第15話 星を堕とす者
【前回のあらすじ】
王都外れの下町で、カイはごろつきにからまれていた少女・ルチアと出会います。貧しい身なりをしているルチアでしたが、彼女の言動からルチアは貴族の庶子ではないかと疑うカイ。
二人が向かったこんがり亭で、会いに行った人物・イグナーツが不在のまま、預けられていた大金を手渡されるルチア。
カイはルチアの母の正体を探るべく、動き出すのでした。
「はーい、お待たせしました、次の方どうぞ」
十匹目の小鬼を招くと、その異形は帽子を取るしぐさをして、胸に手を当ててリーゼロッテにぺこりとお辞儀をした。それが異形が生きていた頃の癖なのだろう。
「あら、あなた、この前も来てくれた子ね」
異形が目をきゅるんとさせて、うれしそうにこくこくと頷いている。
「あなたは確か……この世に未練があって、なかなか天に還れないでいたのよね? それで悔いに残っていることは何なのか思い出せたのかしら?」
目の前の床に立つ異形は、身振り手振りで懸命に何かを訴えている。ソファに腰かけたままリーゼロッテは、そっと瞳を閉じてその波動を感じ取った。
「そう……そう、そうなのね……」
リーゼロッテは小さく頷きながら、根気よく異形の声に耳を傾ける。それはつたない言葉だったり、漠然とした思いだったり、何か映像のように映ったりと様々だ。
「そう……あなたは大切なひとを残して、この世を去ったのね」
閉じていた目を開けて静かにそう言うと、異形はかなしそうにしゅんとうなだれた。異形の思いから垣間見えた映像は、不鮮明で分かりにくいものだったが、それは、今よりもずっと昔に、確かにそこにあったあたたかい記憶のかけらだ。
「ねえ……あなたは長いこと、ここでこうしていたでしょう?」
リーゼロッテの問いかけに、小さな異形はこてんと首を傾けた。
「だからきっと、あなたの大切なひとは、もうあっちにいるのではないかしら?」
リーゼロッテが天井へと視線を移すと、異形もつられるように上を見上げた。
「どう? 見える?」
ふたりが見上げる先に、あたたかくふんわりした空間が垣間見える。異形は不思議そうに、その白く光るその場所をじっと見つめた。
「ほら、あそこで待っているのは、あなたの大切なひとではない?」
そこを食い入るように凝視していた異形の瞳が次第に潤んでいき、光の粒が涙のようにぽろぽろとこぼれ落ちた。その腕を伸ばし、白い狭間へと必死に手を差し伸べる。リーゼロッテはそれを手助けするように、手のひらを広げて緑の力を異形の体に降りまいた。
異形の体はきらめく緑を纏い、ふわりとその場から浮き上がった。光の空間へと手を伸ばし、急いたように、ずっと焦がれていたものを求めていく。その先の光の中に、リーゼロッテは白く朧げな誰かの姿を垣間見た。
そこへたどり着く頃に、小さな異形はひとりの青年の姿となっていた。光の中の誰かに手を差し伸べ、愛おしくその体を抱きしめる。
乞い願った存在にこころが打ち震え、何もかもが満たされていく。リーゼロッテは異形の思いをつぶさに感じて、その波動に緑の瞳を潤ませた。
抱き合ったふたりは、まるで初めからそうであったかのように、境目なくほどけてひとつになっていく。輪郭がぼやけ、やがて光の扉は閉ざされる。天への道が消えゆく間際に、振り返った光のゆらめきが、小さくありがとうと囁いた。リーゼロッテの耳には鈴の音のように、それは静かに響いていった。
しばらく異形が還った空間を見つめていたリーゼロッテは、ふと視線を感じてそちらをみやった。
執務机でペンを握ったままのマテアスが、あんぐりと口を開けてこちらを見つめている。目を見開いているようだが、それでも相変わらずの細い糸目だ。何かあったのかとリーゼロッテはマテアスに向かってこてんと首をかたむけた。
「今ので十匹目だ。今日はもう終いにしろ」
不意に頭の上から声をかけられる。見上げると、ソファの横にジークヴァルトが立っていた。
ここはフーゲンベルク家のいつもの執務室だ。リーゼロッテは白の夜会の後、程なくして公爵家に移動した。社交界にデビューを果たしたからと、特に何が変わったわけでもなく、力の制御の特訓をしたり異形相手におしゃべりをしたり、以前とさほど変わらない日々を過ごしている。
デビュー前と変わったことといえば、やたらとお茶会や夜会の招待状が届くようになったことだろうか。ダーミッシュ家に届いたリーゼロッテへの招待状は、そのままジークヴァルトの元へと届けられ、そのことごとくが却下され続けている。
(異形のことを思うと、ほいほい招待を受けるわけにはいかないものね)
残念に思いつつも、そこは諦めの境地で受け入れているリーゼロッテだ。
不意に横から「あーん」と菓子が差し出され、リーゼロッテは条件反射のようにそれを口にした。それから、迷いなくテーブルの上にある一口大のクラッカーを手に取り、それをそのまま隣に座ったジークヴァルトの口元へと持っていく。
「ヴァルト様、あーんですわ」
ジークヴァルトも何も言わずに唇を開き、リーゼロッテは慣れた手つきでそれを口の中に押し込んだ。お互いにモグモグしながら見つめ合う。この一連の流れ作業に、リーゼロッテはもう慣れてしまった。
「リーゼロッテ様……今、異形を浄化されていましたよね?」
紅茶をテーブルの上に置きながら、マテアスが驚いた声で聞いてくる。その問いにリーゼロッテは一度視線をさ迷わせてから、毅然とした態度でマテアスにきっぱりと返した。
「いいえ、あれは浄化ではないわ。あの子が自発的に天に還っただけよ」
「え? ですが、あれはどう見ても……」
(まずいわ。あれを浄化と認めてしまうと、ヴァルト様に止められてしまうかも)
心配性のジークヴァルトが、一度却下したことを撤回することはまずあり得ない。リーゼロッテはなんとかそれだけは避けようと、もう一度マテアスに向かって強めに言った。
「いいえ、あの子は自分で天に還ったの。だって、わたくし、浄化の力は使っていないもの」
リーゼロッテはいつもやっているように、小鬼の瞳をきゅるんとさせる程度にしか力を使わなかった。いや、使ったというより、自然と溢れ出るものをそっと振りまいただけだ。それ以上のことは何もしていない。
そんなリーゼロッテの頑なな態度に、マテアスは戸惑った。リーゼロッテはずっと異形の浄化をしたそうにしていた。常日頃、マテアス達が行う浄化とはまったく異質な方法だったが、異形は確かに浄化されたのだ。それをよろこぶでもなく、むしろあれは浄化ではないと言い張るリーゼロッテの真意が測れない。
「あれは浄化じゃないもの」
もう一度ぽつりと言って、リーゼロッテはその瞳にもりもりと涙をためだした。小さな唇をへの字に曲げて、ふるふると震わせている。
その涙が今にもこぼれ落ちそうな様子に、マテアスは激しく動揺した。なぜそこで泣くのかがわからない。そして、横からあふれ出る主の殺気に身がすくむ。
「りりりリーゼロッテ様、お気に障ることを申し上げましたのなら謝罪いたします」
普段は冷静沈着なマテアスが、はわはわとなっている。横暴な貴族が理不尽な要求をしてくることはままあることだが、リーゼロッテのこの反応はマテアスの理解をはるかに超えていた。
「ジークヴァルト様、あれは浄化ではありませんわ」
今度はジークヴァルトに向かって毅然と言った。溢れそうになる涙をためて、ぐっとこらえるようにその顔を見上げる。
「いや、あれは、浄化か浄化じゃないかと言ったら、浄化だろう」
ジークヴァルトが無表情でそう返すと、途端にリーゼロッテの瞳からぶわっと涙が溢れ出た。ジークヴァルトの眉間にしわがよる。次いで助けを求めるようにマテアスの顔を見た。




