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ジークヴァルトに手を引かれダンスフロアへと舞い戻ったリーゼロッテは、この場がジークヴァルトとの婚約を認知させる場なのだと悟った。恐らくジークヴァルトのそばにいれば、先ほどのように人だかりに囲まれることもないはずだ。
ダンスを申し込まれても、今の自分ではそつなくかわすことなどできそうにない。だが、今日の所はジークヴァルトが隣にいればやり過ごせそうだ。先ほどのフーゴとの会話を聞く限りでは、今夜はリーゼロッテのエスコートを最後までしてくれるのだろう。
周囲がこちらを見て興奮気味に会話をしているのが目に入る。キュプカー侯爵が言っていたように、ジークヴァルトが令嬢を連れていることに驚いているのかもしれない。
(できるだけ、仲良く見えるようにふるまわなくちゃ)
自分に婚約者がいることが周知されれば、今後ダンスに誘われても断る理由ができると言うものだ。
「ジークヴァルト様、今日はありがとうございます。わたくしと踊っていただけてとてもうれしいですわ」
はにかむようにとなりを見上げる。ジークヴァルトはちらっとだけこちらを見て「ああ」とそっけなく言った。
(……ジークヴァルト様って、よく見るとかっこいいんだわ)
王妃の茶会で再会したときに、初めてジークヴァルトの顔を見た。その時も整った顔の青年だとは思ったが、いつもその青い瞳にばかりに目が行ってしまう。
突拍子もない行動もあるせいか、あまりジークヴァルトの顔の造作がどうとは考えずに今日まで過ごしてきた。
今日のジークヴァルトは夜会服を身に纏い、いつもと雰囲気が違って見える。黒を基調とした裾の長いジャケットに、首元にはクラバットが巻かれている。そのクラバットを止めるピンは青い守り石でできているようだ。
ジャケットの襟や袖口、裾に青い刺繍がされていて、よくよく見るとそれはリーゼロッテのドレスに施されたものと同じものであることに気がついた。
(これって、いわゆるペアルックってやつなんじゃ……)
自分の色をあらわすドレスや宝石を溺愛するヒロインに贈るというのは、ラノベでもよくあるエピソードだ。周囲から見てもリーゼロッテが身に着けているものは、すべてジークヴァルトが贈ったものだと分かるだろう。
仲良し作戦はうまくいっているはずなのに、なんだか恥ずかしさがこみあげてくる。客観的に見てジークヴァルトは、イケメンで、公爵で、王子の近衛騎士も務める独身貴族の中でもハイスペックの超優良物件だ。本来なら自分などがとなりに立てるような人物でない。そんな考えが頭をもたげてくる。
異世界に転生したもののチートはポンコツ。自分的には可愛いと思う容姿も、この世界ではイケてない部類なのだ。子供の頃、ある使用人に投げつけられた言葉がいまだにこの胸に刺さっている。
(……奢ってはいけないわ。わたしはこの世界では可愛くなんかないんだから)
伯爵令嬢としての待遇は義父がいてこそのものだ。それに龍の託宣がなければ、ジークヴァルトとこうして並んでダンスフロアに立つこともなかっただろう。そこまで考えて、リーゼロッテはハタと思い出した。
(そうよ、悪役令嬢説はまだ残っているかもしれないんだわ!)
思わず辺りを見回してみる。もしかしたら条件に合う令嬢がいるかもしれない。
「誰か探しているのか?」
その様子をいぶかしんでジークヴァルトが問うてくる。
「はい、デビュタントの中にピンクブロンドの髪をした可愛らしいご令嬢がいらっしゃらないかと思いまして……」
(なおかつあひる口が標準装備の庇護欲をそそる美少女で、平民から養女になった男爵令嬢あたりがヒロインのテンプレよね)
この場でジークヴァルトとヒロインが恋に落ちるかもしれない。もし、自分が本当に悪役令嬢ポジションだったなら、婚約破棄まっしぐらの運命をたどる可能性もあるのだ。
(こんなことなら乙女ゲームをいろいろとやっとけばよかった。ふがいないぞ、前世の自分……)
異世界転生に関して知識はラノベに偏っている。乙女ゲームは正直プレイした記憶はなかったので、こんな憶測をしても仕方ない。それでも万が一があってはと、周囲にいるデビュタントを見回してヒロイン候補を探してみる。
「知り合いなのか?」
「いいえ、そういうわけではないのですが……」
ジークヴァルトがさらに怪訝な顔をしたタイミングで、曲が流れ始めた。差し出された手に条件反射のように応じると、リーゼロッテはジークヴァルトとダンスの姿勢を取った。
ジークヴァルトと踊るのは初めてだ。今さらながら身長差が気になってくる。
(公爵家でヴァルト様とも練習しとくんだった)
そんな後悔が先に立つわけもなく、ジークヴァルトとリーゼロッテは滑るように踊りだした。しかしすぐにそれは杞憂だとわかる。
(あ……すごく踊りやすい)
力むことなく自然に踊れている。それはジークヴァルトが自分の動きにあわせてくれているからだとすぐに気づいた。
ステップを踏みながら、ふいにジークヴァルトの後方に異形の影が近寄るのが見えた。ハッとした瞬間、くるりと向きを変えられる。しかし、向きを変えたその先にも別の異形が蠢いていた。
気づくと自分たちの周りが異形で囲まれて、その中でジークヴァルトは器用にリーゼロッテをリードしていく。
「ジークヴァルト様……!」
「大丈夫だ、問題ない」
リーゼロッテが怯えたようにジークヴァルトの手を強く握ると、ジークヴァルトが踏み込んだ先の異形がひと固まり消えて無くなった。
「お前はそのままでいればいい」
そっけなく言ってジークヴァルトは周囲に目を向けた。リーゼロッテをリードしつつ、行く先の異形を祓っていく。戸惑うリーゼロッテはダンスを止めるわけにもいかず、言われるままステップを踏み続けた。
そうこうしているうちに曲が終わり、リーゼロッテはジークヴァルトと向かい合わせになって礼をした。フロアがダンスの入れ替わりでざわつき始める。周囲を見回すと、まだ異形の者がふたりの周りを囲うようにしていた。
「あの、ジークヴァルト様。早くここを離れた方がよいのでは……」
幾人かの紳士がリーゼロッテに近づいてくる。もしかしたら自分にダンスを申し込みに来るのかもしれない。それだけならジークヴァルトを理由に断ることもできるのだが、便乗して異形の者が一緒に近づいて来くるのが目に入った。
「ヴァルト様……!」
思わずジークヴァルトに身を寄せる。ダンスタイムでもないのに男性に抱き着くなど、はしたない行為だと言われても仕方ないが、リーゼロッテはそうするより何もできなかった。
すぐそばまで来た紳士が声をかけたそうにしているが、リーゼロッテは不自然なくらいジークヴァルトの顔を凝視してそれに気づかないふりをした。気のせいであってほしいが、その紳士の肩には黒髪の女がだれんと背後から覆いかぶさっている。
(さ、貞子、貞子がいるぅぅぅぅっ)
長い黒髪をひと房口にくわえた異形の女は、ちらっと横目で伺ったリーゼロッテと目が合うと、にたぁと笑みをつくった。その手は愛おしそうに紳士の頬を撫でさすっている。
脳内でひぃぃっと悲鳴を上げつつ、リーゼロッテはジークヴァルトに縋りついた。
「問題ない」
涙目のリーゼロッテをみやったジークヴァルトは、無表情のままリーゼロッテの少し乱れた前髪を指に絡めながら梳いていく。人前でも躊躇しないその指の動きに、リーゼロッテの頬が染まった。
そんな様子に貞子を背負った紳士は諦めたように去っていった。今のやり取りが、ふたりの世界を作り上げたようだ。周囲の視線が痛いような気もするが、結果オーライと言うことにしておこう。




