に移動する。そのタイミングで、エラが慌てたように体を起こした。
「……はっ! わたしってば寝てしまっていましたか!?」
「え……いいえ、そんなことはないと思うわよ?」
誤魔化すようにリーゼロッテが言うと、馬車が大きな門をくぐった。
「グレーデン家に到着したみたいだね」
窓の外に目を向けると、降り積もる雪の中にそびえ立つ、灰色の屋敷が目に入った。フーゲンベルク家の城のようなそれとは比べものにはならないが、侯爵家の屋敷も長い歴史を感じさせる。
広い敷地をしばらく進んで、ようやく馬車はその屋敷へとたどり着いた。




