表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

246/494

14-4

     ◇

 ダンは雇われ店主だ。若い時分は金のためなら何でもやる、人様には言えないような後ろ暗い人生を送ってきた。だが、何の因果か、今では平凡な小さな店の店主に納まっている。


 へまをやらかして死にかけたとき、自分を拾ってくれたもの好きな男がいた。彼に出会わなかったら、今、自分がこうしてこの狭いカウンターの中で、グラスを(みが)いていることなどありはしなかっただろう。


 不意に扉が開く。客が来るにはまだまだ早い時間だ。最近、貴族街の店に(なら)ってドアベルをつけるのが流行(はや)っているらしいが、狭い厨房(ちゅうぼう)に小さなカウンター、客が座るテーブルは三つしかないさびれたこの店に、そんなこじゃれた物は似合わない。


 ここで出てくる物は、安い酒とこんがり焼いた肉の(かたまり)だけだ。味付けも塩と胡椒(こしょう)で十分だ。うまいものが食いたかったら、大通りの流行りの店に行けばいい。ここは後ろ暗い人生を生きている、そんな奴らがふらりと立ち寄る場所だ。


 そんな場末(ばすえ)の店に、普段ならやってこないような身なりのいい青年が現れた。少年と言うには(すき)がなく、男と言うには物足りなさすぎる。そんな微妙な年頃だ。


「これはカイ坊ちゃん、ずいぶんと久しぶりで」


 ダンはグラスを磨く手を止めて、その青年、カイを見た。前に会った時は、もっと子供子供していたように思う。時が過ぎるのは早いものだ。そんなふうに思うのは、自分も年を取ったということなのだろう。


「やあ、ダン、久しぶりだね」


 そう言って(ひと)(なつ)っこそうに浮かべる笑みは、ここ数年で見られるようになったものだ。初めて出会った頃の彼は、にこりともしないクソガキだった。この青年もまた、あの男に魅入(みい)られ、救われた者のひとりなのだと改めて思う。


「そろそろ帰ってきてるかと思って寄ってみたんだ。イグナーツ様はいる?」

「いや、生憎(あいにく)とまだもどってきておりやせん。今年の冬の寒さはいつも以上で、どこぞの山奥で氷漬けになってやしないかと、あっしたちも心配していたとこでさぁ」

「はは、イグナーツ様、意外と抜けたところあるからなぁ」


 まったく心配している感じがしないところが、またカイらしい。イグナーツを師と(あお)いだ時点で、ろくな人間にならないのも道理といえるか。良家のボンボンの師となるには、あの男はろくでなしすぎる。


 そんなカイの後ろから、子供がひとり顔をのぞかせた。茶色の髪をしたやせぎすの子供だ。長すぎる外套を引きずるように肩にかけ、その胸に大事そうに紙袋を抱えている。


「カイ坊ちゃん、いつから幼女趣味に目覚めたんで?」

「この子はそんなんじゃないよ。ルチアは、オレの運命の女の子」


 余計に(たち)が悪いのではと思ったが、いつものおふざけの(たぐい)だろう。子供の方が心底(いや)そうな顔をしている。


「それにしても、あの時を思い出しやすな。(いもうと)殿(どの)はお元気にしておいでで?」

「ああ、彼女もすっかり独り立ちして、今は別件で仕事してるよ」

「さいですか。あの時もこんなふうに痩せこけたガキ、あ、いや、小さい子供をつれておいででやしたからね。で、カイ坊ちゃん、その運命の幼女をどこで拾って来たんで?」


 子供に視線を向けると、カイの後ろに隠れてしまった。まあ、自分のこのなりは、子供の頃の自分が見ても、しょんべんをちびるくらいにはビビると思うが。


「ルチアはこんがり亭のお客だよ。オレはここまで道案内しただけ」


 カイは押し出すように子供を前にやる。肩に手を乗せたままなのは、子供がまだ怖がっているせいだろう。


「ほら、ルチア。ここに用があったんでしょ?」


 (うなが)され子供はおずおずと顔を上げた。茶色の真っ直ぐな髪に隠れて目は見えない。やせぎすの薄汚い子供だ。年は十いくかいかないくらいか。実は少年かとも思ったが、やはり女の子らしい。正直、どう扱っていいのか対処に困るが、とりあえず怖がらせないようにと笑っておいた。


「ルチア、怖くないよ。あれは、こんがり亭のダン。地獄の門番みたいな顔してるけど、あれで精いっぱい笑ってるんだ」


 ニコニコしながら出る台詞は、あまりフォローになっていない。肩を押されるルチアは、抵抗するように足に力を入れて、カイに背中を押し付けてくる。


 スキンヘッドのダンは、クソ寒い冬でも基本いつでもタンクトップ姿だ。浅黒く日に焼けた顔や体のあちこちに刀傷が走っている上、盛り上がった筋肉がとてもではないが堅気(かたぎ)には見えない。こんがり亭などという可愛らしい名前の店の主と言うより、殺し屋と言われた方が納得するような風貌(ふうぼう)だ。


「んー? ルチア、大事な用事があったんじゃないの?」


 カイがルチアを包み込むように後ろから抱きしめて、その頭の上に(あご)を置いた。はっとしたルチアは、頭を押さえてカイの腕から乱暴に逃れると、胸に抱えていた紙袋をカイに押し付けた。


「荷物持ちはここで終わりよ」

 そのままくるりと向き直ると、意を決したようにルチアはダンのいる厨房へと目を向ける。


「あ、あの、ここにゲオって人はいますか? アニサの娘が来たって伝えてほしいんです」

「へ? ゲオ?」


 間抜けな声を出したのはカイだ。


「ああ、彼はまだ山から帰ってきていませんぜ」

「いつ頃戻ってきますか? わたし、母さんに言われて来てて」

「今日かもしれやせんし、一週間待っても戻って来ないかもしれやせんね。旦那は毎年、雪解けとともに出て行って、冬になるとふらりと帰ってくるんでさぁ。帰ってこなかった冬は一度もありやせんが、今年は特に遅いかもしれやせんね」

「そんな……」


 こわばった声でそう言った後、ルチアはダンに詰め寄った。


「何かあったらここを頼るように母さんに言われてるの! 今、母さん、病院にいて、でもお金がなくて、もう出ていかなきゃならなくて、一度家に戻ったら別の人が住んでて、大家さんにどうせもう戻ってこれないだろうからって言われて、わたし、わたし……っ」


 嗚咽(おえつ)をこらえながらルチアは言葉を詰まらせた。ダンは手を止めて黙ってその様子を見つめている。


「どうして教会を頼らないの? 医者にはかかれなくても、母さんだって温かいベッドで眠れるはずだよ?」


 そういう制度があると知らない子供がいるかもしれない。カイは静かに問うてみた。しかし、ルチアは動揺したように首を振った。


「教会はだめ! 絶対にだめ!」

「どうして? 温かい食事だってもらえるよ?」

「だめ、だめなの、だって母さんが……!」


「そこまでにしてやってくだせぇ、カイ坊ちゃん」


 厨房から出てきたダンが、ルチアの前に片膝をついた。目線を合わせるように屈みこむ。


「よかったら、事情を詳しく話してくだせぇ。なに、あっしは旦那にここをまかされてるんでさぁ。彼を頼ってきた女を放っておいたとあっちゃあ、あとで何を言われるかわかりやせん」


 殺し屋の顔でダンはにたりと笑った。もちろん、ルチアを安心させるためだ。ルチアはぎゅっと唇をかむと、ポケットにしまっておいた()り切れた紙を取り出し、ダンに差し出した。


 先ほどカイに見せたものとは別の紙で、それは手紙のようだった。カイは手渡される前にそれをさっと盗み読む。


 親愛なる I Geo L様 

 どうかこの娘が独り立ちできるまでお力をお貸しください。                    

                A. S 


 女性が書いたような美しい文字だ。そこには教養が伺える。


( I Geo L……イグナーツ・ゲオ・ラウエンシュタインか)


 カイは内心(あき)れかえっていた。ゲオとはイグナーツの託宣名だ。託宣を受けた者は、みな必ずミドルネームを持っている。それは表に出すようなものではないし、まして他人に教えるなど、王家や神殿にとっては禁忌(きんき)の事だった。

 カイですらおいそれと他人の託宣名を口にすることはできない。たとえそれを知っていたとしても。


(そもそも龍に目隠しされるはずなのに)


 託宣の存在を知る自分ですら口にできたということは、龍がそれを黙認しているということか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ