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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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13-6

     ◇

 バルバナスは王族専用の通路を通り、夜会の控室に向かっていた。そこで待っていればじきにディートリヒもやってくるだろう。


 正直言って行きたくない。行きたくはないが、会場で貴族たちに囲まれるよりはまだましというものだ。

 令嬢避けにアデライーデを連れてきたものの、彼女をさらし者にするのは本意ではなかった。アデライーデが負った傷のことを、いまだにおもしろおかしく話す(やから)は少なくない。


 近衛(このえ)の騎士がバルバナスの姿を認めると、礼を取った後その扉を開けた。バルバナスは騎士に軽く手を上げてから、その室内へと入る。

 誰もいないだろうと思って入った部屋には、青白い顔をしたハインリヒが、何をするでもなくそこに立っていた。握りこんだその手を認めて、バルバナスは咄嗟(とっさ)にその腕を(つか)んだ。


「おい」

「……伯父(おじ)(うえ)


 表情のない顔をハインリヒは向けてくる。きつく握りしめた手を無理矢理に開かせると、爪が食い込んだのか白い手袋が赤く染まっていた。


「何をやってる。白の夜会を血で()める奴があるか」


 そう言われて、ハインリヒは自分の手のひらに目を向けた。白い手袋に血が(にじ)んでいる。だが、それが何だと言うのか。なんの感慨(かんがい)もなくハインリヒは自分の手をただ見つめた。


「ったく、しょーがねぇなぁ」


 バルバナスは扉の騎士に包帯を持ってこさせ、血の付いた右手の手のひらを丁寧(ていねい)(ぬぐ)っていく。清潔(せいけつ)な布を当て、包帯をまきつける。手袋()しだったからか、傷はそう深くない。これなら明日にでも包帯はとれるだろう。

 念のためにと反対の左手を取る。ハインリヒは無表情でされるがままだ。


 ハインリヒはここ数年、益々(ますます)母親であるセレスティーヌに似てきていた。こんな青白い顔を見ると、晩年のセレスティーヌを思い出す。だが、セレスティーヌは自分の顔を見るたびに、なぜだかいつも忍び笑いをしていた。

 その思い出し笑いをこえらるような行為は、亡くなる直前まで続いていた。結局、何がおかしくて笑っているのか理由を聞けないまま、セレスティーヌは()ってしまった。


 そのことを思い出すと、今、目の前にいるハインリヒの方がよほど病人のように思えてくる。

 左手の手袋を引き抜き、こちらには傷がないことを確かめる。不意に手の甲の龍のあざが目に入った。


 このあざは龍に(しば)られた(あかし)だ。その証を受けた者は、消せぬ呪いのように何人たりとも逃れることは許されない。

 こんなにも多くの人間の犠牲の上で成り立っている平和など、何の意味があると言うのか。


 バルバナスははずした手袋を左手だけはめ直して、ハインリヒの手を解放した。


「アデライーデなら、向こうの控室にいる。ブシュケッターのお気に入りにまかせてあるから、心配すんな」


 頭にポンと手を置くと、ハインリヒははっとしたようにバルバナスの顔を見た。まるで、今その姿を認めたかのように。


「あれはお前のせいじゃねぇ。悪いのはすべて龍だ。アデライーデもそのことは飲み込んで、もう前を向いて生きている。だからお前が気に病むことは何もない」


 ハインリヒが笑わなくなったのは、あの事件が起きてからだ。だが()()()()()、誰が予測し得たというのか。それをハインリヒだけに背負わせるのは、(こく)以外の何物でもない。


「今まで通りアデライーデのことはオレに任せておけばいい」

「伯父上、わたしは……」


 ハインリヒは苦しそうに顔をゆがませた。唇をかみしめ、再び(こぶし)をきつく握ろうとする。


「ああ、ああ、それ以上握りこむな。軽傷じゃすまなくなるぞ」

 腕を引き、子供の頃にしていたように乱暴に頭をかき混ぜるようになでまくる。


「おら、そんなしけた顔すんなって。ここにいたくねぇなら、もう部屋に戻って今夜はさっさと寝ちまえ。ディートリヒにはオレから言っといてやるからよ」


 そう言ってバルバナスは扉の前で控えていた騎士に、ハインリヒを部屋まで送るように命じた。どのみち夜会は一晩中行われる。帰りたい奴は帰るし、寝たい奴は休憩室で休む。ようは夜会の後半は好き勝手にしていいのが慣習だった。


 バルバナスは有無を言わさず、ぐちゃぐちゃの頭になったままのハインリヒを、部屋から無理矢理追い出した。


「ちと、(はず)したのか?」


 ハインリヒはアデライーデの件で思いつめていたわけではなさそうだった。なんとなくそう感じていたが、言ってしまったことは仕方がない。かえって思い出させてしまったことは悔やまれるが。


「……こんな国、さっさと滅びちまえ」


 国の騎士団の(おさ)である男が吐き捨てた言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。


     ◇

 戻った自室の無駄に大きな寝台の(ふち)に、ハインリヒは着替えもせずにただ座っていた。背を丸め、うつむいたまま何時間も経過していた。


(一体わたしはどうしたいのだ)


 なぜ、彼女なのか。どうしてこんなにもアンネマリーを求めてしまうのか。

 王太子として(おのれ)(りっ)しようとすればするほど、その真逆(まぎゃく)の感情に支配される。短い時間で振り子のように揺れ動く気持ちに、自分自身がついていけない。


 しかし、求めたところで指一本触れることすら(かな)わない。もし、目の前で彼女が(がけ)から落ちるようなことがあったとしても、自分に彼女を救うことなどできはしないのだ。

 バルバナスに言われるまで、アデライーデの事すら頭から抜け落ちていた。決して忘れるなど許されないと言うのに。


(託宣の相手が見つかりさえすれば――)

 すべてが変わるのだろうか?


 (つい)の託宣を受けた者同士は、強く()かれ合うと言う。今までは半信(はんしん)半疑(はんぎ)でいたが、ジークヴァルトのあの変わりようを()の当たりにすれば、それは真実なのだと認めざるを得ない。


 自分もその誰かと(めぐ)りあえば、アンネマリーへのこの思いも、魔法が()けたように()()せるのか。


(――消せるものなら、消してしまいたい)


 ハインリヒは乱暴にシーツにくるまり、幼子(おさなご)のように丸くなってきつく目を閉じた。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。王都のはずれの街中で、ルチアと名のる少女に出会ったカイ様。その少女には何か秘密があるようで? ふたりが向かったで店で待っていたのは、殺し屋のような強面店主!? 王子殿下の託宣の相手をめぐって、物語が動き出す!

 次回、2章第14話「運命の少女」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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