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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第2章 氷の王子と消えた託宣

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13-4

     ◇

 異様な雰囲気の中、ダンスを終えたクラッセン侯爵とその令嬢が、この場を退場しようとする。その様子をカイは間近で(なが)めやっていた。


(イジドーラ様も大胆(だいたん)なことをする)


 白の夜会で王妃が何がしかを(たくら)んでいるであろうことは承知していた。カイ自身、むしろそれを楽しみにしていたくらいだ。

 しかしこれでは、アンネマリーのこの国での未来は断たれたも同然だ。彼女にまともな縁談が舞い込むことはもはやないだろう。そう思うと、さすがに気の毒になってくる。


(まあ、そのためのオレってわけか)


 わざわざ自分に、誰のエスコートもせずに夜会に参加するように言ってきたくらいだ。こんな状況になることなど、王妃はお見通しだったろう。


「クラッセン侯爵、ご無沙汰(ぶさた)しております」


 人好きのする笑顔を浮かべ、カイはしれっと二人に近づいていく。()(もの)を扱うかのように遠巻きに見ていた貴族たちが一斉にざわついた。


 カイは王妃とつながっている。クラッセン侯爵もそれを承知しているだろうから、いい顔をされるはずはない。案の定、トビアスはカイを()(ころ)さんばかりに(にら)みつけてきた。


「これはデルプフェルト殿。わたしどもは急ぐので、失礼する」

「まあまあ、侯爵、そう言わずに。デビューのお祝いくらい言わせてくださいよ。アンネマリー嬢、今日はデビューおめでとう。しばらく会わないうちに、すごく綺麗になったね」


 王城にいた頃と変わらない態度と口調で、カイはアンネマリーに微笑みかけた。アンネマリーは戸惑いながらも淑女の礼を取る。


「ありがとうございます、カイ様……」

 だがそれ以上言葉は続かない。アンネマリーは一刻も早くこの場から逃げ出したかった。


「王妃殿下から贈られたその首飾り、とても似合っているね」


 カイはわざと大きな声でその台詞を言った。近くに噂好きで有名な夫人が、耳をそばだてるようにして立っている。それ以外の貴族たちの注目も集めるように、カイはわざとらしいくらいに大げさに手を広げて見せた。


「なんでもその首飾りは、王妃殿下自らがデザインしたそうだよ。まさにアンネマリー嬢のために作られた最高の意匠だね」


 カイのその言葉に、クラッセン侯爵令嬢が王妃のお気に入りであることが周知されていく。これで少しばかりはアンネマリーの名誉(めいよ)は回復するだろう。

 何せイジドーラ王妃は、破天荒(はてんこう)な行動をすることで有名だ。目の前の侯爵令嬢の出で立ちも、王妃の気まぐれの結果であるのもあり得る話だ。侯爵と言えど一介の貴族が王妃の命に逆らえるはずもない。アンネマリーへの嘲笑(ちょうしょう)は、次第に同情の視線へと変わっていった。


 その様子をトビアスは素直に喜べなかった。そもそも王妃がこんなものを贈りつけてこなければ、アンネマリーは何の(うれ)いもなくデビューを迎えることができたのだから。


「クラッセン侯爵、アンネマリー嬢を少しお借りしても?」


 五男(ごなん)と言えど、カイはデルプフェルト侯爵家の人間だ。多くの貴族が見ている前で、その申し出をはねつけることもできなかった。


「アンネマリー嬢、オレと一曲踊っていただけますか?」


 やわらかい物腰で手を差し伸べる。一瞬戸惑(とまど)ったアンネマリーは、不承(ふしょう)不承(ぶしょう)(てい)(うなず)く父を見てから、カイのその手を取った。それを合図にするかのように、明るいワルツが流れ始める。


 曲の始まりと共に、周囲にいた者たちも手を取りあってダンスに興じ始める。異様な雰囲気だったフロアも、先ほどと変わらず穏やかなものとなっていた。


「アンネマリー嬢、さっきも言ったけど本当に綺麗になったね」

「いえ、そのような……」


 アンネマリーは困惑したように視線をそらした。カイが王妃に言われてやってきたであろうことは、アンネマリーにも容易に想像がつく。


「あれはちゃんとハインリヒ様に渡しておいたから」


 耳元で(ささや)くように言われ、アンネマリーの体がびくりと()ねた。王子の名前に、嫌でも鼓動が反応してしまう。


「ハインリヒ様、すっごいへこんでたよ」


 茶化すように言うカイに、アンネマリーは思わず顔を上げた。そしてすぐその顔をゆがませる。


「そのような嘘はおっしゃらないでください」

「嘘なんかじゃないよ」


 カイは心外だとばかりに大げさに目を見開いた。


「今だってそうだよ。ほら、ハインリヒ様、君と踊るオレをあんなふうに(にら)んでる」


 くるりと位置を変え、アンネマリーから壇上が見えるようにする。カイの肩越しの王子は、こちらを(けわ)しい顔で凝視していた。自分たちが移動するのに合わせて、その視線も追ってくる。

 しかしあれは嫉妬の視線なのだろうか? アンネマリーにはとてもそうは思えない。いたたまれない気持ちになって、アンネマリーは王子から視線を()らした。


「そのような嘘は残酷ですわ」


(まったく……ハインリヒ様も罪深いな)

 ハインリヒのやりようを思えば、アンネマリーの反応も仕方がないことだ。しかしカイは意に介した様子もみせず、柔らかく笑った。


「それでもオレは何度でも言うよ。アンネマリー嬢、ハインリヒ様を信じてやってもらえないかな?」


 カイの言葉に目を見開く。しかしそれを素直に受け入れることができようはずもない。うつむいて唇を噛んだまま、(ほど)なくしてダンスは終わりを告げた。


 カイに手を引かれ、ダンスフロアから外へと出る。トビアスは誰か貴族につかまって、こちらを気にしつつも話し込んでいるようだ。


 不意に王族用の入口付近からざわめきが聞こえだした。カイに手を取られたまま、アンネマリーもそちらへ視線を向けた。はっと息をのんだアンネマリーにカイは(いぶか)しげな顔をする。


「アベル殿下がなぜここに……!?」


(アベル殿下? ……隣国の第三王子か?)

 アランシーヌの第三王子はテレーズの夫である。そんな隣国の王族が来るなどと言う話は、王妃からもカイは聞いていなかった。


 王城の文官たちとなにやらひと悶着(もんちゃく)起こしている様子だったが、アベル王子はこちらの、おそらくアンネマリーの姿に目を止めた。押しとどめようとする文官を振り切ってアベル王子はこちらへと向かってくる。


《久しぶりだな、アンネマリー》

《アベル殿下……なぜこのような場所に……》


 二人が話すのは隣国の言葉だ。その言葉を理解しないカイは内容まではわからない。だが、その雰囲気を察することはカイにもできた。


《お前のデビューを祝いにわざわざ来てやったんだ。もっと嬉しそうな顔をしろ》


 アンネマリーはアベル王子と特別親しかったわけではない。テレーズの夫として、必要に応じて会話をすることはあるにはあったが、その時は必ずテレーズが間にいた。ふたりきりで会うようなこともなかったし、常に適切な距離は保っていたはずだ。


《まあ、いい。……ちょうどいいな、こっちに来い》


 いきなり腕を引かれ、出てきたばかりのダンスフロアへと連れていかれる。戸惑う貴族たちをしり目に、アベル王子はアンネマリーの腰へと手を回した。

 ダンスフロアにはすでに軽快なワルツが流れており、多くの貴族たちが踊りを楽しんでいた。その中にアンネマリーは引っ張りこまれる。強引なリードに有無を言わさずアンネマリーは踊り出すより他なかった。


 急なことでカイもそれを止めることはできず、ふたりをダンスの波の中に見送る形になってしまった。咄嗟(とっさ)にカイはイジドーラ王妃に視線をやった。王妃は王と共に、ただダンスフロアを静かに見つめているようだ。


《随分といやらしい体つきになったな》


 極力、体が触れないようにと姿勢を保っていたアンネマリーの体が、ぐいと強く引き寄せられる。アベル王子の胸板に自分の胸が当たり、アンネマリーは顔をゆがませて身を離そうとした。しかし、逆に体を押し付けられ胸の谷間を強調させる形になってしまう。


《王太子の手付きになったか? 帰国して短い間に手の早いことだ》

 ちらりと壇上の方へと目を見やり、アベル王子はせせら笑うように言った。


《我が国の王太子を侮辱(ぶじょく)なさるおつもりですか!?》

 思わずかっとなってアンネマリーは語気(ごき)を荒げた。


《侮辱も何も、そんな色の宝石をお前に(まと)わせて、独占欲の(かたまり)ではないか》

《これは……!》

《テレーズが懐妊(かいにん)したぞ》


 不意に耳元でそう言われ、口を開きかけたまま二の句が告げられなくなる。突然行き場を失くした怒りをうまく処理できない。


《せっかく気兼(きが)ねなく抱ける女を手に入れたというのに、腹の子に(さわ)るだ何だと、最近ではろくに触れることもできん。まったく(きょう)ざめもいいところだ》


 その言葉にアンネマリーは何かおぞましい物を見るような目で、アベル王子を見上げた。

 アベル王子は隣国に三人いる王子の中では、いちばんまともな人物だと思っていた。アンネマリーの目から見ても、常にテレーズを気遣い、王宮の陰謀(いんぼう)からも守る姿勢を見せていたのだ。


《いいな、その目……すごくそそられるぞ》


 再び耳元でそう言われ、アンネマリーの顔がかっと(しゅ)に染まる。それは可愛らしい恥じらいなどではなく、純然たる怒り(ゆえ)だった。


《早くアランシーヌに戻って来い。テレーズもお前に会えなくて寂しそうにしているぞ。……そうだな、アンネマリー。お前、オレの側妃(そくひ)になれ》

《本気でそのようなことをおっしゃっているのですか……!?》


 隣国アランシーヌの王族は側妃を持つのは当たり前のことと考えている。しかし、正妃(せいひ)であるテレーズのお腹に自分の子供がいるこのタイミングで、とても正気(しょうき)沙汰(さた)とは思えない。


《何を驚く? そうすればお前もこの国に(しば)られずに、テレーズのそばにずっといられるだろう? テレーズ共々かわいがってやる。光栄に思え。それに……》


 あの青二才の王太子よりもずっと気持ちいい思いをさせてやるぞ。アベル王子はそう付け加えて、アンネマリーの胸の谷間辺りをみやって(ほの)(ぐら)(わら)った。


 唇をわななかせて言葉を失ったまま、曲が終わりを告げた。


 だが、アベル王子はアンネマリーを拘束したまま離そうとしない。このままでは二曲続けてアベル王子と踊ることになる。

 アンネマリーは必死のその手を振りほどこうとした。


(たわむ)れはここまでになさってください!》

《なんだ? いい考えだろう? お前はこのままアランシーヌへ連れていってやる》


 ふいにアンネマリーの手が後ろに引かれ、カイがふたりの間に割り込むように入ってきた。


「こんな強引なやりようがあなたの国の流儀(りゅうぎ)なのですか?」


 そう言うカイに表情はなく、その真意を測るようにアベル王子はカイを見た。アベル王子はこの国の言葉の心得はある。だからと言って自国語以外は話す気などないのだが。


《オレをアランシーヌの王族と知っての狼藉(ろうぜき)か? この国の貴族などひねりつぶすのは造作(ぞうさ)もないぞ》


 その台詞をアンネマリーに向けて言い放つ。それを聞いたアンネマリーはさっと顔を青ざめさせた。自分のせいでカイに迷惑が掛かってしまう。うまく切り抜けないと、国家間の問題にも発展しかねない。

 咄嗟(とっさ)に父の姿を探す。この場をうまく収められるのは、アベル王子の為人(ひととなり)をよく知る父意外いないだろう。


《アベル殿下、騒ぎは起こさぬ約束で我が国へにお連れしたはずです。それに夜会に参加する許可が王から降りたと聞いた覚えはありませんが?》

《ここへ来た目的はアンネマリーのデビュー祝いだと言っただろう。テレーズのかわりに大雪の中わざわざ来てやったんだ。そのように言われるいわれはない》


 騒ぎに慌ててやってきたトビアスが、苦虫を()(つぶ)したような顔になる。

 隣国を出立する直前にいきなりアベル王子が同行すると言い出したのだ。王にお(うかが)いを立てる(しょ)を送ったり、その返事を待つうちに天候が悪化したりと、いろいろと大変だったのだ。夜会に到着が大幅に遅れたのもそのせいだった。


 だがすぐに表情をあらため、アベル王子に向き直った。気持ちがすぐ顔に現れるようでは外交は務まらない。


《祝いの席ならば後程(のちほど)お時間をつくらせていただきます。今はお引きください。これ以上は外交問題となりますぞ》

《ふん、こんな北の小国、どうとでもなる》


 そう言ってアベル王子は強引にアンネマリーの腕を(つか)んだ。


《アベル殿下!》

 さすがのトビアスも声を荒げた。隣国でならともかく、自国での暴挙に素直に従うことなどできはしない。


「その手をお離しになってくださらないかしら?」


 いつの間にかあやしげな笑みをたたえたイジドーラ王妃が、すぐそこに立っていた。優雅な足取りでこちらの方へと近づいてくる。


「その娘は今宵(こよい)の主役であるデビュタントのひとり……我が国の大事な宝ですわ。それを、このように(たわむ)れるのは無粋(ぶすい)と言うもの」


 小国とはいえ一国の王妃を前にして、アベル王子はしぶしぶアンネマリーから手を離した。イジドーラ王妃に妖艶(ようえん)に微笑まれて、若干(じゃっかん)たじろいだ様子を見せる。


「アベル殿下のお相手はわたくしが務めますわ。それとも、わたくしでは役不足かしら……?」


 長手袋をはめた手を、ついとアベル王子へと差し伸べる。アベル王子は不遜(ふそん)な笑みを口元にたたえ、(うやうや)しくイジドーラの手を取った。


「お美しいイジドーラ王妃の申し出を断れる男がいるものですか」


 王妃への敬意をあらわすために、流暢(りゅうちょう)なブラオエルシュタインの言葉で返す。そのままダンスフロアへと向かって行き、中央付近でふたりがポジションを取ったタイミングで、再びワルツの調べが流れ始めた。


「おふたりとも今のうちに」

 途中、王妃の目配せを受けたカイが、アンネマリーとトビアスを会場の外へと誘導する。


 フロアで見つめ合いながら踊る王妃とアベル王子をちらりと見やり、次いでカイは壇上のディートリヒ王を盗み見た。


(はは、あれは相当怒ってるな)


 先ほどと同じくディートリヒ王は静かな目つきで会場をみやっている。だが、イジドーラは王妃となってからこの方、ディートリヒ王以外の男と踊ったことはない。ディートリヒ王は意外と、いや、相当嫉妬(しっと)(ぶか)いことをカイは知っていた。


 恐らくアベル王子は早急に隣国へと送り返されるだろう。ディートリヒ王を敵に回すなど、愚かな王子だ。カイはそう思いながら夜会の会場を後にした。


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