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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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16-6

     ◇

 王城の廊下を歩きながら、カイは今後の動きをどうすべきか思案していた。


(とりあえずはハインリヒ様に報告に行くか)


 ハインリヒの託宣の相手は確かに存在すること。その相手は、八百十三年か八百十五年のいずれかかに生まれた者である可能性が高いこと。その候補として、ルチアという少女が上がっていること。


 だが、ルチアに関する情報は、まだ不確定な要素が多すぎる。ハインリヒに彼女の存在を伝えるのは、少なくとも母であるアニサが、本当に行方不明になったアニータ・スタン伯爵令嬢であるのかを確かめてからだ。


(イグナーツ様にアニサとの関係を問い詰めたいところだけど)


 彼はいまだこんがり亭に戻っていないようだ。万が一を考えて、ルチアには密偵(みってい)を放って逃げられないよう見張っている。まずはアニータ・スタン伯爵令嬢の事から片付けていくのが得策だ。


(ハインリヒ様に変に期待を持たせるのもまずいしな……)


 ルチアが全くの無関係となれば、また手がかり(ゼロ)の振り出しに戻ってしまう。だが、探す相手の生まれ年が二年に絞られただけでも、収穫ありだ。


(八百十五年はルチアの生まれ年……そして、八百十三年はアンネマリー嬢の生まれた年か)


 託宣の書庫で見た記録によると、ルチアが生まれた年にふたつ、アンネマリーが生まれた年にひとつ、託宣が降りたことになる。そのうちのいずれかが、ハインリヒの相手ということだ。


 本音を言えば、アンネマリーがハインリヒの託宣の相手ならば、こんなに楽なことはない。ハインリヒのアンネマリーへ向けられる感情は、今までの彼ならば考えられないほどの執着ぶりだ。

 だが、そんな希望的観念(かんねん)はなんの役にも立ちはしない。可哀そうだとは今でも思うが、ハインリヒには徹底的に現実に向き合ってもらうしかないだろう。


 仮にルチアがハインリヒの託宣の相手だとして、市井(しせい)で生まれ育った彼女に、国母(こくぼ)としての(せき)(にな)うことはできるのだろうか?

 あのやせぎすのルチアが、ハインリヒと仲睦(なかむつ)まじく並び立つ姿を思い浮かべて、カイはため息をつきながら頭を振った。


「うん……なんだか、想像力を試されてる感じだな」

「何を試されておられるのですか?」


 不意に正面から声をかけられて、カイはいつの間にか向かいにいた女官に目を止めた。


「カイ様が上の空とは、珍しいこともあるものですね」


 刻まれたしわを深めてやさし気に目を細めたのは、イジドーラ付きの古参の女官だ。幼少の(おり)から面識がある昔馴染みで、カイにとっては、王城内で気を許すことのできる数少ない存在でもあった。


「ルイーズ殿、ちょうど良かった。あなたに聞きたいことがあったんです」

「わたしにでございますか……? それはまた珍しい」

「アニータ・スタン伯爵令嬢について、知っていることがあったら教えてもらえませんか? どんなに些細な情報でもかまいません」

「アニータ・スタン……?」


 一瞬、記憶をたどるようなしぐさをしてから、次いでルイーズの表情が硬くなる。


「ここでは……まずはこちらへ」


 ルイーズの目配せを受けて、カイは頷いて彼女の後ろをついて行った。


 通されたのは女官たちが使う控えの部屋だ。ルイーズの指示で若い女官が席を外すと、ルイーズは神妙な顔でカイを仰ぎ見た。


「カイ様は何をお知りになりたいのですか? アニータ様はずいぶんと前に亡くなられたと聞き及んでおります」

「今から十四年前に、アニータ嬢は行方不明で死亡扱いになっている。それは貴族年鑑で確かめました。オレが知りたいのは、行方がわからなくなる直前に、彼女がどこでどう過ごしていたかです。ルイーズ殿の記憶に残ることは何かありませんか? どんな小さなことでもいいんです」


 カイの必死さに、ルイーズは戸惑いの表情を見せる。どこかためらう様子のルイーズは、何かを言うかどうかを迷っているように感じられた。


「ハインリヒ様の託宣の相手の手掛かりになるかもしれないんです。どうか口に出せることは、すべてオレに話してもらえませんか?」


 はっとして、ルイーズは心を決めたようだった。頷いてから、今度はためらうことなくその口を開いた。


「わたしはアニータ様と直接の面識はございませんでしたが、アニータ様が行方不明となられる前に長く過ごされていた場所なら存じ上げております」


 続きを催促するような視線にルイーズは背筋を伸ばし、まっすぐとその顔を向けた。


「それは、ここ、王城にございます」

「王城に……?」


 その言葉にカイが訝し気な顔をした。貴族令嬢と言えど、王城に長く滞在するにはそれなりの理由がいる。王城はただ遊びにきて、長く逗留(とうりゅう)できるような場所ではないのだ。


「アニータ様は当時、イルムヒルデ様のお話し相手として王城にとどまっておいででした。アニータ様はイルムヒルデ様のお気に入りでいらしたので……」


 イルムヒルデとはディートリヒ王の母親のことだ。王妃の座をセレスティーヌに譲って以来、(おもて)舞台(ぶたい)に現れることなく、後宮で余生(よせい)を過ごしていたとカイは聞いている。


「当時は前王フリードリヒ様が(やまい)(ふせ)せっておられましたので、心労の重なるイルムヒルデ様をお支えするべく、アニータ様は長く後宮で過ごされていました。ですが、それ以上のことは……。アニータ様の訃報(ふほう)は、わたしにとっても突然のことでしたから」


 ルイーズはそこまで言うと、すまなさそうな顔をした。本当にそれ以上のことは知らないのだろう。


「その頃、アニータ嬢と親しくしていた人物に心当たりはないですか? できれば、行方不明になる直前の様子を知り得るような」


 生憎(あいにく)、イルムヒルデはもう何年も前にこの世を去っている。後宮は王族の他に、限られた人間しか入り込めない場所だ。(つか)える使用人も、後宮で起きた出来事を決して外に漏らすことのない、口の堅い厳選された者ばかりである。そのため、当時の様子を探るのは難しいかもしれない。


(この話を先に聞いていれば、先ほどディートリヒ王に尋ねることもできたのに)


 王への謁見(えっけん)は、そう気軽にできるものではない。イジドーラ経由で聞くこともできはするが、できればアニータ・スタンの名をイジドーラの耳には入れたくなかった。


「そうですね……確か、イルムヒルデ様のお話し相手を務めていたご令嬢が、もうひとりいらっしゃったはず……」


 記憶の糸を辿るように視線をさ迷わせた後、ルイーズははっとしてカイの顔を見た。


「彼女なら、当時のアニータ様の様子をご存じかもしれません」

「それは一体誰です?」


 ()れたようなカイの問いかけに一瞬だけためらった後、ルイーズはその人物の名を告げた。


「その方とは、カミラ・ティール公爵令嬢。現在のグレーデン侯爵夫人でございます」

「グレーデン侯爵夫人……」


 そう(つぶ)いたカイの顔が(かす)かに(ゆが)められた。その人物との接触を図るのは少しばかり難儀(なんぎ)そうだ。

 グレーデン家とデルプフェルト家は昔から犬猿(けんえん)の仲だ。カイの立場では、真正面から侯爵夫人に面会を申し込んでも、すげなく扱われるのが落ちだろう。だが、どうにか算段を整えなければ、この先に進めそうにない。


 気を取り直してカイはルイーズに笑顔を向けた。


「ルイーズ殿、助かりました。これで進展が期待できそうです」

「このことを王妃様には……?」


 不安げにルイーズの瞳が揺れる。


「イジドーラ様にはすべてが明らかになった後、オレからきちんと報告します。いたずらにつらいことを思い出させたりはしませんよ」


 アニータが行方知れずとなったのが、イジドーラにとって最も過酷だった時期と同じくしていることに、ルイーズも気づいたのだろう。


 当時を振り返るような質問を、イジドーラに投げかけるつもりはカイにはなかった。そんなことをするくらいなら、自分が単身でグレーデン家に殴り込む方がよほどましというものだ。

 ルイーズを安心させるように、カイはもう一度笑顔を返した。


(グレーデン家か……。さて、どうやって(もぐ)()む?)


 ルイーズと別れたあと、考えを(めぐ)らせながら進む廊下の先に、ジークヴァルトの後ろ姿を認めた。思わずカイの口から「あっ」と声が漏れる。

 そうだ、グレーデンと言えば、フーゲンベルク公爵家の傍系貴族だ。なぜ、そんなことに気づかなかったのだろう。


「ジークヴァルト様! リーゼロッテ嬢を貸してください!」


 思わずついて出た言葉に、振り返ったジークヴァルトは、想像通りの渋い顔を返してきた。普段ならば、リーゼロッテをネタにからかってやりたいところだが、今はそんなことをしている場合ではない。

 何はなくとも、まずはグレーデン家で情報収集だ。アニータ・スタンの背後に貴族の影が見いだせたのなら、アニサ本人に会いに行く必要もあるだろう。


 ジークヴァルトからなんとか譲歩(じょうほ)を取り付けて、カイは次いでハインリヒの元へと急ぎ向かった。


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