第14話 運命の少女
【前回のあらすじ】
白の夜会に遅れてやってきたアンネマリーは、ハインリヒ王子との対面を避けることは叶わず心を痛めます。
王妃によって贈られた自身の守り石を身に着けるアンネマリーを前に、ハインリヒは動揺を隠せません。
他の男と踊るアンネマリーを見て、その思いを焦がすハインリヒ。王太子としての自分が保てず、苦悩の縁へと沈むのでした。
(そろそろ帰ってきてる頃合だよな)
カイは目立たぬよう平民に見える簡素な格好をして、冷たい風が吹き抜ける王都はずれの街中を歩いていた。多少の変化はあるものの、見知った街並みを迷うことない。
目的地まであと少しというところで、カイはとある少女に目を止めた。
その少女はきょろきょろとあたりを見回しながら、少し進んではまた戻り、手にした紙を見返してはまた進むという行為を何度も繰り返している。明らかに道に迷っていますというその少女に、ガラの悪そうな男が三人近寄って行った。
何か会話をしたのち、男のひとりが少女の腕を掴み、強引に路地裏の方へ連れて行こうとしている。嫌がる少女を見ても、通行人は我関せずと足早に通り過ぎるだけだ。
カイは小さくため息をついてから、仕方ないとばかりに少女がいる方へと歩を進めた。少女と言えど女性の危機を放っておける自分ではないのだ。
「やあ、ここにいたんだ。急にいなくなるから探しちゃったよ。ほら、変なおじさんと遊んでないでこっちにおいで」
少女は驚いてカイを見上げ、ごろつきどもとカイを天秤にかけたのか少しだけ迷った後、カイの方へと駆け寄ろうとした。だが、腕を掴まれて思うように進めない。
「ちょっと離して!」
少女がもがくも、その腕ははずれない。
「ああん? お前、このガキのなんなんだよ」
「それはこっちの台詞なんだけど。いい加減、その手を離してもらえないかな?」
凄むごろつきに、カイはにっこりと笑顔を返した。少女はその様子を不安げに見ている。多勢に無勢な上、見るからに小柄なカイの方が弱そうだ。
「ああ? オレたちはこのガキを親切に案内してやろうってだけだ! てめえには関係ねぇ!」
「その娘はオレの連れだよ。お呼びでないのはむしろ、おじさんたちの方」
さあ、というようにカイは笑顔で少女に手を差し伸べた。今度は迷うことなく少女もカイへと手を伸ばす。
「んな与太話、誰が信じるかよっ!」
そう言って、ごろつきのひとりがカイにいきなり殴りかかった。少女が小さく悲鳴を上げる。
「そこは素直に信じとこうよ」
カイはその拳を難なく避けて、つかんだ男の腕を後ろにねじり上げた。ごりッと嫌な音がする。肩を押さえて絶叫する男の背を押して、道端の人の邪魔にならない方へと転がした。
「貴様ぁ!」
仲間の男がいきり立って殴りに来る。その男の懐に素早く入ると、カイは肝臓を突き上げるように拳を腹に叩きつけた。泡を吹いた男がもんどりうって倒れる前に、いまだ少女の腕を拘束していた男の背後に回って、その首筋に短剣をひたりと押し当てる。
「ねえ、おじさん。オレが本気になる前に、その手、離してくれないかなぁ?」
抜き身の刃をわずかに強く押しつけ、耳元で冷たく囁く。一瞬で形勢不利となった男は、背後のカイにおののきながら、少女の腕を掴む手をぱっと離した。それを見届けると、カイは男の首筋にトンと手刀をあびせ、あっけなくその場に昏倒させる。
「はじめっからそうしてれば痛い目見ないで済んだのに」
短剣を鞘にしまってやれやれといったふうにカイが肩をすくめると、すぐ近くで一部始終を見ていた小さな男の子が感嘆の声を上げた。
「お兄ちゃん、すごい……!」
目がキラキラと輝いている。憧れのヒーローに出会った少年の目だ。カイはその少年の前で片膝をつくと、その頭にポンと手を置いた。
「褒めてくれてありがとう。でも次にこういうことがあったら、一目散におうちに逃げないとダメだよ? 巻き込まれたら危ないからね」
約束だよ? とカイが言うと、少年は瞳を輝かせて何度もコクコクと頷いた。
「ねえ、これ、お駄賃あげるから、自警団のおじさんたちが来たら、この転がってるのは人さらいの悪いおじさんたちだって伝えといてくれる?」
少年に硬貨を握らせると、カイはやさし気に目を細めた。
「うん! ちゃんと自警団のおじちゃんにそう言うよ!」
硬貨を握りしめ、少年は力強く頷いた。もう一度頭をぽんとすると、カイは立ち上がって呆然と立ち尽くしている少女を振り返った。
「じゃ、行こっか」
「え?」
戸惑う少女の手を取って、通りをずんずん進む。
「え? ちょっと待って、どこ行くの?」
「とりあえず移動させて。自警団につかまって調書とかとられるの面倒だから」
振り切ろうと思えば容易に振り切れる程度の力で手をつないでいたものの、少女はその手を離そうとはしなかった。戸惑いながらもカイのあとを素直についてくる。助けてもらった手前、ある程度はカイを信用しているようだが、しかし、先ほどの少年のように両手放しに、というわけではなさそうだ。
(それくらいの分別は持ってるのか)
一度助けてもらったからと言って、その人間が善人とも限らない。下心があって近づいてきたかもしれないのだ。まあ、カイにしてみれば、いじめられている子犬を助けた程度の事でしかないのだが。
十歳前後に見える少女は、自分が思うよりも年が上なのかもしれない。もしくは過酷な人生を送ってきたか。
しかし、少女の纏う空気は、人間不信に陥っているかというとそうでもない。信頼できる大人の存在をにおわせる。先ほど手にしていた紙も、目的地の住所と何かのメモ書きが見てとれた。少女が文字が読めるのならば、それを教えられるだけの人間のそばにいたという証だ。
少女の身なりは、この寒い時期にしては明らかに薄着だった。うす汚れているし、洗濯などずっとしていないのだろう。そして、つなぐかじかんだ小さな手は、あちこちあかぎれをおこしており、日常働いているだろう手だ。
しかし、対照的に少女の髪は艶やかでさらりとしている。どこにでもいるような茶色の髪は肩口で綺麗に揃えられ、前髪は鬱陶しいほど長くのばされている。
(かつら……なのかな?)
だがカイはそのことを深く追求する気はなかった。こんな年の少女がかつらをかぶる理由など、どうせろくなものではない。隠したい傷があるとか、そういった類のことだろう。
カイは自警団に見つからないように、通りの十字路をふたつみっつと曲がった。少女が怖がらないようにと、あえて人通りの多い通りを選ぶ。
ある程度歩いたあと、カイは足を止めて少女を振り返った。急に止まったカイの胸に「ぶっ」っと少女がつっこんでくる。
「ああ、ごめん、ごめん。ここら辺ならもういいかと思って」
それをなんなく抱きとめて、カイは悪びれない笑顔を向ける。そんなカイに、長い前髪の隙間から少女は胡散臭そうな者を見る視線を返してきた。
(人を見る目もありそうだ)
カイはおもしろそうに少女を見下ろすと、次いで視線を合わせるように両膝に手をついて屈みこんだ。
「オレはカイ。君は?」
「……ルチア」
少女は少し躊躇してからその名を口にした。
「ルチア……いい名前だね」
カイがそう言うと、少女、ルチアは少しうれしそうにはにかんだ。カイがもし少女の立場だったのなら、絶対に本名は明かさないだろう。しかしルチアの反応から見るに、彼女が告げた名前は嘘ではなさそうだ。
「ねえ、ルチア。君は道に迷ってたんでしょ? オレ、ここら辺、わりと詳しいんだ。よかったら案内するよ?」
カイの言葉にルチアは手に持ったままだった紙をぎゅっと握りしめる。折り目が擦り切れて、今にもちぎれてしまいそうな古びた紙だ。
「うん? オレが信用できないなら仕方ないけど、このあとまた君に何かあったらオレの寝覚めが悪くなるんだけど」
戸惑ったようなルチアは、まだカイを信頼しきれていないようだ。危機管理としては悪くない判断だ。




