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さかのぼってその日の早朝、カイは神殿の長い廊下の先の、奥まった部屋へと通されていた。
そこで待っていたのは、ひとりの若い神官だった。白銀の長い髪をしたその神官は、美女と言っても差し支えないほどの容姿を備えた男だ。閉じられたままの両眼が開かれることはなく、彼の瞳は光を失っているだろうことがうかがえる。
案内を務めた別の老齢の神官は、カイをそこまで送り届けると、言葉を交わすこともなくそそくさとこの場を退場していった。残されたふたりは対峙したまま、しばし部屋の中に沈黙がおりる。
「……まさかレミュリオ殿が来られるとはね。神殿はオレを買いかぶりすぎのようだ」
その静寂を破ったのはカイだった。探るようなその声音に、神官は静かに笑みを作った。
「みな、あなたをどう扱っていいのか、判断に困っているのですよ。わたしのように使えない人間をよこすのがいい証拠です」
「はは、使えないだなんて謙遜もすぎるんじゃない? レミュリオ殿が次期神官長候補ってことくらい、このオレの耳にも届いているよ」
「根の葉もない噂ですよ。カイ・デルプフェルト様ともあろう方が、そのような世迷言に惑わされるとは思えませんが」
「世迷言、ね」
カイが胡散臭そうに見やると、レミュリオはうすく口元に笑みを浮かべながら、迷いのない足取りで扉へと向かった。
「このような早朝をご指定なさったのは、時間が惜しいからでしょう? 早速、託宣の書庫へとご案内します」
そこに異論も反論もなかったカイは、レミュリオの後をおとなしくついていった。レミュリオは瞳を閉じたままの状態で、なんの戸惑いもなく廊下を進んで行く。
「……レミュリオ殿は、実は見えてるんじゃない?」
「だったらいいのですが。ここでの生活も長いですし、勝手知ったる、というやつですよ」
気を悪くしたそぶりもみせず、レミュリオは歩を緩めることなく静かに答えた。
「それに人間、ひとつのものを失うと、他の感覚が研ぎ澄まされるようになるものです。人の体とは面白いものですね」
そう言ってレミュリオは、すれ違った神官に道を譲るように廊下の端へと移動した。その神官はカイの姿を認めると、驚いたようにそそくさと走り去っていく。
それを気に留めるでもなく「なるほど。人一倍他人の気配に敏感ってわけか」と、カイはレミュリオの背にむかってつぶやいた。
「もっとも、あなたのように気配を隠すのがうまい人間相手では、なにかと苦労しますがね」
その言葉の直後、立ち止まって振り返ったレミュリオの顔面目がけて、カイは素早く拳を繰り出した。風切り音を立てたその拳は、その端正な顔の寸でで止められる。
「……無駄な殺生は感心しませんね」
身じろぎひとつしなかったレミュリオの声が、静かな廊下に響く。カイは拳を開くと、閉じ込めていた羽虫を一匹、その手のひらから解放した。弱々しい軌道を描きながら、羽虫は肌寒い廊下の奥へと飛んでいく。
「おや? カイ・デルプフェルト様は、思いのほか慈悲深いお方のようですね」
「どうせ冬を越せない命だ。オレがどうしようと結末は変わらないよ」
その返答に口元に笑みを作ったレミュリオは、再び長い廊下を歩き始める。その後は会話も弾まないまま、目的の扉の前と到着した。




